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 LEBEN und TOD von Billy 1979年copyright

生と死

ビリー著

人間の肉体の死後、霊の進化の為の霊の存続について。又、永久に存続する霊の宿る人間の生活と、彼の生活に関連する内部と外部の、すべての出来事について。

私の勧告を地球人に贈る

恐れてはいけない

地球人よ、真実、愛、英知が、永久に貴方の為にあるということを、貴方は確実に知っているのに、何故貴方は恐れるのか?

地球人よ、物質の本質について、物質が死んでいるとか生命を持たないとか、決してそのように考えてはならない。

貴方が物質に意識が見い出せないとか、意識をとらえる力がないからといって、そのように評価してはならない。

実際には物質は死んではおらず、その中に強力な力を秘めている。

貴方は物質に意識がないからといって死んでいると思うだけである。

貴方の霊に目覚めないかぎり、死が貴方を破壊するという死の恐怖は貴方を脅かし続ける

地球人よ、過去と未来において、貴方は天国と地獄に行くことはない。もし、貴方が天国へ行きたいなら、貴方自身が準備するのだ。天国の芽は、霊の教えの種にのみ宿る。

霊の教えとは、愛、知識、釣り合い、英知であり、それらは完全に論理に基づく。

貴方がいかに、それらを自己の内部に受け入れ、いかに実践するか、それのみが重要なのだ。

貴方の内に天国の種を蒔き、貴方の天国を育てるのは、まさに貴方自身である。

霊と言う真実の世界においては、物質的な事柄は重要な価値を持たない。

物質的な問題は、物質の世界では高く評価されるが、霊の世界では無価値である。

儀式宗教は、物質的世界で重要な人間は、霊の領域では無価値であると主張するが、決してそうではない。

物質的世界で小さな者は、霊の領域で偉大であると主張するが、決してそうではない。

霊という真実の世界では、あらゆる面で、調和と平和が、絶対的平等の下で支配している。

人間が霊界に移ると、優れているとか劣っているとか、物質界で最高位の人間が霊界では最下位に格下げされるとか、逆に最も小さな者が最も偉大な者になるということはない。

霊界ではすべての生命は、バランスのとれた調和の下に、等しい地位と平等が与えられている。

それは霊的大きさに相違はなく。物質世界で生きていた時の貧富やご社会的地位には無関係である。

愛は道であり、真理であり、生命である。

いかなる生命も、創造の愛がなければ存在することが出来ず。

真理の光がなければ存在するごとも出来ない。

いかなる光も、愛と真理がなければ存在することは出来ない。

いかなる真理も、愛と光なしには存在することは出来ない。

真実の愛は真実の存在であり、創造の中心から放射された永遠の熱である。

創造は真実の生命と呼ばれている。この愛から永遠に一定の7つの生命の熱が生まれ、そこから真理の光が発生し、無限の全宇宙空間に浸透した。その光、すなわち愛、真理、存在の光、それは霊の教えのことであるが、その光をつかむ者は、それを受け入れ、それに従って生きる。

彼は又、霊の愛と、生存の愛を、自分白身の内部へ受け入れる。人間がこれを、自分自身の内部へ受け入れるならば、彼は霊と創造の愛とその本性、すなわち真理の生命を完全に受け入れることになり、時代を超えた真理の光が働いて、真実の愛、すなわち永遠の生命として、自己の霊に正しい方法で目覚めるのである。

愛は探究出来ないほど深い。愛は偉大な力であり、決して眠ることはない。愛は時代を超えて永久に働き無限に豊かで論理的である。
             
愛は全存在の中で驚異的に栄える。動物や草原の花の中に、人間や言葉や歌の中に、愛は永遠に世界を貫く。

恒久的愛は生きる目標になり、常に論理の中で現われる。

いかなる嵐も吹き飛ばすこと能わず、永久に存続し、荒波も引き裂くこと能わず、それが真の霊の言葉なり。

塵に帰すものは決して、一生涯持続すること能わず。

それらはすべて滅すべきもの、生命と存在を食い潰すものなり。

地球人よ、貴方は貴方の世界の恐怖に怯えている。

しかし、確信せよ。真理と愛が、貴方の世界を征服したことを。

私は、非常に頻繁に日常生活の中で、あるいは真実の霊の教えの予言者として使命を遂行する際に、死の恐怖に襲われ、大なり小なり死の不安に怯えて生活している同胞に出合うことがある。

彼らはしきりに、死の恐怖と戦慄に怯えて生きている。何故なら儀式宗教は、彼らに死の問題や、霊界における霊の存続の問題に関して、わずかだけ、あるいは全然教えないからである。

又、教えても間違った解釈をしている。

これは本質的な問題であるにも拘らず、その問題に一顧することを禁じ、それについて詳細に知ることを罪と見なしている。

約二千年前、パレスチナで布教活動をしていたイマヌエルは、この問題を避けなかった。それはタルムード・イマヌエルに、はっきりと書かれている。

ところが二千年経過する内に、儀式宗教、特に正当派のカトリック教によって、違った解釈がなされ、それを大衆に教えた。   

カトリックの狂気の為に、あらゆる強制的方法によって、真理が抑圧され、沈黙させられた。その結果、探究心に燃える人間は、邪悪な誤謬と混乱に陥り、儀式や宗教的虚偽、死の恐怖や戦慄が彼の頭に叩き込まれたのである。

この様な宗教の外にも、死の恐怖や戦慄を撒き散らす罪を犯した者がいた。それは偽予言者だ。

彼らは神を見たといい、神の使いであり、神の命により、神の教義と人間の生き方を教えると主張した。

中でもヤコブ・ベーメ、ヤコブ・ロルベル、エマヌエル・スウェーデンボルグ、ヨハネス・ゴンメル、ゴッドフリード・メイヤホッフアー、スンダール・シンは特に有名である。

教会と同様に、彼らは嘘をつくことを何とも思わず、むしろ堂々と、神から人間に授けられたものと称して、偽りの教義、法則、掟を教えて、同胞、友人、知人を徹底的にだました。

偽予言者達は、自分達の教えは、霊界から啓示されたものであるから本当の教えであり、それを信ずれば、幸福になれるのだと嘘をつき、彼らの狂気と錯覚の魅力によって、迷信深い信者を魅了した。

人間に、死の恐怖と戦慄を植えつけた罪は、大宗教にのみ帰すべきものではなく、神の使者と偽証するセクト主義者達にも責任の一端はあり、彼らは大宗教(儀式宗教)に劣らず、しばしば悪質な儀式を挙行する。

さて、真剣にかつ合理的に真理を探究したい方の為に、生と死について、又、死後の世界、つまり、霊界における霊の存続と、その生活についての、概括的な情報を提供する為に、この小著はつくられた。

本書に述べられた説明や情報、参考資料を熟考していただけるか、あるいはクズ箱に投げ捨てるかは、完全に読者の自由である。

おそらく大部分の人間は、ここに述べられた説明や情報、参考資料を理解出来ないだろうし、想像することすら出来ないであろう。

それは彼らにとって、それらのすべてが奇異なものとして映ったり、あるいは儀式宗教の教義が、彼らの理解を阻むからである。

しかし、それは重要ではない。彼らが今日理解出来なければ、次の生まれ変わり、又は次の次の生まれ変わりで会得すればよいのだ。 

彼らは、次のことに気がつく時が来るであろう。 地球人は自分の一生涯かけて、誤った儀式宗教の教義の為に非常に敬けんな態度で献身的に働く。

たとえ彼が、神を崇拝する指導者や迷信家達に破門され、拷問にかけられ、傷つけられ、死の脅迫を受けてもである。

一人一人の人間が、私の言葉を受け入れたいと欲するなら、そうしていただきたい。

二千年前にも、イマヌエルが同じ言葉を語って、人々の自由裁量に委ねたのである。

彼は、特にパリサイ人や律法学者に向かって次のように語った。

私の言葉と霊の教えを、今貴方がたに与えました。

貴方がたがこれを実行するかどうかは、貴方がたの判断に任されています。

異なった時代の、異なった予言者が語った真理の啓示は、確かな物的証拠によって証明すべきであり、一人一人がその物的証拠を、自然の法則と正しい手続きに基づいて、自ら認識し理解しなければならない。

一人一人の証明する方法は独自のものであり、すべての面で完全であらねばならない。

というのは、自己の全人格が、自己自身の認識力、理性、頭脳を用いて行う判断力ほど、大きく、力強いものはないからだ。

自己の人格が、絶対的論理に基づいて行う判断力ほど大きく、価値があり、永続的なものはないからだ。

この方法のみが、開かれた透明な判断力を可能にするのである。この方法は、信仰や謙遜に基づくものではない。

信仰は霊的な奴隷化を生み、霊的な奴隷化は、非論理的な、でっちあげられたニセモノの証拠を承認するように強要するものである。

多くの地球人は、自分達の頭脳では、次のことをおそらく決して理解出来ないと思う。

約二千年前、イマヌエルという名の一人の人間が、高い知性、知識、英知、愛、偉大な霊力を備えて、ほとんど乞食同然の姿で国中を歩いて回り、地球人類に霊の教えを宣言したのである。

彼は非利己的人間であり、自分の身のまわりから、すべての物質的財産を取り払ったのである。

尤も彼の家はやや裕福であり、彼の両親、少なくとも父方の方は、かなりの財産家であった。

しかし、イマヌエルはそういうものを拒否し続けた。何故なら彼は、真の予言者として霊的価値の鑑識家であった。

彼にとって霊的価値は、地上のすべての金、物、財産、すなわち、やがては滅すべき地上のすべての物質的豊かさよりも、大きな意味を持っていた。

又、大部分の地球人は、自分達の大脳による思考では、次のことを決して理解出来ないと思う。

イマヌエルは質素な人間であり、キリスト教やその分派が主張するような救世主でもなく、決して神の子でもなかった。

これらの宗教は、その無知と狂気の為に、大衆を霊的に奴隷化し、金銭的に搾取を行い、彼らの血までも吸い尽くすのである。

又、大部分の人間は、自らの理性で、次の事を決して理解出来ないであろう。

すなわちイマヌエルは、愚かな異端宗教に帰依した尊大な人間によって見放され、拒否され、ひどく殴打されて吐血し、塗炭の苦しみを味わった。

それから彼は、無頼の犯罪者と同様に、磔刑に処せられた。

確かにイマヌエルは、このようにして進化的経験を積んだのだが、彼はそれを自ら決定したのである。

彼が、人間的信仰は愚かで危険であり、破滅的な結果をもたらすということを教え、自らの体験を持って証明したのはその為であった。

これは地球人の小さな理性では理解出来ない重要な点の一つである。

地球人が、儀式宗教の狂気と信仰から自らを解放し、知的で、理性的で、論理的で、賢明になり、真理の認識へ至る英知を体得する迄は、狂信的行為に熱中し、人間的信仰の破壊的効果を決して理解出来ず、忍耐強く熟考することも出来ないであろう。

イマヌエルは、死の恐怖と戦慄を克服した。

彼は十字架を背負うことによって、一時的な物質の世界から、不滅の霊的世界へ渡る橋をかけたのである。

たとえ彼が、十字架上で磔刑で殺されなくてもそうしたであろう。

彼は十字架を避けるのではなく、それに近づくことによって、自分自身との戦いに勝った。

即ち、彼はやがて訪れる恐るべき肉体的苦痛、十字架上の死を恐れ、その恐怖から解放されていない無知な自分と戦って勝利したのだ。

彼が人類を教化する為に、死の恐怖を克服出来だのは、次のように考えたからだ。

永遠の真理を知れば、すべての恐怖と不安は消える。彼はこの悟りを実行に移した。こうして彼は、全人類に進むべき道と、真理と、生命を示した。

人類は、真の生命と、真の存在へ達する方法に関する、彼の助言に従うだろうと考えたからである。

イマヌエルはよく知っていた。自分は十字架上でみじめな死に方はしない。十字架から屍が下されたら、更に生き続け、自分の使命を続行するのだと。

しかし、彼は自分の膨大な知識と能力にも拘らず、全く普通の人間であり、死を経験するというのはどういうことか、死とは何かについて知らなかった為に恐怖と戦慄に襲われた。

ところが今まで、彼は人々に死に直面しても、決して恐れてはいけないと教えていたのだ。彼は死を経験していないので、死についての体験的知識に欠けていた。

そこで彼は、死に関する知識を自らの体験によって確かめるべきだ、体験に裏ずけられた知識を教えるべきだと考えた。

ところが地球人は、不合理な方法で間違った知識を獲得しており、破滅的で狂った信仰に陥っていた。

その地球人に、優れた知識と良識によって、死の恐怖が克服出来ることを証明しなければならない。

彼は次のように語った。私がこの世界に来たのは、貴方がたに道を示す為です。貴方がたはこの道を進むべきです。それはすべての面で進歩しなければならないと言うことです。

私自身も創造の法則と掟に従い、この道を学ばなければなりませんでした。

創造の法則と掟は、変更することが出来ず、不変だからです。

私は貴方がたに告げます。創造の力は万物に内在します。それは私の内部にも存在します。従って、創造の力は貴方がたのすぺての中にも存在しています。貴方がたはこの力を知り、学び、活用しなければなりません。

地球人よ、私は皆さんにこの言葉を説明したい。

私はあえて次のように告げる。いかなる地球人の、目も、耳も、心も、今まで見たり、聞いたり、考えたことがなかった。

何をであろうか!それは真の意味で、完全な論理に従って、真理、知識、愛を認識し、深い信頼を持って、創造の法則と掟を獲得し、実践するすべての地球人に、いかに素晴らしいことが用意されているかと言う事である。

その為には、地球人よ、冷静になり、すべての善い事と、真実の事に全力を尽くしなさい。

そして、すべての愛の為に、忍耐強く活動しなさい。

そうすることによって、貴方の内部で意識が目覚め、ゾーハールの透明な光の下で、内的な壮麗な創造の世界が啓示され、貴方の霊的生活の全局面に現われるのである。

この荘厳なる創造の世界に、無知な人間が発見することの出来ない、豊かな愛と、幸福が用意されている。

唯これは、愛を持って、真理を認識し、実行する時にのみ現われるのである。

私は貴方の霊の中に隠されている、豊かな愛と幸福の道を貴方に示したい。

地球人よ、私の言葉に耳を貸していただきたい。この道を歩み給え。

そうすれば貴方は霊の世界に達し、永遠の創造の世界に達する。そして創造は、貴方自身の内部へ入っていく

狭い道と広い道---真理は貴方に二つの道を示す真理は、貴方の思考にかかっている。

人間よ、どちらを選ぶか、貴方の思考によって決定せよ。

地球人よ、貴方が自分のことを行う時、私は貴方の為に自分のことを行う。 

貴方が自分のことを果たさない時でも、私は貴方の為に自分のことを果たす。

地球人よ、肉欲の生活を続け、過度の物質的快楽を享受してはならない。

何故なら、そういう生活を続けると、貴方の思考は極度に混乱し、しまりのない俗物的、物質的思考に陥るのである。

その結果、貴方は永遠の霊的存在への道と、釣り合いのとれた精神への道が阻害される。

物質的生活の喜怒哀楽を程よく楽しみ、事にあたっては必要な手段を講じ、忍耐強く生活することを学ぶべきである。

運命を甘受することなく、強い意志力を持って、意識的に自己規制し、自己制御すべきである。

地球人よ、貴方はこの方法によって、無限の力を持った創造の世界、霊の世界へいつの日か到達するであろう。

貴方はそれを自分のものとするなら、それは生命の王冠として貴方を飾るであろう。

愛から生まれた法則と掟を通して創造は、地球人を非常に配慮する。

その配慮の仕方は、あたかも無限の宇宙に地球人だけを造り、地球人だけを愛しているかのようである。

創造の地球人に対する配慮は、それ程深いのである。

創造は、地球人の進化生活のすべての条件を検査し愛に基づいたすべての法則と掟を通して、人間に道を示し、導く。

それはすべての人間が-- この世の人間であれ、あの世の霊的存在であれ--いかなるかん難辛苦にあうとも、高い目的を達成する為である。

その為に人間は創造によって造られ、生命と存在を授かったのだ。

人間よ、貴方の内部から、隠された清らかな光が輝くその中で、創造の全存在の、天上の力が働く。

耳を澄まして聞き給え、その中の愛の呼び声を貴方の最も深いところから語りかける声を。

人間よ、決して拒んではならない。人が貴方に捧げる愛を。貴方自身も愛の導きを受けよ。

そして人生の階段を登り給え。休むことなく、天上へ向かう険しい階段を、光を頼りに。永遠を目指して。

イママヌエルは彼の時代にこう語った。

「私の国はこの世界ではありません。それは私の内部にあるのです。私の内部のもっとも深いところに。それはすべての真理と生命の国です。それは人間の内部の国であり、霊の国です。」

私も、彼と全く同様に。現代の時代にあえてこう言いたい。

「私の国はこの世界ではない。私の国は、私の内部にある霊的世界である。それは私の真の存在として私を生かしてくれる。」

地球人よ、これが唯一、真の価値の国であることを理解し認識して戴きたい。

もし、貴方がそれを貴方の内部に見つけ、実践的知識として自分のものにし、貴方がそれを活動的愛に高めるならば、貴方は世界の勝利者となり、すべての不正と非論理性を征服し、その時から永遠の生命を獲得し、真の生活を生きるのである。

地球の人間よ、私の言葉は世俗的理性から判断すると、暗愚に思えるかもしれない。

しかしながら私は貴方に告げる。

生命の最高の英知、最高の愛、最高の知識は、霊の世界にある。その霊は、創造の世界にある。この言葉を聞いて感情を害せず、それを理解し受け入れる者は幸福である。

真に貴方が愛する時、貴方は、決して憎悪に遭わないであろう。貴方が真に愛するなら、同胞は貴方を祝福するだろう。

貴方が真に愛する時、貴方はすべての面において。徐々に成功するであろう。何となれば真の血は、あらゆる不正を征服する故に。 

私はかつて惑わされ、誤り、失敗した。しかし真理に向かった為に、私の目標を認識した。

今、私がどこにいるかを知っている。
今、私が誰であるかを知っている。
私に何が起こるかを知っている。
それは常に私の利益になる。

私は私の荷物を背負う
それがいかに重くとも
私は決して落胆しない。
そして何事もごまかしたりはしない。

私はつながりを認識する
運命と罪との
私はその救いも理解する
そこから生まれる親切さも

知識は私を救う--誤り、悲惨、苦痛から
それによって、私はすべての悪から離れる
そして永遠へ進む

正しく生きるとは
真の愛が輝き
真の愛を与え
真の愛に生き
真の愛に挑み
決して愛に失望することなく 
真の愛を宣言し
真の愛と一つになることなり

愛--尊敬は愛の為なり、愛を畏敬する為なり、

地球人よ、平和であれ。真理に喜びを求めよ。

愛と平和を、自分の中に、家族の中に、同胞、国々、万物の中に、愛と平和を欲しない者がいるだろうか。

この願いにも拘らず、地球人は愛と平和から、何と遠く離れていることか。その理由は一体何か。

一人一人の人間は、正に中途半端な理性で、愛と平和を自己の中に求めているのである。

愛と平和と同様に、多くの地球人は、恐怖からの解放は空想に過ぎないと考えている。

大変悲しいことだが、大多数の人間は、心底から、愛と平和を自分達だけの為に欲している。

彼らは同胞のことは考えず、自分達のことのみを思う。

自分達だけが裕福になればよいのだ。それに加えて、彼らは更に次のような誤った見解を持っている。

世界が平和になり、彼らが一番欲している、あらゆる物質的富や財産が手に入れば、幸福になり、満足する。

あるいは、社会的肩書、高い地位、権力、名誉を手にいれれぱ、幸福になれると思っている。

こうした物質的財貨や価値に不合理に狂奔する彼らは、彼らだけが豊かになり、残りのすべての人間が悲惨な生活に苦しむならば、彼らは決して幸福になれない事を見落としている。

他のすべての人間が幸福になることが、自分達が幸福になる最上の道であることを、彼らは決して理解出来ないのである。これが理由なのである。

この点に関して、イマヌエルは語った。彼は、彼の信者と弟子達に、次のことを明らかにしようと努力した。

彼が教えた愛と平和は、地球人が期待し、理解している、愛と、平和ではなく、儀式的、利己的な混乱した祈り等も、全く問題外であると。

愛は、理解と感謝なり
愛は、好意を寄せ、かつ受けることなり
愛は、実行なり、成就なり
愛は、価値あるものであり、価値を維持することなり
愛は、法則と掟なり
愛は、知識と英知なり
愛は、調和であり、調和の状態なり
愛は、全体(一つ)なり
愛は、生命と統一なり
愛は、連帯なり
愛は、もっとも輝けるゾーハールの光なり
愛は、認識への充実感に満ちた努力なり
愛は、真理を実践することなり
愛は、生命の成就なり
愛は、生命そのものなり
愛は、真理の成就なり
愛は、法則と掟の実践なり
愛は、存在の存在なり
愛は、他者の為、他者と共にあることなり

平和は、愛の達成に伴う調和なり
平和は、争いの無きことなり
平和は、統一と一致なり
平和は、憎悪の無きことなり
平和は、報復の無きことなり
平和は、権利の平等のことなり
平和は、反物質主義のことなり
平和は、法則の達成なり
平和は、掟の達成なり
平和は、愛の成就なり
平和は。平衡なり


平和と愛の実践とは、
・活動と善意を表わすことなり
・すべての人間と、あらゆるものが公平になる為に、誠実に努力することなり。
・普遍的(全宇宙的)兄弟愛を表わすことなり。
・万物に自己を開くことなり
・万物の為に真摯に不屈の精神で働くことなり
・あらゆる面において、健全性と秩序を保つことなり
・万物の幸福を願う意思なり
・勇気、認識を持ち、過失を排除することなり
・憎悪、嫉妬、貪欲、欲望、報復、物質主義を超えることなり
・万物に対して寛容、理解、平等を示すことなり
・真理に従い、そして真理に関する、強力で輝く知識を実行することなり
・英知、論理、平衡を実行することなり
・明晰で、健全で、真理に忠実な思考と、活動の実践なり
・万物を畏敬し、正義の力を現わすことなり
・すべての生命形態を、平等に評価することなり
・創造のすべての法則と掟を認識し、受け入れることなり

以上の全部と、それ以外に更に多くの教えは、霊についての解説であるが、これらを霊の教えと呼んでいる。

イマヌエルは、すでにこの教えを人類にもたらし、彼は持てる知識と能力の全てを尽くして、自ら範を示したのである。永久にして不変な価値を持つ同じ霊の教えを、現代において私が与えるのである。

地球人よ、この教えを受け取り、貴方自身の理性で研究し、理解し、真理として承認し、日常生活の中で自ら実行し、更に同胞との共同生活の中で遵守するかどうかは、貴方自身にかかっている。

この方法、この道を歩むことによってのみ、何千年間も執拗に跳梁し続けてきた地球の個人や、国家間の対立と闘争を取り除き、あらゆる戦争と意見の対立を、爆弾や武器、テロ、無益な流血の惨事などの手段に訴えることなく、根絶することが出来るのである。

もし、原子爆弾、水素爆弾、中性子爆弾が爆発すれば、世界は廃虚と化し、生き残った僅かな生存者が、真実の真理、真実の愛、英知、すべてを包含する霊的論理が、すべての生命を、一人残らず支えているのだということに気がついても、後の祭りである。

従って、そうなる前に、地球人の内部に、いつの日か意識に目覚める日が来るかもしれない。

それには真理を認識し実行しなければならない、又、そう出来るという意識である。

それによってのみ、すべての恐怖と不安は消散する。

何故なら、真理、愛、英知、論理は、永久に存在し、すべてを征服し、発生と消滅、生と死(死は地球人が非常に恐れているものである)をはるかに超えているからである。

人間よ、貴方は暗闇の中を歩いている貴方は、星とこの世界の輝きの中にいるにも拘らず。

それは(霊的)光で貴方を照らす。貴方の胸は強く締めつけられ、鼓動が高鳴る、それは貴方から愛が去った故。

貴方の中のすべてが、虚ろで生気を失っている。貴方が、邪悪な苦しみの中をさ迷う故。

貴方はふと星を仰ぎ見る。果てしない彼方の星を見つめる、心を癒してくれる光を求めて、それが貴方を救ってくれるのではないかと期待して。

だが貴方は、自分の為に自ら光を出さなければならない。自らの霊的仕事によって、貴方の内部の暗闇を照らす為に。何となれば、霊的仕事によってのみ、貴方に愛が目覚める故。

貴方が正しい生活を送るなら、心が静かになる
愛、平和、統一が、時間と空間を超えてやってくる
それらの中に真理と栄光がみなぎり、人間に論理を示す

すべてを動かすのは創造なり
人間に愛を起こさせるのも創造なり
創造は稲妻のごとく岩を砕き
人間の心の奥深いところに入っていく
創造の光を見た者は、喜びに満たされ
暗黒の夜から解放される

創造は大海なり、その大海から真理が流出し、人間の内なる目に、絶えず真理を明らかにする。

創造の法則と掟は貴方に教える。

地球人よ、貴方は死ななければならない、死を通して賢くなる為に。

地球人よ、御承知のように、貴方はいずれ地球を去り、この世からあの世へ移行しなくてはならない。

貴方が自分の物質的身体を残し、自方の霊がこの世界を去る時、あの世はどうなっているのか、そこで何が貴方を待ち受けているのか、この知識に関する問題ほど、身近な問題はない。

人間は可視的存在として、しばらくこの世に滞在した後、住居を変え、不思議な不可視の国へ移住することぐらいは意識しているが、あの世で待ち受けている条件については、一顧だにしない程、人間は愚昧な存在である。

このように一般に人間は、この世界から霊界への移行に関し、つまり死に関して無知である。

正に人類の大部分は、この点に関して全く知らず、僅かに知っているとしても、誤った解釈をしており、その為に彼らは誤った観念を持って霊界へ移行するのである。

こうした無知や誤った解釈は、地球人に恐怖と戦慄を吹き込む原因になっており、死期が近づいたり、それについて考えたりすると、言い知れぬ市の不安と恐に怯えながら生きるのである。

貴方が、死は怖くないし、その準備もちゃんとできている、と言ったところで、それは見せ掛けの平静さであり、不誠実であるから、何の役にもたたない。

それは同胞にみせる貴方の自己欺瞞と虚偽のむなしい努力に過ぎない。

貴方は心の底では、大きな不安と戦慄におののいている。

それは貴方が、あの世で何が貴方の身に起こるのか知らず、又、儀式的異端宗教によって惑わされ、真理を知らないからだ。

こうして地球人は、死の不安と恐怖の中で、自分を欺き続ける。

しかし、死の不安と恐怖は、意味で矛盾であることを悟りなさい。

これは貴方が造りだしたユーモアです。

貴方が死を恐れない、ちゃんと覚悟はできていると弁護する時、あなたは不誠実であるが、それと同様に、死の不安と恐怖は無意味なものであり、矛盾であると言える。

貴方は、自分自身と周囲に対して誠実になりなさい。

キリスト教徒は、イエス・キリストの名において洗礼を受けるのだが、キリストが誰であるか、(実はイマヌエルであって決してイエス・キリストではなかった)彼の本質は何であり、彼が実際に教えたのは何であったのか等について、今まで熟考した人はほとんどいなかった。

多くの人間が、間違った信仰を持っている。

彼らは儀式宗教の虚偽の教義に惑わされた。

イマヌエルは死から蘇り、死を超えて、全世界の為に生き続ける、

この蘇りは実際に証明可能である。

彼は神の息子と言われ、更に神自身とも言われ、そして彼は創造主にまで祭上げられた。

儀式宗教は、こうした嘘で固められた、恥知らずの教義を主張する。

この虚偽の主張に基づいた信仰が、かなり広まっているが、死後の霊の存続を信じるキリスト教徒が少ない(全キリスト教徒の約50%)のは興味深い。

その上彼らは、死後、最後の審判の日が訪れるという、異端宗教の幻想を盲信している。

宗教指導者は、意識的にこの誤った教義を教え広めている。

これは驚くべきことだが、人類の大半が、昔から人生の真の意味について知らず、意識もしない。

地球人の生活の外面的なもの、例えば、物質的なもの、賞賛、社会的地位に存在の意味を求めているのは驚くべきことではないか。

外見的な事柄に対する欲望や努力が、貴方の心を支配している為に、自己存在の真の意味、すなわち、地上における貴方の主要な義務、貴方の霊を進歩させる為の、進化の実践義務に対する意識が失われてしまった。

この進化の義務は、二千年前に、すでにイマヌヱルによって教えられ、その模範が示された。

貴方がた地球人は、この教えに誠実な注意を払わず、次のような邪悪な活動を認めた。

無責任な犯罪者が、儀式的で、無価値な教義を教える宗教を造り、自分達は巧妙な手口を用いて法王、司教、司祭、牧師に昇格し、貴方がたを奴隷化し征服し搾取した。 

その為、多くの信者は、徐々にしかも確実に偏狭になり、儀式宗教の内部で意見の対立が起こった。それでもなお彼らは、儀式宗教の教義の一部を信じている。

儀式宗教は、真の霊的問題を愚劣な形に変え、霊的問題について、人々を混乱させてしまった。その為に、その問題について正しく説明する能力もない。

従って、わずかな信者のみが、霊界の存在を信じ、霊界での霊の存続を確信し(それも常にキリスト教的観点から見る)、そこに向かって努力し、その観点からものを見ている。

今日、大多数のキリスト教徒(その他のすべての儀式宗教も)は、五感(実は七感ある)が認識するものだけを承認するので、死後の霊的存続を信ずることが出来ず、物質的財貨、社会的地位、権力の獲得のみに熱中し、存在の真の意味や、霊的問題とその実践に対する畏怖の念を足蹴にし、無視するのである。

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本書を今手にして研究している地球人よ、貴方はいずれ貴方の物質的-物質的身体を捨てて、すべての物質的なものを、この物質的世界に残して行かなければならないことを、よく知っている。もし、貴方が間違った致命的な意見を抱いているとする。例えば、貴方の死と同時に、貴方の生命が終わり、いわゆる貴方の魂(異端儀式宗教はこう呼んでいる)は、最後の審判の日まで眠り続け、その日が来ると、天国の一角からトランペットが鳴り響き、イエス・キリストが宣告する。

「すべての骨を拾い集めよ!」

もしも、貴方がこういう致命的な意見を持つと、間違いなく、貴方は死後のことについて全く無頓着になり、怪しげな物質的快楽を益々享楽したくなり、様々な欲望や利潤追求に狂奔し、賞賛や権力を求め、果ては、あらゆる卑俗な事柄に熱中するようになる。 

確かにある程度の物質的欲望がなければ、貴方はこの世界では生きられない。

貴方は日々の食物や生活に必要なものを配慮しなくてはならない。又貴方は、万一の場合や困った時に備えて、ある程度の蓄えも必要だ。

更に、貴方と家族の住むちゃんと屋根のついた家なども必要である。

これらは全部貴方にとって不可欠なものであり、それがなければ惨めな生活を送らなければならない。それはそれで結構なことである。

しかしその為に、つまり、生きる為に、日々の戦いに明け暮れて、貴方の霊が停滞し、霊的に無為に過ごし、霊的問題に全く無関心になっている、そんな権利がいささかでもあるのか、こうした疑問が一度でも起こらないだろうか。

又、そんなことは度外視して、生と死の問題を考えることが、私のささやかな権利であると、一度でも自問したことがあっただろうか。

確かにどちらもないはずだ。自分自身の世話をすること、同時に少なくとも、自分の霊的事柄に注意を払うこと、両者の為に努力すること、そして生と死について、誠実な態度で考えること、これらは法則に基づいて命令された、貴方自身の義務である。

しかし貴方は逆のことを信じているかもしれない。

つまり、儀式宗教が言う、魂の死後の霊界での生活を信じたいと思っているに違いない。

地球人よ、その意見は間違っている。

今でも困難なのだが、霊界に行ってから遅れを取り戻す為に善行に励んだとしても、今よりももっと困難であろう。貴方は自分の人生をそういう方向に努力し、その努力によって、不変で永遠の価値を集め様と考えている。

貴方がたはほとんど例外なく、滅すべき物質的事柄を最優先させ、霊的な事柄は後に回す方がよいと思っている。

この考えは貴方にとって、当然で論理的であるように早えるが、実は非論理的で間違っている。

貴方が、自分の人生を、永遠の価値の獲得の為に向けることは、まことに結構なことだが、それを儀式宗教の中に見い出そうとするのは正しくない。

それは、真実の霊の教義の中にのみ存在するのであって、決して儀式宗教の信仰に身を任せてはならない。

貴方は、真理という自然の純粋さの中で、探究し認識しなければならず、理解したことを知識に結実させ。自らの理性の力で賢明になるべきである。

このことから、次の事がいかに重要なことであるか悟るはずだ。すなわち、霊的問題について。詳細に知ること、特に死後、貴方はどこに行くのか、何が貴方を待ち受けているか、この疑問こそ、思考する人間として貴方をひどく悩ませ、その問題を考えるたびに、不安と恐怖か貴方を襲うはずである。 

貴方はそうならない為に、霊界における貴方の生活に精通し、この世の人生を最大限に活用し、霊界の生活の為に、自分を準備することである。

人間はその後、再び地上に肉体を持って生まれ変わることが定まっているが、その生まれ変わりにおける地上生活において、正しい人生を送れる様にする準備の為である。

地球、それは愚者の家、大人がその家から出入りする子供は、大人が自惚れた愚者であることを知らない人間は高笑いしながら、ぐるぐる回る宗教的狂気、金、値段、そして流血の惨事、憎悪、羨望はきんきらきんの愚者の衣服、殺人、死、絶えず続く醜聞、憎悪、強姦はひっきりなし。そこで粗暴で間抜けな愚者は踊る。

それは人間に死をかいま見せる権力、貪欲、欲望、大金のみが、この世界の愚者の唯一の価値であり、彼らは全員地位と賞賛の為に戦う、しかし心の底は虚ろで空っぽ。愚者が地上から去る時、初めて墓に一人ぼっちで入る事を知る。

冷たい死の宮で叫ぶだろう、畜生、こんな筈ではなかったんだ!

人間は暗い谷間を下って行った。それは違い違い昔のことだった。誰も、彼にそこへ行けと言ったものはいない。彼の静寂と好運から逃れる為に。従って、彼は自分の道を一人で準備しなくてはならない。ところが人間はどんどん失っていった、常に不変の霊的清澄な容貌を。

ある日、彼は悪態をつき、怒号した。こん畜生、俺達は落ちるところまで落ちてしまった。俺達はもう這い上がる力もない。

まさしくそうだ、創造はどこにいるのだ、創造の呼ぶ声はどこだ--混乱--それが愚者の楽土だ混乱した愚者-人間は血のプールベ飛び込む。
   
富、流血の惨事が彼の喜び、そこが彼の呪われた住家なのだ。こうして哀れな人間の霊に夜が訪れた。それから彼の心の中がひどく凍え始めた。

彼は恐れを感じる、いつ死ぬのかと。
これは彼に恐るべき悪夢を抱かせる。
死んだら、生命が完全に終わるめではないかと。

そこで人間よ、私は小さな声で言う

儀式宗教に熱狂してはならない、私の伝える言葉に耳を傾けよ

真理と知識を貴方に告げるため、
貴方が至福の光を見るために
無上の喜び(至福)の光、それは財宝
創造はその中に隠れている

人間よ、心を静めよ、それから行動せよ

さすれば貴方は世界の王になる、貴方だけがなれる
そしてもはや悲しむことはなくなる

そこで人間よ、貴方はもはや一人ぼっちではない
持ち焦がれて心が冷えきってしまうことも、決してない
憎悪、悲惨、苦痛もなくなる

貴方は、霊的事柄に精通しているから、
苦悩と苦難から解放される

かような備えをもって、貴方は.私達という全体の中で歩く
東や北へ、南や西へ.死の不安を打ち砕き、生命へ向かう
恐怖と戦慄と戦い、征服する
何となれば、貴方は貴方の中に、最高の力をしっかりと掴んでいるから

人間よ、貴方は真理の衣服を織る
それは暗い谷から、貴方を案内する、もっとも強く光の方へ
真理の源へ、真理を通して、貴方は大勢の私達へ帰る

人間が物質的財産に執着し、その為に、一人一人の心が偏狭になり、
お互いに憎み合い、罰しあっているかぎり、死の不安と戦慄から自由になることはない。

何故なら、物質的財産は、霊的進化への意識を阻害するからである。

もし、人間が物質的事柄に執心すれば、物質的感情しか持たず、純粋な感情は生まれない。

しかし、もし、彼が真の知識、愛、真理を認識することによって、物質的な問題から遠ざかったならば、粗野な感情から解放され、純粋で高い振動波を持つ感情が起こる。

水瓶座の始まった年の1 8 4 4年以来、地球と人間の、物質的条件は大いに改善された。

しかし、これは全進化過程における一側面であり、他の改善すべき側面--それは人間が十分正当化すべき目標(希望)であるが、それは国民と諸国家間において争いのない、統一された、平和な社会の建設へ向かって努力することである。

1844年以来、地球人は急速に進歩し、次々と成果をあげ、今日ついに宇宙旅行の第一、第二段階まで到達した。

確かに外見的側面から見ると、個人的、国家的生活や関係は、非常に改善され、裕福になり、ぜいたくになり、便利になった。

昔はすべての仕事は、過酷な重労働や手仕事に依存していたが、現在は労働には様々な機械が使用され、多様な用途に利用され、人間の力仕事を軽減し、仕事も早く仕上がり、大いに時間が節約された。

まさに大進歩である。

しかし、この外見に幻惑されてはならない。

現代の地球人が、恐怖も悲しみも、餓死の危険性もなく、今よりも一層快適な生活を送り、愛に満ち、平和が支配し、自ら一層熱心に霊的事柄と霊的進化に献身することは可能である。

しかし、この夢は高値の花やあって、現実とひどくかけ離れている。

人間は、顕著な進歩と成果をあげ、自分の為の自由な時間を多く持つようになり、霊的な使命を遂行する時間もあるはずだが、人間が霊的事柄にあてる時間は、以前より益々少なくなった。

彼らは益々時間に追われ、一つの仕事から別の仕事へと利益を追い求め、欲望、快楽、貪欲を次から次へと満足させる。

彼らの生活信条は「人生は一回かぎり」である。

しかし、この信条は自己欺隔の巧妙な手口である。

「時は金なり」も同じ手口である。

人間は一層思慮深く、平和的で、心が静寂で、反省的で、進化を意識するどころか、現代人の生活は絶えず慌ただしく、繁雑であり、内的な深い霊的意味が失われている。

外見上は、人間は非常に豊かになったが、彼の内面はほとんど乞食同然である。

つまり彼の心は憎悪に満ち、まったく虚ろで、彼の情熱は燃え尽き、干からびている。

人間は、一層幸福で満足する代わりに、かつてない程に益々不幸で、不平をもらし、自由になるよりも、不自由になっている。

地球人よ、貴方は、自分自身と、自分の造り出したものと、自分の業績との囚人になり下がっている。

貴方は135年(135 +1844 =1979年現在)の間、誕生から死までの間、ずっと財産の獲得と管理、欲望、権力、貪欲の満足に熱中してきた。

一般に、貴方の目標、思考、行為は、財産と富を稼ぎ、集めることと決まっており、又、快楽とその維持に対する冷酷な追求であり、それを休みなく、容赦なく平気で行い、必要とあれば、他人を犠牲にしてまでもやり遂げる。

貴方は、昔も今もそのように自分を運命づけてきたのであり、霊的事柄に意志薄弱な貴方は、今後も迷妄的な自己決定と自滅の道を進まざるを得ないのである。

今日、大多数の人類にとって、財産はほとんどすべてを意味し、彼らの生命といってもよい。

従って、彼らが財産の量を益々重要視するのもむべなるかなである。

こうして財産の獲得の為に、人間生活のすべての力が動員され、財と富にすべてが依存する--今先述べたように生命さえも財産に左右される--こう言って差し支えない。

かくして財貨は、怪物的暴君になり、人間の全生活を奪い支配し、その為に彼は他人の生命を殺害する。

今日、人類の大多数は、欲望の貪欲性に支配され、考え得るすべての財貨に手を伸ばし、自分は一番偉いんだと錯覚し、これで万事順調で安全なんだと思う。

多くの人間にとって、これのみが依然として生存する為の権利、生きる為の唯一安全な手段と考えられている。

自分の物質的財貨を、すべて失うことは最大の恐怖であり、最大の悲しみである。彼らにとって、それを失うことは死をも意味する。

この点からも、再び彼らは死の不安と死の戦慄に辿りつくのである。

彼らは死の不安に絶えず苛まれて、昼も夜も、毎週、毎月、毎年、そして一生涯生き続ける。

自分の為に、財産を集め確保する為には、人間はどんなことでも厭わない。しばしば自分達の生命を賭してでも、手に入れようとする。

そして万一、財産の一部、又は、全部が紛失した場合に備えて、あらゆる安全策を講じる。

たとえ、彼らの財産が真面目に懸命に働いて獲得したものであるか、あるいは、同胞をだまして盗んだものか、それとも殺人を犯して手に入れたものであっても、獲得する手段はどうでもよいのだ。

若者や青年に達したばかりの男女は、大人が見せかけの喜びや、欲望の充足を貪欲に追求する様を見て狼狽し、尻込みするのである。

そういう純粋な若者が益々増えている。

大切な財貨を手に入れる為に、同胞をだましたり、強奪したり、殴ったり、相手の肉体と精神を傷つけたり、果ては殺害したりする若者は少なくなっている。

ところが若者の中には、思想的、主義主張的、社会的、自由主義的、理想主義的、宗教的、イデオロギー的立場から間違った指導を受けたり、間違った思考をする者がいるが、こうした狭いものの考え方によって、彼らは目的を遂げる為なら、およそどんな手段でも、例えばテロ行為やアナーキー的手段や、戦慄すべき殺人に訴えることもする。

一体これはどうしたことなのか。

これらすべての背後にあるものは何か。

若い殺人的テロ集団や、アナーキスト・ギャングの心を閉鎖的にさせ、同胞や政府を悲惨な目にあわせ、彼らの生命を動物的方法で奪う行為に走らせた動機は一体何か。

まことに、イデオロギーやそれに類似するものを擁護する議論は、ここでは適当ではない。

アナーキー的な、テロ行為的な、犯罪的な要素の説明や、思想的なものはあまりにも混乱して、非現実的なものであるから、正しい関連を示さないし、目的や夢、願望なども正しい説明にはならないし、ましてや、それらの一寸毛の生えた様な理念とか理想化、その他何であれ、それらは全て同じ様なもので問題にならない。

特にテロリストやアナーキスト達の行動、思想、発言を詳細に観察してみると、彼らは皆、真の目的を持たずに扇動され、ただ単にテロを行い、人を殺し、アナーキー化するだけである。

それは彼らの心の中に、不確実なものに対する、いい知れない不安と恐怖が隠されているからである。

この恐怖は、彼らの全存在(人格)を野獣的な臆病さに陥れる。

そうなると彼らは、逆に自分達の生命を汚い、卑怯なやり方で破壊することも平気になる。

こうした態度自体が不安、恐怖、戦慄の現れであり、これが更に不確実なものや、不確実性に対する不安、恐怖。戦慄を益々拡大させ、死に対する不安、恐怖、戦慄に移行する。

これらが彼らを臆病で卑劣な人間にさせ、自分達自身の息の根を止める為には、同胞をテロによって野獣的に殺害することになるのだ。

こうして彼らは、自分自身をごまかす為に、非存在であるイデオロギー、イデオロギー化に走るのだ。

自分達の外部にある臆病な不安を、自分達の内部にある臆病さでもって窒息させようとするから、逆に外部に大きく現れてきて、世界改革という美しい衣装をまとって強力になり、権力志向的になるのである。

彼らは汚物である。彼らは臆病と無知の結合した悪、悪臭を放つ汚物以外の何者でもない。

彼らはあまりにも臆病すぎる為に、彼らにとって未知の真理に対して、不安、恐怖、戦慄を覚え、真理を誠実に探究し、理解し、受け入れ、その認識に従って生きることが出来ない。 

死に対する不潔な戦慄、死べの不安-ニこれが全てのテロリストとアナーキストの真の基本的な事実である。

地球人よ、これを知っていただきたい。

現代は悪の時代なり。

何となれば、人間は利己的になり、金に貪欲になり、悪徳に満ち、高慢で、虚名を求めたがり、自慢したがり、創造のすべての厚意に対して、感謝せず、創造へ向かう意志なく、愛がなく、乱暴で臆病、和解出来ず、嘘が多くて拒絶的で、事実を誇張し、すべてのプラス(積極性、積極的なもの)に対して敵意を抱き、反逆的で、邪悪なことに大胆で、退廃的で、肉欲に耽り、吝嗇漢であり、嫉妬深く、野獣的であるからだ。

表面的印象と虚名のみを、今だに追い求める地球人よ。

外観と形のみを、依然として求める人間は、敬けんな態度を装い、心の奥底では、自分の霊力と身体を否定する。

これが人間に関する実体だが、しかし、すべての人間がこういう人間ではない。大多数の人間は、物質的価値に熱中しているが、それにもはや耽溺しなくなった人もかなりいる。

財貨のみでは、真の幸福の半分なりとも達成出来ない。

財貨をどんな方法で利用しようとも、死への不安、恐怖、戦慄を取り除くことは出来ない。

それは逆効果を及ぼし、人間をその熱狂的な召使、騎士、奴隷にしたてあげてしまう--こういう事実を理解し、認識出来る人間があちこちに徐々に増えている。

私のこの表現は、財貨が個人的な精神的面と生命維持の面で、重要な価値と、積極的な利益をもたらす点を過小評価するものではない。

私が言いたいのは、財貨の程度の問題と、目標が重要であるということだけである。                  

財産の獲得とその使用に付いては、人間の進化の発達段階に依存する。

地球人よ、いつでも貴方は、財産を放棄する用意が必要である。

その際、貴方は怒ったり、動転して、自分や他人の身体、精神、生命を傷つけてはならない。

もし、貴方が、必要に迫られて、貴方の一族や友人の一人を助ける為に、貴方の財産の全部、又は、一部を手離さなければならない時、貴方は喜んでそうすべきであって、嫉んだり、貪欲や悪用の気持を抱いてはならない。

地球人よ、貴方の財産の中から、不要になったものを、貴方の隣人や同胞に与えて、善と幸福の為に援助するのは、貴方の義務である。

しかし、この義務は別の意図を果たす為であって、現代の物質主義的地球人の主張する考え方とは、一致しないのである。

貴方が、ゾル太陽系の第三惑星地球に誕生した理由は、ぜいたく三昧に地上の物質的快楽を享受し、出来れば長寿を全うし、死んだら、愛する「神」の御許に迎えられる為では決してない。

これが貴方の生まれた使命ではない。

貴方の使命は、避けることの出来ない生まれ変わり、輪廻に向かって、努力することである。

輪廻の為に、隣人や同胞と全面的に協力する事が人間の仕事である。

隣人や同胞も同じ使命を持つ。

次の生まれかわりと進化の為に、あらゆる点で働かなければならないからだ。

この使命を果たすには、人間は平静、平和、均衡を高度に達成しなくてはならない。

これは勿論、物質的領域でも必要である。

現在この世界の地球人にとって、物質は非常に重要である。

私は財産は無意味だから床や地面に放り出して踏みつけよ、と言っているのではない。必要な最小限度は確保すべきである。

財産は地球人に必要不可欠なものである。何故なら、地球の全制度が財産、金、その稼ぎ高に基づいて築かれているからだ。

しかし、これは一人の人間といえども、自分や自分の一族の為に、実際に必要以上に多くの財貨を蓄積する事を許すものではない。

財宝をあり余るほど稼いで、苦しんでいる同胞を助け、出来るだけ、彼らに分け与え、彼らと同様に質素な生活を送る--そこまで出来なくてもよいのである。

この洞察と、それを実行しようとする意志が是非必要である。

人間は、今まで間違った道を歩いてきた。

地球人は、日常生活においてお互いに足を引っぱりあい、不条理な理由で他人を傷つけようとする。

こういう状況が長く続けば、戦争がなくとも破壊の想念波が急速に広がる。

しかし残念だが将来戦争は多発するだろう。

それは、全人類の不合理性と、幾人かの誇大妄想狂的国家指導者の貪欲な権力志向と悪質な権謀術数が強引に争いを作り出し、地球人類を自滅寸前まで追い込む。

その日はそう遠くないのである。

権力の座にいる、狂気の頭脳を持った親分連中の、呪われた戦争ゲームはいつ終わるのか、こういう疑問が起こるのも無理からぬことである。

しかし質問者自身、自分も責任の一端を担いでいる事を忘れている。

何故なら彼自身も、このすべての狂気に、基本的に反対しないからである。

彼は同胞と同様に決して正常ではなく、すべての権力を益々いわゆる権力者達に委ねる--何故そうなるか。

不安、恐怖、戦慄、不確実性への不安と恐怖、行為の結果に対する恐怖、ある事情で投獄される不安。

-- 人間は自由の権利を要求する。

人間は人間として、人間の為の、自己の権利を要求するからである。

たとえ事情によっては、自由な(自発的)死であっても、死への不安、恐怖、戦慄-― これが狂気の原因である。

二つの世界大戦で行われた、野獣的殺りくの承認者である現代の人類は、かつてないほど、極度に過激的で無節操になり、繊細な感受性はもはや身につけていない。

彼らに武器を押し付けることは、同胞の死、破滅、悲惨を意味する。

従って、次のようなことが起こるのも別に驚くにあたらない。

多くの人間が、自然の自制力を失い、見せかけの幸福、見せかけの満足感、自分達のものだと錯覚している財産--こうしたものに夢中になる。

貴方は、こうした人間に対して、今までと違った行動を取るようにとか、もっと理性的になれとか、思慮深くなれとか、どうして期待したり、要請出来ようか。

彼らは生き残る為には、戦争行為とか、それから生まれる一部の間違った教育を叩き込んだり、あるいは、生き残る為には、それなりの代償を払うことが必要--つまり、敵と戦い、強奪し、殺し、殴らざるをえない、ということになる。

そこで再び不安、恐怖、戦慄が出現する。

もし、このような処置を取らなければ、生き残ることは不可能・・。             
   
--これから不安、恐怖、戦慄が生まれる。

つまり、死への不安、恐怖、戦慄である。

死ぬ時のもだえ苦しみ、死への不安。

国家の命令によって同胞を殺害し、残忍に扱い、拷問にかけることは、大多数の地球人にとって完全に普通のことであり、容認されるべきであり、集団の秩序維持の為にも、絶対に必要であると考えられている。

(この立場は突然変化するものである。彼が逆上して残忍で不正な殺害「命令」を下さざるを得なかったと悟った時、彼はそれが自分自身の身体と生命の問題でもあることを急に意識するのだ。突然彼の内部に不安、恐怖、苦悩が現れる。何故なら、それは死ぬ瞬間の苦悶、死への不安であるから。)

戦争や正義の為と称して、同胞に対する殺害、虐待、拷問が、国家の貪欲な欲望充足に起因するのではなく、個人的な権力欲や、個人的な欲望に起因するなら、それらの行為も処罰されるべきである。

次のような矛盾した事実は、大人や、特に新しい世代の若者に、どのようにして合理的に納得させられるだろうか。

国家や、司法当局の命令に従って行われた殺害行為は正しくて、個人的殺害行為は処罰の対象になる、という事実がある。

この事実を、十分納得のいくように若者に説明することは出来ない。

何故なら、たとえ、それが国家の権力や命令であっても、あるいは個人的な動機によるものであっても、殺人、人間の破壊、虐待、拷問等はいかなる方法で行われようとも、生命に対する不当な行為である。

だからと言って、若者の悲しむべき過激な行為は、決して正当化されたり、神聖化されるものではない。

ここで同じ質問を再度取りあげてみる。

何故、国家と司法は殺害行為を行い、拷問し、残虐な行為を行うのか--答えは簡単である。

それは再び、正真正銘の不安と恐怖から生まれる、臆病な苦悶が原因なのである。

一方では敵に宣戦布告し、敵を殺害することによって、国威を誇示して悦に入り、他方、敵が国内に侵攻して、要塞を全滅するのではないかという不安、恐怖、戦慄に襲われる。

ここでも再び死への不安、恐怖、戦慄、苦悶--死の苦悶と不安がある。

そして司法当局は、次のような考え方しか出来ない。

司法当局は、様々な方法で死刑の宣告を下す。というのは非行者が死刑の判決を免れた場合、別の機会に恐るべき犯罪行為を犯すのではないかという不安と恐怖があるからだ。

これは司法当局の無能を示すものである。

適切な人間的方法を講じて、犯罪者に人間らしい方法で、真理と正しい生き方を教え、正しい理解が得られるまで、社会から隔離し、隔離された生活では、人間らしい自由を与えること--司法当局はこうしたことが出来ないのである。

しかしこの点に関して、司法当局のみが無能の責任を負うべきなのか。決してそういうことはあり得ない。

この無能の背後には絶対的心の欠陥、すなわち、底知れぬ臆病さ、暗愚、ごう慢がある。それらは司法当局者を駆り立てて、同胞に対して力を行使し、彼らに対して優越感を持とうとする。

これらはすべて臆病な不安、恐怖、戦慄に根ざしている。

完全な自己防衛以外には、いかなる場合でも人間を殺してはならない、という創造の法則は、あらゆる方面に適用される。

例えば、個人としての人間、あるいは司法当局、警察、権力者、政府などの、各方面にも適用されるのである。

すべての人間が、労働によって日々の糧を稼がなければならない。

あるいは、もし彼が労働が出来なくて、日々の糧を稼げない場合、彼はその糧を無償で与えられるべきである。

という創造の法則と掟があるが、現在の労働と、雇用状況は、すべての健全な労働の義務に違反している。

何故なら、非常に有能な稼ぎ屋達は、少しも手を汚すことなく年収百万フランクも稼ぎまくり、国家でさえも動かす力を持っている。

ところが一方、人類の一部は糊口をしのぐ生活を余儀なくされている。                

このような不当で、不公平で、不誠実で、劣悪な生活条件が地球の世界では長く続いてきたが、ついに耐えられない所まできている。

これは地球人が、是非とも理解し、認識しなければならない、最も重要な問題の一つである。

出きれば何等かの改善をしなければならない。

ところがこの改善こそ、地球人が最も避けたい事であり、大多数の人間も、それを避けたがっているのだ。

何故なら、「隣人や同胞がどうなろうと俺には関係ないさ」と彼らは心の底でそう思っている。

「俺には充分な財産があり、快適な住居もあり、それは立派な持ち家であり、蓄えもたんとあるさ。それで一生涯楽しく暮せるというものさ。どうして俺が同胞の世話をしなくちゃならないのさ。すると何かい、俺は彼らの番人というわけかい」

地球人はまさに、自分の欠点を知らずにこう語るのだ。

彼は自分の無知の為に、英知、愛、理解、知識、論理の光を失った。

この惑星の人間は、生命の法則と、創造の法則と、掟の意味を知らない。

しかし、地球人よ、貴方はこれらの法則と、掟を、貴方自身で、貴方自身の意志で、学び考え理解しなければならない。

何故なら、生命や法則と掟は、貴方にそれを強制しないからである。

貴方は、自らそれを洞察し、正しくそれに対応しはじめ、正しく実行しなければならない。

さもなければ、貴方は、貴方の人生航路の最後において、貴方の混乱した物質的意図に基づいた妄想的、利己的行為の苦い結果を(果報)を味わなければならず、みじめな結末となるのである。

まことに二つの世界大戦は苦い結果をもたらし、あらゆるものを破壊し尽くし、その総決算は死であった。

それは又、貴方がたの権力への貪欲な追求と、誤った意図と、誤った行動様式の苦い結果でもあった。

私はこの言葉を、貴方に投げかけるのはこう思うからである。

貴方が今まで抱いてきた迷妄、誇大妄想、狂った想像力の為に、自分達を創造の王と自負してきたのだが、実は死、破壊、憎悪、金と財貨に対する飽く無き執着、嫉妬と貪欲の王である。

貴方がたは、まさに地獄の怪物であり、死と呪いの錫杖を持ち、人間と呼ぶにはふさわしくない。

これに対処するには、重要な改善策が前提になる。

ここで再度、私は心の根本的変革、生命と同胞に対する根本的態度の変化について述べよう。

貴方が変えなければならない第一の意見は、貴方の全進化とそれに伴う義務と実践に関して、その重要性に対する貴方自身の考え方である。

地球の人間として貴方に期待することは、貴方の今までの行為、思想、処置の水準を一歩高めることである。

人間として貴方に期待されることは--そしてそれは期待してしかるべきである--貴方の発達を一歩前進させることである、すなわち、積極的方面へ向かうことである。

再度前提条件になるが、貴方は、貴方の存在の意味と目的、そして地上における貴方の使命について明確に知る事である。これに関する知識、死後の生活、生まれ変わりによる再生--この知識が貴方に根本的に欠けている。

私は真の霊の教えの告知者として、貴方に欠けているこの知識を明らかにする為に、本書で貴方に説明したい。

私はこれらに関する法則について、まだ貴方に全部説明していない。
しかし、もう少し我慢していただきたい。
今述べていることは、これから説明する教えの為に是非必要なのである。
貴方が本書を読了した時には、貴方は満足のいくほどに十分認識し
ているであろうし、真の意味で霊的教義に精通しているであろう。

人間よ、静かに歩き給え。
急ぐことはない、急いで捜して何になる
厳しい最後の審判を前にして、ここにしっかり立っていよ

こう私は貴方を諌める。

貴方の短い地上の時間を使い給え、学びの掛け橋をかけて永遠へ渡る為に

人間よ、今や貴方は知識に近づいた、それを貴方はどれほど求めていたことか。

それは、いにしえより伝えられたものだが、その価値を貴方は知らなかった

だから貴方の地上の短い時間を大事に使い給え、永遠へ渡る踏み石として

人間よ、考えてみよ、
貴方は一人で立っている
死が貴方の最後の鐘を鳴らす時、貴方は真理で身を守れ
死が貴方の臨終の床でこう尋ねる時--

「貴方の人生、地上で過ごした全時間は、永遠に対する虚偽の一生であったのか」

人間よ、真理のすべての価値を認識せよ
それらは決して財貨や金の中にあるのではない

人間よ、貴方の胸の中で欲していたもの
それは死の瞬間にたちまち壊れる
何故貴方は貴方の地上の時間を使わないのか
永遠へ向かって貴方自身を準備する為に

人間よ、だから、私の賢明な言葉を理解せよ、
私の言葉を棄ててはならない、これを熟考せよ
貴方が死の入口で、私の言葉を初めて聞いて、
ようやく目覚めるのであってはならない

今学べ、貴方の地球の生存時間が、永遠へ向かう踏み石となる為に

人間よ、貴方は地上の時間を生きるように運命づけられている
それは貴方にとってやがて永遠となる

まことに、霊の教えがすべての面で実行されないかぎり、

地球人よ、貴方の世界は、部分的にも全体的にも何も改善されないであろう。

しかし、貴方は一個の人間として、たった一人にすぎないが、もし、貴方が私の言葉を受け取り、霊の教えを真の意味で配慮し、実行するならば、貴方は大きな進歩をとげる者の一人となる。

何故なら、やがてすべての点で、貴方の進む道は良くなり、それだけ一層貴方は創造の力に近づくことになり、創造は常に最上、最高の確実な援助を貴方に与えるからである。


人間にとって、家庭教育が非常に重要な役割を果たしている。

しかし、残念だが、望ましくない教育が盛んに行われているのも事実である。

不自然で誤った家庭環境の為に、成長する子供に優れた健全な教育がなされず、悪い病的な教育が行われている。

両親が悪い手本を示すので、必然的に疑問が起こる。
現在の親達は、自分達の親から悪い教育を受けたのではないかと。

確かにその通りである。

悪い誤った教育を受けついだ子供の親も又、その親から無責任な教育を受けたのであり、その親の親も又、悪い教育を受けたのである。

こうして何千年も遡ったところに、間違いの源が見出せる。

しかし、どこでいつこの間違いが始まったか、誰も知るよしもないが、誤った教育が変わることなく現代まで受け継がれてきたのだ。

確かに子弟の教育は容易な仕事ではないがしかし、すでに何千年も前から重大な過失を犯し、これが時代を重ねるにつれて、劣悪な教育に拍車をかけた。

こうして子供に真理を教える教育、特に霊の教えを伝え指導する教育は、まったく存在しなくなった。

子弟の教育は必然的に茶番(ごまかし)、不調和な型にはまったものになった。

儀式宗教の下で、人間は間違った教育を学び、重要な幼児期から20才頃まで、悪質な教育が子供の成長につれて益々悪質の度を加え、成人の頭はまったく混乱した。

ステレオタイプの知識と、教育の迅速な増加と普及によって、個人の自己教育に、錯誤と混乱が一層進行し、多くの狂信的な団体が生まれた。

それは人間が、すべての点で真の真理を見失ったからだ。

こうして個人教育は、まもなく陳腐な画一的な団体を組織した。

そうした団体は、政治や物質主義と結託した儀式宗教の支配下にあった。

一つの団体や組織の内部で、様々な意見の相違が生じ、極端に狂信的な儀式宗教組織や病的な哲学を持った政治組織、唯物論的犯罪的組織等々に分裂した。

今日、世界中に無数の宗教分派や政治団体が存在し、各個人の間に統一と調和が見られないのは、何も驚くにあたらない。

確かに全人類の間に統一はない。

この人間同志の亀裂は、昔から現在まで続けられてきた非霊的教育の必然的結果である。

誤った教えを受け入れることによって、人間はすべての面で不和に追い込まれた。

人間は真理をねつ造した為に、それを失った。

だから彼(人間)は、又最初から真理を、一人で見つけ出さなければならなかったのである。

真理に対する探究心は、人間の内部に本来宿っている。

だが彼を取り巻く全環境は彼を打ちのめし、絶えず増加する誤った情報の洪水に抵抗出来ず、彼の頭はますます混乱し、真理のかけらも含まれていないものを、すぐ受け入れた。

これからあらゆる誤った知識と情報が生まれ、型にはめられ、無理やり子供に一つずつ詰めこまれた。

こうして形成された意見の相違は、一層人間を混乱させ、ついに真理が完全に失われ、妄想が発生したのである。


人間の子弟教育の全歴史は、人間の内部に発生した混乱が常に拡大し続け、それが彼の思考と行動に影響を与え、堕落していった過程の歴史でもある。

こうして結婚と夫婦生活について誤った観念が定着し、誤った前提の下に夫婦の共同生活が始まり、家族が形成されていった。 

つまり、家庭生活はその出発点から様々な誤りを犯した。

夫婦の社会教育と、個人教育は、すべての面で不調和が起こり、その指導方針も真理にまったく反しており、必然的に調和のとれない邪悪な教育に陥ってしまった。

人間は、夫婦生活が真理と正義に基づいていないことは、感覚的に気づいてはいるが、それでもいかんともしがたく、絶えず不満を持ち、失望し、益々悪化していく。

様々な悪質な不安、恐怖、戦慄は、日常化した不調和と、生命に対する義務不履行に深く根差している。

絶えず起こってくる不安、恐怖、戦慄の為に、夫婦生活や家族は、争いと意見の対立で引き裂かれ、生活する為の十分な収入もなく、借家から追い立てられたり、夫婦の一方が道をはずして他の異性と関係を持つ等々、様々な悪行が見られる。

ここでも又、死への不安、恐怖、戦慄が現われる。

死ぬ間際の悶え、死への不安。

地球の人間よ、貴方は、物事が貴方自身の意志に反して進行する時、そこに死神を見る。

貴方は、生活の出発点から完全に間違った道の上を歩いている。

貴方は、その真相を意識的に究明しようともしないし、又、知りたくもない。

貴方にとっては、真理よりも呪われた怠惰の方がずっと大事なのだ。

命取りになるようなもの、死、そのものに対して、貴方は不安、恐怖、戦慄を見る。

貴方はひどく臆病な為に、苦労してでも効果的、かつ実在の真理を掴もうとせず、死にまつわるものと、死自体は、破壊や消滅を引き起こすものではなく、それはより新しいもの、より良きものをつくりだす為の自然の変化であることをも認識しようとしない。

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003

人間よ、生命の価値を認識せよ、さもなくば、貴方の存在は無益だ

真理を、貴方の内部に貫通せしめよ、さすれば貴方の人生は良き方へ向かい、成功する

地球人の生活に、悪い影響を及ぼしているものが尚数多く存在する。

例えば、地球の社会的、経済的条件は、人間に高潔な生活を許すまでに至っていない。

しかし、この問題に関してはここでは触れないでおく。

というのも、地球人はたとえ中途半端な理性で考えても、この件に関して皆んなよく知っているからである。

次のような事実をどう説明したらよいのか。

それは果して創造の正義にふさわしいものであるのか。

一人の人間が大金持の家に生まれ、立派な環境で育ち、いたれり尽くせりの訓練と教育を受け、いわゆる優雅な生活を享受している。

ところが一方、もう一人の人間は極貧の家庭に生まれ、子供の時から嘘や盗みを教えこまれたり、あるいは反社会的行為をするように強いられる。

このような環境で、彼らがなお立派な道を見つけ。自分達の人生の使命(霊的使命)を高度に果たすことが出来るとすれば、それはまさに奇跡(もし、そんなものがあれば)である。

疑問、疑問だらけの社会である。

厚顔無恥な儀式宗教の代表者や指示者達は、この疑問を投げかけると嘘で固めた彼らの儀式宗教の哲学を持ち出してすらすらと答える。

彼らは、とっておきの教えを引用して、こう説明する。

「すべては罪と罰だよ。君、罪を犯した者はすべて罰せられる。世の中はすべてこれで決ってくるのだよ。」

これらのすべての疑問に、真理に忠実に、明確に、満足のゆくほど完全に解答出来る者がいるだろうか。

高級聖職者、哲学者、牧師に聞いても正しく答えた者は一人もいなかったのは確かだ。

私自身、個人的に真理を探究しているうちに、これを確認したのだ。

私の探究は、人生のあらゆる問題をつなぐ、全体的関連性についての真理、生命の誕生と死、私自身の誕生と、衝撃的な生活と、餓死体験についての徹底的、最終的認識に向けられた。

真の、正しい、最終的真理を求めて、私は何千人にものぼる専門家、神学者、牧師、司教、セクトの説教家等々に質問して回った。

彼らの話や説明は私を失望させた。

彼らの説明は虚しく、ごまかしに満ち、自分達の極度の無恥を隠し、ひどい暗愚、誇大妄想、迷信、死の苦悶、死への不安と恐怖の表明であった。

それは、利己主義と物質主義を満足させようとする欲望を、無意識に隠す口実にすぎず、その無知たるや病的で破壊的で悪意に満ち、邪悪な臭いが感じられた。

彼らの誤った信仰は、彼らにこう語らせた。

「そういう疑問を抱いたり、議論するのは失礼になりますよ。」あるいは、「そんな質問は神を冒涜するものです。」等々。

(中にはこんな意見をもつ信者もいた。「そういう質問の出しかたは極めて反キリスト教的で、反社会的、共産主義的です。」)こうした考え方が一般化している。

これに対して私はこう答える。

「何と心の狭い神であることよ。どうしてこんな質問に答えられないのか・・・。」

彼らの答えは、私の子供の頃、多くのセクト指導者が私の質問をうまくかわしたことを度々思い出させた。

(今でもよく思い出す)当時も私はいろいろな人に聞いて回った。

たとえば、再洗礼派のアルベルト・ブユルギ、私の成績証明書に、宗教と宗教哲学の科目でいつも「優」をくれた牧師のウィップ先生。

その先生方に、私が今先述べた同じような質問をしたところ、いつも質問を避け、明確な答えをしなかった。

それから、エホバの証言派の有名な人達や、回教の会師、更に、仏教、ヒンズー教、ユダヤ教、バハイ教、アイアム教(Ai・am)自由への橋、フリーメイスン、バラ十字団、カーリー教、儒教の代表者や信者等々・・・

そしてこれらと対照的に、私が五歳の時、私が人生の意味についてツィマーマン牧師に尋ねた事をはっきり思い出す。

すると牧師は、幼い私に順々に説いてくれた。彼はこう語った。

「それは創造の愛を実行することだよ。君が大きくなったら、いろいろな苦しい目にあうだろう。どんなに困難なことが君の身に起こっても、男らしくじっと我慢するのだ。真の正義と義務の道から一歩も踏み外してはいけない。たとえ生命の危険に晒されても、決して怯んではいけないよ。この道だけが君を生かし、人生の意味を実現する道なんだ。」

実に賢明な言葉ではないか。

堅固な意志を造りあげた者が、他人にも同じ不屈の意志を形成させたいと願い、彼(他人)の内部からその意志を引出そうと努力する。

その言葉こそ、彼の全人生に対する貴重な教訓である。
   
一人一人の人間がそうした努力をすべきである。

それも一人でやるべきである。

何故なら神がどこかにいて、その信者が堅固な意志をただ願うだけで、それを神が信者に与える、そんな神はどこにもいないのである。

もし、人間が真理に自分を向け、真理を実践する意志を苦心して作りあげれば、死はその不確定性、非定義性、無知のベールを、人間の中から取り払い、彼は自ら不安、恐怖、戦慄から自由になれる。

真実の真理が、彼に真実の真理を啓示するからである。

なるほど人間が無知の為に、この人生の指針を、全く違った意味に解釈するのは、当然といえば当然である。

間違った解釈は、究極の真理に対する誤った知識や、それに対する完全な無知の為に起こる。

これはこの世界に生きている人間に、強く要求されている様に思える事だが、彼はこの世で生きている限り、あらゆる財貨を獲得し、快楽を享受する為に四六時中戦い、競争に勝たねばならないと思っている。

その為に彼は、自分の理性と頭脳を総動員せざるをえないのである。

しかし彼に最も強く要望されているのは、物質的財貨や快楽の収集の為に、才能や認識を最優先的に使うのではなく、彼の重要な任務の遂行を、第一にすべきであるということではないのか。プシケー(Psyche)の実体は何かそれがどんな目的に役に立つのか。プシケー(Psyche)の正しい管理、育成、発達のために人間は何をすべきか。

現在の地球人の中には、生命の真理を真剣に求めている人達がいるが、彼らは一層理性的になり、かなり立派な考え方を持っており、もはや空虚で非論理的な議論には満足しなくなっている。

彼らは  何故? 何の為に? どこから? どこへ?という問題をようやく追求しはじめている。

彼らはそれを意識的に研究しているばかりでなく、その問題に対する真理と証拠を、当然の権利として要求している。

しかし、それらは今日まで、責任ある立場の人間、つまり、政府当局や聖職者から与えられなかった。

何故なのか?--その答えは簡単だ。

一つには、彼らはあまりにも物質主義的性格の持主である為に、自分達の社会的地位(もちろん高収入もその一因だが)を脅かされたくないからであり、二つめの理由としては、彼らは誕生したばかりの子牛同様に無知である。

この二つの理由で彼らは答えたくないし、また全然答えられないのである。

宗教の代表者達は信者全員に、欲しいと要求すれば、あらゆる問題について長たらしい情報と解説を提供している。

しかし。残念ながら、その情報とか解説の内容を拡大鏡で吟味してみると、陳腐な議論であり、嘘と無知のかたまりであることが暴露されるのである。

彼らは自分達を偉いと感じ、予言者エレミヤと同格だと錯覚して、彼らの勿体ぶった大説教の中で、エレミヤの言葉を度々引用する。

エレミヤはイマヌエルに関連して、次のように語ったからである。

「私にただ尋ねるだけでよろしい。そうすれば私は答えましょう。更に貴方がたが知らなかった、偉大なることを。貴方がたに明らかにします。」 

このような言葉を語ることが出来る為には、真理についての真実の知識が必要である。

しかし、実際には宗教の代表者達は、その水準のはるか下の方に位置している。

この真の知識は、特に神学者に欠けている。そして現在、幸いなことに、大部分の人類は、この神学者達の欠点をよく知っている。

神学者はこの知識を知らないけれども、しかし、彼らの任務は、真の霊的財産を教え伝えることである。

こうして人類は、自己の地上における存在についての本質的な意味、人間の死後、霊界における、霊の生活に関する、基本的な知識の指導にまったく欠けてしまっているのである。

儀式宗教はこれらの問題に答えることは出来ない、ということだけは、はっきりしている。

真の知識と、その中に確立された真理は、永久に存続する。

すべての現象、すべての問題の解明は、生命の存続に不可欠なことだが、その解明が可能なのは、知識と真理が持続性と永久不変性を持つからである。

これにより、すべての現象の真の関連性が、あますところなく解明され明らかになる。

人間なら誰でもよく知っていることだが、彼はいつかは地上的、物理的生命を完了して、別の領域へ足を踏み入れる。

しかし彼はその領域に少ししか、あるいは全く感知しないばかりか、それを不合理に取り扱い、又それに対して、創造の法則に反したり。

反社会的犯罪的態度や行為に出ることさえある。

又、彼は何らかの信仰(儀式宗教やいわゆる自由信仰)を受け入れ、間違った方法でこの問題をとらえ、異端教義に惑わされ、間違った理念から間違った結論に達する。

正にこれが、現在の大多数の人類の状況ではないだろうか。

前にも述べたが、大部分の人類はいつかは確かに死ぬのであり、別の世界へ行くことを知っている。

彼らは地上の滞在は一時的であることは知っているが、霊界の真の条件や生活について知ろうともしないし、或るいは全く関心を示さない。

というのも、彼らは物理的生活のもたらす様々な快楽、情熱、堕落の方がずっと大切だと思うからである。

内面的には、多くの人間は間違った動機づけによって、物質的財貨を獲得し楽しむことを、唯一の目的として生きている。

一方外面上、彼らは生命と身体に、目に見える程の危害を加えることもなく快適な生活を送り、従って、表面的にはほとんど苦悩することもなく死を迎え、あの世へ向かう。

しかし、このような人間は、もはやあの世を理解する力はない。

そこで責任ある地位にいる人々

(この場合、神学者や他の宗教代表者を指すが、理性的でもなく無知な彼らは、一般に権力や物質主義への欲望に魅惑されて、自分達の重大な任務を忘れている--最もその任務は、彼らにとって実行不可能ではあるが。それにしても彼らの邪悪な行為の波及効果が、いかに広範囲に渡っているかを彼らは知らない)

に、この問題を真に解明してやらなければ、一般の人間が、創造の調和を理解することも出来ないし、又。永遠の存在に向かう為には、真理と完全な認識が必要だが、その絶対的前提条件である輪廻(生れ変わり)による良い再生を、努力して獲得することも不可能である。

ましてや彼ら(一般の人間)にそれを要求することは論外である。

もし人類--地球人が、物質主義的経験のみを追求し続けるかぎり、残念ながら、現在はそれがすでに茶番化しているが、人間に真の人格、真の知識、真の愛と英知を求めることは、完全に例外的なケ一スになる。

まして人間は、あらゆる誤った欲望的富に満足感を見い出そうとしているので、高潔な生活を送り、全宇宙を貫く真理の獲得の為に、自発的に努力し苦労する事を彼に期待するのは、尚更不可能である。

まことにこれが実状である。

霊的問題に関して、誤った教えを教え込まれた為に、漫然と生活したり、誤った助言に反対もせず、真理を探究するのを拒む権利は、地球人にはない。

金を出せば、ほとんどのものが手に入る、これが世の中だ。

世の人は一般に金の獲得のみに懸命になり、金を早く、しかも最小の労働によって集めようとする為に、次のような様々な手段(これが世俗的知恵にならざるをえないのだが)に訴える。すなわち、強盗、殺人、押し込み、強奪、拷問である。

この事実は驚くに値するものだろうか。否、決して驚くにはあたらない。          

何故なら。いわゆるお偉方--財界のボス、国の統治者、僧侶の最高責任者が、神の命令とか神の代表とか称して同様なことをやっており、国民はそれを見習っているだけである。

現在の地球の社会秩序と経済制度では、一人の人間が最小の労力で莫大な年収をうまく稼ぐことはほとんど出来ない。

一人の労働者が、週40時間黙黙と真面目に働き、50年間勤めあげたとしてもその総額はわずかなものだ。

もし、この事実を認めるなら、次のことも認めざるを得ないだろう。

すなわち、労働者も、莫大な財産を持つ特権階級の連中と同様に、物を集め楽な生活を享受したくなるものだ。

特権階級の連中の、金儲けの手段は様々である。

この特権階級の連中は、元々有名な犯罪者であったり、法王の地位を巧妙な方法で手に入れたり、連邦参議院の地位を不正な手段で獲得しているが、彼らの年収は、一人の職人や専門的職種に従事する人間の、何十何百倍にもなる。

こうなると名前や地位は無意味であり、重要なことは不正な手段であり、単純労働者が、勤勉に働いて得る収入を、遥かにこえた莫大な金額をうまく稼ぐ(だまし取る)手口である。

ところが現実には長時間働き、仕事の能率をあげ、優れた業績をあげているのは労働者なのであって、特権階級の連中、つまり、政府首脳や宗教の代表者や財界の大物や財政の魔術師達ではない。

ここで私は公平を守らなければならない。

国家元首や財界のボスと、単純労働者や熟練労働者との間に存在する給料格差が余りにも大きく、不公平であることはまぎれもない事実である。

なるほど、こうした特権的地位にいる人間には、高い給料や報酬を与えるべきだが、

真の公平とはすべての人間は、職業に関係なく、同じ給料を取るべきではないか。

もし、建設労働者の一か月の給料が2千5百スイスフランであれば、熟練労働者や国家元首も、同じ額の給料を貰うべきである。

これが真の公平であり、工場の所有者や財界のボスにも適用されるのである。

現実はそうはなっておらず、不公平が社会の権利として大きな文字で書かれている。

こうして財産のない者が、特権的地位にある人間に対して憎悪、羨望、悪意、闘争を抱くようになった。

これから他人の財産を手に入れたいという欲望が生じ、この場合、大資産家(特権階級の連中)の財産を所有したいという欲望を指すのだが、これが犯罪行為に発展し、物質的財貨が強奪され、所有者の身体や生命さえも殺傷される。

確かに特権的地位にいる人々は、自分達の仕事が、建設労働者や簿記係の労働と同一のものであることを知る必要がある。

これは特権的地位の人々が、日雇い労働者より多い賃金を取ることを正当化するものではない。

大抵日雇い労働者が、重労働によって稼ぐ賃金は、飢えを癒す程度のものでしかない。

一方、特権階級の人間は労働もせずに、やましい仕事や脱税、利子、配当金、利益配当、投機による利益、手数料(こうした金は何十万、何百万スイスフランに達する)によってうまく稼いでいる。

一般にこうした特権階級の連中は、広大な牧草地に囲まれて一人ぽつんと住んでおり、これは自分の家屋、土地、財産を守る為であるが、こうしたやり方は不当である。

純真で思慮深い人間がある日、神学者に次のように尋ねたとする。

「この社会に、途方もなく悲惨な不公平が存在しているのは、何故ですか。そして何故そういう不公平が生まれるのですか。」

神学者は間違いなく次のように答えるだろう。

「国家は愛の法則によって、支配されているのではありませんし、又そうすべきではありません。それは神がそうお望みなのです。神は国家は独自の法則を定め、その法則の下に生きることが望ましいと人間に教えたのです。」

こうして我々は、人為的で、邪悪な不公平な国の法の下で生きており、そこでは弱者は踏みにじられ、強者は人間的「公平」に従って弱者を犠牲にして太ることが許される。

そして神学者がこのような発言をするのも当然といえる。

何故なら、通常彼は国家に依存しているので、民間人と同様に自由ではない。

つまり「奴隷化」されているのである。

彼は不正な国家と国家の不正な法の為に意識的に働き、それによって利益を確保している。

これは国家以外には出来ない仕事だが、戦争を起こして死体を生産すると、彼が出かけていってお祈りを捧げる。

そうなると彼は商売繁盛というわけで、たんまり稼がせてもらうというわけである。稼ぐ手段は選ばないのである。

さて、先の質問者が更に続けて次のように質問したとする。

「この悲惨な不公平は、聖書とどのように調和しているのですか。特に使徒パウロの言葉とどう調和するのですか。パウロはこう言っています。」

「働く力のある者が働かないならば(又は不正な仕方で働いたり、或いは手抜きして働いた場合)その者は食べてはならない。」

すると例の神学者は次のように、賢明に弁解するだろう。

彼は質問者とキリストにこう答えるだろう。

「実業家が山上の垂訓に基づいて。品物の取り引きをするのは不当であり、全く馬鹿げたことです。又、国家の元首が、愛の法則に従って、自分の職務を遂行するのも無意味なことです。商人の商業活動も大統領の職務も。それ独白の規則があり、一般人の関係とは違います。」--これは、ただ呆れるばかりだ。

論理的、政治的、宗教的、商業的、経済的問題で、こうした意見の相違があるならば、人間に慎み深く、公平で、高潔で、正しくなれと期待する根拠が一体どこにあるのか。

そして人間がある事柄を断念し、自己の義務遂行(霊的進化、義務の遂行)の道を真っ直進むことをどうしたら学ぶことが出来るのか。

もし、あらゆる所に存在する不公平が取り除かれて、全ての人間が各自の地位や職業に関して、絶対的平等の状態に入り、平等の権利を持つならば、その時こそ人間の義務をはっきり自覚するであろう。

完全な平等は今まで実現していない。

混乱した社会制度が存在する限り、その実現には大変長い時間がかかるであろうし、人間が本当に目覚め、熟考し、真理を求め、それを自ら実行に移し、純朴な人々を儀式宗教の規則や陳腐な教義で縛ったり、国家権力や法令、そして国家的テロリズムで、彼らを支配している特権的階級の人間に対して、健全な要求を出し、真理の実践から生まれる霊的方法で、この特権階級と戦わないかぎり、絶対平等への道は遠い。

そしてもし人間がついに真理を認識して、地球人の幸福の為に、有益で必要な存在は政治的指導者ではなく、霊的助言を地球人に与え、彼らを霊的方法で指導し教化することの出来る、真理の教師や指導者であることを自ら意識しない限り、実現への道のりはなお遠くなるであろう。

しかし、それはそれほど遠くはない。

何故なら人間は無気力な停滞から徐々に立ち上がる。

最初は孤独な光があちらこちらに燃え上がる。

それは一人の人間が、無知と、無気力の大衆の中で考えているしるしである。

無知と、狂気の群集の喧騒に狼狽しながら、一人離れて立っている。

これらの光は極めて少なく、広大な暗黒の中で寂しく、非常にかすかに輝いている--それらは善いもの、より善いもの--しかし、真実の未来へ向かって、物事を大きく変える力はまだ持っていない。

まことにこの暗い悲しむべき時に、人間が誤りを犯さず、自分の所有欲を満足させる為に殺害行為へ走らないとすれば、正に奇跡と言えるだろう。

多くの人は、これらの言葉を本気にしないだろう。

まして、それを徹底的に熟考する人は、更に少ないだろう。

それは丁度、荒野に叫ぶヨハネに似ている。

一般的な地球人に見られることだが、多くの人間は私の言葉を聞き流すであろう。

というのは、それについて考えるのは、大いに努力を要するからだ。

創造に従った生活をするよりも、快楽を求めたり、物質的財貨を所有することの方がずっと良いことであり、しかも楽であると思っているからでもある。

しかしながら、地球人よ、たとえ貴方が私の命を狙ったとしても。私はあえて貴方に言う。

私の言葉は、遠い未来のある日に実現することを私は知っている。

我々の後にくる地球人が、すべてを改善してくれるだろう。

たとえ人が私を非難し、罵しったとしても私は嬉しく思う。

それというのも、予言者は昔から自分の国では認められないからである。

私より前に生きていた多くの人にも、同じことが起こったのである。

たとえば1 9世紀のジョン・ラスキンという人がそうである。

彼は次のような言葉を述べたが、人々はそれを重要視しなかった。

「あらゆる苦悩と犯罪の最大の原因は、人々が次のような、よく知られた、否定出来ない真理を認めないことにある。その真理とは、天地の法則によれば、賃金と幸福は、勇気ある仕事をすることによって得られる。そしてこの永遠の生命の法則から逃れようとしたり、それを廃止しようとしたり、自ら額に汗して働かずに私腹を肥やしたりする人間こそ、本当の苦悩者であり、犯罪者である。」

ジョン・ラスキンはまったく正しかった。

地球人のほとんどすべての悲惨と犯罪は、この一つの誤解から発生し起こるのである。これはまさしく真理である。

この誤解から様々な事柄、行為、法律などが生まれるのだが、それらは決して存在する権利はない。

そこで地球人よ、私は言いたい。

貴方が食事、飲料、知識を求めたい時は、貴方はその為に働かなければならない。しかし、地球人である貴方は、この時代を超えた法則を認めないし、労働もせずに幸福が得られると信じている。

なるほど、貴方は、一生懸命働いて、日々の糧を稼いでいる人間の一人かもしれない。     

しかし、一度は真剣に自問してみ給え。

貴方は自分の仕事に満足しているか、--それに幸福を見い出しているか、--不正な想念を抱くことはないか、つまり毎日苦労して働かなくとも生きる道があったら。もっと自由で良いのにと。

地球人よ、貴方がたの大多数の人間はこの法則をもはや認識せず、この法則の盲点を利用し、無償で食物、財産、快楽、知識、英知、愛を受け取ろうとしている。

しかし、地球人よ、これは大きな誤りである。

この誤りは貴方にとって致命的である。

確かに人類は、無数の便利なものを造って進歩をとげてきた。

そのことに私も異論はない。

現在私自身それらを利用させてもらっている。

私はそれらは大切なものだと思っている。

ただ私はこの進歩の陰に、非常に暗い兆候を見る。

つまり、この進歩の裏では、人間は不誠実、冷淡、残酷な態度で殺人的、破壊的な富の獲得競争にあけくれており、一方、霊的生活という富は、完全に無視されている。

ネブカドネザル王(古代バビロンの王)の見た悪夢の中に、鉄と粘土で出来た人間の足があった。

現在の大多数の地球人は、この描写を戦慄を催す程に拡大したものではないか。--というのは、彼らの心臓も鉄と粘土で出来ているのではないかと思われるからだ。

地球人よ。それはそうではないといって反対してはならない。何故なら、それが真実だということは、誰よりも貴方がよく知っているからだ。これに対して、地球人よ、私はこう答える。

自分を維持して生きてゆく為には、資本主義と物質主義の力に頼らざるをえない--と言う誤った教義が、根本的には儀式宗教の誤った説教と、商業経済生活から生まれた。

その主張によると、商業経済活動は倫理的問題から独立しており、独自の法則に従うという。

儀式宗教であろうが、商業や経済活動であろうが、目的は利得であることに変わりはない。

牧師の主張によると、教えと信仰箇条との格差、工場と健全な文化や文明との格差は、聖書の文句によって調整がつくという。

商人や実業家の主張によると、彼らの気遣いじみた行為--毒物、爆弾の生産、その他の殺人兵器の開発--によって国家の安全が保障されるという。

又、気違いじみた政治家は、化学兵器。爆弾、殺人兵器は、戦争で使用されて、勝利と平和に貢献すると主張する。

この愚劣なごまかしの解決策は、完全に非論理的であり、儀式宗教や実業家や政治家によって考え出され、キリスト教の掟となり、(貴方が、彼らの狙いを徹底的に分析すれば判ることだが)今まで世界の各地で続けられてきた、独特の階級闘争に発展したのである。

その結果、次のような戦慄すべき事実が、はっきりと証明された。

それは、儀式宗教と権力欲に凝り固まった政治家の、ありとあらゆる陰謀によって、何十億という人間か殺され、彼らはためらいもせず戦争をけしかけ、世界中の人間を苦境と惨事に陥れたのである。

今世紀に起こったすべての戦場は、彼らの狂気の命令の結果であり、その狂気の命令に対する厳しい審判の目撃者である、儀式宗教、政府、財界のボス達(彼らと共に国民自身も)は、こうした流血の事件から、真理の教訓を学ばず、旧来の道を歩み続けている。

一度正確に、かつ詳細に考察すればはっきりすることであるが、キリスト教会は一度も善い行いをしたためしがなかった。

教会は信者の心の悩みを解決すると称して、彼らを搾取することにあくことなき執念を燃やした。

異端審問や宗教戦争の時代を調べてみ給え。

勿論これに対して、非論理的思想家やその類の連中は、すべての疑問にちゃんと反論を用意しており、私の記述は不当だという。

彼らはすべてを軽く扱い、弁解し、こう説明する。

「教会はあれ以来、方法を変えました。そして多くの点で良くなっています。」

人間がこの様な大量殺人の重大性を過小評価し、なお弁解するとは。

彼の考え方がいかに近視眼的であり、誤りに満ちたものであるかがはっきりするのである。 

新約聖書によると、親切なサマリア人(ルカ伝第10章30節)が、旅の途中で強盗にあった人を見つけた。

サマリア人はその人を見捨てることなく、彼に近づいて介抱してやった。

しかし、キリスト教会はこの寓話を実行したことがあるだろうか。

否である。

この教訓と正反対のことをしたのである。

今までの数多くの証拠が証明しているように、キリスト教会は、信者を搾取し、奴隷化してきたのである。

教会の意図は援助することではなく、ただ搾取することのみである。

教会は現在までそうだったし、今後もそうなるだろう。

過去と同様に、未来においても決して悪の道を歩まず、搾取をしない宗教は、ただ一つも存在しないだろう。

又、地球人は、将来大規模な宗教社会主義や、新しい経済秩序と正義、平和、愛、人間の共同体の為に戦う、真理に基づく政治を造りだすことは出来ないだろう。

地球人のスローガンは今後も戦い--物質主義の為の戦いとなるだろう。

小さなグループの、ほんの少数の人間が、真の真理、真の正義、愛の為に戦うだろう。

彼らは、真実の生活を拒んでいる人々によって、非難され追放され、生命を犠牲にするだろう。

真理の認識の為に戦う少数の人間は、たとえ憎まれ殺されても、真理の為に戦うだろう。

彼らは真理の探究を続けるだろう。

何故なら、彼らには巨大な味方がいるからだ。

それは、真理の生命は永遠に続くという確信を持つからである。

その通りである。

昔からこう語るべきだったし、牧師の説教、学校、家庭、すべての公的な通信施設や公共機関で、こう語るべきである。

地球人よ、真理--最も純粋な真理のみが重要であり、それを貴方に与え、助言し、説かなければならないのである。

最も純粋で完全な真理は、いかなる理想主義とも同等ではなく、又、理想主義のように、人間を熱狂に駆り立てるものでもない。

そうではなくて、最も純粋で完全な真理は、地球人がそれによって、全ての霊感は、その中にあるということを認識させるものである。

完全な真理は、人間存在の意味と目的を明らかにし、新しく地上に生まれ変わる前に、霊は肉体の死後、霊界で生き続けることを解き明かしてくれる。

真理と、根本的洞察によってのみ、貴方の人生は再び意味を持ち、充実した人生を期待出来るのである。

そこから、貴方の内部に円熟した認識が生まれ、再生(生まれ変わり)は永遠の生命を得る為に必要な前提であり、死を超えて繰り返される一つ一つの新しい生(生まれ変わり、輪廻)は、永遠の存在へ近づく優れた踏み段であることを教える。

貴方は不安の人生を生きてきた、
重く困難なくびきを背負いながら
それは貴方のすべての愛の関係を殺した
そして貴方の中に、真黒な穴を作った

しかしついに貴方は、 
自分の恐怖を克服しなければならないと悟った

貴方の味方になってくれる知識を、苦労して獲得すれば
もはや貴方は、不安の中で苦闘する必要はなく
真理の中で生き、愛の欲求がわく
貴方は不安を乗りこえ、すべてに挑まなければならない
その為に、貴方は決して憩と安静を求めてはならない
貴方のたゆみない努力は、立派な実を結ぶ
決して、不安に身を委ねてはならない
貴方が、不安と恐怖に完全に捕えられているとしても
貴方の中に、すべての愛を集めよ
その時、貴方の人生に憩と安静が訪れる

嘘は人生を涙の海で満たす、
それは病と死をもたらす
何故なら、嘘はすべてを破壊するから
それは策略によって、真実を幻惑し、良き真理を盗み
人生のすべての意味を奪う

私はどうしても静かにしていられない。
人間が人間を憎む時
人間が殺し、戦争をして、死がすべての生命を奪う時

ああ人間よ、

私の望みは、貴方に愛を与え、
最も美しい創造の好意を与え
平和と知識を学ぶ力を、与えることである

人間よ、
私は貴方の為に何でもしたい、休みなくこう願っている
いつか愛が実を結び、常に善い行いをすることを

私が死んでから

おそらく貴方はくびきから解かれ
貴方が自分で望んでかけたくびきから解かれ
いつか真理と愛を見つけるだろう

春にバラは芽を出す、
新芽はバラの生命をしっかりとつかむ
そのように、人間の生命も、休みなく成長する

人間は自分の為にすべてを集める
自分の未来、生命、知識を
無限の知識の中へ吸収し
創造的、真の生き方をする為に

その為に人間はすべてに挑戦し
決して休まず、夢見ることなく、止まることなく
未来へ向かって進む
自己の、すべての願望と行為をたずさえて

しかし人間は、決して熟考しなかった彼が重いくびきを背負っているにも拘らず太古の真理への欲求が絶えず彼を未来へ向かわしめていたことを。

人間が早い時期から、自分の想念を検査し、調整し、不純で非論理的な想念を排除し、堕落し誤った想念を、止める訓練をしなかったならば、彼はどうなるか。

地球人よ、私が答えよう。

彼がこの訓練を実践しないならば、彼は堕落しやすくなり、残忍な野獣のごとき人間に成長する。

自分の想念を賢明に秩序づけることが、自分の人生のすべての価値を確立することになる。

地球人よ、貴方が考え、夢想し、感じたすべてをはっきり見詰めよ。

そして今後、何を考え、感じるかを調べよ。

それらはすべて永久に失われない。

すべてを純粋な注意力をもって、詳細に観察し、理解せよ。

貴方の想念が変化する過程を、透明な凝視力で見つめよ。

この方法によって、貴方はいつか心の本質を発見し、喜びと悲しみの原因を理解するであろう。

地球人よ、こうして次のことが明白に認識されるであろう。

貴方の想念、意見、意図、感情、努力がいかに重要であるか--それらがすべての道と方法、あらゆる行為と仕事と言葉の出発点であり、まことにすべての起源は想念に求められる。

創造自身も、原初創造の、想像も及ばない、巨大な想念の偉大さと、崇高さの実現である。

地球人よ、これを一度熟考していただきたい。そうすれば、貴方が、貴方自身の産物であること、つまり、貴方は正に貴方自身が考えたものであることを理解するであろう。

もし、貴方がこれを認識すれば、明日の貴方は、貴方が今日考えたものになることを認識するだろう。

これによって古い諺が実現するのである。

「自分の運命は自分で開拓するものだ」

地球人よ、貴方は貴方の運命の開拓者だ。

貴方が自分で運命の種を蒔き、貴方自身の意志と力で刈り取るのだ。

人間の運命を決定するのは、彼自身の性格、行為、思考、感情などである。時には一国の運命もそれらによって決まるし、全人類の運命さえそれらによって決まる。

一度これが真に理解されると、悲惨な運命や自然の災害も、人間の否定的想念の力の結果であることを、人間は自ら認識するのである。

いずれこの天変地異も、張本人である人間の健康に跳ね返ってくる。

人間の物質主義的意図は、自分自身に影響を与え、彼の環境にも影響を与える。

人間が極度に悲嘆にくれると、必ず精神の病気に冒され、それから肝臓、腎臓、胃が冒され、病気は体全体に広がる。

こうして無数の病気が人間の体内に潜伏する。

その原因は否定的、不調和な想念や感情である。

そしてそれは、一般に悲嘆、解決不可能な問題、無知、傷心、心配、更に憎悪、不安、苦痛、貪欲、嫉妬、性的不満等々から生ずる。

誰でも経験からよく知っていることだが、無関心、不快、立腹、惰弱は、自分を大変苦しめ無気力にするものだが、通常これらは克服可能であり、中性-プラス的思考に意識を振り向けて、心配や問題などにくよくよしなければよい。

逆に人間は次のことをはっきり意識している。

確信、喜び、崇高で健全な想念、世界に関する正しい見解、真の知識、真の愛からは勇気と力が生まれ、健康が維持され、活力が出来、大きな幸福と安心感が生まれる。こうして一国民全体の運命が形成され、更に全人類の運命に発展する。

もし一人一人の人間が、健全な形で運命を築きあげたならば、地上に楽園が生まれるだろう。

人類の大多数と、彼らによって選ばれた国家元首の想念と行為が、高潔で、義務に忠実で、親切で、真理を愛し、非物質主義であり、知識に富み、賢明で、進化に建設的態度を持つならば、地球のすべての悲惨と不幸はまもなく消え、病的で破壊的物質主義は過去のものとなり、戦争、革命、流血の惨事は地上から根絶されるであろう。

戦争、革命、流血の惨事は、創造の法則、掟、規則、決定に違反した行為であり。人間の誤った、狂気の思考と行為の結果である。

地球人よ、これから明らかなことは、貴方の思考と行為によって、貴方はすべてを貴方の手中に収めることが出来、貴方のあらゆる不健全で、悲しい、誤った、致命的、病的状態や条件、又、人類全体の不幸な条件を改善し、未来の真の生活を求めることが出来る。

地球人よ、これらは幸福に満ちているが、しかし、非常に困難で責任ある認識が必要である。

認識は義務を伴い、地球人はその義務を遂行しなければならない。

それはこういうふうになる。

貴方の物質主義的意図を持つ意識によって、そして貴方の想念によって、貴方は自分自身を形成し、更に貴方の民族の運命を形成し、全人類の運命を形成する。

しかし、現在の貴方の地球の状態は、全く賛成出来ない状況である。

貴方が理解したければ、直ぐにこの不幸な事実を理解出来る。

果てしない広がりと根深さを持つ、無数の分裂と崩壊現象は、もし貴方が食い止めることが出来る期限内に取り除く努力をしなければ、決して取り除くことは出来ないことを知るだろう。

そこで貴方は問うだろう。 一体誰がそれをすべきかと。

地球人である貴方に、思考と行動との自由を与えた創造がなすべきか?--決してそうではない。

いかなる事態の下であれ、創造がすべきでない。

何故なら、貴方が行ってきたこと、将来貴方が行うことのすべてに対して、地球人の貴方自身が責任を取るべきだからだ。

あらゆる悪の根絶は、貴方だけの問題であり、貴方自身の行動と活動にかかっている。

フラウンフェルド(スイス)の兵舎の入口に書かれている言葉がいかに急所をついていることか。

「なすべきことをしたいと思え!」

もし貴方が、貴方自身を良くし、全地球人類を良くしたいと願うならぱ、まず最初に一人の人間として、貴方自身からそう願うことであり、次に貴方の意図、心、態度、意識を変え、貴方と貴方の同胞との共同生活に役立てることである。

日常生活、両親の家、学校、その他至る所で。想念の力と効果を第一に考え、積極的で健全な思考力の養成、実践、制御に努力し給え。

貴方は一人の個人として、自ら努力し、一般大衆を教え、引っ張ってゆき給え。

そうすれば、彼らも実行するであろう。

まことにこれが目下の急務である。

地球人よ、三つの根本的価値がはっきりと与えられた。

それは知識、愛、真理

貴方は明瞭に次のことを意識している。

貴方の胸の中にあるすべての想念は、
それが調和していようとなかろうと、
貴方の全人生を決定する

人間よ、貴方の行為の実を収穫する為に
貴方の想念の種を自ら蒔け
そして、すべては貴方の想念の結果ゆえ
貴方は常に貴方の想念のみに感謝せよ

人間よ、貴方の想念が気高く正直ならば貴方の全人生はその中に映る貴方が終日憎悪と苦難で満ちていれば貴方の人生と存在は、貴方にとって耐えがたいものとなる。

人間よ、隣人と争うことをせずに、真の想念と愛で貴方自身を導け。

決して何ものも貴方を動揺させることは出来ないもし、貴方が真理の純粋な想念を育成するならば

貴方が、真理に従った想念を抱きたいなら
貴方は、愛と尊敬を獲得したことになる

常に立派な友情に敬意を表わせ立派な友情は、いかなる想念も真理から離れずいかなる不誠実な想念、言葉、行為でもってしても悪い性格や嘘を隠せない時に生まれる

迷いのない決断が出来るのは、貴方の想念だけである。

何千年以来、真理は、貴方がた地球人に、常に不鮮明で理解しがたい形で与えられてきた。

ほとんどの場合、真理は歪曲され、誤った教えになり、その背後に隠れた目的があった。

それは、貴方が貴方の想念を学習しないようにさせ、真理を求めてはならず、貴方を奴隷化し、搾取する為であった。

こうした方法で指導者達は、残念ながら完全に成功を収めた。しかし今や、地球人の貴方は、再び貴方自身に戻り、貴方自身の想念を一人で学習し探究し発見せざるを得ないのである。

人間が自己の内部に真の光を見つけなければ、たとえ何千人という教師や予言者を送ったとしても、彼の役には立てないのである。何故なら、内的生命の形成、出来るだけ完全な自己充足、創造から与えられた生命の力の自覚を、真に発見し、理解し、認識することに、人生の真の意義があるということを、認識出来ないからである。

この認識が可能になるのは、根本的真理を絶えず全力を尽くして探究し、解明し、貴方が貴方の内部の最も奥深い所に静かに入り、真の意志力によって、真の真理を探究し認識し、真にそれを受け入れた時である。

真の真理の・大きな特徴は愛と、知識と、英知の存続、永続性である。

人間は、人間的立場から物事を考え、真理に従って考えようとせず。自分の人生。行為、感情などの全責任を負わずに、快適で立派で正しい人生が送れると確信している。私はこうした考え方に異義を唱えるつもりはない。人間は自分の責任を、自分で負うつもりはなく、又、負うことが出来ない。

何故なら、彼は自分の責任と運命を、ハイアラーキー(神智学によって主張されている大師の集団「聖同胞団」である)の力に譲渡するからである。しかし、この信仰は、決して霊的王国へ至る道でも出発点でもない。

信者は、自分の五感で、霊の王国を認識出来ないので、使徒パウロの間違った教義に頼り、信仰が知識になれると信じている。しかし、信仰がどうして知識になれるだろうか。

何故なら、信仰は永久に実証不可能な事柄の上にのみ築かれているので、決して証拠を提供することは出来ないのである。これに対して知識は、常に合理的思考の上に立ち、確実性と絶対的論理の中に堅固に確立されている。

信仰者と違い、知識に依拠する者は、この方法に。よって、多くの創造の事柄、規則、決定、法則、掟を理解することが出来、又、完全に認識出来るのである。

確かに地球人よ、いずれ貴方は地上の生活を終わり、古びて使用不能になったコートを捨てるように、貴方の物質的肉体を置いてゆく。

貴方が肉体を脱ぎ捨てて、死によって貴方の物質的生命を離れた時--これはどういう意味か。

死とは、本質的に何を意味するのか。死んでもなお意識は続くのか。

貴方、つまり、貴方の霊はどこかある所へ行くのか。そこで何が貴方を待っているのか。そう、私はよく知っている。


儀式宗教は次のように言っている。魂は肉体の死後別世界へ行き、とにかくある期間そこで暮すと。しかし、どんな真理、どんな真実がそこに隠されているのか。そして、死後なお生き続けるこの魂(Seele)とは、一体何か。死後、なお生き続けるといわれるこの魂は、儀式宗教の全く無意味な慈悲である。肉体の死と共に、魂も死ぬのである。何故なら。魂は肉体と同じ物理的要素で出来ており、肉体と同様に滅すべきものである。ところが現在異端思想が地球人の間に生じ、魂は死後も存続すると教えた。

単純な信者は、真実に無知な為に、魂は不滅であると信じている。しかし、実は、魂は感情の中枢を表わしており、これはプシケー(Psyche)のことであり、感情中枢と思考世界から形成されるのである。実際人間が、精神現象に無知で無教養であると、プシケー(Psyche)が有機的-物質的なものではなく、霊的なものだという混乱した印象を持つのであるが、これこそ真理と正反対であり。全くの出鱈目である。

数千年前から。人間に関する不正確な観察の為に、魂はプシケー(Psyche)であるが、この説明にも、昔も今も一部分誤りが含まれているが、この魂が不滅で霊的性質を持っていると考えられた。しかし、真実はこのプシケー(Psyche)は、肉体と同様に死ぬべき運命であり、死によって肉体から生命が去ると。プシケー(Psyche)も死ぬのである。

人間が死ぬと、つまり彼の肉体が死ぬと、更に生き続け。別の世界へ行けるのはただ創造の一部分、部分霊のみであり。これが物質的肉体を生かしているのである。部分霊は更に進化を続けるように決定されており、霊界で一定期間過ごし、その後再び新しい肉体をまとって地上に生まれ変わるのである。この点に関して、貴方は様々な疑問を持つだろうが、しかし、貴方は事実を知らねばならない。それは、地球人である貴方が。次のことをはっきり自覚する必要があるからだ。すなわち、貴方は自分の人生を意識的に決定し、この出発点から貴方の進化を正しい方向に向け、死の本質を理解する為である。そして、貴方は物質的世界と反対の世界に行けば、何が貴方を待っているのか、一定期間霊界で違った形態で生活するのだが、それがどんなものであるか等について事実を知るべきである。

もし、人間が死の瞬間に何が起こるのか、霊界で何が待っているのか、来世の生活はどういうものかに関する事実を知れば、多くの人は若干の問題を改めて熟考するようになり、彼らが今まで勝手に行ってきたことや、信じてきたものとは違ったやり方で、自分の人生を形成し歩んでいくだろう。現在彼らは儀式宗教の洗礼を受けており、それによると、死んだら、飢える者はいなくなり、人間として決して再生することはなく、最後の審判の日まで待たなければならず、その時初めて再生が許されるだろうなどと信者に教えている。

聖職者達は、もし彼らが信者から富を寄進させて私腹を肥やしたり、裕福な生活を送ったり、神の代理人を勤めたりすることをやめれば、彼らはこの問題について、真実を知ることが出来、大衆にも教えることが出来るであろう。しかし彼らは明らかにこの役目を楽しんでおり、一般大衆にも、まして自分自身に対して、真の真理を教えようとする気持は毛頭ない。

彼らの心の奥底には儀式宗教が居座っており、それが真理を教えたり、その代表者に真理を教化するのを禁止しているのである。いかなる事情があろうと、聖職者は儀式宗教以外の教えに向かうことは決して許されない。

そんなことをすれば、邪宗徒として破門されたり。儀式宗教の絶対的支配を侮辱した者として、又、神、聖者、その他後光を頭上にいただく様々な聖霊や、天使の完全な支配を侮辱した者として、追放されるのである。しかし、儀式宗教とその代表者達は、現在まで地球人に真理を知らせなかった。その理由は前に説明した。彼らがそうしたのは、創造や他の偉大な者達に強制されたからではなく、自分達の発意から行ったものであり、信者を抑圧し、隷属させ、搾取して自分達の利益を得たのである。

創造は、地球人の貴方に、貴方の行為を強制したことはほとんどなく、儀式宗教と、その代表者の異端教義や妄想を受け入れたり、物質主義的思考や行動に陥って、真理をかたくなに拒んだりすることを強制したことはなかった。

貴方は今まで誤った道を歩いてきたし、愚かにもこれからも暗い未来へ向かおうとしているのは、創造の罪ではない。地球人よ、貴方がすべての罪を背負うのである。貴方自身が、儀式宗教とその代表者に身を任せたのである。宗教がいかに暗殺、異端審問、迫害の手段に訴えて、貴方の真理への探究、その承認、その確実な証明への努力を。強制的に阻止しようとしても不可能である。誤りはすべて貴方の中にある。

誤った、不十分な、陳腐な、愚昧な思考と行動、これが貴方の罪のすべてである。

地球の人間よ、私は知っている、貴方が清澄さを求め、欲していることをその清澄さを、本書を通しして貴方に与えよう。もし貴方が喜んで、それを受け入れ、本書で指示された通りに考え、将来もそのように行動しさえすれば-―ということは、つまり、この清澄さを貴方自身のものとし、理解して実行することである。

「探す者は見い出す」--これはイマヌエルがすでに約二千年前に地球人に教えた教訓である。

私はこの助言を今繰り返し、その正しさを証明することが出来る。「探す者は真に見い出す」人間的理解と性急さから「見い出す」のに長い時間がかかるかも知れないが、それは長年の準備期間が必要であるからだ。つまり、長い時間かけて学習し考察し理解し、ついに目標に到達するのである。真理を把握する為には、実に長い準備期間が必要である。しかし、地球人よ、それには何の不思議もないのだ。

何故なら、貴方はあまりにも長い間無知の道、破壊の道、迷妄、利己主義の道を歩んで来た為に、短期間にすべての正しい知識を集め、評価し理解することは不可能になってしまっている。何千年間も誤った生き方、混乱した生活をした後で、急に真理の道へ入り、真理について、何がしかのものを知り、更にそれを完全に理解することはとうてい出来るものではない。

貴方は無知の海、批判、否定、わき道の海に深く沈みすぎた為に、真理のすべてを、非常に短い時間で達成することは出来ない。現在貴方は、基本的な教義、解説、助言を必要としており、更に賢明な教師や、指導者による多くの援助が必要である。彼らは徐々に、しかも絶えず貴方を向上させ、貴方の知識の形成能力を発達させてやり、貴方が完全な理解力を身につけて真理の芽を受け入れる段階まで貴方を指導するだろう。

地球人よ、貴方はまさしく。貴方自身の罪によって、無知の大海に深く沈んだのである。そこから浮かび上がるには、独力でいかなる困難にも耐え、乗り越えるだけの忍耐力と獅子奮迅の努力がなければならない。何故なら、他に方法はないからだ。貴方は徐々に、物事の関係を学習し理解しなければならない。そしてそこから、自分の思考力を使って真理を認識し、それから受け入れなければならない。貴方が最高の認識を受け取るまでの水準に達し、それに熟達するまでは、貴方は自分を克服することに全力を尽くさなければならない。

そして貴方は、現在の自己に満足せず、常に自己を成長させなければならない。こうして、貴方は謙虚になり、いかなる誇大妄想も、物質的力も、貴方に永遠の生命を与えることは出来ないことを悟るのである。この悟りは、貴方に更に次のことを明らかにさせる。たとえ死が、富める者、貧しい者をつかまえて、あの世へ送っても、貧富の差は何の影響力も与えないのだ。死が貴方を捕え、貴方の生命の時計が尽きてしまい、今まさにあの世へ出発する時に、貴方の持っている何十億円という金は、貴方の生命を一秒たりとも延ばすことは出来ないことを、貴方ははっきりと知るはずだ。

根本的立場から見るとレ物質的頭脳から霊へ至る道は非常に短く、その距離は無に等しいのだが、しかし、地球人の貴方にとって、霊の王国へ至る道は非常に長いのである。

各人が誤った道を改めるか、それとも旧来の道を歩み続けるか、その選択は、貴方自身の意志にかかっているが、その決断には長い時間がかかるだろう。

貴方は、貴方の進化を正しい方法によって実行する用意があるか、それとも、世俗的物事に快楽を求め。権力、欲望、貪欲、娯楽等を追求し続けるのか。従って、とても小さな誤りを改めるにも数百年、数千年を要することがありうるのである。

その唯一の原因は、貴方の生活が完全に世俗的、物質的意図に基づいており、貴方の唯物論的な頭脳を進んで改造せず、自然の法則に忠実に従った生活を送らないからである。

私は地球人にこう問いたい。

「貴方は、貴方の誤った意見をいつまで持ち続けるのか。いつ貴方は平和、愛、光、喜びのない存在から脱け出るのか。貴方が、真理とすべての創造の法則の助言を理解し受け入れ、努力して貴方の中に実らぜ、実践し。こうして自分の人生を歩むのは、いつのことか。これは太古において、万物が創造された時から決定されており、他の生命と同様に、貴方もそういうふうに決定されているのである。」

万物の霊長と自称している地球人よ、

真理のみが、貴方を自由にするということを、貴方は真に理解出来るか。

真理は貴方を自由にするだろう--この言葉は、イマヌエルが地球人に助言したものだが、貴方は(その貴方に、私がその言葉を今話しているのだが)この言葉を一度でも熟考したことがあるだろうか。

一度でも取りあげたことがあるだろうか。-- 一否である。

貴方はこの言葉をこの瞬間まで考えたこともないし、取りあげたこともなかった。今まで、貴方は非常に深い悲哀の中で生活してきたし、真実の真理から離れ、創造の法則の最も小さな部分さえも実践しなかった。貴方は部分的に、徐々に停滞に陥ることを自ら強制し、益々自分の意識を混乱させている。

今まで無数の地球人が同じことをやってきたし、狂気の家で生活している。そして貴方はこの事実を直視しようとしないし、理解しようともしない。従って、貴方は心の狂気が、霊の病気ではないということに全く気がつかない。

(霊の病気は存在しない。何故なら霊は病気にかからないからである)

しかし、物質的意識は、誤った指導と混乱によって病気になり、貴方はこれを狂人と呼んでいる。

しかし狂人が清澄さを取り戻し、狂気の原因を理解し、排除する努力を続ければ、狂人の90%以上が治るということにも貴方は気がつかない。

もし、貴方が少しでも真理に注意を払うならば、今日狂人が治らないケ-スが多く、彼らは死ぬまで無為に過ごすという戦慄すべき状況を一目見るだけで、貴方も何か考えざるをえないだろう。

しかし、貴方はこういう問題から意識的に目をそらし避けている。そして、昔から言い古された言葉を貴方は吐く。

「何で俺が、同胞の番人とならねばならんのかい」

これは実に嘆かわしいことであるが、地球人よ、貴方は自分を非常に偉いと評価し、親切で無敵だと思い、この誤り--自分は他人の番人ではない--と、その責任を全く感じていない。この誤りの重さはあまりにも重すぎて、地球はもはやその恐るべき重さに耐えることが出来ない。

貴方はこの問題をあまり、又は全く知りたくもないし、或るいはそれを知る権限もないとか言って、不誠実な逃避に終始し、卑劣なやり方で、自分の責任を回避しようとするだろう。しかし、この責任は貴方を解放させないし、いずれ貴方のところに回ってきて、貴方の義務は、今の二倍の仕事になることを貴方は知らないのだ。

次のような事態が、貴方の身に起こらないともかぎらないのである。

貴方は、今日までは健全で正常な人間だが、明日、又明後日、又は次の生まれ変わりで狂人になってしまうかもしれない。そうなると、貴方は精神病院で余生をみじめに無為に過ごすことになり、人々から忘れ去られて、貴方の自己進化は停滞する。たとえ、貴方の物質的意識が正常化する可能性が残っていて、貴方の同胞が責任を思い出し、貴方を助けようと思っても、それを実行しようとしないだろうし、又、出来ないだろう。

儀式宗教の狂気は、貴方がこの責任を引き受けることを勧めないのである。何故なら、貴方の宗教の狂気によれば、(誤りの多い)信仰教義に反対することは不道徳であり、真の真理に向かって努力することは、悪質な罪であるという。

真理は、実証不可能な信仰教義とは決して関係ない。

なるほど、健全で真の方法で責任を取ることは、地球人の貴方にとって非常に困難かもしれない。しかし、貴方の信仰が次のように説くのは、いかに卑しいことであるか。

(神は貴方を通して、狂人の運命は狂人自身の手に委ねた。)

何故なら、神はこの問題に関して、貴方に最大の自由を与え、貴方が正しい行いをすることを願っているからだと。

邪悪な利己主義と、独裁制に影響された、このような狂った考えや妄想は、神を信じ、儀式宗教を信じる人間のみから起こるのだ。

しかし、真理の為に生き、万物の力の根源としての創造を真に認識した人間は、そういう考え方はしない。

人間は、神と神の事柄の為に自由を与えられており、自己決定権が与えられていると言われている。

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004


しかし、地球人よ、一度でいいから、私の質問に答えてくれないか。

貴方の自由はどこに確立されているのか。

儀式宗教の神は、貴方にただ命令をするだけで、貴方のすべての自由を奪ったのではないのか。

何故なら、貴方の誤った行為はすべて罪であり、貴方の人生の最後の瞬間に、貴方の罪を謝罪し、赦免してもらう機会を失えば、貴方は必ず地獄とサタンの所へ落ちるそうだ。

こうした見せかけの、神の恩寵から与えられた貴方の自由とは、一体どこに存在するのか。

生命の死は、すべての終わりにあらず
新しい門出、出発なり
何となれば死は新しい生命、よりよき生命へ向かう手段なり

正に、その通りである。

死は滅すべき、物質的、この世の生命が、反対の領域の生命へ移行することの変化にすぎない。

それは再生によって、次の物質的生まれ変わりを準備する為である。

死は通常の睡眠とは根本的に異なる。

すなわち、霊と死体は永久に断絶しており、次の覚醒(生まれ変わり、再生)の為に新しい物質的肉体を造らなければならない。

これからはっきりすることは、霊が死体からいったん去ってしまえば、決して元の死体に戻ることはない。

地球人よ、しかし、反対の証拠があると言うだろう。

つまり、多くの人が臨床的に死んだにも拘らず、医学的な努力によって、様々な処置を講じて、死体を生き返えらせた事実があると主張する。

確かにそれは正しいことだが、但しこれは条件つきのケースである。

ある意味では、これは多くの場合仮死にすぎないが、医学はこれを認めていない。 

この仮死は、物質的身体め活力が極度に低下し、生命機能が最小限度の極限状態に達し、地球人に現在知られている最高の技術機械や反応検査でも、生命の維持機能を記録することが出来ないのである。

この状態では、身体は臨床的に死んでいるが、それでもなお生命は生き続けているのである。

生命は最低の状態にある為、地球人がその機能を記録出来ないだけのことである。

仮死状態は、生命のリズム、反射、生命機能が、最低の減速水準にある。

つまり、仮死状態の肉体の生命機能は、最も遅くなるので、一呼吸が数時間続くこともあるし、或るいは百年間(もし仮死状態の中で彼がそう望むならば)続くこともあるが、その場合、おそらく彼の肉体は12から24時間歳を取ることに滞まるだろう。

この極端な生命機能の低下の状態を、地球の医学は記録出来ない。

何故なら、彼らはこれに関する必要な知識も所有していないし、この過程を記録する必要な装置も持っていない。

仮死状態にいる人間は、仮の死という特徴からもわかる通り死んでいるのではない。

つまり、人間の内部に宿っている生きている霊は、まだ肉体を去らず、肉体を生かし続けているのだ。

同様に物質意識もまだ機能しているが、それは、しかし、非常に遅い速度である。

こうした仮死状態の人間を、医学は臨床的に死と宣告する。

(しかし、実際には死ではない)

そして仮死状態の人間は、いわゆるその状態の経験を「死から舞い戻った」と報告する。

ところが、事実は、この「経験」は、物質意識の描いた像であり、その想起にすぎない。

この物質意識の像は、仮死状態でも完全に機能する潜在意識と、霊との協力で惹起される。

確かに現代医学は、人体の死の確認に関しては、多くの対応策を持っている。

例えば、指頭を針で刺したり、その他さまざまな方法で、人体が死んでいるかどうか調べる。

彼らの意見によれば、仮死状態の人間は、苦痛等に対して反射的な反応をしなければならないというのである。  

しかし、仮死状態の人体はそんな反応はしない。

この肉体は、医学に知られた反射的反応はしないのだ。

というのは、仮死状態の人体の生命は、その機能が通常の百万分の一に減速しているからである。

しかし、これは現代医学が知らない事実だ。

そしてこの仮死状態の人体は、実際には医学の知らない仕方で反応しているのである。

生命組織と生命機能の活動が極端に遅滞しているので、反応速度が極度に遅くなり、指を微かにぴくりと動かすだけでも、十時間以上も時間がかかる。

そういうわけで、医者はこの現象を理解出来ないし、観察も出来ないのである。

人間が手術の最中に死ぬと、臨床的に死んでいると見なされるが、実際は、これは仮死状態にいるにすぎない。

通常の仮死状態は、手術以外の要因によって生命機能の遅滞が起こる。

中途半端な合理主義者でさえも、しばしば死後15分、又は20分経ってから、心臓マッサージ等によって、仮死状態の人間の「生命」を取り戻す事実を知っている。

真の死に際しては、霊は電光石火肉体を去る。

そして霊が、同じ肉体に戻ることは絶対にありえない。

しかし、仮死状態が、医学的治療、ショック、事故、病気、又は冷凍等によって引き起こされた場合、霊はその肉体から去らず、その中に生き続ける。

その時人体の機能は何百万分の一に低下しているが、その仮死状態から「生き返る」ことは可能である。

地球人よ、これが仮死に関する私の説明であるが、貴方は私の説明を読んで、その一部、又は全部を受け入れるかもしれない。

何故なら、この説明は貴方に論理的に思えるからである。

しかし、この説明を受け入れるのは、おそらく貴方だけかもしれず、地球の医学は否定するだろう。

医者のいつもの文句を私はよく知っている。

「貴方の大袈裟な説明は十分聞かしてもらった。しかし、私だけはそんなことは信じないよ。」

貴方もご存じだと思うが、私の説明に対する医者の反応と同じように、一般の地球人も、真理と霊の教えに否定的反応をする。

ここに難点が存在するのである。

私が説明に百万言費やしても、無意味である。

何故なら。たとえ種が肥沃な土地に落ちても、邪悪な人間がそれを踏みつぶし、破壊してしまうからである。

私がこの本で真理について、貴方に詳しく説明し、教え、指導することが、果して意味のあることだろうか?

確かに貴方は本書の読者として、勿論意味がある、と答えるだろう。

貴方自身、本書を全部読んで感謝したい気持になるかもしれない。

しかし、貴方が残りの人類のことを考えた時、これがまだ意味があると言えるのだろうか?

貴方はこれが、まだ価値ある行為であるという意見をお持ちであろうか?

さて、貴方にここまで私の言葉を読んでいただいた。

そして、何故私がこうして書いているのか、と問うかもしれない。

私がこうして苦労して書くのも、又、価値があると思うからだ。

何故なら、貴方一人でもよいから、一人の人間として、貴方がこの本を通して、真理に一歩でも近づければ、この本が役に立ったことになるからである。

ここまで読んで下さったのは、貴方だけであるし、又、貴方は、私の今までのすべての説明と、私が本書を更に書き続けて、最後まで書き通すことに価値があると思っていられる----そういう理由で私は本を書いているのであり、もし、貴方が理解出来るなら、すべてを説明したいと思う。

地球人よ、貴方は、貴方のよく知っている五感によっては、死と霊界のことは何も理解出来ない。

又その五感は、貴方を生かすことも出来ないし、霊的力、感化力もない。

これを認識する力は、わずかな人達にだけ与えられている。

それは真理の為に生き。他の二つの(貴方に知られていない)感覚を、真理の為に活用する人間だけに許されるのである。

これに最もふさわしい言葉がある。

「目もそれを見ることが出来なかった。耳もそれを聞くことが出来なかった。それは人間の心にも入ることがなかった。それは創造が愛の七の法則によって準備した。創造は真理、知識、愛、論理、英知、の為に真に生きる人間の為にそれを準備した。」

しかし、これはいつか何もしないでも人間に与えられる神の恩寵ではなく、苦労して学習し、体得するものである。

地球人は、決して病気にかからないハンザ種族(この種族の存在については理性的人間なら疑うことはないが)に関する情報をわずかしか持っていないが、これと同様に、霊界における、霊の生活に関する真の知識はほとんど知られていない。

その為に、無数の儀式宗教や迷信によって、この問題に関して、全く無価値な考え方が世界中に氾濫している。

こうした誤った考え方を広めた人物は、ヤコブ・ロルベル、ゴットフリート・マイエンホッファー、ユング・スティリング、ユスティヌス・ケルナー、ヤコブ・ベーメ、エマヌエル・スウェーデシボルグ、ヨハネス・ゴンメル、シュンダール・シン、その他多くの誤った指導者である。

キリスト教会は、こういう指導者を誤った方向へ導くだけでなく、
死後の生活に関して信頼出来ない、妄想に満ちた教義を教えている。

地球の、他のすべての儀式宗教も、何千年前から、死後の霊界における、妄想に満ちた誤った教義を説教している。

その結果、大多数の人類が、この重要な問題に関して、完全に無知にさせられている。

彼らは死に対して、誤った仮定を期待している為に、あの世へ行く時に恐るべき苦痛と戦慄を経験するのである。

これが現代の最大の悲劇の一つである。

私は人間である
しかし、私は誰であるか、知らない
私は人間である
しかし、私はどこから来たのか知らない
私は人間として生きている
しかし、どのくらい生きるか、私は知らない
私は人間として死ぬ
しかし、いつ死ぬか、私は知らない
私は人間として歩いている
しかし、どこへ行くのか、私は知らない
私は人間として、
それでもなお陽気でいられるのが不思議なのだ

人間の最後の時、彼がいずれ死を考える時、死が彼をいきなり捕える時、一般にすべての喜びは消える。

たとえ彼が、実際には想像もつかないほど死の恐怖に怯えていても、それを告白しないとしても、すべての喜びは消滅する。

死後どうなるのか、少しも、あるいは全然関心を持たない人間が、数多く存在する。

彼らはただ生き、捜し、急ぎ、手当り次第に物をかき集め、それを出来るだけ長く楽しむ。

しかし、やがてそれは無知のゆえに苦しみに変わり、準備もなしにあの世へ移行し、そこですべては終わると信じているのである。

これが彼らの外見であるが、しかし、彼らの内面は実際どうだろうか?

一般に彼らは臆病で暗愚である。

ところが彼らは、そういう素振りを外見に出さない。

そして自分を他人より偉く見せようとして豪語する。

しかし真相は、彼らの死に対する恐怖があまりにも大きく、その恐怖を自分の力で抑制出来ない為に、死について考えたり、ましてやそれを話題にすることは全く出来ないのである。

人間は様々な意見を持っている。

次のように考える人もいる。

創造は次のような命令を出したが、それは間違っている。

どんな命令かというと、人間を無知にさせ、誤った人生哲学を持たせ、誤った思考と行為に走らせ、誤った生活を送らせ、人間に苦い経験をさせているからだと。

これは本当に創造が悪いのだろうか。

否、絶対にそんなことはありえない。

人間がそう考えるのは次の点を理解しないからだ。

創造はその法則、掟、規則を通して人間がすべての必要な人生経験をする為に、彼に自由に判断する力を与えたのだ。

これは人間が完全に気ずいていないことだが、創造は人間の事柄に全く干渉しないし、従って、人間は彼の思考、行動、感情などにおいて、絶対に自由であるということである。

人間はこの自由を十分に意識しているにも拘らず、別のことを言ったり、更に自分は物知りだと考えたりしている。

そして彼は、どういう行為が誤りの原因かという正しい考察もせずに勝手に行動している。

人間は自分の過失が、自分の誤った思考と行為の仕方にあることを認識せずに、自分の失敗を創造に転嫁し、すべては創造の責任であり、創造が間違っていると主張する。

これは全くバカげている。

すべての悪行は、人間の誤った生活態度、誤った生活実践、誤った思考と行動から生じたものだ。

それ以外にはありえない。
           
人間がそれを自ら認めようとしないのは、物質主義的生き方、利己的生き方を続けたいからだ。

人間は自分のすばらしい成功は、すべて自分の力と努力のせいにする一方、自分のすべての邪悪な経験は、創造の責任にし、創造がすべて責任を負うべきだと思っている。

人間はこういう悪質で安易な方法をとるのだ。

これが地球人の実態である。

地球人よ、貴方は誤った指導を受けているので、この堕落した状態から進んで脱却しようとしない。

貴方は、真の正しい生活に向かうよりも、様々な物質主義的生活に執着している。

まことに貴方に告げる。

貴方が世界のすべての財宝を獲得したとしても、いつかはそれを手離さなければならない。

しかも、貴方の生命と意識を傷つけて獲得したのであれば、その財宝は何の役に立つのか。

私はよく知っている。貴方がこの真剣な質問に、あまり、あるいは全然注意を払わないことを。

地球人よ、次の事実を直視せよ。

貴方は最後の衣服、すなわち経かたびらをいつかは着けることになる。それにはポケットが付いていない。

(つまり、あの世へ財宝を持って行けない)

この事実を学び、この認識から貴方の人生を調整し、不平をいわずに自分の使命を静かに実践し、真理を探究し、発見し、受け入れ、真の愛を生き、創造の法則と掟を実行し給え。

そうすれば、貴方に死が訪れた時、恐怖から解放されて霊界へ行くことが出来るのである。

貴方は平静な心で、そこへ行けるのである。

何故なら、貴方は霊界の生活について詳しく知るからである。

そして貴方は定義出来ないものに対して、恐怖を抱くこと無く、生から死への移行を遂行するのである。

何故なら、
定義出来ないものが、貴方にとって確実なものとなり、
実存する真理となり、
永久に証明出来るものとなるからだ。

愛は道であり、
真理であり、
生命である

人間よ、
愛の中で歩き、
喜び、満足せよ
愛に従え、
そして生命の道を歩け

地球のどの儀式宗教も、死後の霊界の生活について、あれこれと教えているが

(更に自由思想家や少数派のグループは、次のような妄想的意見を持っている。人生は一過性のものであり、死によってすべてが終わると考えている)

それらの考え方は、すべて混乱して誤ったものであり、真理のかけらも含まれていない。

霊の世界に関しては、十分に考察すべき重要な問題であるが、彼らは、真理の概略についてさえ知らない。

人間--すなわち彼の霊は、死後も物質界と反対の領域で生き続け、再び肉体をまとって生まれ変わるのであるが、この事実を知っている儀式宗教はほとんどない。

キリスト教が犯した最大の誤りは、次のような大嘘をついていることだ。

人間が死ぬと、彼の魂は別の世界へ行き、最後の審判の日まで、そこで待つと主張することである。

この教義から様々な悪亜流が生まれたが、キリスト教の信仰告白であることは明らかであり、真理は含まれず、統一性もない。

汚れた魂を浄化する為に、通過しなければならない煉獄の信仰を受け入れることは愚かであり、人間の恐怖心が生み出した空想の極致である。

儀式宗教とその信者の空想は、これだけで満足せず、無限にその羽を伸ばし、誇大妄想の終点である自己賛美にまで達する。

多くの人間は、自分達の尊大さから、他人よりも特別に優遇を受ける価値があり、自分だけが永遠の生命を受けるべく選ばれたのだと主張する。

たとえばエホバの証言派は、次のような気違いじみた主張をする。

すなわち、昔から現在まで地球上に生を受けた何十億の何十億倍の人間の中から、彼らの団体の1 4万4千人だけが、永遠の生命を受けるというのだ。

全世界の死亡率に関する統計によると、毎秒一人死ぬという。

すると二日間では15万人以上の人間が死ぬことになる。

もし、慈悲深い天なる父創造主が、何十、何百億人という無数の人間に、生命と高い意識を与えておきながら、その無数の人間の中から、わずか1 4万4千人だけ選んで永遠の生命を与えるというなら--たった1 4万4千人が救われる--残りの無数の人間は煉獄と地獄で、千辛万苦すると言うなら--これこそ正に堕落した人間が空想する恐るべき狂気の教えである。

多くの儀式宗教団体ではこうした恐怖、ショックスリラー、戦慄を造りだす物語を信者に教えており。、何十万人。時には何百万人という会員を抱えておりながら、その中のほんのわずかの会員だけが永遠の生命を与えられるという。

こうした考え方は、人が冷静に考えてみれば、白痴としか言いようがない。

人間がこうした迷妄的信念に献身し、不安と恐怖の下で信仰生活を続け、自分が永遠の生命を授けられる、好運な人間の仲間に、決して入れないのではないかと、常に危ぐしながら生きている・・・・。

そういう人間こそ愚者であるということを---考えるだろうか。

このような宗教団体の指導者の立場から見ると、問題はまったく違ってくる。

この指導者達は、自分達が教えている(バカげた)教義を全然信じてはいないし、

その教義は、信者を恐怖と戦慄に陥れ、彼ら(信者)を搾取し、強力に支配し、彼らが進んで真の真理を探究しないようにする為に役立つことをよく知っているのである。

前にも説明したが、死後の生活と霊界に関して、一般に流布している概念は次のようなものだ。

人間が死ぬと最後の審判まで眠り続ける。

それから彼はトランペットの合図で覚醒し、親切な神によって地上で行ったすべての行為に審判が下され、各自の判決に従って、煉獄から地獄へ行き永遠の呪い、劫罰を受けるか、それとも神の御足の下で永遠の祝福を受けるか(ならず者が救われないとすれば、永遠の祝福には疑問が残るのだが)のどちらかである。

愛は道なり、真理なり、生命なり
地球人よ、貴方が真理を認識すれば
真理は貴方を自由にするだろう

知識は、人間にとって重要である。

それは非常に重要であり、人間にとって何よりもまず、最初に必要なものだ。

何故なら、真に生きようとしたいならば、真の生き方を知らなけれぱならないからだ。

人生の鎖の出発点は、信仰ではなく知識である。

愛が道であり、真理であり、生命であると真に知る者は、愛の法則がすべての法則の中の法則--生命であることも知る。

しかし、知識の後には、実践が伴わなければならない。

あらゆる生命の真理は、創造の力と霊を、たゆみなく実践した結果現れるものである。

もし創造が、たとえ一瞬たりとも、自己の活動の中で、どんなに小さな事柄でも見落とすことがあるとするならば、それは制御不可能な、償うことの出来ない混乱を招き、全宇宙と創造自身を破壊するであろう。

創造は、この論理的真理を十分に自覚している為に、自己のすべての力を常に完全に活用して、愛、生命、真理の光を、全宇宙に充満させる為に活動しているのである。

こうして、すべての生命は、その光を吸収して幸福になるのである。

創造から造られた生命の使命と目標は、創造自体のそれと完全に同一である。

そこで人間に要求されることは、不動心を持ち、疲れを知らぬ活動家であれということである。

そして偽りの幸福である怠惰によって、自己の未来を破壊するなということだ。

そこで創造は、太古に、偉大な愛によってつくられた七つの法則を、自ら苦心努力して永久に実行し、生命の真実の最高の可能性を彼に与えるのである。

創造はこの実践によって、常に至る所で光となる。

光は創造の衣服である。

何故なら、全創造時間における、永久の疲れを知らない活動が、創造の基本的特徴であり、それが至る所を貫き、包むのである。

広大な、たゆまざる活動が存在するところには、広大な無限の光がある。

光自体は、創造の活動の可視的側面である。

活動が偉大で強力であるほど、光は一層大きく見えてくる。

創造の活動で見落としてはならない一点がある。

創造の実践活動は、完全な自由意志から行われているということである。これは重要な点である。

創造の活動が自由意志からではなく、しかも不平な気持からなされたならば、創造の放射する光は目に見えなくなる。

何故なら、創造の実践の力は破壊作用を生み、自ら混乱に陥るからである。

地球人よ、周知の如く、貴方の肉体が死ぬと、霊はそこから去り、肉体はやがて分解して土に帰る。

この事実を見て、貴方が次のような思いに至るのも無理からぬことである。

普通の場合、貴方は物質主義に幻惑されて、自分の肉体の幸福、自分の物質的利益の為にのみ働きたいと思う。

しかし、この生き方は永遠の価値はなく、貴方は一時的、破滅すべき財産と、無価値なものの蓄積の為に、自分の力と才能を浪費するのである。

貴方がそのように行動すれば、それが楽しかろうと苦しかろうと、貴方は肉の中で歩くことであり、貴方にとってそれは死と同じである。

それは次のように言われているからだ。

「肉の中を歩く者は死の中を歩く。彼のすべての欲望と貪欲は、虫の食物となる。」

人間よ、貴方が霊の中で歩くならば、貴方は愛の光にたどり着く
すべての生命の最初の泉にたどり着く
愛は全創造期間に存在するだろうし
全創造期間にわたって、自己を拡大し続けるだろう

そういう訳であるから地球人よ、貴方が霊的生活を送らない限り、貴方は肉のみに献身し、

それを管理するのだ。

しかし、一度貴方が、自己の中に高い価値が宿っており、それを育てなければならないことに気づいた時、貴方はやがて心の認識に辿り着く。

たとえ、貴方が物質主義、欲望、激情、娯楽などの脆弱な基盤の上に立っていても。

地球人よ、それに気付くことは決してむずかしいことではない。

もし貴方が、心の真理の助言に自発的に従い、儀式宗教の誤った教義から脱却しさえすれば、貴方がこの点について熟考し、自ら結論を出すならば、貴方はついに真理をつかむことであろう。

真理はすべての儀式宗教の罪と、狂ったドグマに関する教義や美辞麗句より、複雑なものではないのだ。

多少難儀であろうが、「タルムード・イマヌエル」を一度真剣にお読みになれば、イマヌエルの生涯と活動の真実の姿が描かれていることがわかると思う。

そして、読者は、人間の内部には何かが宿っており、それが彼のすべての恐怖、欲望、堕落から、彼自身を解放させくれるのだということを理解するだろう。

彼がこの真理の実践的教義を認識すると、彼は突然鳥になった気分になる。

こういう経験はしたことがないだろうが、彼に翼が生えて、飛びたくなり、完全に自由になり。空中を安全に飛行することによって、すべての危険から解放され、もはや不安はなくなるだろう。

鳥が大空を自由に飛ぶごとく人間も自分の中にすべての自由がある

鳥のごとく自由であるとは
悩みがなく自由であるということなり

最後の審判について、これほど意見が食い違う儀式宗教もほかにない。

一般に次のような狂った考え方が広がっている。

人間が死ぬと、何千年、何百年、何十億年間眠り続け、その期間が完了すると最後の審判の日に目が醒める。

おそらく次のような声がひびく。

「白骨よ、集まれ!」

彼はとにかく起き上がって、神の玉座の前に現れる。

執行猶予期間がかなり長かったが、神は各人の人生記録簿に従って、天国か地獄行の判決を下す。

この単純なバカバカしい話(神が人間になったという嘘よりましだが)だけでは満足しないようだ。

というのは、ある狂信的宗派は、次のような頑迷な主張をする。

神の掟を守らなければ、最後の審判で再生した後で、地獄に落ちて、永遠の苦しみを煉獄と地獄で受け、愛と喜びに満ちて生き続けることは出来ない

この狂気の教義は、更に次のように主張する。

1 4万4千人の、いわゆる魂が、何百万年、何十億年経過した後、無数の人間の中から選別されて、神の統治の下で、歓楽に満ちた豪華な人生を永久に享受する。

一方、選に漏れた、残りの無数の大衆は、恐怖、戦慄、拷問などあらゆる地獄の苦しみを味わう。

こうした戦慄すべき物語を、信者に説教している宗派や宗教自体が、しばしば1 4万4千人以上の会員、何十万、何億人という信者を抱えているが、彼らはこの事実を一顧だにしない。

しかし、信者会員は自分達が搾取され、バカな話を盲信していることに気付けば、いかに愚かなことをしているか、自分に疑問を持つはずだ。

この狂った信仰の為に、大半の会員が地獄の苦しみを味わい、昔から現在までのすべての人類(地球の誕生から現在までの人類の総人口は、あまりにも膨大で正確な数字はわからないが)の中から、わずか1 4万4千人だけが永遠の生命を得る--こういう主張の不合理性に信者は気づかなくてはならない。

この主張によると、無数の人類の中から、一人の人間が救われる見込みはほとんどない(おそらく、一人の人間が助かる確率は一兆人に一人。

こういう迷妄にとらわれた信者は、夢中になっている為に真実を識別出来ない。

こうした宗教の代表者は、このような事情にも拘らず、神は慈悲深く公平であると説教し、布教出来る人間を求めているのである。

この人間が信者に恐るべき嘘(信者がこの嘘を見破ることは難しい)を吹き込むのである。

人々は殺害者、ならず者、大虐殺を行う者、野獣を父と呼ぶ。

この父は、多くの子供達の中からたった一人だけを受け入れ、その子供の高潔な行為に対して贈り物と祝福を与える一方、残りの子供達--たとえば8人--に対しては父は彼らを一生涯虐待し、殴打し、餓死させ、拷問にかけ、殺すのである。

何故ならこの8人の子供達は、一度誤りを犯したことがあり、それを十分に反省し、二度とその誤りを繰り返すことはないのだが、唯一度の過失の為に、最も重い罰を受けなければならないのである。

ここで人間は、想像も及ばない不正が起こる理由がわかるだろうか。

人間は、右の9人の子供達の父よりも、一層邪悪で堕落した神と同じことをやっていないだろうか?

人間は非常に臆病だから、神を極端に恐れている。

だから彼は、異端教義を吹き込まれている為に、神が無数の人間を殺した事実を認識出来ないのではないか。

それとも人間は狂ってしまった為に、この残酷な事実を理解出来なくなったのか。

それとも彼は熱狂のあまり、妄想にとりつかれたのか。

人間が現実を綿密に熟視すれば、自ら明らかになることだが、彼が今だに天なる父と神について、すべての人間を愛する慈悲深い神と考えているのは正に矛盾している。

それは全く慈悲深い存在ではない。

何故なら、これらはすべて論理に反しており、矛盾しているからだ。

まことに、これは確実に起こっていることだが、人間の地上生活は、いくら助言や教育や警告を与えられても、自分の人生を悪用し、地上的、一時的財産を自分の為に集めることに専念し、盗み、殺し、霊的進化が停滞し、あらゆる世俗的、物質的事柄に巻き込まれ、束縛されている。

その結果、彼は平和の無い、愛の無い、喜びの無い境遇をづくりだした。 

彼がこの境遇から脱却するには、数年や数十年では不可能だ。

あるいはどんなに年数をかけても不可能かもしれない。

こうして彼は、この状態を死ぬ時まで持ち続ける。

そして彼は死の世界に入り、終了すると、再び地上に再生する。

だから次のことが起こることも考えられる。

この状態が次の生まれ変わりでも持続され、死が訪れて、更に生まれ変わった時にも、この状態はなお続く。

こうして多くの輪廻を繰り返し、何世紀間も、何千年間も、この状熊は持続する。

しかし、ついに彼は熟考し、自ら真理に近づき、真理の道を実践し、受け入れる。

これは(無数の輪廻)、儀式宗教や宗派が説くように、人間を恐怖と戦慄に追い込む地獄と煉獄と同じではない。

確かに地球人の人生学校は、人間にとって容易なことではない。

しかし、人間の真実の人生は、たとえ、彼のすべての生まれ変わりを通してみても、儀式宗教や宗派の説くような、恐怖を経験することはほとんどない。

人生は困難だ。人間として、物質的肉体の中で人生を生きる場合は、特に困難だ。

人生の困難さは、この人生においては過失は避けられないこと、そして人間は、その過失のみから自己の誤りを認識する点にある。

ある意味では、彼は過失の償いを常にしている。

というのは一般に過失を犯すと、それが彼を傷つけるからだ。

この痛手から、彼は自分の誤りを悟る。


すると彼は過失を繰り返さないようになる。

ところが、儀式宗教や少数宗派の偽善的教義によると、これは罰に値するという。        

罪には蹟罪、罪には罰が必要であるというわけだ。

この罪ほろぼしは、地上的なものではなくなり、又、心の痛手(過失を犯すと必ず現れる精神的障害--あるいは肉体的障害)だけでは不十分であり。地獄と煉獄において、永遠の苦痛を受けなければならないと言うものだ。

そして人間は、際限のない無知の為に、今だにこのバカな話を信じている。

人間が、真に進化の道を歩みたいという意志があるなら、過失を犯すことは必要であり、又、その過失によって障害を受け、そこから自己の誤りを認識し、その誤りを繰り返してはならない、これが進化を実践する真実の方法である--正に子供の学習と同じである。

子供はゆっくりと確実に学ぶ。

彼は間違いを犯した時、そこから生じる損害によって、二度と誤りを繰り返さないことを学ぶ。

誰か、それは私の言葉を理解してくれた貴方かもしれないが、誰かが次のような疑問を抱くかもしれない。

同じ誤りを何度犯しても、その損害から何も学ばない人間がいるだろうと。

しかし、その仮定は正しくない。

というのは、人間は、たとえ彼が中途半端な考え方を持っていても、同じ過ちを決して二度と繰り返さないものだ。

この点に関する真の事実はこうだ。

非常に困難な目標は、いくつかの下位目標から構成されている。

これらの下位目標は一つ、又は複数の関連性をもって結合されている。

一つの下位目標を全体から取りだして詳細に考察してみると、それは更に何十、あるいは何千という小さな目標から構成されていることがわかる。

これらの小目標を一つ一つ解決することによって、一つの下位目標が達成されるのである。

一つの目標は多くの小目標から成り、その小目標をまず最初に達成してから、上位目標を達成するのである。

人間はこの小目標を解決する前に、必ず間違いを犯す。そして彼は傷つく。

彼はこの傷を十分味わい、認識し、更に、この誤りを理解すれば、決してこの誤りを繰り返さないという教訓を得る。

このやり方で彼は、次の小目標に移り、解決しようとする。

今度の小目標も、前の小目標とやり方は必ず同じになる。

何故なら、この小目標は、下位目標全体の構成要素であるからだ。

そして今度の小目標遂行の際にも、又、過失を犯し、傷つき、反省し、同じ誤りを起こさなくなる。

この小目標が達成されると、次の小目標を始める。

こうしてこの過程が、何度も何度も繰り返されて。ついにすべての過失を経験し尽くすと、もはやいかなる誤り(過失)も犯さなくなり、いかなる損害、心の痛手も起こらない。

大きな過失は、多くの小さな過失から構成されている。

そこで少しずつ小さな過失を取り除き、ついに大きな過失を取り除くのである。

これらの小さな過失は、大きな過失の構成要素であるから、それらは全部驚くほど同じ性質を示すので、不注意で愚かな人間は、人はいつも同じ過失を繰り返すと考えるのである。

誤りを犯すのは人間であり、生命ではない
貴方は知識と真理を生きるべきだ

地球人よ、貴方がたの大部分は、ごう慢にも他の惑星や宇宙の星には、人間は存在しないと確信している。

生命は、この塵の粒程である地球にのみ存在する、このちっぽけな塵の塊だけに生命の種が芽を出したからだと。

儀式宗教の狂った理性は、次のような排他的教義を説く。

他の星にはそれが--地球と同じ大きさであれ、あるいは、地球の何千倍の、何百万倍であれ--生命は存在しない、何故なら神は、生命の存在の為に、地球だけを選んだのだ・・・・

その目的の為に神は、一人息子を地球に送った。

あるいは神は、自分を人間に肉化した。

それによって地球の人間を悪から救う為だと。

神は一人息子を地球に送った。

儀式宗教のおかげで、こうした意見を徹底的に盲信する人々は、他の星に人間が生きていることを理解出来ないのである。

又、他の星の住人達は、
神やイエス・キリストについて聞いたことがないこと、
他の宇宙の人間は地球人と正反対に、真に幸福な生活を送り、
喜び、愛、平和の中で生きていること、
更にみじめな地球人に比較すると、
他の星の人間は、想像を絶するほど発達していること、
その結果、大部分の宇宙人達は、星間旅行が可能になった

こと等を、彼らは認識出来ないのである。

この短い説明でも、次の事柄がよくわかるはずだ。

遠い未知の星に住む、すべての不思議な人種にも、まったく同じ創造の法則と掟が適用されており、地球人が物質主義的考え方や、儀式宗教の狂気に従って生活しているのとは異なり、他の星の住人の大半は、創造の法則と掟を忠実に実践している。

この法則と掟が地球人に要求していることは、
地球人はすべてに対して自ら責任を負わねぱならないこと、
最高の善--霊的進化を自発的に、独力で、苦労して獲得しなければならないことである。

霊の光で正しく輝いている外宇宙の種族は、地球人が摂取出来る範囲内のものしか与えない。

地球人は、現在自分達が陥っている
技術万能主義、
徹底的物質主義、
儀式宗教
(これら三つの事柄にのめりこんでいるその程度は、戦慄すべきものがある)
より以上の事柄を、習得する力がないのである。

地球人よ、イマヌエルがかつて次のように語った。

「滅すべき貴方の肉体は土に帰る。そして、それは不滅のものとして再び生き返るであろう。」

私もそれと同じことを言いたい。

貴方はこの言葉をずっと誤解してきた。

貴方はこの助言を物質的肉体のことだと思ってきた。

現在でも、貴方はこの誤った見方を変えようとしない。

この言葉は、貴方の物質的肉体を指すのではなく、貴方の霊的形態、つまり、貴方の霊的肉体のことであり。

これが肉体の死後、あの世へ移行し、新しい肉体をまとって、再生するまで、そこにとどまる。

そして、それは常に不滅である。

地球人よ、理解せよ。

永久に存在するのは霊のみである。

貴方の肉体や行為は不滅ではない。

それらは粗雑な物質と同様に死滅する。
 
人間よ、貴方は長い間惑わされてきた
悲惨と苦難の道を歩いてきた
貴方は儀式宗教によって混乱させられ
物質主義の牢獄に囚われてきた

貴方は間違った場所で生命をさがす
貴方は多くの苦悩に困惑され
真理の場所を見つけることが出来ない
何故なら、真理はいつも貴方から身を隠しているから

貴方は捜し疲れて、へとへとになり
ゆっくりと帰宅する
貴方の頭を深く垂れて、次のように期待する
熱い日光が、貴方の青白い頬を黒く焼くことを
しかし、貴方がどうしても知りたいのなら
真理をして、貴方を呼ばしめよ
真理は常に一定であり、唯一存在するものであり
生命のすべての愛の上に基礎を置く

地球人よ、無限の宇宙のどこを捜しても創造が造った地獄は見つからない。
   
何故なら、貴方自身の中以外に地獄はどこにも存在しないからだ。

それでもなお、地球人よ、貴方が、もしも創造のすべての法則と掟を無視し、自ら進んで、貴方自身の中に地獄を造ったとしたら、それは創造の責任だろうか?

愛のみが真の生命であり、万物の栄光であるから
貴方にとっても、次のことはよくわかるはずだ
愛のない状態、法則を破った状態はまさに地獄であると

地球人よ、霊の王国は貴方の内部にある。

このことを貴方はほとんど知らない。

実質的には、ほんのわずかしか知られていないので、貴方がまだ生きていることが不思議なくらいだ。

とにかく貴方は、この無知を取り除こうとする意志が全くない。

賢者がいつも貴方に、正しい道を明確に示そうと努力しているにも拘らずである。

貴方は真理を受け入れ、活用することを頑迷に拒否するのである。

貴方が真理を拒み続けるのは、貴方が自分の堕落した邪悪で頑固な感情にしがみついているからである。

貴方はその悪質な感情を、貴方の行為と同様に、理解したり分析する事が出来ない。

貴方は矛盾のない事柄に、矛盾を見る。

そして貴方の想念は、狂った回転を始める。

貴方は今日まで、正しい想念の持ち方を習得しなかった為に、真に論理的思考が出来ないのである。

地球人よ、貴方の真理に対する無知の為に、貴方は混乱した思考方法に固執していることを理解せよ。

確かに貴方は、人間社会の不正な出来事に気がついている。

それは例えば、行き過ぎた性行為。国家主義(民族主義)、ファシズム、人種憎悪などである。

実際貴方は、これらの問題についていろいろと憂慮している。

しかし、貴方は正しい思考方法を学んでいないから、貴方の想念は非論理的である。

従って、貴方はこれらの問題の病根にせまり、それを取り除くことが出来ないのである。                 |

貴方の思考力は、極度に微力であり、万物の真理について論理的な教育を受けていない為、貴方の思考過程は非論理的になり、想念が混乱してくるので、貴方は決して健全で正しい解決を見出すことは出来ない。

地球人よ、こうして、貴方の内部が混乱してくる。

そして無力感が生まれ、それに苦しむ。

その結果、貴方は問題を正しい方向に変えることが出来ない。

そして、貴方は無意識に自分の無力感を呪いはじめ、これが一般に貴方の内部に自己嫌悪を起こさせる。

しかし、貴方は何故そうなるのか理解出来ない。       

貴方は長い間、特に自分の過失を見つける方法を忘れていた。

その為に、貴方は自己嫌悪を無意識に拡大させ、ついに貴方は貴方を苦しめている問題を憎み、貴方が悪いと判断したすべての人間を憎むようになった。

勿論これは貴方自身のつくった迷妄である。

貴方はこの矛盾した憎悪を、自分の内部におし広める。

つまり、貴方は暴力的手段に訴えて、問題を解決しようとする。

この問題の原因は、表面的には外部から侵入したように見えるが、実は貴方自身が原因であり、貴方自身の内面の問題なのだ。

貴方は健全で論理的思考が出来ないから、真理と知識が身につかない。

だから貴方の混乱した頭では、暴力と憎悪という二つの解決法しか残されていない。

しかし、この解決方法は、貴方にとって正しいように思えるが。

実は決してそうではなく、ただ破壊と損害をもたらすだけである。

これは基本的には邪悪な自己不安(臆病)の上に築かれているので、暴力、テロ、アナーキズム(無政府主義)、殺人、無意味な自殺に向かうのである。

哀れな自己不安(臆病)と、自己無力感から、貴方はそのはけ口として、同胞に対して攻撃的になり、彼らに暴力を行使し、強奪し、殺害する。

あるいは、貴方は底知れぬ自己不安に陥って自殺をはかる。

貴方は自分の体にガソリンを注ぎ、それに火を付け、無意味な死の道を選ぶ。

これで貴方は、わさわざ同胞と責任者の注意を貴方に向けさせ、貴方が世界の問題に苦悩し努力していることを見せびらかすのだ。


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005

地球人よ、これらはすべて、貴方自身の不純で恥ずべき嘘以外の何ものでもない。

何故なら、貴方が同胞や自分自身を殺害する真の理由は、世界情勢を苦慮している為でもなく、同胞や責任者の関心を貴方に引き付ける為でもなく。

実は、貴方自身の過剰な自己同情(自己愛)と、果てしない自己不安なのである。

ということはつまり、貴方には現実の問題を論理的、適切な方法で考察する能力が全く無いからであり、更に自分の力で、あるいは第三者と協力して、将来現れるであろう、悪の原因を根絶する為の活動を始めないからである。

地球人よ、次のことは間違いないことである。

貴方の政治的殺害、無政府主義的殺害、テロ行為、自殺は、世界を苦しめている責任者者達や民衆にはなんの印象も与えないということである(盲信家達は例外である)。

同様にこうした謀殺、暗殺、その他の攻撃、焼身自殺、その他の自殺は、私にも何の印象も与えないのである。

何故なら、これらすべての示威行為は、過度の自己不安(臆病)、自己無力感、自己愛(自己同情)、そして最終的には、死の上に築かれたものであることを私はよく知っているからだ。

このようなことが起こる原因は、すべて貴方が自己を理解せず、論理的、健全な思考が出来ないからだ。これが真相である。

「霊の王国は貴方の中にある」イマヌエルは二千年前にこう語った。だから、霊を見つけることは可能だ。

そこで地球人よ、貴方が今まで見つけることが出来なかった霊を、自分の中に見つけるべきだ。

貴方は大抵自分の幸福を、外界や虚偽の儀式宗教や、宇宙のはるか遠い所に求めていた。これは残念ながら事実だ。

勿論、霊の王国は広大無限の宇宙にも見出せる。

そこには人間が住んでおり、彼らの内部にも霊が存在するからだ。

霊の王国も地獄も場所ではなく、内的な状態である。

次のことは自明のことである。

幸福で満足した人間の存在する場所もあるし、不幸で邪悪な人間のいる場所もあるということだ。

それらの場所は天国でも地獄でもない。

それらは単に、そういう人間が集団で住んでいる場所にすぎない。

そこは単に、彼らめ居住地や建物にすぎない。

例えば、大勢の健康で満足した人間が、美しい場所に住んでいるかもしれない。

そこはおそらく山中か森の中かもしれない。

彼らは創造の法則に従って生活し、自由な人間である。

ところが一方、暗く、陰気で、不潔な建物や洞窟に住んでいる人間がいて、彼らは誤った生活をしている為に、そういう建物を要求するのだ。

彼らは酒、激情、犯罪、陰謀、麻薬におぼれ、禁じられた行為にふけり、堕落している。   

これが人間生活の実態である。

物質主義と霊性の分離は、地球人が識別出来る以上に、厳しく鋭く行われる。

地球人はこの件に誠実な態度で注意を払わない。

まことにこの点に関して、次の古い諺が驚くほどに明白に実現するであろう。

「類は友を呼ぶ」

地球人は何千年も前からプラスではなく、マイナスの意味で、平等主義の為に働いてきた。

しかし、人間がようやくプラスの意味で団結する時が、いかに逼迫していることか。

このことに関して、地球人は再度徹底的に考察せよ。

陰険な意図を持つ者同志の集団の中では、個人がその集団の不正な意見や問題から目覚めて脱却することは、個人的に不正な事柄に関わり、そこから脱却する場合よりも、一般に非常に困難である。

個人が集団に属していない場合は、彼を悪い行動に強制する外的影響力が小さいから目覚めやすい。

個人の場合は、光へ向かう真の道を見つけ、理解し、歩くことはずっと簡単である。

一般に彼の環境が、悪いものは悪い、ということを少しづつ教えてくれるからだ。

ところが、マイナス--邪悪な団体に所属している個人は、絶えず悪い方向へ悪い方向へと無意識に強制させられる。

このことからはっきりすることは、いかなる環境も人間自身が造ったものであり、それが天国か地獄を導きだし、それはいかなる場所でもなく、内的な状態にすぎないということである。

結論

地球人よ、天国と地獄は貴方の死後、行くべき場所ではなく、貴方自身の内的状態である。

その内的状態は、貴方の思考と行動に基づいて、貴方自身が着実に準備しているものである。

そこで、貴方は泥棒の住居である最低の洞窟や、いかがわしい家に住むことも出来るし、又、貴方が泥棒の生活の悪に同意しなければ、極楽に住むことも出来る。

こうして、貴方は真の極楽に住むことが出来るのだが、残念なことに貴方は、自己を真に存在するもの(真理)と同調させることが出来ず、益々マイナス(否定的)の方向へ向かって生き続けのである。

貴方の一つ一つの努力、意図、感情、生き方に応じて、

貴方は自分の中に天国的な状態、地獄的な状態をつくりだす。

この天国的状態と地獄的状態の内容は様々である。

それは高い状態もあれば、低い状態もあり、貴方の生き方にそって形成される。

地球人よ、この方法で、天国と地獄が貴方に真に啓示されるのである。

人間は地獄を経験しなければならぬ、

天国を理解する為に

人間は、自分で蒔いた種を刈らねばならぬ

地球人よ、貴方はイマヌエルが説いたこの古い助言を少ししか気にとめず、あるいは全く無視し、又、全然認めなかった。

腐った種や雑草を蒔いたり、良い種でも雑草の中に蒔けば、芽も出ず、美しい花や貴重な果実を収穫出来ないことは、確かに貴方はよく知っている。

地球人よ、物質主義的意識と霊的事柄に関しても、これとまったく同様である。

すべての事柄に関して、外見上の面だけを評価し、それを死ぬまで続けてよしとする人間が、確かに存在する。

彼らは一生涯、創造の法則と掟を尋ねることはなく、物質的財産を蓄積し、享受し、同胞を徹底的にだまし、搾取し、ついに同胞の身体と生命を傷つける。

一見彼らの生活は高潔に見えるが、一度彼らの内面を徹底的に観察してみると、彼らが多くの問題に不満を持ち、不幸で、喜びを失っていることがよくわかるのである。

彼らは悲しみ、病気、心配、問題によって苦しめられているが、どんな手段を用いても、それらを克服することは出来ない。

ただ彼らに出来ることは、部外者にそれらをひた隠しにすることだけであるが、そうすれば、彼らは一層不幸になるだけである。

しばしば彼らは、幼い頃から殴打、病気。、失望、苦痛など、あらゆる種類の不幸に見舞われ早世する。

喜びもなく、恐怖に怯えながら死ぬのだ。

彼らは人生を全うすることもなく。真の生き方をしたこともなく、世俗的な事柄をしばらく楽しんだ後、空手で死という暗黒の無知へ赴く。

彼らは、生、死、霊に関する真理に無知な為に、死と悪魔を恐れ、言語に絶する戦慄をつくりだす。

最大級の盛大な葬列も、礼砲も、華やかな葬式の説教も、死の戦慄を消すことは出来ない。

何故なら、そういうものは、彼らの無益な物質的生活と同様に、滅すべきものであるからだ。

彼らは一生の内で、このような生活を変えることが出来る。

彼らは自分の力で変えることが出来るのである。

ところが、自己変革に関心をもたず、しかも、それを達成しようと努力する人間を嘲笑する者もいる。

たとえ、彼らが一生涯かけて努力しても、自己変革出来ない場合がある。

それでも、この初めての試みは、何もしないよりはましである。

この試みが、次の生まれ変わりに更に役立ち、こうして最後に目標を達成するのである。

しかし、最初の試みが重要である。何事も飛びこしは許されない。

進化に飛躍はありえない。人間の発達についても同様である。

地球人よ、そういう理由であるから、貴方は常に貴方自身が蒔いたものだけを刈りとるのである。

土はその特徴に応じた果実を生む。

又、農夫が土を耕す程度に応じた果実が出来る。

睡眠の長短によって、真理に関する様式、意見、心、行動様式、人間の寿命を変えることは出来ない。

それが出来るのは、ただ自ら意識的に思考することである。

睡眠が出来ることといえば、睡眠中に人間は自分を苦しめ、束縛し、運命づけている様々な問題を忘れていられるということだけである。

この忘却によって、思考過程は和らげられ沈静化しているので、その間悲しみは減少する。

しかし、又再び想起が出現するのである。

睡眠の偉大な兄弟である死についても同じことが起こる。

人があの世へ行くと、次の生まれ変わりに、彼の今までの誤った生き方が出現せず、肉体の死と共に今までの誤りがすべて消滅するということはありえない。

そんなことはない。

自分の犯した誤りは存在し続け、徐々に、しかも確実に理路整然として出現するのである。

もし、死によって、こうした問題がすべて取り除かれるならば、これほど楽で素晴らしいことはない。

こうした問題(人間の誤った生き方)を解決する為にこそ、人間は努力しなければならないのである。

もし、肉体の死によって、誤った生き方が消滅するのであれば、この考え方は、人間を誤った道に導き(こうした誤った考え方の為に多くの人間が誤った生活を送っているのは残念である)、悪徳と不道徳の生活を送るであろう。

その結果、人間の進化は少しも前進せず、進化への努力をいささかも実行しないだろう。

多くの人間は、死によって、すべてが忘れ去られてしまうので、その後は自分の好きなように生きることが出来るという、異端的見解を持って生活している。

人間の人生は一度限りの人生ではなく、彼が死ぬと生まれ変わり、前生と同様に考え、行動するものだということを半ば意識している人間は大勢いるが、彼らの中には、次のような誤った考え方をする者がいる。

人間は生まれ変わりを重ねるに従って、過去の記憶をそれだけ多く忘れられるものであり、新しく生まれ変わるたびに、前世の誤った生き方は消滅してしまうものだと。

この迷信によって、彼らは更に次のような妄想を抱く。

もし、彼らが地上で犯した不正な行為や殺人行為を、同胞や裁判官に糾問されたら、自殺をして責任を免れたらよいと。

彼らは自殺によって、すべての問題が解決されると信じている。

ところが、自殺では何も解決しないのである。

これはおそらく人間が陥る最悪の誤りである。

真実は別のところにある。

人間は死によって地上の責任を回避しようとする。

しかし、これで問題が消えるわけではない。

つまり、彼は死によって自己の責任を帳消しにすることは出来ない。

同様に、人間の誤った生き方も消失するものではなく、確実に存続する。

人間が死んだり、自殺したりすると、次の生まれ変わりで、今までの生活を、ま・つたく同じように始めるのだ。

つまり、彼は今まで営んできた人生、今までとまったく同じ進化の水準、これまで犯した過失や誤った生き方を再び始めるのだ。

これに加えて、若死の場合は次のようになる。

人が何等かの事情で若死すると、予定の寿命(普通自然死によって生命は終わる)が尽きる前に終了するので、彼の人生の未完了の行為が残ってしまう。

そこで法則に従って、未完了の行為を遂行しなければならない。

人間が自殺したり、あるいは、外部の暴力によって殺害された場合、後者の場合、例えば、彼が73歳で殺されたとしよう。

彼の予定の寿命が76歳であったとすると、あと3年間彼の行為は未完了になっている。

この人間は、この3年間の行為を回避することは出来ないので、それを生きなければならない。

そこで彼は死後あの世へ赴き、しばらくそこに滞在した後、再び新しい人間として、新しい肉体を持って生まれ変わり、彼の生活を続ける。

ところが、今度の生まれ変わりは通常の人生とまったく違う。

というのは、今度の生まれ変わりの人生の寿命は、前生の未完了の時間、つまり3年間である。

その期間が満期になると、彼は再び死に召されるのである。

さて今度は25歳の人間の例をあげよう。

彼の寿命予定は92年であるが、臆病が原因(失恋や絶望など)で、彼は自殺する(彼は自分の問題を克服出来ない為に)。

そこで彼はこの世を去るが、67年の人生を残すことになる。

生命と生まれ変わりの法則によれば、この人間は、再度誕生することが必要である。

彼の人生は通常の生まれ変わり(転生)と違い、67年間生存し、その間与えられた課題を完全に学習し、習得しなければならない。

彼の自殺、誤った生き方、問題などは、彼がそれらを完全に克服するまで繰り返されるのである。

ということはつまり、彼は死によって、自分の問題を解決出来ないのである。

彼は再度、同じ恐怖と苦悩をすべて体験し苦しまなければならない。

もし、彼が次の機会(次の生まれ変わり)に、自己の問題を克服出来ない時は、彼が当面する誤りや過失を完全に取り除くまで、何度も同じ苦痛(誤り)を繰り返す。

生命と転生(生まれ変わり)の法則は、儀式宗教の罪と罰の教義とは全く関係ないし、近東の新しいカルマの教えとも全然関係はない。

罪の償いやカルマの法則は、神や悪魔と同様に存在しない。

何千年も、罪の償いとカルマの概念が間違って解釈され、完全に歪曲され、真実に異物が付加されてきた。

人間が死んで生まれ変わる時、彼は決して罪を償うのでもなく、カルマに支配されるのでもない。

罪の償いとカルマは、次の原理を通して、人間の現在の人生のみに作用するだけである。 

「身から出た錆」、

「蒔いた種は刈らねばならぬ」、

「貴方の考えた通りに貴方は生きる」

これらの諺の意味はこうだ。

過失を犯すとすぐに、損害という形で罪の償いをしなければならないという厳しい原理がある。つまり、誤った行為をすると、その為に彼は苦しまなければならないということである。

これはすでに前に説明したことであり、これが真の罪の償いである。

カルマは次の諺で表現されている。

「身から出た錆(因果応報)」この諺を別の言葉で表現すると、彼の現在の人生は、彼が思うままに造りあげる人生である。

カルマの問題は、非常に簡単である。

カルマは次の生まれ変わりには、いささかも関係しない、つまりカルマは次の生まれ変わりまで伝わらない、ということがはっきりするのである。それは次のような理由による。

人間(全宇宙の他のすべての生命も同様に)の地上生活のすべては、絶えざる進化の支配下にあり、進歩は漸進的で絶対に停止しない。

停止しないということは、たとえ停滞していても、進化は継続しているということであるが、それがあまりにも微小な為に、一般に人間には識別出来ないのである。

人間は過失を犯すことによってのみ、学ぶのである。

彼は過失を犯すと、必ず自分に損害を被る。

つまり、損害の苦痛を体験することによって、ただちに自己の過失を償うのである。

これこそが真の罪の償いである。

創造と、そのすべての法則と掟は、絶対的正義、平衡、調和より成り立っているから、この問題に関しては、このように決定したのであり、不正な処罰は禁じられている。

というのは、創造自体と、その法則と掟は、不正で非論理的処罰は行わないからだ。

処罰は不正な生き方をしている人間が行う独特のやり方である。

つまり、彼はある人間が誤りを犯すと、その者に必要以上に重罰を課し、一生涯罪人の汚名を着せ、その誤りと全然無関係な家族や親類も同罪として処罰し、同様に一生涯罪人の汚名を背負わせるのである。

創造と、その法則と掟は、誤りを犯した人間(生命)に、その誤りに相応しい損害を与える。

これを通して、彼は自分の犯した誤りの重さについて理解し、認める。

ただし、彼は誤りを自発的に認めなければならない。

自己の誤りを真に理解し、認めた時に、初めて罪の償いが成立し、この件は完全に決着がつく。

創造の法則は一度誤りを犯し、損害を受け、その誤りを完全に認めた者に対して、再度損害を与えることは許さないし、ましてや、何度も損害(処罰)を加えることは決して許されない。

ある誤りを犯し、その損害を体験するということは、基本的には学校の教科課程(履修すべき科目)と同じことである。

例えば、子供が学校で作文を勉強するとする。

彼は一生懸命に作文を書くのだが、多くの間違いをする。

そこで先生が間違いを指摘し、訂正する。

先生は子供に正しい書き方を教え、子供は一人で間違いを訂正出来るようになる。

こうして子供は正しい書き方を覚え、間違いをしなくなる。

従って、犯した誤りによって損害を体験した者に、更に処罰を課し、一生罪の償いをさせることは、暗愚な人間の行う救いがたい無価値な行為である。

(ここで言う損害とは、誤りを改め、その誤りの重大さについて熟考することである)

この子供の例と同様に、人生の意味に関する人間の学習態度や、物質的、霊的領域における人間の進化についても同じことが言える。

それはこういう意味である。

死に召されてこの世を去る人間は、自分の犯した誤り(自己進化と学習の目的の為に)の「負債」をすべて返済したので、もはやこれ以上あの世で取り除くべき損害を持たない。 

未返済の負債を、あの世へ持って行くことはない。

あの世(霊界)では、過去の物質生活の誤りや、損害は何の重要性もなく、全く無意味なものである。

純粋な霊の状態での霊界における生活は、次のようになる。

すべての物質(物理的生命の粗雑な物質)は、生と死の境界入口を通過する時に消失し、物質界に残る。

すべての力と、集積した進化的価値を持った霊のみが、この生死の境界入口を通過することが出来るのだ。

霊体が一歩霊界に足を踏み入れると、彼は自由と平和を感じ、すべてが愛で満たされ、すべての地上的物質的事柄から解放される。

霊界の時間と空間、物理的生活時間とまったく同じ領域にあり、次元が異なるだけである。

つまり、霊界の空間と、物質界の空間は同一であるが、次元だけが異なるのであり、前者は微細な要素で構成されている為に、粗雑な物質で構成されている人間が、測定することは出来ない。

霊界では、時間は何の役割も果たさない。

つまり、時間は重要でなくなり、永遠の中に消えてしまう。

霊的存在は時間を感じなくなる。

ところが粗雑な物質界の人間は時間に支配される。

そこで霊界の時間を、人間的に理解すれば、無時間、ゼロ時間、時間は存在しない、ということになるが、しかし、この考え方は真実ではない。

実は霊界にも時間は存在するが、ただそれは異次元に属するというだけのことであり、世俗的概念でいえば、霊界の一秒は永遠に相当する。

霊界では霊的存在は一体何をするのか。

その説明は非常に簡単だ。

霊的存在が、物質的生命界から霊界へ入っていくと、彼は「霊的我々」という光の存在形態と融合する。

「霊的我々」という光の形態は、霊界に生活するすべての霊的存在の結合体である。

人間界からこれを眺めると、巨大な光の放射体であり、乳白色の、明滅する雲状に見える。

これは又、霧状にも見え、自ら強力に輝いている。

この「霊的我々」は、無数の霊的存在の集合であり、それらは相互に組み合わされて、絶対的統一体を形成する。

その統一体の中で、個別的な霊的存在は、それぞれ小さな統一体をつくっている。

小統一体としての各霊(的存在)は、真の存在として「霊的我々」の中で生きており、物質界で体験した価値の中から、純粋に霊的な価値だけを記録し、それを真実の知識、真実の真理、真の愛に変換し、消化-摂取する。

こうして記録された物質生活の、純粋な霊的価値は、例外なく霊的進化に役立ち、新しく生まれ変わった時に、新しい人生を送り、更に進化する為の重要な指針となる。

ところが霊の中には、物質生活のインパルス(刺激)が蓄積されており、そのインパルスは、物質的知識と感情を表わしている。

物質的知識と感情は、霊によって、次の生まれ変わりの物質生命に運ばれ、インパルスによって解放されて、物質的潜在意識と現在(顕在)意識となる。

こうしてインパルスは有効に働く。

このインパルスは、霊界においてのみ蓄積されるのだが、そこでは消化-摂取されない。

何故なら、そのインパルスは、物質界の物質的経験と可能性の為にのみ、必要であるからだ。

こうして霊界において、霊によって蓄積された物質界の純粋な価値は、霊が消化-摂取する為に、純霊的価値に変換され、ついにその時の最高の価値となる。

この最高の価値を基にして、霊は次の物質生活を決定する。

こうして霊が、今までの物質生活におけるすべての霊的価値を集積し、消化して、最高の価値にまとめあげた時、霊は再び生まれ変わりの準備をする。

それから霊は、再度物理的肉体の中に誕生し、新しい物質生命によって新しい価値を収集し、進化を続けるのである。

これが生命と、生まれ変わりの法則と掟に従って行われる、通常の転生(生まれ変わり。再生)の過程である。

異常な転生の例を次にあげる。

ある人間が何等かの緊急な事情に影響されて、予定より早い生まれ変わりをすることがある。

(例えば、生前彼は死を極度に恐れ、物質生命を離れたくないと強く思う)

彼は過去の回想が未消化のまま(未消化というのは、彼は真理に直面し耐える力がないから)、非常に早く転生(生まれ変わり)する。

その為に、彼は普通の人生を送ることが出来ず、妄想、愚行に必ず向かう。

何故なら、彼の物質意識は(真理を直視出来ず回避している為に)混乱しているからである。

異常な転生の例は、この他に数多くあげることが出来るが、しかし、その堕落の原因の説明についてはここでは言及せず、生と死に関連する問題について述べよう。

このことから推論してもよいと思うのだが、霊界に関する本が数多く書かれているが、その著者達は極端な異論を唱えたり、不可能なことを述べている。

彼らの説はまったく無意味である。

こうした賢しら人は、霊界について宗派的な主張や盲信している教義を述べたり、まったく不可能な作り話をねつ造し、正にこれが霊界の実態であるとか、死んだ人間はこうなるとか、尤もらしく説明する。

人間は、生前に罪を犯したのであるから、霊界では厳しい浄化の検査を受け、拷問を体験しなければならないと主張する。

又、悪行三昧に生きてきた人間は、まず数か月、又は何年も拷問に苦しめられ、あるいは自分達が死んでから長い間経っているのに、長い期間そのことに気がつかないだろうという。

こうしたナンセンスはこれだけで終わらず、更に続く。

アーサー・フォードという完全な狂人がいるが、彼は40年間以上も、自分は霊界通信の分野で、世界最高の霊媒であると公言した。(実は彼の霊界通信はその大部分がペテンであった)。

死霊が霊界の様子を詳しく説明し、霊界の規則はこうこうだと教えてくれたと彼は主張した。

その一例をあげると、大酒飲みがあの世へ行くと、好きなだけいくらでも飲めて、飽きるほど飲んだ後、酒をピタッとやめることが出来るという。

別の宗派的狂信家は次のように書いている。

原文のまま紹介しよう。

「霊界で暗い霊達が団結すると、光の道を認識出来ず、進歩することが非常に難しくなり、多くの場合、彼らは何十年、何世紀も(あるいは何千年とはいかぬまでも。)不幸な状態にとどまる。しかし、彼らがその状態に飽きて、神の使者や教師の助言を受け入れ、教えられた通りに歩めば、彼らは光の道へ入り、真の幸福を勝ち取る!」

もう一人、スイス人でビーター・ヘルファーと名乗る狂人がいるが、彼は混乱した宗派的教義でもって、他の多くの狂人と同様に、信者を不安、恐怖、絶望に陥れている。

人間があの世へ入る死の入口に立った時、何が起こるのか。

巷に流布している様々な主張や教説に、一体どんな真理があるのか。

その一つといえども真実を語っていない。

全部虚偽である。何故そうなのか。

その答えは極めて簡単だ。

それらすべてが恐怖、誤り、妄想の上に造られているからだ。

それらは一般に、儀式宗教の教義に基づいて作られているのだ。

真理はこうなるだろう。

人間はどの程度自己を真理に捧げたか、どのくらい真理を生きてきたかに応じて、此の世からあの世への移行が、不安、恐怖、無関心、憎悪で満ちたものになるか、あるいは愛と喜びに満ちたものになるかが決定される。

各人はその精進の程度に応じて、この世からあの世への移行が決定される。

外部の強い影響によって、強制的に死に至る場合があるが、これは一般に不安と恐怖を伴い、生から死への移行があまりにも急激な為に、当人は死への移行をまったく体験しない。  

これは突然の死や、瞬間的な死の場合であるが、例えば。毒薬などを用いると深い眠りに入り、ついに無意識の状態に達し、そこから死に至る。

人間が自然死すると(肉体の損傷を被って死ぬ場合も含めて)、ある兆候が現れる。

これはすべての人間に一様に起こる。

彼は死ぬ瞬間のしばらく前に(人によっては死ぬ数時間前に)自分の生命時計は終わりに近づいている---やがて死ぬのだと意識するようになる(もし昏睡状態が人工的なものでなければ、彼が昏睡状態に入っていようが、あるいは完全な意識状態にあろうが、問題ではない)。

しばしば彼はこの事実を認めたがらないので、これを否定する。

彼がこの事実を喜んで受け入れるか、拒否するかは、彼の生活態度、つまり、すべての事柄に対してどのように対処するかによって決まる。

本人の人生観、生き方によって、死の瞬間に不安と恐怖を経験するか、あるいは、非常に快い静寂に包まれるかが、決まるのである。

それから生命の最後の数分がやってくる。

生から死への通過が行われる。

この通過相は、各人の生きてきた人生や生活態度によって様々な形を取る。

例えば、否定的な人生を送ってきた人間は、恐怖に満ちた想像図を描き出す。

彼は実際に地獄を作り出し、目の前に劫罰のあらゆる戦慄すべき出来事が現れる。

彼は全身を緊張させ、驚がくし、ヒステリーを起こし、絶叫する。

一方、真理を実践してきた人間、あるいは正しく生きてきて、強い確信を持っている人間は、最後の瞬間になると、真の静寂を感じ、平和が霊界で待っていることを意識する。

一般にこの状態は数分続く。

しかし、各自の人格によって長短の差は出てくる。

彼は通常外界に反応しなくなる(瀕死の人間がこの状態--生から死への通過相--に入る時)。

ところがこの状態(つまり、通過相、移行期)に入ると、彼の全身の機能が高まり、彼の感覚は最高の感度に達する。

彼はこの最高度に鋭敏になった感覚によって、自分の周囲のすべてのものを捉え、記録する。

彼は周囲の会話やささやき声、場合によっては、自分の場所から何千キロも離れている人間の想念までも捉えるのである。

そればかりではなく、この高度に鋭敏化した感覚は、意識の力を高める。

もし、彼が欲しさえすれば、彼は霊力に命令を下して、霊力を解放し、その霊力によって、彼の存命中に、物理的力や精神力を用いて実現出来なかったことを実現することが出来る。

つまり、垂死の人間は、突然感覚が高度に鋭敏になった状態で、自分の意志と希望に応じて、霊力を活用出来ることに気づくのである。

こういうことも起こる。 

垂死の人間が、自分に一番親しい人間に知らせたいと思う時、その人は急にどこからともなく自分を呼んでいる声を聞く。

その人は不思議な気持に襲われる。

その声はその親しい人に「これこれの人間が今まさに息を引き取ろうとしている」と告げる。

あるいは、その親しい人の家で理由もなく鏡が割れたり、花瓶や物体がその定位置から突然離れ、床に落ちてこわれる、等々。

これらの出来事はすべて次のように説明される。

垂死の人間は、感覚が高度に鋭敏化し、物質的意識力が強力になる。

それによって霊力が活動してテレパシーとテレキネーシス(念力による物体移動)が作用し、今述べたように、親しい人に自分のことを伝える。

その際、彼は自分の声を親しい人に聞かせたり、テレキネーシスの力で物体を動かして見せたりする。

生から死への移行が終了すると、霊は電光石火のごとく肉体を去る。

つまり肉体が生命機能を停止する瞬間に、霊は肉体を去るのである。

こうして肉体は生命を失う。

この現象は霊と肉体の調和を表わしている。

両者が生きている時、両者は相互に協力して機能し合い、生命を維持することが出来るのである。

霊が物理的肉体を去ると、自己の領域、霊界の異次元の領域に達する。

その移行は大変な速度で起こる為に、人間の作った時間測定機で記録することは不可能である。

肉体を離れた霊は、ただちに霊界「我々という形態」に参加するのではない。それは数秒後に行われる。

肉体を離れた霊は一瞬のうちに霊界に達した後、自分の死体の上を浮動する。

霊はその感覚によって。自分の死体、環境、最後まで自分の意識を回復させようとして看護してくれた遺族などを認めることが出来る。

霊の側から見ると、環境と遺族は、たった今去った自分の肉体と同様に、何の関係もない。遺族と霊との関係は断たれたのだ。

霊と肉体の関係も完全に断絶している。

そこで霊は自己の領域、霊界へ赴き、数秒後に「我々」の中に参加する。

霊はもはや世俗的、物質的事柄と一切関係がなくなる。再度誤解のないようにはっきりと指摘しておく。

人間が死ぬと、霊界において生前正しい生き方をした者にとっても、又、完全に悪い生き方をした者にとっても、いかなる不安、恐怖、戦慄も感じることはないということである。

霊界は完全に、中性-プラスに平衡を保たれており、プラス(善)やマイナス(悪)に左右されないのである。

それは丁度人間が物質界において、自己の思考、行為、態度についてプラス、マイナス、中性-プラスのどれかを選択することによって、自分の運命を決定することと同じである。

だからといって(悪い人間も、良い人間も、霊界では恐怖を経験しないからといって)人間は創造の法則と掟を無視して、好き勝手に生活してよいということにはならない。何故なら人間がそれを無視すると、損害を被るからだ。

この損害は人間にとって、儀式宗教が主張する煉獄と地獄の恐怖よりはるに大きく悪質なものである。

何故なら、人間が誤った生き方を続けると、彼の内面全体が虚偽に満ちた性格に造り上げられてしまい、それに応じて天国か地獄を準備することになり、彼の外面の生活もそれに従って生きることになる。

これが具体的にどういう形で現れるかについては、個人差があって説明することは難しい。

しかし、一つだけはっきりしていることがある。

すべての人間は、いつかは必ず自分自身に合った生き方を選び、それに従って生き続けるのである。

彼は自分の選んだ生き方によって、自分のすべての未来を形成する。

今生であれ、次の生まれ変わりであれ、また次の次の生まれ変わりであれ、それはまったく同じだ。

生き方を決定するということは、未来を確実にプログラムするということだ。

それによって未来は絶対的正確さをもって必ず実現する。

人生を猛ばく進してはならない
常に熱心に学習し、十分に準備してゆっくり歩め
そうすれば、貴方に愛と尊敬がついてくる、
それらはいつも、貴方に平和とよき休息を与えてくれる

そこで貴方は、すべての英知とすべての神の恩寵をも
苦労して戦い取らねばならない
そうすれば、貴方はいつも声をはり上げて歌うことが出来る
英知と賞賛と愛に満ちた歌を

その為に、人間よ、常にあえて正しい人生を生きよ、
決して止まるな
心に愛と英知を抱くべし
そして真の愛の為にすべてをなすべし

熟考せよ、皆んな無駄な人生を送ってきてた
苦しい負担を負いながら
自分の人生を真の愛と尊敬をもって
生きようとしなかった為に

まことに、まことに、地球の人間よ、私はここで、もう一つの真理を貴方に告げる

貴方を真理へ導くのが私の使命であり、義務である。

私は貴方に生と死について、更に物性と霊性について説明しよう。

貴方の目と耳を、そして貴方のすべての感覚を開らけ、それは貴方が私の言葉を理解し、受け入れる為である。それが貴方にとって価値となり、生命となる為である

見よ、私がこの世界にやって来たのは、貴方に真理の教えを教える為である。

貴方が真の生き方を始め、真の人生をつくる為である

まことに、まことに、貴方に告げる、地球人よ、貴方の生命に最も近いものは真理より他にはない。

真理は貴方にとって、生命のすべての愛であり、それによって、全存在の生命そのものとなる

まことに、まことに、地球の人間よ、私は貴方に告げる

貴方の生命と貴方の全存在は、創造の無限の存在に依拠している。

創造の進化は不可欠であり、絶えざる生成の過程にある。

創造は性をこえた中性的存在であり、人間の理解を超えた秘密の中の秘密である。

創造は生と死であり、光と闇であり万物の存在と非存在である

まことに、まことに、地球の貴方に告げる

貴方はこの上なく幸せである。

もし、貴方が霊において豊かであり、真理を認識するならば。

何故なら、そうすることによって生命は貴方のものとなるから。

貴方はこの上なく幸せである。

もし、貴方が悲しみを背負いながらも、そこから真理を学び、その真理によって慰められるならば。

貴方はこの上なく幸せである。

もし、貴方が霊的に調和を保つならば。

何故なら、それによって、貴方は論理、愛、真理に関する知識を自分のものにするからだ。

貴方はこの上なく幸せである。

もし、貴方が真理に対して、飢えと渇きを覚えるならば。

何故なら、貴方は真理と知識を発見して癒されるから。

貴方はこの上なく幸せである。

もし、貴方が自然の法則に従って生きるならば。

何故なら、そうすることによって、

貴方は創造の計画を真に生きるからである。

創造の計画とは、生命の法則と掟のことである。

貴方はこの上なく幸せである。

もし、貴方が真理を認識して純粋な良心になるならば。

何故なら、それによって貴方が恐れるものは何もなくなるから。

貴方はこの上なく幸せである。

もし、貴方が創造について知識を持つならば。

何故なら、それによって、貴方は誤った教義に熱中することがなくなるから。

貴方はこの上なく幸せである。

もし、貴方が正義を貫くならば、何故なら、貴方は自然を平等に遇するので、自然は貴方の生命を助けるからだ。

貴方はこの上なく幸せである。

もし貴方の同胞が、私と私の教えの為に貴方を迫害したり、罵倒したり、邪悪なことをしたりするならば。

何故なら、このような苦難を被ることによって、貴方は自己の内部にある知識によって、自己を強化し、一層真理を実践出来るからである。

貴方が真理と正義の為に、絶えず戦うことによって、貴方の知識は深まり、すべての面で貴方を強化し、論理と真理の正しさを証明してくれるからである。

地球人よ、貴方にまことに告げる。

貴方は真の生き方に喜び、自信を持つべきである。

真の生き方は、貴方の再生と同様に貴方に報いるだろう。

次のことを認識せよ。

貴方は、私の教えを知る者として、最初に迫害され、否定される者ではないだろう。

貴方の前に、予言者や賢者がすでに迫害され否定されたからである。

人間よ、貴方はこの世界の塩である。

塩としての貴方が力を失えば、どの様にして塩味を出せばよいのか。

その塩(貴方)は無益となり、人々の足に踏まれて捨てられるのである。

まことに、まことに、地球人よ、貴方はこの世界の光である。

貴方が山上に町を築き、貴方の光を大きく輝かせる為に、貴方の光を世界(宇宙)から隠してはならない。

まことに、地球人よ、貴方は何千年もの間に、数多くのことを知るようになった。

そして次のことも知っている。

光を灯すには、光を消す箱の中に入れるべきではなく、光を燭台に灯すこと、そうすればその光に従うすべての人に輝くのである。

まことに、地球人よ、貴方の光は、すべての人間の前に、すべての人間の為に輝くべきである。そうすれば彼らは、貴方の真の真理と知識を認識し、心底から習得するだろう。

まことに、地球人よ、貴方は私の告げる通りに行うべきである。

何故なら、私から真理が告げられるからだ。

その真理は、貴方にとって真理、愛、知識、英知となり、それに従って真に生きるべきである。

地球人よ、まことに、まことに、貴方に告げる。

私がこの世界に来たのは、法則と掟を廃止したり、今までの予言者達を否定する為ではない。私は廃止する為に来だのではなく、知識、真理、論理、英知、愛を、最終的に大規模に啓示する為に来たのである。

地球人よ、まことに、貴方に告げる。

地球、すべての星、宇宙が消滅するまでは、私の教えの微細な点までも亡びるごとはないだろう。

万物が生成し、時間の終わりに消滅するまで、創造が自己の使命を完全に遂行し、成就した後休眠に入るまでは、創造と自然の法則と掟の一文字、微細な点に至るまでも滅びることはないであろう。

太古に告げられたように、私も現代において改めて告げる。

真の教えを無視し、創造の法則と掟の一つでさえも廃止し、誤った教義を教える者は、永久に人間の中で最も小さい者と呼ばれるだろう。

真の教義を広める者は偉大な者と呼ばれて、人間と霊から感謝されるだろう。

地球人よ、まことに、まことに、貴方に告げる。

もし、貴方の正義が、神学者、牧師(司祭)、すべての不義の者と何ら変わるところがなければ、貴方は人間と霊と生命から感謝されないだろう。

まことに地球人よ、大昔に祖先が既に次のような教えを受けたことを知っていると思う。

「汝殺すなかれ。殺人を犯す者は、有罪の判決を下されるだろう」

それに対してイマヌエルは次のように語った。

「創造の自然法則に従って、正義を行いなさい。そうすれば、貴方は論理的な判決が出来るでしょう。」

地球人よ、まことに、まことに、貴方に告げる。

イマヌエルの言葉は優れた英知、完全な論理と愛、知識と真理を表現していた。

何故なら、「人を裁いてはならない。貴方が裁かれない為である。創造の自然法則に基づいて、正義を行いなさい。そうすれば貴方は、論理的な判断が出来るからである。」と語ったからだ。

これは次のような意味である。

絶対的自己防衛でなければ、人を殺してはならない。

貴方が裁判官としで判決を下す時は、死刑を宣告することは許されないこと。

更に死刑を執行することも許されないことを意味する。

何故なら、創造の自然法則は、人を殺してはならないこと、正義を行うこと。

つまり、人が自己防衛以外の理由で殺人を犯した時は。その誤りにふさわしい損害を与えることによって彼を指導し、矯正すること、彼の人生を一生涯傷つけたり、彼の生命を奪ったりしてはならないことをはっきりと示している。

そこで地球人の貴方に理解出来ると思うのだが、違反者を処罰したり、報復することは許されないと言うことである。

彼に、創造の自然法則に従うことを、助言することだけが許されるのである。

この法則によれば、違反者(犯罪者)を社会から隔離し、適切な環境の下で、再び進化が可能になるように彼を保証してやらなくてはならない。

まことに、自己防衛(正当防衛)以外の理由で人を殺したり、たとえ合法的にせよ、人を殺害したり、罵倒したり、邪悪な行為をしたりする者は、すべて罪を犯すことになる。

殺害や死刑執行は、創造の法則の前では重大な意味を持つ。

すなわち、自己防衛以外の殺害は、真の意味で殺人になるからである。

イマヌエルは彼の時代に、合法的殺人は許される、と教えたのだが、それは当時の人々は血に飢え、野蛮な状態にあり、その彼らの造った法律が頑迷で、余りにも人間的であったことをイマヌエルが十分承知していたからである。

二千年間進化をとげた後、人間は数多くのことを知るようになり、法律の制定に関しても、一層分別をもって対処するようになった。

そこで私は当時の人間的解釈を正す必要がある。

すなわち、創造と自然法則の制定こそ正当性を持ち、有効に働くのであるということを明らかにさせる必要がある。

まことに、これが真理である。

私はこの真理を、地球人の貴方に、今最終的に、かつ大規模に明らかにするのである。

まことに地球人の貴方に告げる。

いかなる問題や事件であれ、それに対する唯一の判決は、創造の七つの原理を含む、永遠の自然法則と掟から生まれ、論理的に判断が下され、宣告されるのである。

地球人よ、貴方の敵対者、貴方を敵として遇する者に、決して唯々諾々と同意してはならない。

又、いかなる問題であれ、貴方が人間の裁判官に裁かれる時、その判決が貴方に有利であろうと、あるいは不利であろうとも、その裁判官の判決に唯々諾々として承服してはならない。

決して承諾してはならず、常に真理のみを告げ、貴方の正義を主張せよ。

貴方自身が正義を貫き、貴方の同胞に理解出来るように、説明することが出来る時にのみ、貴方は正義であるといえる。

まことに地球人よ、貴方は次の掟を知っている。

「汝姦通するなかれ」

これに関してイマヌエルは、当時の地球人の事情を考慮しながら、人間的法則と自然の法則を組合わせて、次のように助言した。

「自分の配偶者以外の者と交接した者は、裁判にかけられるべきである。何故ならその行為は人間に値せず、自然の法則を無視し、違反したからである。」

これに対して地球人よ、私は現代において次のように告げる。

「まことに地球人よ、貴方は姦通してはならない。創造の法則と掟によって示されたように、結婚の掟に従って生きなさい。(「十戒」と「愛の法則」を参照せよ。)その結婚の掟は、すべての自然の法則と掟の中に、固く確立されている。」

まことに、まことに、地球人の貴方に告げる。

もし、ある想念が貴方に怒りを惹起させ、そして、その想念が真理、愛、英知、知識、論理に反しているならば、その想念を破壊し、貴方の想念の世界、頭脳から追放せよ。

何故なら、怒りを惹起させる想念を排除する方が、貴方の頭脳の領域全体を興奮させたり、真理に反した(あるいは少しでも真理に反した)虚偽を、貴方の内部につくるよりは賢明であるからだ。

イマヌエルは彼の時代に次のように語った。

「配偶者が姦通した場合は離婚が成立する。罪を犯した配偶者と結婚する事は、姦通した事と同じである。」

まことに私は現代の地球人に告げる。

イマヌエルの言葉は絶対に正しいのである。しかし、この掟の実践については、更に詳しい解説が必要である。というのは、この掟とその実践については、大変混み入っているからである。

(これに関しては「十戒」と「愛の法則」を参照されたし)

イマヌエルは地球人にこう語った。

「貴方は何ものに対しても誓ってはならない。天に誓ってもならない。

何故なら天は無限であり、測り知れないからです。

エルサレムに対しても誓ってはならない。

何故なら、エルサレムは人間の手で造られた滅すべき町です。

又、貴方は自分の頭にかけて誓ってはならない。

何故なら、貴方の髪の毛一本の色でさえも、変えることが出来ないからです。
 
又、ある人間や物体の思い出にかけて誓ってはならない。
 
何故なら、それらはすべて滅すべきものであるからです。

貴方はいつもこう答えなさい。

『はい、はい』あるいは『いいえ、いいえ』と。それ以上のことは法則に違反します。」

同じことが現代においても言える。

何故なら、この掟は永久不変であるからだ。

地球人よ、いかなる理由であれ、いかなる形式であれ、決して宣誓してはならない。

宣誓というものは、絶対性と不可避性を含むべきものである。

この二つの特性を貴方は常に学びつつあるのだが、誤りを犯す人間として、貴方に絶対確実というのはありえないからだ。

何故なら、人間としての貴方は、論理について確信がもてない。

つまり、実際貴方は、論理を真に理解していないからだ。

そこで、貴方はいつも、そうだ、そうだ、とか、いいえ、いいえ、としかいえないのだ。

それによって、貴方は真理、貴方の意識、貴方の良心に正しいことをしているのである。

まことにイマヌエルはかつて地球人にこう告げた。

「貴方は、創造の自然法則の正義に基づいて正義を行いなさい。そうすれば、貴方は論理的な判断が出来ます。」

まことに、この掟は絶対に正しく、かつ、永久に不変である。

この掟を少しも修正する必要はない。この掟はこう教えている。

地球人である貴方は、創造の自然法則に従うて生きるべきである。

創造の自然法則は、自由な、自然の生命の生活に、はっきりと示されている。

その生活は自由な活動ではあるが、その背後に論理性が貫かれており、そこにはいかなる不正な行動もありえない。

もし、貴方が自由な自然を熟視し、その中に真実の事柄を認識するならば、貴方は自然の論理を意識しはじめ。すべての出来事が、

正義の実現の為になされていることが認識されるだろう。

従って、自然の生命の活動には、地球人のような堕落と粗暴な陰謀はない。

地球人だけが、自ら作った非論理的人間的法律に、反自然的、報復的、迷妄的意味を付与し、その法律を正義と呼んでいるが、それは最初から最後まで、事実上不正の上に確立されており、自然と創造の法則に違反している。

まことにイマヌエルは地球人にかつてこう教えた。

「貴方は、貴方の愛を、その愛に相応しい人に伝えなさい。そして貴方は、自然の法則が罰を要求する場合には罰しなさい。」

まことに地球人よ、この教えは永久に真理であり、正しい。

と言うのは、この掟は無限の大昔から存続しており、今後も永久に万物に対して適用され続けられる。

この掟はイマヌエルの時代に与えられたが、当時の人間はこの問題を理解出来なかった為に、イマヌエルはこの掟を十分な形で示すことが出来なかった。

それゆえ、現代において、今、私か愛の法則によって、完全な形でわかりやすく説明するのである。

自然から学び取る罰に関しては、イマヌエルの時代にも人々によく理解してもらう為に「罰」という言葉を使ったのだが、現代においても、この問題を十分に説明する為には、同じ言葉を使用せざるをえない。

罰という概念は、誤りを取り除く為の、常識でいうところの罰ではない。

真の罰は、実際に起った誤りに対して、正しい、それに相応しい、真の損害を与え、それによって本人を教育し、進化させる事である。

まことに、まことに、地球人よ、私は貴方に告げる。

愛を実行せよ。

創造の法則と掟の真理を理解せよ。

決して貴方自身の、不十分な判断力を用いて愛し、創造を理解してはならない。というのは、貴方の判断力はあまりにも誤りに満ち、非論理的であるからだ。

貴方の真理の把握力は、遠く的をはずれている。

貴方は自然の中にある法則と掟を明白に認識し、実行することによってのみ、正しい思考、行動、感情の道を見つけるのである。

その為には、貴方は地球の人間として、貴方に出来る限りの論理力を用いて発見しなければならない。

又同時に、貴方は常に学習する状態でいなければならない。

こうして、地球人よ、貴方は賢明になり、知識を学習しなければならない。

何故なら、貴方は貴方を造った創造と同様に、あらゆる点で完全でなければならないからだ。

更に、貴方は自己の霊において、真に賢明になるべきである。

貴方は無数の輪廻を通して自己の霊を教育し、こうしていつの日か創造と一つになるのである。

人間よ、貴方の人生の為に絶えず戦え、そうすれば、貴方の人生に優れた光が生まれる。

人間よ、貴方の多くの人生の刻み目を貴方が死ぬ時に、貴方が心配することはない。

それは貴方がどのように生きたか--静かに生きたか、喧騒の人生であったか--単なる生き方のしるしにすぎない。

人間よ、貴方は自分の人生を生きる・・・そしてそのように、いつかは、貴方は死の中に衰えていく

その時、貴方は笑うか、
喜びに満たされるか、
恐怖に怯えるか
貴方はどんな死によってあの世へ向かうのか

貴方が自分の人生を生き続けてきたことに対して
死はその様に貴方に敬意を表わすだろう

地球人は、創造の法則と掟を極度に疎んじてきた結果、大多数の人間が大きな危険に陥った。

恐るべき深みに急落下した。

そこからの脱出は苦難に満ち、悲惨、苦痛、拷問の長い道である。

創造の七層の原理によって、万物の為に作られた目標は、各生命はすべての面で、絶えず前進的進化に努力することによって、完全に到達することであるが、地球人は、創造のすべての法則と掟を、意識的に無視して、独自の道を進んできた。

地球人は、本質的、真実の目標を失い、独自の非論理的意志を貫徹する為に、着々と努力を重ねてきた為に、真実の生活の為の、自然の道標を無視したのだ。

ここで地球人と言ったが、それは本書を読んでいる貴方も含まれる。

何故なら、貴方も地球人の一人であり、いいわけは出来ないのだ。

まことに、地球人よ、貴方の逸脱行為--創造の法則と掟の無視--は、極度の強情の現れであり、これに匹敵するものを全宇宙ですぐに見つけだすのは容易ではない。

何度も地球人に真理と霊の教えが示された。

しかし、常に無駄な骨折りだった。

霊の教えが与えられるたびに、地球人はゴミとして踏みつぶした。

常に貴方(地球人)は、自分の非論理的意志を押し通し、貴方に与えられた自由を悪用し、利己主義、利益に対する貪欲な追求、冷酷、不義、権力への陶酔の上に自分の人生を築いた。

貴方が作り上げたこの人生の建物は、その大部分がすでに崩壊しつつある。

そして全壊の危険が迫っている。

貴方の行き過ぎた資本主義--それは一般に意見の相違や闘争の温床である--は、物質主義のほんの一部にすぎないが、それが貴方の世界をかつてない大惨事に陥れる可能性を、常に持っているのである。

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006


地球人よ、貴方が、形式的で狂気のキリスト教や、他の儀式宗教(儀式、信仰、崇拝を中心に活動する宗教)これらの宗教の、子供じみた馬鹿げた教えや、そして不正な、世俗的、社会的、経済的、宗教的、政治的特権で、自分達を飾れると最後まで信じ、それらによって救われると信じるならば、やがて、次の事にはっきりと気がつくのである。

すなわち、あれもこれも必要だという考え方や、妥協は、無益であるということだ。

地球人よ、貴方が物質的幸福と快楽の生活を選択し、それから生ずる苦い果実を食べざるをえなくなるか。それとも、創造の法則と掟を遵守し、霊の生活を選択するか、その決断の日がやがてくるだろう。

地球人よ、貴方が真理から全面的に隔絶しているということは、基本的には、真理に関する知識が欠如しているからにほかならない。

貴方は何千年も昔から真理を考慮せず、それを獲得する努力も払わなかった。

貴方は、自分自身の意志に従って、完全に間違った道を自由に生きたいと欲した。

貴方は自分の道に熱中し、物質主義は完全に貴方を虜にした。

貴方自身も喜んで物質主義の中へ陥っていった。

そこで地球人に問う。

貴方は現在、霊、真理、英知、論理、愛について何を知っているか。

貴方は、死後の生活と生まれ変わりについて、何を知っているか。

地球人よ、貴方は生命について一体何を知っているか。

貴方は、自分の生命について一体何を知っているか。

さあ、語り給え。

これらに関して、貴方の知識を披露し給え。

さあ、さあ、遠慮なく、貴方の知っていることをしゃべり給え。

え?  何も知らない?  何と残念なことだろう。

何と悲しいことだろう!地球人よ。

それでいて、貴方は自分を何にたとえるのか。

貴方は生命の最も重要な事柄を知らないし、更に貴方自身の生命についても何も知らない。

それでは、どうして貴方は、万物の霊長と自分を呼ぶことが出来るのか。

どこからそのように自称する勇気がくるのか。これこそ底知れぬごう慢ではないか。

貴方は創造の法則と掟を知らないし、真理に忠実でもなく、又、誠実に苦労して真理を獲得しようともしない。

貴方は自分だけが存在しており、同胞のことなど気にかける必要はないと信じている。

貴方はすべての真理を無視し、思いのままに生きている。それでもなお、貴方は自分を人間と呼べるだろうか。

まことに地球人よ、貴方の発達、特に貴方の自己完成への努力、そしてその為の絶えざる再生は、物質意識水準の知識と、霊と創造の法則と掟の知識をかなり多く知ることが前提条件となる。

これは地球人としての貴方に対する前提条件であり、貴方に要求されていることである。

人間としての貴方は、貴方の内部に霊を所有しており、それは創造の部分霊であり、永久に生き続け、貴方の個人意識を、すべての未来において、全存在物と、全生命と共に存続させるのであり、そしてついにある日、貴方は完全な統一体として、創造から与えられた形態を取りつつ、絶対的絶対である絶対的完全と一つになる。

ところがである。

貴方が儀式宗教の誤った教義を信じ、貴方が今述べた前提条件を完全に明晰に詳しく知ろうとするのを、教理問答が禁じたならば、一体どうしてこの前提条件の真理を知りえようか。

貴方が真理を少しも配慮せず。関心も持たず。物質主義的生活が大いに気に入っているなら。どうしてこれらのことを知ることが出来ようか。

貴方が努力しなければ、真理の方から貴方へ近づくことは絶対にないのである。

地球人よ、使徒の信仰告白に従って、貴方は次のように告白させられるだろう。

イエス・キリストは襟刑の後、地獄へ落とされ、死から三日目によみがえったと。

しかし地球人よ、私は前に一度貴方に尋ねたことがあった。

この地獄は一体どこにあるのかと。

そして私は誠実に真理に従ってこう答えた。

地獄とは場所ではなく、状態である。

その状態は、貴方の内部に邪悪に燃えており、もし。貴方がどうしても真理を獲得しなければ、貴方を益々強力に焼き焦がすだろう。

仮に貴方が、神学者に地獄の場所と特徴を尋ねたならば、彼は貴方の質問を避けるであろう。

何故なら、彼はその質問に答えられないからだ。

あるいは彼は、教理問答や他の誤った教義を書いた書物を引用して、こう答えるだろう。

「そういう質問は禁じられているし、そういうことを知ることも禁じられています。こういう問題を調べることは禁止されているのに、誰が貴方に教えることが出来ますか。まだ、貴方はそれがわからないのですか。貴方はこの問題に熱中しすぎて、頭が狂ったのですか。」

確かに、牧師、神学者、分派使徒派、祈りの騎士派は、貴方が死後の生活について尋ねれば、それについて確かなことは知らないと常に返答するだろう。

彼らはいつもこう語る。

「この問題については尋ねてはいけません。このようなことを聞くのは罪深いことです。人間はこのことについて何も知ってはなりません。」

この言葉は無知の表明である。

この人間の逃げ口上は、予言者エレミヤの言葉とまったく矛盾する。

彼はこう書いた(エレミア33章3節)

「私(主)に尋ねよ。私は貴方(エレミア)に答えるだろう。貴方が今まで知らなかったこと、信じられないことを貴方に教えるだろう。」

地球人よ、もう一度この言葉を熟考せよ。

どの創造の法則や掟も、地球人の貴方が、霊界の真の状態、生と死の状態を知ることを禁止していない。

むしろ、その反対である。

創造の法則と掟は、この問題に努力して苦心して学習し、習得することを貴方に要請している。

貴方がそれによって正しく生活し、愛を通して真理を実行する為である。

まことに、貴方がこの問題に関して、出来るだけ多く知ることは非常に大切なことである。

それによって、貴方は自分の人生を調整し、人生観を正しく改めることが出来るからである。

地球人よ、貴方が接近出来る真理について、最初から、一点の疑間もなく、そのすべてを把握することは出来ないので、その真理を一定の範囲内に限定して、その主要な要素を知ることから始めることが、貴方にとって非常に重要であり、意義あることである。

真理の主要な要素に関する知識について、一番大切なことは、この知識は存在しており、真に重要である、ということだ。

この知識が失われたところでは、もっとはっきりいえば、この知識がほぼ完全に消失したところでは、真理のすべての対象に自己を準備する。

あるいはその為に自分の全エネルギーを傾注する意志、必要性、洞察力が弱くなるか、全くなくなるのである。

貴方が知らない何かに対して、貴方が、予想も予感さえ出来ない何ものかに対して、貴方のすべての努力と苦労を、全面的に傾注出来るだろうか。

そこで、貴方に真心から質問する。

貴方は、霊や創造の法則と掟、愛、知識、英知、論理、生と死について。ほんのわずかしか知らないのか、それとも全然何も知らないのか?

人間よ、あそこではなく、ここで、貴方が真の真理に従おうと努力することは善いことだ。

そうすることによって、貴方の人生は確実な真理において、すべての疑問、誤り、過失が正されていくのだ。

地球人よ、もし、貴方が人生の方針として、すべての価値を有する創造を承認するならばあらゆる価値を持つ創造の愛と命令が常に貴方に近づいてくる。

やがて、貴方は容易にそれらに適合していき、賢明になり、強力になるところが、貴方が反対のことを行えば、地球人よ、貴方は確実に一層暗愚になり、脆弱になり、失敗する。

時折、貴方はこう自問する。 

よりによって、どうしてこんな嫌な目に出合うのか。

「無実」だと言うのに、どうしてこんなに苦しまなければならないのか。

こうした苦境が続くと、すぐに、神は本当に存在するのか、という疑問がわく。

聖書によれば、神は正義であるのに、何故こういう不幸や不公平な出来事を起こさせるのか、と貴方は自問する。

一体どうしてか、何故か。

この疑問がいつも貴方の心に残り、永久に貴方を悩まし続ける。

貴方はいつもこう考える。

もし神が存在するならば、こうしたととは一切起こるはずがない。

何故なら、神は自己に対して正義そのものであるから、こういうことはすべて起こさせない。

神はすべての不正、悲惨が起ごるのを絶対に許さないからと。

まことに、この文を読んでいる地球人よ、貴方も同じ質問を何度もしたことがあると思う。

もし、貴方が最後まで真理の助言に従わないならば、貴方は将来も同じ質問を出し続けるだろう。

真理に誠実であれ。

真理の効果的事実を認めよ。

さて、貴方は次の出来事にも疑問を抱くだろう。

一人の人間がとても裕福な家庭に生まれ、最高の教育を受け、何不自由なく生活しているのに、一方ではある子供は最極貧の家に生まれた為に、両親にも歓迎されない。

あるいは、ある子供は嘘、盗み、盗品隠匿、その他の悪事をするようにしつけられる。

こうして、彼は幼少時より悪い事を教えられる為に、大人になってもその悪い習慣から抜け出し、正しい道を見つけるのはきわめて難しい。

地球人よ、貴方は何故こういう不公平が起こるのか、と疑問を持つだろう。

牧師や分離派教会信徒は、貴方の質問に答えを出すことは出来ない。

それは第一に、彼らはその問題について教えられていないからであり、第二には、彼らの無知の為に質問を回避し、そういう質問を抱くことは許されていない、その質問は神を冒涜するものである、この質問は貴方の利益にならず、こういう疑問を持つかぎり、それ以上貴方は進歩しない、と弁明する。

しかし、貴方の質問は正当であり、合理的なものであり、しかも世俗的立場から出されたものではないから、いかなる形であれ、いささかなりとも満足のいく回答を、牧師や分離派教会からは、絶対に得られない。

一見ひどく矛盾している出来事を明らかにし、理解する為には、地球人よ、貴方は 儀式宗教、牧師、分離派、神学者等の虚偽に満ちた説教を、どんな形であれ、決して信用してはならない。

貴方は創造の計画における、創造の法則と掟の大きな関係性について、若干知らなければならない。

しかし、それは儀式宗教の誤った教義の中には決して見つからない。

ただ真理自体の中に見つかるのだ。

地球人よ、真理の認識は愛を前提とする。
愛は自由を前提とする。
自由は命令されたり、強制されることではない。
貴方は自ら自由をつくるのだ。
貴方は自立していない。

何故なら、貴方は儀式宗教によって強制され、不自由になり、束縛と隷属状態に陥っているからだ。

虚偽の教義は貴方を夢中にさせ、だます。

こうして、強制は無意識に貴方の自由を奪った。

自由なくしては真理を意識出来ないのだ。

強制は常にすべての真理を拒否し、それを冒涜や罪と見なす。

強制と不自由の為に、貴方はドグマへの盲従が身についてしまう。

儀式宗教の「神に愛される者は、神によってこらしめられる」という言葉を信じ、故意に謙遜する。

地球人よ、貴方はこのような妄想の中で生きている。

しかし、貴方は、その真実を究明しない。

何故なら、真相究明の為に熟考することは、罪として禁じられているからだ。

先に述べた質問にまだ答えていないので、地球人よ、私はこれから貴方に説明しよう。

生まれ変わりを行う際の性別の決定や(「重要な知識」を参照せよ。)貧困な家庭か、或いは裕福な家庭に生まれるかの決定等に関しては、

人間は、前の生まれ変わりと、自己の進化水準を基にして、自分で決定する。

この決定は未来の進化と、その人間の全ての知識の方向づけを行う。

人間よ、貴方は悪い連鎖の中で生きているその為に貴方は罪の運命を歩む。しかし、見よ、真理によって貴方は自らを救い、創造の恩寵に対して、真の畏敬の念を抱く

新しい人間が誕生する時、それは誕生の決定によって決まる。

つまり、次の生まれ変わりでは、貧困家庭か裕福家庭に生まれるかの決定は、今までの生まれ変わりの全過程に基づいて、彼自身が行う。

しかし、この決定は本人の意志に基づくばかりではない。

勿論、本人の意志は一部必要であるが、しかし、この決定は、ただ彼の進化の発達段階(彼の進化の地位、水準)にのみ、厳然として依拠するのである。

これが本人の教育の為に、貧困又は、裕福な物質生活のどちらかを選択する。

この説明によって、一人の人間がどうして貧困家庭か、或いは裕福な家庭に生まれるかについて、はっきりしたと思う。

これは一例だが、豊かな人間は、自己の進化において前進する為には、物質的財産を、節度を持って使用することである。

というのは、彼は物質的財産を大きく評価せず、物質主義から自己を解放し、霊的事柄に一層深く献身することを、苦労して学習しなければならない。

貧しい生活をしている人間は、その低い物質的条件から、次のことを学習すべきである。

彼は物質主義に堕落してはならず、霊的法則と掟の実践によって、自己を発達させなければならない。

ところが、中には次のように抗議する人間もいる。
  
貧者も富者もそんな忠告を守らないだろう。
  
中産階級で、かなりいい生活をしている人間も、これを守る者はほとんどいないだろうと。

確かにその通りである。

それには二つの理由がある。

その一つは、この世界の人間は、儀式宗教の様々な誤った教義の為に、彼の思考と行動のすべてが誤っており、物質的価値について、完全に誤った考え方を持ち、それに従って生活している。

二つ目は、彼は自分の同胞を全く虚偽の見解をもって理解し、判断する。

人間は、同胞の真実の価値を、理解し判断する能力がない。

同胞は外的条件、外見のみで判断される。

彼は同胞の進化的価値を見落とす。

同胞がぜいたくな暮しをしているか、赤貧の暮しを立てているかどうか、社会的地位の高低によって、彼は同胞を誤って評価し、嫉妬し、感情的になる。

しばしばこの誤った評価の背後には、はかり知れない嫉妬が存在しており、その嫉妬は無思慮と誤った見解からくる。

そして根本的原因は、進化の法則と掟の、効果的真理と、その現象化に関する知識の欠如によるものである。

もし、すべての人間が、自己の進化(堕落は除外する)に一致した人生を自覚して生きるならば、大部分の悪が消滅するだろう。

堕落はどの人間にも存在するが、特に誤った生き方をしている地球人は、それが極端な形で存在しており、そのような人類は、地球人のほかに全宇宙のどこにも存在しない。

この堕落の為に、富者も貧者と同様に、途方もない極端な形の不正を行い、そのような生活を続けているが、それは進化にとって不要であり、むしろ有害である。

地球人は同胞を憎悪したり。嫉妬したりする権利はない。

どの地球人も間違った思考方法、行動様式の下に生活している。

例外なく、みんな堕落した想念や行動を実行している。

そこで私は貴方にこう告げる。

もし、貴方がすべての点で、同胞と同じように誤った考え方を持ち、誤った生活をしているなら、貴方は同胞を判断したり、彼らを罪ありといって非難する権利はない。

しかし、貴方が同胞より良くなれば、貴方はすべての誤りから解放される。

そこで初めて、生き方の問題だけに限定して、貴方は同胞に進んで助言せよ。

貴方が同胞より良くなりたいと欲するなら、

それなら、まず、貴方は不真実、物質主義から自己を解放し、真の真理を見つけ、その全体の重要性、偉大性、真理性そのものを認識し、それを自ら実行しなければならない。

こうして初めて、貴方は創造のすべての法則と掟に忠実に従いつつ、貴方の同胞を判断することが出来るのである。

人間よ、すべての事柄に関する判断は真の真理についての、真の認識の中にある、そこから生まれる論理的結論により、すべての事柄が、その真の価値において決定される

運命のもたらす苦悩と打撃は、一般にその様な不幸な目に遇う、その人間自身の所産である。

そのような苦境は、当人が自分の誤りを十分熟考し、正しい道に戻る為に決定されたものである。

それは当人にふさわしい克服すべき道、反省すべき方法である。

又それは、当人が再度誤った道に踏み入るのを防ぐ為でもあり、

更にそれは、自己の能力と、実行力を培う為に、自ら課した試験(試煉)であり、それを通して自己の内部にある正義と、不変性を証明する為である。

そのような試煉は、地球人がすべての真理に無知な為に、試練として理解出来ないので、しばしば過酷なものになる。

それは当人にとっては考えられないほど過酷なものになる。

それにも拘らず、人間が自分に課す試煉は、一般に自分の力で克服出来るものである。

地球人はたやすく誤った生き方に入る。

これが通常の状態である。

それゆえ、長い間自分の誤りを認識出来ない。

その結果、何十世紀も前から、彼は何度も自分に試煉を課すのだが、それを克服する力を持たなくなった。

こうして彼は、多くの問題に対して微力になり、自分自身についての真理を知覚し、認識することが出来なくなり、自分が背負うことが出来るはるか以上のことを、自分が実行するはるかに以上のことを、彼は期待するのだ。

このような人間の無能力の為に、自己に課した試煉が信じられないほど過酷なものに見え、しばしば自分を圧倒するほど巨大なものとなり、ついにそれを乗り超える力もなくなり、無惨にもそれに押しつぶされてしまう。

地球人よ、真の知識を得たいなら、貴方は真理と知識を立証しなくてはならない。

この立証は、決して実証不可能な信仰によって得られるものではなく、ただ真実の立証によってのみ得られる。

そこで、貴方は問うだろう。

私自身はどうやってそれを立証するのか、と。

それについては、たった今説明したばかりだが、ずっと前にも説明したと思う。

貴方は自分自身でしか立証出来ないのだ。これが私の答えだ。

貴方自らすべての事柄を詳細に検討し、自分自身に厳しい試煉を課し、真理を探究し、自ら証明するのだ。

証明の方法はこうして行う。

貴方はすべての事柄を非常に正確に分析する。

それらを徹底的に論理的に思考する。

そして自分に課した試験によって、その論理を最後の詳細な点まで検査する。

貴方の直面する様々な問題の中にある真理を探究し、検査する為には、貴方は、自分で検査(試験、試煉)の方法を考案し、その問題の正当性と真理性を検査し試験し、ついにその問題の正しさを証明するまで、すなわち、最後まで自分の力で努力し苦労しなければならない。

貴方の身体的力、感覚器官、霊力が証明の領域であり、貴方はそれらを活用することになるが、証明の特性や問題の性格に応じて、その領域は決まる。

しかし、いずれの場合であれ。次の指針が適用される。

「まず、自分自身を知れ」

人間よ、貴方が真の知識を持ち。正義の人となりたいなら、畏敬の念をもって愛と真理の為に闘え。

まことに、まことに、地球人に告げる。 

同胞は、貴方の欲するすべてのことを貴方にしてあげるべきであり、又、貴方も同胞にそのようにしてあげなければならない。

これは自然の法則であり、予言者の法則である。

それは太古の始めから、創造によって与えられた法則なのだ。

しかし、地球人よ、羊の皮を着た偽りの予言者、本の著者、説教者に警戒せよ。

彼らの本性はどう猛な狼であり。

彼らは貴方がた大衆に、聖所、神、神々に対する謙譲の精神を教え、更に、聖者、神の代理人、国家の統治者、偶像、聖書、誤った教義への恭順を説く。

地球人よ、彼らに注意せよ。

何故なら、彼らは貴方に、愛における永遠の生命について嘘の説教をする。

つまり、彼らは貴方が、英知、知識、論理、真理を見つける為の、すべての方法、手段に接近することを禁じるからである。

貴方はこれらの誤った予言者、本の作者、そのような類の人間から自分自身を守れ。

何故なら、彼らは、貴方から富と財産、権利を奪う為にのみ、貴方に語るのである。

貴方は誤った予言者、同じような意図を抱く人間の果実から、彼らの本性を判断せよ。

貴方はイバラからブドウの実を摘み取ることは出来ないし、アザミからイチジクの実を取ることは出来ない。

同様に、立派で健全な木のみが、立派で健全な実を結ぶのであり、病的な木は立派で健全な実を作ることは出来ない。

その為に、地球人よ、私は貴方に告げる。

貴方は、彼らの造る実によって、彼らの本性を判断せよ。

だから地球人よ、貴方が私の話を聞き、実践する時にのみ、貴方は賢い人間と言える。

後者は、流砂の上に家を決して建てることはなく、堅固で健全な岩の上に建てるのである。

しかし、地球人よ、貴方が私の話を聞きながら。実行しないのであれば、貴方は、激流をもつ岸のすぐそばに家を建てる人間と同等である。

そういうわけであるから、地球人よ、

貴方のすべての幸福は、貴方自身の思考と行動にかかっていることを、認識せよ。

創造の法則と掟が貴方に教える通りに、貴方自身を順応させ、生きてゆくべきである。

すると、貴方の生き方は真理に従い、法則と掟を実行する方向に変わっていく。

人間よ、決して虚偽の予言者に耳を傾けるな。

何故なら、彼らは権力と貪欲を求める無産者(プロレタリア)なり。
 
まことに、まことに、地球人よ、私は貴方に告げる。

もし、貴方が水と霊から再生しなければ、貴方は、再度創造の王国に入ることは出来ない

何故なら、自己進化を遂行する為に、再生し生きるのでなければ貴方は一回限りの、無意味な、目的のない人生を送るととになるから

金と銀の純度と光沢を高めるには、るつぼの中で溶融する。

これが金と銀の純化作用であるが、人間にも同じ作用が起こる。

何故なら、地球人である貴方は過失、誤り、弱点などを持っていて、不純であるから、純化作用を受け入れなければならない。

これによって、貴方は自分の運命を自分で決定し、その運命を自らに課し、自ら実行しなければならない。

貴方がこれを理解し、貴方の力に応じてこれに適応することが、自分の最高の援助となり、最大の便宜になる。

そこで貴方は、貴方の最高の能力と可能性を活用して、適切な時間に、しかも、自己の自由意志で、意識的に、自分の目標達成の為に努力する。

同時に貴方は次のことも認識する。

すべての創造の法則と掟は、常に貴方の為に役立ち、貴方は目標実現の為に必要な力を、自分自身の中から常に造りだすのである。

人間よ、貴方が立派に行えば、貴方は立派になる

私は前に一度この詩を読んだことがある。

しかし、今後説明の為に、必要な場合は再度引用するだろう。

これは前に説明したことだが、睡眠に入る前に、人がある問題に対して自分の態度を変えなければ、睡眠後も(睡眠の長短にかかわらず)その態度は変わらない。

これも前に説明したことがあるが、睡眠の偉大な兄弟である死についても同じことが言える。

ある人にとっては睡眠を取ることはとても難しい。

何故なら、彼は責任感が強く、なすべき仕事が沢山残っており、あれもこれも早急に処理しなくてはならないと思うからだ。

ところが一方、別の人間は、そんな義務感にはまったく無頓着で、他の人間がうまくやってくれるさ、だから十分休息を取ろう、こう考えてぐっすり眠る。

彼は、他の人間も少しは努力して働くべきだし、あるいは、明日という日もあることだし、明日になれば沢山仕事が出来るものさ、と考える。

さて、死を迎える時、つまり、人間に死期が迫り、この世を去る日が近づく時にも同じことが言える。

ここでも人間の態度が決定的役割を果たす。

自分の一生を眠ってばかり暮らし、自分の仕事を全部他人に任せてきた人間は、死ぬことに反対する。

一方、自分の使命感が強い為に、睡魔を克服して仕事を遂行した人間は、いつでも死ぬ準備が出来る。

これは前者にとっては困難なことであり、後者にとっては、容易なことである。

前者にとっては、現在の人生が終わるということは、何かしらすべてが終わるように思えるのだろう。

ここで前者と後者の意見がはっきり別れる。

自分の使命を怠り、責任感を持たず、自分の責任を他人に転嫁する者は、死という決定的事実に直面すると、死が理解出来ない為に、容易に死を認め受け入れようとしない。

彼は長い一生の間、自己の使命を十分自覚せず、死の準備を怠ってきた。

その為に、彼にとってすぺてが重荷になり、自分の思い通りにならないことをすべて回避しようとする。

これと正反対に、使命感が強すぎる為に、しばしば睡眠も取らずに任務を遂行してきた人間は、絶えず自己を磨き、すべての仕事を終えてしまったので、死が迎えにきても、いつでも覚悟は出来ている。

真理の認識の程度とそれに基づく人生観と生き方によって、人間はどれだけ仕事を為し遂げるかが決まる。

人間が物質的、世俗的事柄から出来るだけ遠ざかり、その代りに、霊的価値を一生涯誠実に求め、獲得することに全力を尽くしてきたならば、彼にとってこの世を去ることは困難ではない。

彼は真理を確実に認識出来るからだ。

彼は死によって、新しい、一層すぐれた生命を得ることが出来ることを知っている。

自分の進化を自分の力で決定し、全く自分一人で準備するから、すぐれた生命が得られるのだ。

人間が世俗的利益のみに生き、純粋に世俗的事柄に熱中すればするほど、彼は益々不真実に巻きこまれ、快楽への情熱と、生きる意志のみが増大し、この世から去ることが困難になり、苦悩する。

それは彼が真理に対する知識に欠けており、自分の死はすべての消滅ではなく、始まりを意味するということを知らないからだ。

人間の、世俗的財貨や快楽に対する執着があまりにも強力な為に、人類の大半の意志は、身体(肉体)と固く結びついている。

大多数の人間にとっては身体(肉体)がすべてであり、身体は霊的な事柄よりも重要であると考え、霊を否定し、霊が永遠の生命をもつことを認めない。

こういうことが起こると、人間は次の生まれ変わりで、悲惨な人生を、自分の意志で準備することになる。


何故なら、彼は今生において学習を怠り.自己進化を怠って死を迎え、しばらく霊界に滞在した後、再び転生するからだ。

本来なら彼は、この霊界滞在中に大きく進歩前進するはずであるが、前生における自己怠慢により自己発達が遅滞する為に、正しい道に戻り、向上することが極度に困難になる。

彼は前生において、自己進化の為の努力を大いに怠った為に、彼の総合的発達は他のすべての同胞よりはるかに遅れてしまうのである。

イマヌエルが次のように教えた時、彼は正にこのことを明らかにしたかったのだ。

「人間が全世界を征服しようとも、自分の内にある永遠の生命である霊を傷つけたなら、それが何の役に立つだろうか。」

これで明らかだが、自分の全生涯で、誠実に自由意志で真理を求め実践しようと努力し苦労し、滅すべき世俗的財産、娯楽、物、事柄を深く追求せず、釣り合いの取れた生活が出来る程度に、それらを求めた人間の方が、真理をほんのわずかしか探究せず、あるいは全然探究せず、身体(肉体)がすべてだと考え、身体に関連するあらゆる世俗的、地上的物質や事柄の獲得に全力を尽くした人間よりも、霊界への移行が極めて容易である。

一般に両者の違いは、人間の外面、つまり、人間の行動、性格、物事の表現方法にはっきりと現われる。

最も顕著な例は、垂死の際に、その人間が実在の光へ向かう時である。

その場合、彼の死の床が畳の上であれ、あるいは血に染まった戦場であれ、場所は問題ではない。

私自身、垂死の現場を多くの国で何千回も見聞きし、体験してきた。

中には見るに忍びない程無惨な例もあった。

彼らは苦悶にのたうちまわり、あるいは絶叫し、あるいは儀式宗教の悪魔的妄想に戦慄して、避けられない死を逃れようとした。

しかし、結局、死は彼らのすべての苦難、苦痛、悲惨を軽減し消滅させてくれたのだ。

彼らの誤った生き方や、彼らの心に儀式宗教の教義が吹き込んだ恐怖が、敗残の人生の最期の苦しい瞬間まで彼らを追い詰め、死よって解放されるまで、彼らを絶望と戦慄の焦熱地獄へ突き落したのだ。

こうした焦熱地獄の正体を理解出来ずに盲信する人間には、こうした事がいつでも起こる。

彼らは臨終の際に付き添う医者。肴護婦、その他の者に助けを求めようとする。

付き添い(医者や看護婦も含めて)が正直者なら、臨終の時の患者の苦悶をはっきりと証言出来るはずだ。

残念ながら、死は人間が身につけてきた、知識、態度、見解をいささかも変えることはない。

従って、貴方が現在の生まれ変わりで、死について無知であり。

真の真理を探究せず、それに従って生活もせず、自己進化に努力しないならば、貴方は次の生まれ変わりでも、同様に無知のままだろう。

そこで偽りの予言者や分派論者逮の、次のような虚偽の主張や狂信的迷妄に惑わされてはならない。

貴方は死後、霊界で浄化過程を体験し、しばらくそこで滞在し、生まれ変わる時は、賢い、知識を持った人間として誕生すると。

そんなことはあり得ない。

そのような説教をする偽予言者や分派論者は嘘つきである。

地球人よ、これから明らかなことは、貴方は今日まで浄化などされておらず、貴方自身が造りだした地獄の中で今後も生き続けるのであり、再生についての創造の法則と掟に関する知識をほとんど、あるいは全く身につけていないということだ。

しかし、もし、偽予言者、分派論者、その他の嘘付きの主張が正しいのであれば、貴方はその主張を信じて、この問題に精通するようになるだろうし、又、創造の法則と掟に従った生活を喜んで送ることになろう。

もし、そうなれば、私が新時代の予言者としてすべての霊の教えの真理を貴方がたに教える為に、改めてこの世界に来る必要はなくなるのである。

更に私は、私の使命の為に苦しむ必要もなく、私を憎悪する者、真理を否定する者、賢しら、権力に飢えた者、暗殺者の迫害を受けないですむ。

彼らは蛇やまむしのように血を求めて世界中を跳梁し、昔の律法学者やパリサイ人のように、貴方を奴隷化し搾取する。

まことに、地球人よ、私がこの世界に来たのは、貴方の政府、牧師(司教)、経済界のボス、宗教指導者のように、貴方を隷従する為ではない。

私が来たのは、霊の教えによって貴方を自由にする為である。

しかし、この霊の教えは太古に地球人に与えられたが、彼らはそれを無視し、踏みにじった。

私は貴方の祖先と同様に、貴方にも自ら決定する自由を委ねる。

もし私が貴方を助けたいと思ったとしても、貴方が私の指導を受け入れるかどうか。貴方自身の判断、貴方自身の自由意志を貴方から聞きたい。

私は強制したくないし、不安も与えたくない。

私の教え--これは創造の真理と愛を含む永久不変の啓示である--を貴方に受け入れさせようとして、いかなる人間をも--たった一人の人間といえども--強制したくない。

私は私の援助を押し付ける為に、たとえ一人の人間といえども強制したくない。

しかし、私の援助を必要としない者は、自分の首に石臼を縛って、大洋の深い海底に沈んだ方がよいだろう。

貴方はこれを不正で非人間的やり方だと思うかもしれない。


それでは、地球人よ、一度これについてじっくり考えていただきたい。

そして、もし、貴方が真理を見つけたなら、私の助言が非常に賢明なもので大変人間的なものだと言うことがわかるだろう。

何故なら、次の言葉を熟考してみよ。

「貴方が一番大事な財宝を、ある場所に隠したとしよう。貴方はその管理に全神経を集中し、あらゆる苦労と努力をいとわないであろう。」

地球人よ、この言葉をよく考えよ。

地球人よ、まことに、貴方に告げる。

もし、貴方が死ぬ前に。貴方自身の中心的な熊度、見解、想念、癖、野心、感情、激情を変えなければ、貴方はそれらをインパルスによって霊界へ持ち込み、次の生まれ変わりへ貴方自身と共に運ばれるだろう。

つまり、それらは現在の人生で貴方の内部に存在しているし、死ぬ時にも消滅せず、貴方の次の転生でも存続する。

もし、貴方が自分の悪習を出来るだけ多く取り除くことが出来れば、次の生まれ変わりでは、貴方は一層楽になるだろう。

貴方はこれを立派な考えだと思わないだろうか。

確かに一つの過ちを除去することは、貴方の次の生まれ変わりを容易にさせる効果がある。

しかし、地球人よ、貴方はまだ多くのことを学ばなければならない。

だが、貴方が一つの人生ですべての過ちを除去し、すべての物事を学習することは不可能だ。

新しい、良い人生を準備するには、貴方は多くのことをしなければならない。

新しい良い人生とは、貴方を苦難、苦痛、悲惨、恐怖に陥れた全ての悪(その悪が貴方の内部に存在して、貴方に地獄のごとき生活を送らせた)を除去し、それによって貴方がその悪から自由になり、次の転生で、より自由な、より良き、より多くの知識と愛に満ちた人生を意味する。

生から死への変化と、その後の再生において、貴方がこれまで獲得した価値は維持されている。

従って、霊界での滞在中に何ものも今より悪化しないし、失われることもない。

つまり、霊界に滞在中は、貴方の獲得した価値はいささかも改悪も改善もされない。

そして、貴方は前の生まれ変わりで、正に最後に終わったところから新しい人生、新しい進化の段階を新しい生まれ変わりで始めるということである。

地球人よ、これは貴方の学校と比較出来る。

例えば、貴方が小学校課程の1年クラスから3年クラスまで履修した後、2年間休学したとして、そこですぐ5年又は6年クラスに再入学することは出来ない。

何故なら、2年間休学した為に、すぐに飛躍することは許さないからである。

貴方は3年生の知識しかもっておらず、休学した期間は何も学習していないのだ。

しかし、貴方が習得した知識は絶えず活用し復習すれば、決して失われるものではない。

そこで貴方は2年間の中断の後、教育を再開するのだが、貴方は貴方が教育を中断した地点の知識のレベルから再開しなければならない。

ここでは4年生から再出発する。

これは生まれ変わりにおいても同じである。

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007


前に述べたように、貴方は前回の生まれ変わりで終了した正にその地点から、今度の新しい人生を続けるのである。

無原則の享楽主義者、無分別な詐欺師、取り込み詐欺師、虚栄心の強い自慢屋、独善的狂信者、儀式宗教信者、狂人は、次の生まれ変わりに自分達の性格を持ち運ぶのである。

ただし、これは理性と知性によって真理を認識し実行せず、自己を悪習から解放しなければの話だが。

こうした悪癖は次の生まれ変わりで当人を一層苦しめ、彼の人生は、前回の人生より一段と苦境に満ちたものになる。

何故なら、再生の為の霊界滞在中に、彼は自己改善の為に努力するが、悪癖が強力な為に、彼はほとんど進歩しないからだ。

今説明したばかりだが、発達は飛躍しない。

なるほど、特に人間の場合は、意志の力で一瞬にして飛躍的発達をとげることがあるが、しかし、この飛躍的発達といえども、彼が所定の全課程を終了しないかぎり、高い地位へ上がれるものではない。

これを更に別の自然現象と比較してみよ。

葡萄の成熟する過程がある。

それに「感謝」して秋の成熟が早くなる。

そこで地球人よ、貴方の次の生まれ変わりの人生は、今度の人生と同じ状態になるだろう。

貴方が今度の人生で、霊的価値を蒔いて刈り取ったならば、次の人生へそれを持ってゆき、そこでも収穫するだろう。

もし、貴方がこれを怠れば、貴方の次の人生の霊的土地は休閑地となり、又、最初から貴方の土地に肥料をやり、沃土にしなくてはならない。

しかしこの仕事は、時には極度に困難になることがある。

その為に、貴方は現在よりも多くの苦難を味わうことになる。

貴方が霊界に滞在している間に霊的価値を消化し、吸収しようといくら苦心努力しても、貴方の前の生まれ変りでの否定的態度、誤った生き方の為に、貴方は最小限の努力しか払えない。

その間、時間はどんどん進み、他のすべてのものは貴方より進化する。

地球人よ、どんな誤りや激情であれ、それらが貴方の内部に存在しているならば、貴方が死ぬ時、貴方はそれらを必ず運んでいく。

何故なら、それらは身体の特徴ではなく、意志の特徴であり、貴方の想念と感情から造られ、貴方の性格に刻印される。

貴方の意志によって、貴方の内部に形成されたすべてのものは、潜在意識へ浸透し更に物質的領域と霊的領域の中間点(変換所)へ送られる。

それからそれらは霊力と蓄積インパルスへ変換され、貴方自身、つまり、霊に蓄積される。

そして貴方が再生した時、新しい身体は、霊からこのインパルスを受け取り、貴方が新しい人生の出発点で、自己決定する前に、すでにこのインパルスによって自分の特徴を造るのである。

通常、霊が受け入れるものは、純粋な霊的価値だけであり、しかも、それらは真実で是非とも必要性のあるものである。

人間の物質領域におけるのと同様に、霊的領域においても潜在意識が存在している。

正にこの霊的潜在意識の中で、どれが霊的に価値あるインパルスであるか、それが霊によって、受け入れるべきかどうかを決定するのである。

そこで、純粋に霊的な価値は、潜在意識から霊自体へ達し、残りのすべての不純な価値(感情、貪欲、激情、欲望等)は霊的潜在意識の中に留まる。
     
そして再生の時、新しい人間は霊的潜在意識の中のこの不純な価値を、物質的潜在意識が取り出し、それが宿命として、自分の性格を形成するのである。
     
純霊的価値と純霊的インパルスは人間の物質的領域から霊的領域に達すると、そこに定着するのである。

次のことは絶対に正しい。

霊的潜在意識と物質的潜在意識は自己検閲の役割のほかに、制御する役目を持つ。

つまり物質的潜在意識から不純な価値--完全に生命破壊的価値や霊自体を危険にさらす価値--が霊へ達するのを防ぐことである。

例えば喫煙などの様な不純な意志の表現である欲望や激情はインパルスによって霊的潜在意識へ達することはない。

何故なら、周知の通り、喫煙は器官的欲望であり、感情、意志、想念の所産ではないからだ。

ところが、アルコールやその他の有毒な物質の飲酒は感情、意志、想念の所産である。

何故なら、それらは直接脳の酸性に浸透し、意志、想念、感情に影響を与える。

この有毒物への欲望は、必ず次の生まれ変わりへ運ばれる。

ここで注意すべきことは、この移行は次の、又は第二、第三回目の生まれ変わりに起こるのであって、霊界では起こらない。

霊界では物質身体(肉体)は存在せず、従って、こうした欲望や激情に耽けることはあり得ないからだ。

更に霊界は、中性--プラスの平衡状態に保たれているので、そういうものを受け入れることは許されないし、ただ重要で、永続的な純霊的価値だけが存在するからである。

地球人よ、霊に属するものと身体(肉体)に属するものとを峻別せよ。
   
貴方がたの多くの人間が完全にこの認識に達するならば貴方の世界から大部分の悲惨、病気、犯罪が消えるだろう。

地球人よ、もし貴方が利己主義と、誤った他者への慈悲に無駄な労力を傾注することをやめて、自己訓練に精通し、同胞に対する誠実な感情を抱くならば、貴方の内部により多くの愛が満ちあふれ、地上は楽上と化すだろう。

もし、貴方が同胞に多くの愛と尊敬の念を抱き、悪口を慎み、裁くことを控えるならば、貴方は同胞に兄弟姉妹の感情を抱くだろう。

貴方は、真理の認識と実践を通して、すべての激情、憎悪、利口、主義、嫉妬、自己中心主義を克服することによって、初めてこの水準に到達できるのである。

しかし、貴方は前進しなかった。

何故なら、貴方はこのことを実行しなかったし、誠実な知識、愛、真理をもって次の様に言えないからだ。

「私は真理を認識することによって私自身と同様に同胞を知り、愛するようになった。」

地球人よ、貴方は知識を身につけてもいないし、愛もない。

ただそういう振りをしているだけだ。

貴方は大言壮語し自慢し、自分のことを賢明で、正直で、愛に満ちた人間だと言っているが、一体どこにそんな権利があるのか。

自分自身のことを一度も知ったことが無い程、無知であることを貴方自身が一番よく知っている。

貴方は自分が無知であること、即ち自分自身を知らないのだ。

貴方は大きな真理を知っていると信じているが、それは実は盲信であることもよく知っている。

貴方は儀式宗教の文句に惑わされ、その嘘を尊重し、無意味な狂信的主張を真の真理と見なす。

無知な貴方は、宗教教義に支配されている為に、自分の力で真理を探究し、発見し、自分のものにし、それに従って生きる力もない。

そういうわけで、貴方は、自分は大きな真理を知っており、そして、天国の祝福を受ける時が熟したと盲信している。

しかし、貴方は天国と同様に天国の祝福がどういうものか、想像もできないし、理解もできない。

貴方は、天国は神の永遠の財宝が満ちている所であり、その場所は、惑星地球の上にたなびく雲のはるか上空に存在すると誤って信じている。

天国と地獄は場所を意味するのではなく、状態であることを貴方は知らない。

その状態とは、貴方の内にある人生観であり、人生の指針であり、その実践である。それは人間の内部にある。

地球人よ、貴方の陥っている優勢な状態の中で最悪のものが吝嗇(ケチ)である。

何故なら、貴方の吝嗇が全てを金の為に犠牲にさせるからである。

貴方は飲み食いも差し控えようとする。

貴方の吝嗇哲学によれば、そんなことをするのは勿体無いのである。

貴方は飢えに耐え、自分の霊を苦しめる。

何故なら、貴方の吝嗇の為に、貴方は金と富のみを追求するからだ。

貴方は貪欲のあまり、次のことを考慮する余裕がない。

貴方の死後、貴方の遺産相続人達はほくそ笑みながら、貴方が苦心して蓄積した全ての富を受け取ると、それを惜し気もなく浪費する。

ああ、地球人よ、貴方の吝嗇の状態がなんと惨めなことか。

貴方はその為に地獄の苦しみを受けるのだ。

何故なら、貴方の金と財宝は貴方の全てであり、貴方の生命である。

貴方は自分の身体と生命をそれに託する。

従って、貴方の生死を決定するのは金と財宝である。

確かに私は、貴方の吝嗇がどの程度のものかをよく知っている。

それは丁度、貴方がたとえ一円、一銭を人に与える時でも、自分の肉体の一部を切り取る様な、身を切る辛さなのである。

地球人よ、貴方が金と富の貪欲を断ち切って、初めて貴方は助かるのである。

そこで初めて、貴方の物質意識は自由になり、他の事柄に献身できるのである。

自由になった貴方は、次のことを理解するだろう。

貴方の惑星地球では金は確かに必要であり、それで生活し、必要な物を手に入れるのだが、しかし、金の利用は一定の限度内で、釣り合いを保つことが必要である。

つまり、金と富は利己的目的で蓄積してはならないのであり、その為に、貴方の同胞が悲惨、貧困、飢餓で死んではならないということである。

貴方がこの理解に達したなら、貴方は更に次のような認識の光が貴方の内部で燃えるだろう。

貴方は自分の金と富を、威厳が保てる形で誠実に、貴方の同胞の間に分け与えることである。

つまり、貴方がそれを正しい事柄に適切な形で利用すれば、何か良いことをしたことになり、生命さえも助けることになる。

それから、貴方は突如として次のことに気がつくはずだ。

貴方は同胞に真理を教え、霊と真理の教えを普及する為に自分の金を利用することだ。

しかし、地球人よ、貴方がこれらのことを学んだならば、貴方は更に次のことを学ぶことが必要である。

すなわち、霊的生活にどんな意義があるのか、それはどんな内容なのか、その中にどんな深い価値が隠されているのかについてである。

ところが今まで、貴方は吝嗇、富への貪欲な追求、利己主義に支配され、貴方に従順で親密な人々に取り囲まれて、物質主義的生活を送ってきた。

貴方は他人を犠牲にして生きている。

貴方は自分の利益になると考えたり、富が獲得できると思えば、貴方は同胞さえも殺害する。

たとえ、相手が兄弟、姉妹、両親であろうと、構わない。

誠に殺人と犯罪の大部分は、金という富の神への愛から行われる。

人間の目的と努力の大半は金に向かうのだ。

地球人よ、いよいよ貴方は、知識、英知、愛、真理を学び、貴方の中に、創造の法則と掟を貫通させよ。

さすれば、貴方が義務を遂行する時に、それらは貴方の内部で活動する。

次に貴方は、七層の原理がすでに予定した通りに生きよ。

そうなれば、ついに、貴方の世界は幸福が支配し、貴方の未来は楽園となるだろう。

地球人よ、次のことを貴方が受け入れようと否定しようと、それは真理である。

天国と地獄は貴方自身の中にある。

それらは貴方の中にのみあって、貴方自身がそれらを造るのだ。

貴方が今後天国を作るか、地獄を発達させるかの決定は貴方自身が解決すべきことである。

たとえ、貴方の不合理性と誤った決断によって将来何百年、何千年も地獄が出現したとしても、私か貴方に変わって引き受けることは出来ないのだ。

貴方の未来を良きものにするのは、貴方自身の決断力のみにかかっているからだ。

地球人よ、貴方の中に永遠なる力の火花が燃えている

それが貴方の人生を導く、

しかし、それが貴方の内部にある

なお多くの暗部を照らす必要がある

何となれば、貴方の中に厚い雲がかかって、愛と知識が育たないからだ。

もし貴方が、立派な真の人生の進路を見つける為に高い山に上って眺望したいならば、貴方の内にある火花に、貴方白身を一致させよ

そうすれば、それが貴方を創造の生命へ案内する

貴方がすべての真理が輝く人生の更に、輝ける頂点に登りたければすべての人生で、愛と畏敬の衣服を着けよ

貴方が生きている間に
天国へ向かって高く飛びたいならば
貴方が生命へ向かって高く持ち上げられたいならば
貴方は愛をもってすべての真理を
実践することを心底から誓わねばならない

貴方が真の愛において大いに繁栄し
畏敬と真理に献身したければ
真の英知に完全に輝き
すべての法則の真理に従って生きなければならない

人間よ、この世界が消え去る前に真理はいつでも貴方に現われる。そして、貴方が惑わされて刻み続けた刻み目のすべてが消える

人間よ、世界は貴方の足跡を記録する

世界は貴方の不条理と悲惨を目撃する

何故なら、貴方はこの惑星の聖所を汚し、ゴミ捨て場に変えたから

しかし、貴方は自由の王国を造ることが出来る

そこで貴方は自由で善良になるだろう  

もし、貴方が真の認識に達し、心が完全に真実になり

悲しみへの号泣を止めるならば

昔から根絶されずに残っているもの

善いものと真実なものの、全てを強力に抑圧してきたもの

今後も貴方からすべての愛を奪うもの

それらすべてを貴方が克服した時に自由の国が造れるのだ

そこで地球の人類よ、貴方は確信をもって悪と不真実から自己を解放させよ

さすれば、地球人よ、永遠の愛の中で、貴方は歓喜に浸るだろう

人間よ、たとえ、貴方が悪に陥り、運命の強大な力に打ちのめされようとも、いつか貴方は、貴方を苦しめている全てのものから自由になる

人間よ、いつか貴方は歓呼して真理によって愛と静寂が生まれることを悟るだろう

人間よ、真理は貴方の周囲にあまねく広がっている

それは創造の愛という王冠をしっかりとかぶっている

創造は自己を宇宙に拡大した

しかし、貴方は長い間創造を嘲笑した

そして、悲しみが貴方の顔に多くの深いしわを造った

何故なら、明らかに貴方は、自分の意志で邪悪で激しい波を起こした
 
こうして貴方の内部にある全てが涙の海となった

人間よ、貴方はすべてを苦難に変えるだけだ

何となれば、貴方を動かしているものは、ほとんど憎悪と嫉妬である

しかし、このような生き方では貴方は決して喜びを見出すことは出来ない。不正から、喜びは決して生まれない

これを認識せよ、

真理は一度も貴方に背を向けたことはなかった

しかし、貴方は自分の内部でそれを

決して享受したことがなかった

真理は心からそれを貴方に望んでいたのに

人間よ、貴方は自分の生命を汚した

貴方は自分の内にある

全ての創造の真理を覆い隠した

貴方は生涯を自分の思いのままに生きてきた

その人生は不正で困難に満ちていた

だが見よ、今貴方は真理に向かう
   
そして最後に貴方は愛に満たされて笑う

人間よ、一度自分の地球をよく見よ

自分の惑星、この不思議な世界を地球を目覚めさせる為に援助の手を差し伸べることを強く希望せよ、

よく見よ、地球は捕らえられている。貴方と、貴方の財産と金貨によって貴方の想念の世界から、これらの悪質な事柄が完全に消え去ることを強く望め

もし、貴方が誠実になり、無欲になれば地球は良き時代を迎えるだろう

そして栄光に輝く貴方はこの世界を再び闊歩するだろう

人間よ、地球は貴方の泉である
そこから生命が永久に流れ出る
地球は生命、光、輝きである
そこから愛が貴方に注がれる

人間よ、もし、貴方が利己心を克服したならば貴方は自分の中で真実に生き、働く

何故なら、貴方は寞理ヘの道を見つけたのだ。それから、貴方は大急ぎで愛へ向かう

人間よ、貴方は自分の人格形成に真理と尊い力に満ちた、自分自身の言葉が必要である

それは貴方自身の中に光が生まれる為である

この光が貴方の内部にある全ての悪を打ち破る

生涯愛の中で生きよ

愛を最終的真理として生きよ

さすれば、

貴方は尊敬されながら死ぬ

それから真の創造的生命へ向かう

地球人よ、最初貴方は自分の流儀と想像力に頼って、幸福と満足を求め歩く。

確かに私は、今まで貴方に多くの問題を論じ、幸福と満足をどこで、どういうふうに見つけたらよいかを貴方に教えた。

それでもなお、貴方の追求はもっぱら外的な、滅すべき事柄、物質主義がたちまち繁栄する、日常的なものに向けられている。

しかし、地球人よ、貴方の追求は無意味で無駄である。

真の幸福と満足は、貴方の生活の物質的領域には見つからないからだ。

貴方がたの同胞の中で、物質主義に冒されていない人間、人生で一番重要なものは真理と愛であることを知っている人間はほとんどいない。

なるほど彼らはしばしば愛と真理について語る。

しかし、彼らの本当の意図と意志は彼らの言葉と一致しない。

彼らは表面的なことだけを語っているにすぎず、自分達は善良で敬けんであると、同胞から見られたいからである。

彼らの底意は物質的価値を狙っており、他の地球人と同様に出来るだけ苦労のない、快適な生活を送りたいのだ。

彼らは人前で平然と偽善的祈りを行う。

「神様、私達に知恵、力、援助、義務を遂行する能力を授け給え」

こうして彼らは同胞から、自分達が立派な人間であると見られたいのだ。

こうした敬けんな?連中は地獄と極楽を永遠の拷問を受ける場所か、永遠の喜びと安楽がある所だと想像している。

彼らは何ものも地獄、極楽を変えることは出来ないと信じている。

ところが、事実はそれと正反対である。

この迷信を信ずるものは一層堕落する。

さて、こうした哀れな狂人達は、儀式宗教の熱心かつ敬けんな信者だと自称し、次のように仮定する。

天国はどこかある場所おそらく、宇宙の外側だろう――に所在し、そこでは神御自ら支配なされていると。

この哀れな愚者達は、真理に一歩も近づいてはいないのだ。

彼らは、天国とは場所ではなく、人間の心の状態を指すのであり、又、神は、儀式宗教が信者を搾取し、その指導者の利益獲得の為に造られた虚構の存在であるということを、識別出来ないのである。

存在するものは創造のみであり、その創造から万物が現われたこと、又、創造者の機能を持つ神や、創造の命令によって創造を代表する神は存在しないということを理解しようともせず、彼等が認めようともしないのであれば、一体どうやって真理に近づくことが出来るのか。

根本的立場から見ると、誤った教義に惑わされた人間がこうした考え方をするのはむしろ当然である。

彼等の思考能力は、僅かしか発達しておらず。

従って、次の様なことを認識出来ない。
     
創造は永久に存在し、万物の中に現存し、ここ、あそこ、すべての中に、至る所に存在している。

これからはっきりすることは、創造は人間のように、一定の姿形を備えているのではなく、純粋の霊的エネルギーであり、万物を貫通し、自己の存在によって万物を生かすのである。

特にキリスト教という儀式宗教が、その信者に次のような狂った教義を教えるとは、何という妄想に陥っていることか。

すなわち、神は創造であり、創造は自己の姿に似せて人間を造った、創造は、人間の形を取って自己を現れした、その人間の形をした創造は、すべての点で神であると。

又、この宗教はこうも教える。
   
人間の救済という途方もない仕事を遂行する為に、全宇宙の創造者である神は、人間の姿を取り、イエス・キリストとして地上をお歩きになられたと。

なるほど、キリストが数々の奇跡を行った時には、神の全能性を証明出来たかもしれない。

彼は磔刑の最後の瞬間に唯の人間になったが、

これにより現世において滅すべき肉体と魂を霊化して永遠の生命を得ることは、普通の人間にも出来ることを明らかにしたことであろう。

キリストの全生涯と教えは基本的には現世における人間の、重要な使命についての大きな指標となるであろう。

しかし、儀式宗教のこうした狂気の主張には、次の様な疑問が残る。

どうして32年間、宇宙は存続し、維持されたのか、その間神は、宇宙を管理していなかったのに。

というのは、誤った教義によれば、神は天国の王座を去って32年間、キリストという名前の人間として地上を歩き、人間のあらゆる不合理と不信心と戦ったと言われているから。

そこで誰でも次のことに気がつくはずだ。

つまり、神御自らキリストという人間の姿になり、地球人と戦い、同時に、全宇宙を管理し活動させることは不可能である。

ひどく愚鈍な者でも次のことぐらいはよくわかる。

神が人間になったという主張は、神の全能と大愛と同様に地球人を隷属させ搾取する目的で考えだされたペテンである。

その神は、自分が全能かつ大愛であることを、現在のこの瞬間まで決して証明していないのである。

何故なら、どうして地球上に何千という宗教や宗派が、人間に危害を加え、地上は殺害や謀殺で血みどろなのか。

たとえ、人々がこの神に何かを期待しようとも、又、この神に全知、全能を与えようとも、彼らの誤った妄想はいつまでも妄想のまま残るであろう。

というのは、その神は、どんな小さなことを為す力もないし、この世界の悲惨を一つでも取り除く力を決して持たないという事実は昔から今まで証明されてきたし、その神の無力は永久に証明され続けるであろう。

聖者と天使を従えたこの神は、ある地球人達の考えだした想像の物語にすぎない。

彼らはこの虚構品を通して、人々を不安と恐怖に陥れ、白痴化し、搾取し、血の戦いを続けてきたのである。

常に真理に目覚めている者は、自分の生活をも厳しく監視する

そして、彼は、たとえ夜でも、人々に光を灯して平安を与えるだろう

心の内に真理を維持する者は愛の実践においても純粋である 

人類よ、彼の内に畏敬の念が、純粋な形で生きていることを認識せよ

愛を愛として愛するものは

常に賢明であり、寛大である

彼は愛と静寂が何であるかを知っている

それで彼は着実にその為の準備をする

愛に満ちた生活を送り、心の準備をする者は英知の立派な腕の中で休む

何となれば彼は永遠の為に生きるのであり他者の同情を必要としない

人間は賢明になるべきだ

二度と苦痛を経験しない為に貴方は生命と真理の心の輝きの中で自分の人生を生きるべきだ

地球人よ、次のことを率直に認めよ。

貴方は数多くのことを知っている。

実に非常に多くのことを知っている。

しかし、根本的立場から見ると、貴方はほんの僅か、あるいは全然何も知らないのだ。

次の言葉は実に正鵠を得ている。

「私は何も知らないということを知っている。だから私は多く知っていると言える。」

まことに賢明な言葉である。

しかし中には、したたかな者がいて、自分達の優越性を誇示する為にこの言葉をよく引用する。
   
彼らは自分達が、他人よりも大きな知識と英知を持っていると錯覚する。

ところが実は全く逆である。
   
この言葉を引用する者は、他人を中傷し、彼らを自分達より劣った者だと見せようとするのだが、実は自分達の驚くべき愚昧さを隠す為に、この言葉を引用するので、かえってその愚昧さを証明することになるのだ。

これは確かに遺憾なことだが、人間はこれを真似てはならない。

真理を踏みつぶし、真理の教師の言葉や書物を、徹底的に破壊しようとする大勢の人間がこの世界を跳梁ばっこしている。

これらの破壊者は一体何者なのか。

彼等は正に哀れにも踏みつぶされた虫けら共であり、いつでも踏みつぶされる可能性があるので、真理の認識者や真理を人類に教える全ての教師を絶えずやっつけようとする。 

真理の教師に対するこうした迫害は批評家、賢しら人、破壊者、踏みつぶされた者の心の中にある一般的不安と臆病さから生まれた恐怖の表現である。

何故なら、こうした連中は真理を無視した生活をしており、自分達の臆病さを暴露されることを恐れている。

こうして彼らは最悪の生き方を続けているが、そこから苦心して脱出しようとする力もない。

真理を破壊しようとする、哀れな心の小さな虫けら共は自分達の不安を満足させる為に、嘘や悪質な奇策を用いて、同胞に危害を加えようとする時、古い英知の諺を引用して、自分達のことを自慢するのだ。

地球人よ、何故私がこんなことを書くか、と疑問に思うかもしれない。

その理由はきわめて簡単だ。

ある批判者、賢しら人、高位聖職者、分派論者、狂信者達は、本書が出版されると、本書に述べられた全てのことを、塵芥として踏みつけ、虚言だと言って非難を始めるだろう。

というのは、本書で明らかにしたように、彼らは心の小さな、邪悪な虫けらであり、真理の一言さえ受け入れる能力も勇気も決してない。ましてそれを書いたり発表したりする力はない。

そこで彼らは、私の真理の言葉が広がるのをあらゆる手段を尽くして阻止する為に戦うだろう。

彼らは古い哲学者やしん言家(例えばゲーテ、ソクラテス、シラー、ショーペンハウエル、ニーチェ、アセン、アリストテレス、カント等々)の空疎な学説やしん言、英知と愚昧さの混ざりあった警句を引用して私を低能、嘘つき、狂人だと非難するだろう。

これは当然起るべくして起ることであり、昔から予言者は自分の故郷では認められなかった。
 
予言者は、太古以来人々から迫害され、殺害された。

そして予言者が死んだ翌年、あるいは数十年後、あるいは数百年後、初めて彼の言った言葉は、真理であったと理解し認めるのである。

私が太古の時代の生まれ変わりで、何者であったかについて語りたくない。

もし、その事実を明かせば、この世界に大騒動が巻き起こるだろう。

そこで次のことを言えば十分である。

私は数千年以来迫害や中傷には慣れているので、数千年後の現代において、私は再びこの使命を引き受けることに同意し、最後まで戦い抜く決意をした。

私はよく知っている。

今回も前回と大差はなく、私は中傷され憎まれ迫害されるだろう

(既に本書を書いている時点迄に、私は4回も私の生命を狙われた)
   
しかしそれでも私は、私の力の及ぶかぎり最後まで不退転の決意で私の使命を遂行するつもりだ。

私が今度この世界にやってきたのは失敗する為ではなく、私の使命を成功させる為に来たのである。私に向けられたいかなる妨害、憎悪、脅迫を乗りこえて、私は私の使命を必ず成し遂げるつもりだ。

私がこの世界に来たのは、沈黙する為ではなく、真理と霊に関する真の教えを知らせる為であり、この世界の誤りと堕落に陥っている全ての地球人を糾弾する為である。

私がこの世にいなくなって、貴方に調和の道を助言出来なくなっても、貴方はそれによって、貴方が今どんな道を歩いており、今後どんな方向へ進むのかが認識出来るだろう。

まことに、まことに、地球人よ、貴方に告げる。

地球人のいかなる耳目にも触れることがなかったもの、地球人のいかなる心も考え及ばなかったものが私に愛と論理的真理と英知を啓示してくれた。

その結果、私は貴方に、創造の法則と、掟の実践と、創造の愛の実践を通して霊、愛、真理、英知の教義を、真の意味で明らかにすることが許されたのである。

まことに、最初にして最後の、理解への唯一真実のかぎがここにあり、それは貴方にとって真の生命であり、真の生命そのものである。

地球人よ、創造は万物をこえた存在であり、全世界と全宇宙の全てのものの中に存在し、創造の法則と掟を通して、全での被造物に対して誠実で、純粋であり、真の愛に忠実である。

従って、地球人よ、貴方は不屈の精神をもって創造を信頼し、
貴方の頭脳と理性を活用して
尊敬の念をこめた、真実の愛をもって
創造から与えられた命令を守るべきである。

しかし、地球人よ、その為には次のような貴方の同意と告白が前提となる。

なるほど貴方は多くのことを知っているが、根本的なことは何も知らないし、あるいはほとんど知らない。

そこで貴方は、自己を励まし大いに苦労して、全ての事柄の中に宿る真理を探究し、発見することに努め、それを自分のものとし、今後万物の法則を守り、正義において貴方の義務を遂行しなければならない。

ソロモン王はかつてこう語った。

「賢者は他人の経験から学ぶ。愚者は自分だけの経験から学ぼうとする。」

ソロモンの言葉は正しく賢明な言葉である。

地球人よ、貴方は今日でもなおこの言葉に従うべきである。

英知を語ったのはソロモンだけではなく、イマヌエルやその他多くの人間が語った。

予言者や賢人、その他の者達が、貴方の幸福と愛の為に英知を語った。

しかし、貴方は今までいつもこうした助言を全て無視した、投げ捨てたりしてきた。

しかし、再び真理と英知の言葉が貴方に与えられるべきである。

それは貴方の未来にとって道標となるだろう。

だから私がこうして貴方に告げる言葉によく耳を傾けて貰いたい。

英知は骨も折らずに、外からひとりでにやってくる生命の財産ではなく、自然の中に法則性を認識し、創造の法則と掟に従って生活した体験から学習するものである。

しかし地球人よ、もし、貴方が思考もせず、探究もせず、見つける努力もしなければ、貴方は英知を獲得することは出来ず、愚者にとどまるだろう。もし、貴方が英知と真の生命を失った時は、号泣せよ。

しかし、この問題に関しては誠実で賢明であれ、賢者は失ったものや死者や過去の事柄に関して嘆き悲しむことはないからだ。
愚者は嘆く価値もないことに嘆き、その結果、悲嘆を一層拡大し、苦境と悲惨を招くのだ。

愚者は自己の欲望を制することが出来ず
自分の身に降りかかる損害を理解出来ない
彼はそれを利益と思う
損害を真の利益と思う。
同様に有利を不利と思い、喜びを苦痛と思い
そして苦痛を歓喜と思う
愚者のみが自己の運命を待つ
ところが真実は、運命は自分で用意するもの
しかし、彼はそれを理解出来ない
彼は焼かれていない壷と同じだ
それを水に浸すと壊れてしまう

人間よ、創造の法則と掟を理解せよそれを認識し実行せよ。
何故なら、それは貴方にとって可能な全ての英知を含むから

英知に匹敵する人間はいない、無知に匹敵する暗黒もない
霊の力に等しい力は存在しない
霊的貧困にいささかなりとも等しい戦慄は存在しない

最高の喜びは愛における英知である
最上の友は知識である。霊の力に勝る救助者はいない

愛の水が真に流れる人間は、それを見分け、楽しむ

太陽は全ての人を照らす
善人にも悪人にも等しく照らす
太陽は怒らない、
たとえ、人が光を浴びつつまどろんでも

生命の愛は平和であるように、生命の平和は愛だ

貴方の心が愛に向かう時
その心は求め求めて、貴方の中の平和を求める

何よりも自分のことだけを考慮し、自分だけを愛する人間程、
この世で邪悪で、情味の乏しい、心の狭い、冷血な人間はいない

もし、貴方が愛の為に勇気を出そうと努めているならば
貴方は自分の人生を立派なものに造りつつある

太陽の光は生命となり、愛は生命の喜びとなる

愛は決して遊びではなく、宇宙の目標である

貴方は、決して自分を、実力以上に偉く評価するな
そうしなければ、悪魔が貴方の魂を食いつぶす

自分の同胞の頭蓋骨を打ち砕いた後で、こう祈る人間が多い
 ああ、神様、お許しください。彼は悪いことをしたのです
だから、私が殺さざるをえませんでした

多くの人間は、沈黙を守ることによって自ら悦に入る
何故ならそれによって彼らは他人を苦しめるから

決して賞揚されることを熱望してはならない
賞揚は貴方を死へ連れてゆくから

苦境と死から、強い救助者の腕の中へ
真理は貴方を常にあわれんで救出する
生命を愛する者は死を恐れないし、
彼は正直と勇気を決して後悔しない

人間が十分な認識に達したならば
大きな質問をすることを控え
分相応のことより以上のことを知ることを慎む

どれだけ真理の知識を知ればよいか
これを知っている人間は数少ない
真理の知識が人間にいかに知られていないことだろう

人間よ、時を活用せよ。
時はすばやく過ぎ去る・・だから気を配れ。
貴方の時と人生が無意味に過ぎゆかないように、
過去を貴方の教訓とせよ
そして貴方の種を現在に蒔け
未来に、貴方の種が芽を出すかどうかは、真理と能力にかかっている

偽善にこり固まった者に、悪をなしてはならない
彼らは石の上で成長したのだ

貴方が正直と真理を、威厳を保ちつつ担いたいならば
有利な時に決して自慢してはならない
不幸な時に決して嘆いてはならない

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008


真の人生は、知識、真理、英知、そして愛が支配しているところにある

きわめて多くの人間が、絶えず貴方を軽蔑しようと口実を探す

彼らはこの方法でしか、自分の卑劣さを慰めることは出来ない

ハゲタカのような儀式宗教は大いに繁殖している

今や彼らは生きている獲物をおそい、腸を抜き取り、血までも吸い取る

儀式宗教は偽善である。それは信者に、誠実に他人の為に祈れと命ずる、しかしそれは信仰の衣に隠れて、信者に益々暴力を振るう為である

地球人の友情が真に試される時は一般にそしてそれが、残念ながら最も良い機会だが不幸が友を引き裂く時だ

人間が生命への真の勇気を所有しているならば、彼はその勇気に従って生きる。

そして彼は傷を受け、傷跡が残る

人間よ、熟考せよ

貴方の同胞の大半が、貴方の中に許すべきものが何もないと

判断した決して人を、その社会的地位から賞揚するな

常に、彼の知識と英知からのみ賞揚せよ

貴方自身を認める最上の方法は同胞よりも、貴方自身の中に多くの欠点を認めることである

人間は何もせずにただじっと我慢したり、熱望するだけなら罪を犯す事になる

しかし、たえず熟考すれば、常に勝ち取ることが出来る

周到に自分を守れば、認められるようになる

いかなるものも貴方にとって無価値だ。もし、それがたえず貴方の知識を増加させず、貴方を喜ばせず、賢明にさせないならば。

今日貴方に何か良いことをする機会を与えられたら、今日それをなせ、明日に延ばすな

何故なら、明日は更に何か新しい良い事をする機会が訪れるだろうから

決して無責任な言葉を語るな

そうすれば、憎悪の滴が貴方の手に滴るだろう

決して約束を破るな

そうすれば、敵をつくることになる

貴方の視線よ、しっかり前方を見据えよ、そして真っ直に立て

貴方が今、愛と喜びに浸っていようが、あるいは苦悩していようが勇気を持って前進すれば、貴方の幸福は確実なものになる

だから、決して過去を振り返るな

自己を信頼して、ただ前のみを見よ

貴方の未来に立派な幸福を実現させよ

強情なロバが荷物を拒むと、御者はロバを激しく鞭打つように、強情な人間も、憎悪を自ら積み重ねて、ついに全ての愛と友を失う

こういう格言がある。「語るは銀なり、沈黙は金なり」

しかし、秘密を守ることは愛の最高の報いである

誠実さの深い意味は、不動の真理の中にある

不幸が貴方を襲ったならば、ライオンの勇気をもってそれに耐えよ。

勇気を出し、知識を活用すれば、全てが元の様に良くなる

ある作品の製作者を賞賛するには、その作品は優れたものでなければならぬ、心を高揚させるものでなければならぬ、額に汗して作ったものでなければならぬ、鑑識家はそれをよく承知している

ああ、人間の子供よ、最上の幸福は知識と英知である、自分の義務を遂行することによって。

貴方は常に自分の人生を明るくする

勇気と知識が真理に届くところでは、貴方の発見物は子供でもよくわかる

知識の英知が勇気を持つところでは、貴方の人生は楽になる

もし、貴方が永遠と一つになれば、貴方は楽に死ねる

もし、貴方が他人に秘密を漏らし、信頼を裏切れば貴方はいつも人から酷く恨みを買い、敵意を持たれる。

あらゆるものが人間に報いるのは、彼の中に愛と平和が支配した時、あらゆる才能の中で最も驚嘆すべき才能は自己の中に愛を担うことである

愚者達をして号泣し慟哭せしめよ、それにより無知から開放され故、昔も今も最上の人間が十字架にかけられる

野蛮な、怒号する、無知な群衆によって、憎悪と貪欲に満ちた無知な人間によって---彼らはしばしば野獣より劣る

貴方が真に誠実で畏敬の念を抱くならば、その為に貴方は人々から苦しめられる。

彼らは真理を十字架にかけ、貴方は生まれてから死ぬまで苦しめられる

貴方が言葉を出す前に、一つ一つの言葉を調べよ

舌はしばしば頭脳が考えるよりも、早くしやべるもの

もし、貴方が自己を認識したければ、他人の行為を観察せよ

もし、彼らの行為と生活を理解したければ自己の感情と想念に注目せよ

言葉より行為の悪い人間は、決して人間の名に値しない

真理の為に絶えず戦う者は、真の知識の訓練を受けている

貴方が人生の谷を歩けば、喜怒哀楽を感じる

だが、教育によって知識を偉大な高さに高めよ

さすれば、英知がこの世のものとも思えないほど美しくなる

愛、威厳、理解、英知をもって耐えるのは同胞の失敗であって、貴方の失敗ではない

人間よ、時間の中を、知識を獲得しつつ悦びつつ歩め

何故なら、喜びと知識は貴方を永遠へ運ぶ

氷が溶解するごとく、雪も解けて水になるごとく死も全ての生命を溶かしてしまう

貴方の人生の年月が過ぎ去るごとく貴方の人生の嵐も吹き荒れて去ってしまう

賢者は多くの知識を所有しているだけではなく、その知識を、良い目的に活用する英知をも身につけている

生命を愛するものは死を恐れない

彼は決して自分の行為を一生涯後悔しない

貴方が正しく生きたいと思うならば死に際に自分は全ての面で英知に従って生きてきた、と

言える様に努力せよ。そうすれば霊界で苦しむことはない

知識と英知は決して貴方を貧困にはさせない

それを通して貴方は幸福を手に入れる、両腕にしっかりと

求める者に対して、決して貴方の手を引っ込めるな

その手を広げよ。丁度それは炎熱の砂漠の泉と同じだ

それは見知らぬ国をさ迷う全ての人を慰める

そしてそれは死を前にして生きることを保証してくれる

自分の中から知識への渇望を捨てるな英知が広大無辺であることを悟れ

多くの人間は不平を言いながら、悲しみながら、自分の人生や運命を耐えている

もし、人が自分の中に英知を身につけているならば、決して自分の存在を嘆き悲しむことはない

言葉や行動において、そして物を与える時、親切であれ

生きる為には理解が必要だから

僅かに二つの言葉、しかし、それはある人には拷問と同じ二つの言葉、言うのは簡単、だが、支えるのはとても困難

進歩がなければ未来はない、生命がなければ愛はない

未来と生命がなければ世界は死だ、死という事は存在しない事だ

もし、知識、愛、英知がなければ、人間は一片の価値も無い。

理性の欠如した人間をして、大いに怒号させよ、だが、貴方は真理の道を、自信をもって進め

不合理に対しては打つ手はない。

だから、よく考えよ、最上の人間はこれまで、いつも十字架にかけられてきた事を

不誠実な態度で、不真実を語るな

何故なら、それは邪悪な目的に向かうから

決して自分の人生の時間を無駄にするな、それは詳細に測定されるから。

人間よ、いたずらに誤った道を求めるな。奇跡と恩恵を求めて儀式や神に頼るな

何故なら、世界の愛に関して、貴方が得た全てのものは、貴方が自ら働き、種を蒔いて得たものだ

貴方の刻苦は常に全体を成就する為の刻苦であり、又、一つの全体になる為の刻苦である。

しかし、たとえ、貴方が一つの全体になれなくても、それは進化の鎖の輪をつくる。

その輪は一つの全体と完全に繋がっている

貴方の目を常に真っ直ぐ最高のものに向けよ

今日も貴方の達成できるものに刻苦せよ

賢者は決して貧乏ではない。

彼の豊かさは決して金に在るのではなく生命の法則をよく実行し、愛の強さをもっている点にあるのだ

この法則と愛は堅固な基盤を創り、決して賢者から離れない

しかし、金は風に吹き飛ばされた砂のように胡散霧消する

貴方が愛によって活力を取り戻したいならば、真理を見つけねばならぬ

悲惨を一度も体験しない者は決して至福を味わうことはない    

創造は罰を知らない。それは人間が発明した報復だ

英知は遺言によって継承されるものではない。物質的遺産は、人間を堕落させる

貴方が産声をあげる、すると家族の者が貴方が、この世界の光の中に生まれてきたのを喜ぶ

貴方が息を引き取る時人々から惜しまれるような生き方をせよ

貴方が時間について考察する時、時間には二枚の翼があることに気がつくはずだ。その一翼で、貴方の喜びを強奪し、他の翼で、貴方の涙にぬれた顔をやさしく愛撫する

真の英知は創造の中にあり

創造から生まれ、

創造に向かい

創造の中で成りたつ

創造の祝福の中で、貴方は満足を見出す

あらゆるものは真理と共に始まる

あらゆるものは真理と共に活動する

あらゆるものは真理と共に完成する

あらゆるものは真理と共に生き延びる

あらゆるものは真理と共に存続する

人間よ、真理の前で恐れるな。真理に従うなら、貴方の思考から恐怖がなくなるり

何故なら、真理に基づく無恐怖のみが人間的恐怖を貴方の中から取り除いてくれる

見せかけの誠実と偽りを続ける事は、人間の名を汚すことになる

我々の世界で最上のことは、各自が在りのままの自分になることだ

丁度良い時に事を処理出来る者は、正しい道を歩む。しかし、時を早めに急ぐ者は、論理と矛盾する

人生が貴方を置くところに、勇気と忍耐をもってとどまれ

風が世界を吹き抜けて行くように人間の生命もいつかは消え去る風が受精に役立つように進化の進路も人間にほほえむ

人間と風はいくつかの共通点があるそして両者は永遠の存在になる

人はよく賢い言葉を語る・・・しかしそれは地獄の宝物にすぎない。だから、その言葉の本当の響きは、邪悪な嘲笑を表わすのみ。

しばしば諺が引用される、しかし、それは誤りしか含まれていない諺、矛盾と無内容に満ちた諺だ

人はよく諺を持ち出す、しかし、そのやり方は論理を台無しにする誤った諺を正しいと認める時、不幸へまっしぐらに走る。従って、諺は十分に考慮すべきである。貴方と私か語る賢明な言葉のように         

地球人よ、賢明な人々が、昔から貴方に賢明な言葉を授けてきた。しかし、いつも貴方はそれを無視した。

同様に、過去数千年間に何千回となく貴方に語られた予言の言葉も無視された。貴方はイマヌエルが二千年前に教えた。最も重要でよく知られている教えを全然考慮しなかった。

それどころか、貴方は彼の予言の言葉から、あえて儀式宗教--キリスト教なるものを造りあげた。

地球人よ、貴方は予言の言葉に決してし括目しなかったし、かえって、それを嘲笑し、無惨にも予言者を十字架にかけたり、迫害したり、出来れば殺すことさえ厭わなかった。

貴方に与えた予言が的中すると、貴方は、それからはずっと能弁家になり、予言者を持ち上げ、神聖化し、賢者だと賞し、賛美したのだ。

しかし、予言者の存命中は、彼ら(予言者)を迫害し、嘲笑し、あらゆる手段を尽くして彼らの活動を妨害し、強制的に無視し、悪い評判を起こした。

貴方は将来も同じことをくり返すであろう。

まことに多くの予言者は、過去数千年間この地上を歩いた、しかし、貴方は彼らを一人残らず中傷した、

彼らが困難で苫痛の多い生活を終えた後、あるいは彼らが殺害された後で、初めて、貴方は彼らを認めたのだ。

何故なら、彼らの死後数十年、数百年、数千年経って、彼らの予言が実現した時、貴方は、彼らが本物の予言者であったこと、ペテン師ではなかったことをやっと認識したからだ。(いつもながら、時すでに遅しである)何故貴方はこのように遇しなければならないのか。

地球人よ、何故貴方は、貴方の為に役立とうと思い、貴方と惑星全体にとって、重要な真理を貴方に教えようとする者を最初に中傷し、呪い、殺す必要があるのか。

一体何故貴方は自分の国の予言者を認めることも出来ず、認めたくないのか。何故、彼の言葉に注目しないのか。

地球人よ、一体何故貴方は混乱した利己主義と誇大妄想に陥って次の様に思うほど気が狂ったのか。

貴方は真理を告げ者よりも、常に自分が高く偉いと思っている。

又、貴方の誤った行為、思考、態度が将来必ずある事件を引き起こすだろうと予言者が警告しても、貴方はどうしても心を改めず、努力もしない。どうして真の予言者の言葉に耳を傾けないのか。

地球人よ、何故貴方はそのように振る舞うのか。何故貴方は尊大、利己主義、誇大妄想、自己賛美という狂った馬から下りることが出来ないのか。

まことに地球人よ。私は、今まで貴方がたから隠されていた多くの事柄、貴方に知られていなかった多くの価値を本書で貴方に明らかにした。

私は、貴方の行為、想念、意志、貴方の生活態度や生活信条などの全般にわたってどこに誤りがあるのかについて、貴方に指摘し解説してきた。

私は全力を尽くして、私の才能の及ぶ限り、出来るだけ正確に地球人としての貴方の不合理性を指摘し説明した。

しかし、私は知っている。貴方がたの大半は、過去の予言者と同様に私を遇するだろ。貴方の不合理性、誇大妄想、ごう慢、利己主義、自己贅美は貴方にそれ以外の遇し方を求めないだろう。

その結果、私は迫害され殺害の脅迫を受けることを私は知っている、この文章を書いている現時点までに、私が私の教えによって、貴方を立派な人間に変えようとすることを恐れている分派論者の妄想や不安の為に、私は4度も銃で生命を狙われたのだ。

まことに迫害や脅迫はすでに起こっている。しかし、私は私の義務を遂行する。その為に私は今度この世界にやってきたのである。

私の生命と教えを破壊しようとする。あらゆる攻撃や企ても、私を止めることは出来ない。どんなことが起ころうが、私は私の使命を実行する。

たとえ私の死をもってしても、この使命を変えることは出来ない。特に私の死後、私の教えは広がるであろう。いつの日か貴方の世界全体に拡大し、貴方(がた)はそれに従って生きるであろう。

そして、ついに次のことが実現するだろう。真理と愛の言葉は、たとえ地球が崩壊しても、決して消滅しないだろう。地球の崩壊の時点から、又新しい地球が誕生するだろう。

地球人よ、次の言葉を覚えているはずだ。

「天と地は消滅するだろう。しかし、私の言葉は消滅しない。」

これは、地球人よ、実現するだろう。貴方が私を嘘つきだと非難し、詐欺師といって呪ってもである。

まことに、まことに、地球のすべての人間よ、本書で私が述べたこと、説明したことの中から、貴方は自分の真の道を見分けていただきたい。

もしご希望なら、未来に関するいくつかの事柄を貴方に知らせたい。それらはまだ実際に起こっていない出来事であるが、潜在的に強力に発達しつつあり、未来において発生するのは避けられないようである。しかし、それらはまだ可能性の内にあり、もし、貴方がすべての事態を変える力があれば、最悪の事態は防ぐことが出来るだろう。

しかし、まことに残念なことだが、私はよく知っている。私の予言は、過去何千年間のすべての予言と同様に、無駄にはならず、必ず実現し、貴方(地球人)と貴方の世界を破壊するであろう。そして新しい世界が生まれるだろう。

地球人よ、貴方がこれを回避しようとしても不可能であり、貴方は苦しまなければならず、すべての地獄のごとき恐怖と戦慄に耐えなければならない。

しかし、私は再度貴方の未来に何が待っているかについて貴方に啓示しよう。

それは大きな不安と戦慄の未来であり、この惑星地球で貴方がかつて経験したことのない恐怖なのだ。

地球人よ、この予言が実現した時、貴方はもはや私を呪ったり、中傷したりすることはなく、私が真の愛をもって貴方に真理を明らかにし、霊と生命の教えを教えた新時代の真の予言者であると認める時が来るだろう。

更に、貴方は、貴方自身のつくりだした現実に基づいて貴方の未来の真実を私が予言したことを認める時がくるであろう。

地球人よ、私はこのように語るのであり、それは現実化するだろう。

地球人よ、イマヌエルが二千年前に次のような予言的な言葉を語った。

それに注目していただきたい。(「タルムード・イマヌエル」第25章第2~55節を参照)

「貴方はこれが理解出来ないのですか。

まことに貴方がたに告げます。

エルサレムでは一つの石を他の石の上に重ねると、必ず壊れます。

何故ならユダヤ人は生命と真理に対して罪を犯したのです。

彼らは人間の血の上にこの町を築いたのです。

彼らは略奪と殺害によってこの国を奪いました。そして彼らは友人を殺し、その血をブドウ酒に混ぜて飲んだのです。

彼らは自分達の本当の友を自分達の貪欲の為に裏切り、殺したのです。

彼ら自身の身にも同じことが起こるでしょう。

誰かが貴方を誤った道に導かないように注意しなさい。

何故なら、多くの人間が私の名を語り、こういうでしょう。

「私はイマヌエルである」と。

彼らは多くの者を誤った道に導くでしょう。

人々は戦争を目撃し、聞の声を聞くでしょう。

しかし、それをよく見届けなさい。恐れてはならない。

何故なら、それは必ず起こることですから。

しかし、それが世界の終わりではありません。

というのは、一つの国民が他の国民に戦闘を開始します。

一つの王国が他の王国に敵対します。

困難な時が訪れるでしょう。

地震と洪水があちこちに起こります。

これが苦難の始まりです。

やがて賢者は不幸な目にあい、殺されるでしょう。

そして彼らは真理と教えと英知の為、恨みを買うでしょう。

多くの儀式宗教の間で争いが起こるでしょう。

その結果、大量の血が流されるでしょう。

多くの人間が誘惑に屈し、お互いに裏切り、憎みあうでしょう。

何故なら、彼らは霊的に小さいからです。

人の心は懐疑心が支配し、多くの人間は愛を失い、冷淡になるでしょう。

そして憎悪と悪が世界を支配するでしよう。

しかし、真理を固守する者はこれらの悪を克服します。

この教えが全世界に説教されるでしょう。

それが全世界の全国民の証として教えられた後、それから世界の終わりが到来します。

これはすでに他の予言者によっても予言されたことですが、人々がエルサレムの地に立って、破壊の残酷を認識した時、まもなく世界が終わりを告げます。

その時ユダヤの国にいる者は山に急いで逃げなさい。

尾根の上にいる者は上着を取りに下りてはいけない。

ああ、この時、妊娠している母親や授乳している母親にとってはなんという不幸なことでしょう。

彼らは苫悩しつつ死ぬでしょう。

そういう不幸な者が数多くでるでしょう

というのは、やがて大惨事が起こります。

これはこ、の惑星が誕生して以来、一度も経験したことがない出来事です。

そして、これは今後も起こりえないものです。

もし、この悲惨な日々が短縮されなければ、人間は一人といえども生存出来ません。

しかしながら、霊と英知の為に、その日々は短縮されるでしょう。

そして真理と法則を遵守している人間の為にも短縮されるでしょう。

人間の不合理と貪欲の為に、この不幸な時が来た時、号泣と歯ぎしりの声がするでしょう。

彼らは空中、海中、陸上を走る金属性の機械を造るでしょう。

そしてお互いを殲滅しようとして戦うでしょう。

彼らは金属機械から重いミサイルを国や町に向かって発射させるでしょう。

ミサイルから炎が吹き出し、世界を焼きます。

多くの人間が焼き殺されます。

彼らは生命の礎石(原子力)をミサイルに設置します。

死の火をおこす為です。

そして、もしこの時、この死の火を止める為に、天の息子達がやって来ないならば、まことに私は貴方に告げます。人間は全滅するでしょう。

その時、世界の人口は50億になっているでしょう。

その3分の2が殺りくされ死滅するでしょう。 

法則がそう要求しているのです。

何故なら、人間は法則を犯したからです。

又その時、ある人間が人々に向かってこういいます。
 
「皆さん、これがイマヌエルです。」

しかし、この言葉を信じてはいけません。

幾人かの偽イマヌエルと偽予言者が出現します。

そして大きな奇跡を行います。

その為に、識者や賢人でさえもだまされることがあります。

よく理解して下さい。これは前にも話しました。

そこで彼らがこう言うでしょう。

「彼(イマヌエル)は砂漠にいます。」

しかし砂漠に行ってはいけません。

「皆さん、彼は部屋にいます。」といいます。

この言葉を信じてはなりません。

何故なら、その時私は必ず戻ってきます。

そこで私は私自身を明らかにさせるでしょう。

法則がそう要求しているのです。そしてそうなるでしょう。

電光のように急に光って消えるように、私の出現も大勢の天の息子達を従えて、突然行われるでしょう。

その時私は生まれ、変わるのです。

あらゆる時代の人間よ。次のことに注意して下さい。

「死肉のあるところにハゲタカが集まる」

この言葉によくよく留意しなさい。

ごの大惨事の後、まもなく太陽と月は輝きを失います。

星は天から落ち、天の力は動揺します。

権力と病的欲望を貪婪に求めながら生きている人間の不合理な暴力の為に、天の構造は混乱します。

やがて天にしるしが現われます。地球の全人類が号泣します。

それから偉大な力をもった天の息子達が現われ、人間の不合理に対して厳しい判断を下します。

神は三つの人種の統治者であるので、彼はその三種族を彼の代表者達を通して裁きます。

神が人間を造ったのであり、そして神は人間の統治者であるから、人間は神の法則に従わなければならず、又神を、最も偉大な英知の王と見なすべきです。

神は朗々たる響きのトランペットを持った守護天使を送ります。

彼らは地球の一方の端から他方の端まで駆け巡って神に忠実な者を集めるでしょう。

イチジクの木の例え話から学びなさい。

枝が伸び、若葉が出はじめると、夏が近いことがわかります。

人間も同じです。

もし、これらのことがすべて目撃されるならば、それ(宇宙的大惨事)は戸口のすぐ近く迄来ていると知りなさい。

まことに、まことに、私は貴方に告げます。それは起こるでしょう。

しかし、これらのことがすべて起こるまでは、この種族は亡びないでしょう。

天と地は消滅するでしょう、宇宙も消滅するでしょう。

しかし、私の言葉は滅びません。

何故なら、私の言葉は創造の法則に基づいた真理の言葉だからです。

世界の大惨事のが何日、何時に起こるのか、誰も知りません。

神の守護天使も知りません。

私、イマヌエルでさえも知りません。

最高の英知の所有者である神のみが知っているのです。

神はこの三つの種族の支配者です。

彼を尊敬し賛美すべきです。というのは、彼は自分より優れた創造を尊敬し賞揚するからです。

もし人間が神を配慮し、尊敬し、神より偉大なものは、創造だけであると認めるならば、その人間は真理に従って正しいことをしているのです。」

以上がイマヌエルの予言である。

しかし、地球人よ、貴方は現在までこの予言を一顧だにしなかったし、更に、それをゴミ同然に足で踏みつぶし、嘲笑した。

貴方は真の真理を決して理解しなかった。

その為に、この予言の全体の深い意味と恐怖の程度を究明し、認識することが出来なかったのだ。

地球人よ、今でも貴方はこれを理解する段階に達していない。

ましてや自分の名声、地位、肩書、利益を高める為に大言壮語する識者や学者が認識出来るはずはない。

彼らは真の真理を知らないので、この予言を説明する力はない。

しかし、彼らはしばしば儀式宗教の美辞麗句を用いて嘘をつき、自分達は選ばれた者であり。

偉大な力をもった存在や神、あるいはイエス・キリスト御自らの命令を受けているのだと主張する。

しかし、そういう主張は全部真実ではない。

たとえ、彼等がスウェーデンボルグ、ロルベル(L o r b er)、アマーティ(Ammadh y)、オムカラナンダ、マハリシ・マヘシなどの有名な霊的指導者であっても、あるいはその他の、自称他称の霊的指導者であっでも、彼らの語ることはすべて嘘である。

そこで地球人よ、私は貴方の為にこの予言を解釈して、その真の意味を明らかにさせたいと思う。

何故なら、私は現代の予言者として再度地球人の為に私の使命、私の義務を遂行する上で真の真理をその最も深い意味で熟知しているからである。

イマヌエルが約二千年前にすでに予言していたように、私は地球人に真理と霊の教えをもたらすのである。

イマヌエルはこう説明した。(「タルムード・イマヌエル」第3 2章、第4 3~50節)

「地球人はこの教えの英知をまだ理解していません。

何故なら、この教えは地球の最後の時まで偽造されるでしょう。

地球人は自己の不合理性の為にこの教えを様々な形に改ざんして、その原型は四散し、真の意味が失われてしまうのです。

この教えは二千年後に再度教えられますが、改ざんされません。

その時、人間は理性的になり、知識は増大します。

そして新時代が巨大な変化を告げるのです。

そして星々の中に次のことが読み取れるでしょう。

すなわち、新時代に同調する人間が偉大な革命家となるでしょう。

そして私の教えを伝える者達(彼らは特別に選ばれた人間です)は、それを改ざんすることなく、大きな勇気をもって説教するでしょう。

貴方は前進しなさい。そして私の教えの先達となりなさい。

すべての国民が私の教えに従うように努力しなさい。

貴方の不合理性から誤った教えを造ったりしないように気をつけなさい。

中にはそういうことをしようと意図する人間もいますから。

私が貴方がたに命令した通りに、曲解したり改ざんしたりせず、忠実にすべてを実行するように教えなさい。」

タルムードは続けて次のように書いている(第35章第34~46節)

「私は断言します。私は決してエッセネ派教団に所属したことはありませんし、彼らと共通するものをもっていませんし、彼らの援助を受けたこともありません。

私の名を引き合いに出すのはエッセネ派教団だけではありません。

私の名を借りて多くの教団が生まれるでしょう。

彼らは、自分達は偉いと錯覚するでしょう。

不思議な儀式が出現して、私を賛美するでしょう。

その方が、大衆が信じやすくなり、従属させることが容易だからです。

多くの宗教儀式が私の名の下に生まれます。

その唯一の狙いは、信者の霊を奴隷化し、大衆と国を支配し、金を儲ける為です。

しかし、私は明言します。

いかなる儀式、典礼、崇拝といえども、それが、創造が最高の存在であると認めない限り、正しくありません。

真理、知識、英知を教える儀式(崇拝)は、存在しないでしょう。

二千年間はこの状態が続くでしょう。

その後、私の教えは偽造されず、改めて正しく教えられる時が来るでしょう。

それまでは多くの誤った宗教儀式が繁栄しますが、あまりにも多すぎるので、数えることが出来ないでしょう。

それらは人間の血と、憎悪と、貪欲と、権力の上に築かれるでしょう。

それらが築かれてしまうと、再び破壊されるでしょう。

何故なら真理がそれらを征服するからです。

嘘をつかない不真実はありません。

啓示されるものは必ず秘匿されるのです。

人間は自分の目の前にあるものは、よく理解出来ます。

しかし、眼に見えないものは、真理を探究し、英知によって、

説明することに努力しなければ、啓示されません。」

「タルムード・イマヌヱル」には更にこう書かれている。(第1 4章、第8~2 6115)

「その時ユダ・イスカリオテは聖語録を盗まれた。

彼はその語録にイマヌエルの教えを記録していた。

そこで彼はイマヌエルにそのことを話した。

それに対して、イマヌエルはこう告げた。

まことに、まことに、ユダ・イスカリオテよ、私は貴方に告げます。

貴方は私の生涯と教えを記録した語録を失った苦悩よりも大きな苦悩を味わうでしょう。

二千年間、貴方は無実にもかかわらず、私を裏切ったと言われて非難され続けるでしょう。

パリサイ人のシメオンがそう望んでいるからです。

彼の息子のユダ・イハリオテが真犯人です。

彼も父と同様にパリ・サイ人です。

彼の父シメオンは私の生命を狙っています。

彼こそ、私の語録を貴方から盗んだ人であり、それを律法学者やパリサイ人達に差出したのです。

彼らはその語録を証拠に私を裁判にかけ、殺そうと企んでいます。

イハリオテは語録の代金として、銀貨70枚受け取りました。

彼は、もし、私を権力の手先に引き渡すことに成功すれば、更に銀貨30枚貰うことになっています。

まことに、私は貴方に告げます。

彼は間違いなく成功するでしょう、

そして貴方は二千年間無実の罪で苦しむでしょう。

その為に、貴方は殉教者となるでしょう。

もう一度私の教えと私の生涯を書いて下さい。

何故なら、貴方の語録は二千年後に日の目を見るからです。

それまでは私の教えは曲解され、邪悪な儀式が生まれ、多くの人間の血が流されるでしょう。

それは人間がまだ私の教えを信じ、理解する準備が出来ていないからです。

二千年後になって初めて、率直な人間が現われ、私の教えの真理性を理解し、大いなる勇気をもって広めるでしょう。

そして彼は、こうして発生した儀式宗教や、私に関する偽りの教えの唱道者によって呪われ、嘘つきだと見なされます。

ユダ・イスカリオテよ、貴方はそれまでは私を裏切った者として、濡衣を着せられ非難、中傷されるでしょう。

高位聖職者や人間の不条理がそう望んでいるからです。

しかし、そんなことを心配しではなりません、真理の教えは犠牲を必要とします。

この犠牲は必ず提供しなければならないのです。

地球の人類は、まだ霊と知識においで、大きな発達をとげていません。

それまでは、彼らは多くの罪と誤りを自ら背負わなければなりません。

そして、それから学び、知識と英知を集め、真理を認識するのです。

これらのごとはすべて起こります。

そして、未来の人間が真理に関する知識を豊かに収穫する為にも、私の教えと生涯について改めて書いて下さい。

そうすれば、その語録は未来に伝えられ、真理の豊かな果実を産むでしょう。

将来も私のもとにとどまりなさい。私に従いなさい。

私の教えの筆記者としての義務を忠実に遂行しなさい。

私の教えは、自然の法則についての教えであり、それは創造の原初の法則です。

創造の意志ほど偉大な意志はありません。

それは法則の中に現われます。

創造の法則は昨日、今日、明日に有効であり、そして明後日にもそうであり、そして永久にそうなのです。」

「タルムード・イマヌエル」には更にこう書かれている。(第15章、第7 1~80節)

「そこで彼らはイマヌエルに激怒した。

そして彼を裁判官に引き渡そうと迫った。

そこでイマヌエルはこういった。

「予言者は自分の祖国、自分の故郷や家では認められません。

このことは人間の信仰が小さく、律法学者の誤った教えや聖書の改ざんに人々が熱心であるかぎり、長く遠い未来にまで続くでしょう。

同様に、二千年後に人間が思考力と知識の面で発達して、私の教えが改めて偽造されずに正しく伝えられたとしても、そうなるでしょう。

遠い未来の新しい予言者は、悪や病気に対しては、それほど大きな力と権威は所有していないでしょう。

しかし、彼の知識は、私のそれと同じ水準でしょう。

私の真の教えに関する彼の啓示は、全世界の構造をぐらつかせるでしょう。

彼の時代になると、全世界は私に関する誤った教え(聖語録の改ざんに基ずく)の洪水で満ちあふれ、人々は致命的な狂気の儀式(崇拝)の中で生活するでしょうから。

宇宙からの戦争の危機が迫る時が来るでしょう。

そして多くの新しい神々が世界を支配しようと画策するでしょう。

まことに、まことに、貴方に告げます。

新しい予言者は、偏見にとらえられたある国民によって迫害されるだけでなく、全世界、すべての誤った儀式宗教(これらは偽予言者によってつくられた宗教である)から迫害を受けるでしょう。

二千年が過ぎ去る前に、新しい予言者は、私の教えを改ざんされない形で小さなグループに啓示するでしょう。

それは丁度、私が信頼出来る人や弟子達のような小さいグループに英知、知識、霊と創造の法則を教えるのと同じです。

彼の道は苦難の道であり、多くの障害に満ちています。

彼は北部の平和な国で自分の使命を始めます。

そこは私の教えを改ざんした者によってつくられた誤った儀式宗教の支配している厳しい国です。

私はこのように予言します。そしてそのように実現するでしょう。」

さて、地球人よ、イマヌエルは約2000年前にこう予言したが、その予言内容は正確に実現した。

更に将来残りの予言も正確に的中するであろう。

まことに地球人よ、もし、貴方がある程度の真理を理解し、ある程度の認識に達して、更に今述べた予言を熟読し研究するならば、貴方自身、次のような認識に達するに違いない。

すなわち、貴方は必ず私を信頼し、更に私はイマヌエルの予言を貴方に正しく説明出来る力を持っており、又、それが出来るのは、正に私以外に誰もいないということである。

地球人よ、貴方は今イマヌエルの予言を読んだのだが、それによると、彼の時代が過ぎ去った後、一人の予言者が現われて、地球人に改めてイマヌエルの教え――真理と生命の教え-- を教えることになっている。

その時代は二千年後の未来であり、その時新しい予言者は、北部の平和の国で彼の使命を開始するのであると書かれている。

まことに、まことに、地球人よ、私は貴方に告げる。

予言された二千年が過ぎた。

そして私は北部の平和の国で、新しい予言者として立ち上がった。

そこで貴方は認識するだろう。

予言の真理を明らかにし、霊と生命と真理の教えを貴方に教えることが出来るのは私だけであると。

次のことを真実であると知るべきである。

この二千年間イマヌエル以外に、私と同じ水準の予言者は出現しなかったし、私の後にも私以外の予言者は現われないだろう。

私は違った形で戻ってくるだろう。

その際私は私自身を明らかにさせるであろう。

貴方が二度と偽予言者によってだまされないようにする為である。

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009

地球人よ、次のことをよく理解せよ。

貴方は抵抗することもなく、誤った儀式宗教に順応してしまった。

その宗教は、強奪者や搾取者や無責任な者によって作られた虚偽に満ちた教義を教えている。

貴方は誤った儀式(崇拝)に執着している。

その代表的な儀式(崇拝)宗教がキリスト教である。

もし、この事態が続けば、ある前兆を通して予言が実現するだろう。

その前兆というのは、儀式宗教の誤った信仰と誤った教義に貴方が執着していることと関連している。

キリスト教という儀式宗教に捉えられた地球人よ、次の実例は真理を考える為の一助となるかもしれない。

人間は儀式宗教の虚偽によって、内的にも外的にも隷属させられているということだ。

これは教皇庁(バチカン)、ローマ法王、その手先によって仕組まれたのである。

バチカンと法王の命令によって、人間が信仰という手段で隷属状態に陥っているばかりでなく。

何十億という人間が惨殺されたり、搾取されたりした。

これは殺人、隷属、搾取の残酷な象徴であり、地球人の霊的不自由の象徴でもある。

法王は大惨事の象徴となるだろう。

すなわち、イマヌエルの予言の通りに儀式宗教的殺りく、人間の搾取、霊的不自由が起こり、その終わりがくるだろう。

彼はこう予言した。

「それまでは多くの誤った宗教儀式(崇拝、典礼)が発生するでしょう。それらは多すぎて数えられないでしょう。
 
それは人間の血と憎悪と権力の上に築かれます。
 
そして、それらが確立されると、再び破壊されなければなりません。

何故なら、真理が征服するからです。」

 「月の顔がローマのバチカンで輝く時、嵐の前にまだ三人の法王が沈黙しているでしょう。

地球全体に破壊と大惨事をもたらす元素の力が開放される前に、アルビノの明るい微笑が死を招く微笑となります。
 
それは不真実を攻撃し破壊するでしょう。

そして不真実を信ずる無数の人間をも同時に破壊するでしょう。」

これは古い予言であるが、現在まで地球人には知らされていなかったものである。

しかし、この予言は何をいわんとしているのか。

地球人よ、もし、貴方が少しでも考えてみれば、自分で究明出来るだろう。

しかし、私は貴方に思考力を酷使してもらいたくないので、私かその本質を明らかにしよう。これが真実である。
   
ローマのバチカンで法王が選ばれるが、彼の顔は月の輝きに似ているのである。

彼の死後、三人の法王が選ばれる。そしてその三番目の法王が選ばれる時、地球全体を破壊と大惨事に陥れる世界大戦が元素の力によって勃発するだろう。

「アルビノの明るい微笑が死を招く微笑となります。」
 
これはこういう意味である。

月の顔をもつ法王の名前はアルビノといい。

彼の微笑は世界大戦の前兆なのである。

この世界大戦はアルビノの死後、第三番目の法王が選出されてからまもなく勃発するという。

この三番目の法王は、地球上でかつて経験したことのないこの悲惨な世界大戦の起こる前の最後の法王となるであろう。

この大戦は儀式宗教の体制を攻撃し、そしてそれを徹底的に破壊(特にキリスト教を)するだろう。

同時に無数の儀式宗教の信者も死ぬだろう。   

何故なら、彼らはこの儀式(崇拝)を堅く信じてしまったからである。

アルビノという名前の月の顔をもつ人物は、1978年にすでに法王に選ばれたが、わずか33日間職務に就いた後で死んだ。

彼の公式の名前はヨハネス・パウロ一世である。
 
彼はバチカンの暗殺者の手で毒殺されたのである。

彼の月の顔のような微笑が、バチカンの目的に合わなかったからだ。

法王ヨハネス・パウロ一世は本名をアルビノ・ルチアニといい、バチカンでは月の顔のように輝いていた。

彼の後に三人の法王が生まれる。

その後に、大戦争が起こり、人類に死と大惨事をもたらすであろう。

「一つの石の上に、別の石を重ねることは出来ないだろう。」

イマヌエルはエルサレムの町についてこう予言した。

大戦争が全世界に起こる時、そうなるであろう。

東から大量の軍隊がイスラエルの国へ侵入するだろう。

それは黄色人種である。

彼らはその国を略奪し、住民を虐殺するだろう。

人間と動物の血が混ざり合って、破壊された区々の間をぬって流れるだろう。 

その量は人間のひざの高さ以上に達する。

何故なら、イスラエルの国とその住民は報復を受けるだろう。

その昔、イスラエルの民(ユダヤ人)はイスラエルの国を奪い、そこの住民を全員殺害した。

ユダヤ人はこのパレスチナの住民に偽りの友好の絆を結ぶことを申し出て、パレスチナの住民と祝杯をあげた後で、このパレスチナの住民を殺害し、更に、子供や嬰児まで殺したのだ。

更に狼のような人間達がこの国を侵略するだろう。

彼らは赤軍(共産主義者)と呼ばれ、この住民を無惨にじゅうりんするだろう。

戦闘は儀式宗教に向けられ、全世界に拡大し死の戦いとなる。

その信者は迫害され殺害されるだろう。

一方、ローマとバチカンも徹底的に破壊され、その住民も死ぬだろう。

まず最初に、老若で構成されている法王代行者達が全員殺害され、次にその従者すべてが殺される。

ところが一方、法王はわずかな従者と信者を集めてスイスの北部へ逃亡する。

彼は更に、ドイツへ出奔するだろう。(そこから、更に、これは確実なことはわからないが、アメリカへ逃げるだろう。

アメリカへの逃亡、法王がニューヨークに身を隠すかどうかは、まだ未確認の予測である)これが月の顔をした法王(ヨハネス・パウロ一世)の後に現われる第三番目の法王の逃走経路である。

儀式宗教に対する戦慄すべきこの戦争はこれで終わりなのではなくその中から空前絶後の国際戦争が発展するだろう。

一つの民族が他の民族に対抗して立ち上がるだろう。

又、兄弟は兄弟を殺し、父は息子を、娘は母を殺すだろう。

万人が万人に対して敵意を抱き、出来るだけ同胞の血を流そうと夢中になるだろう。

裏切りや、血に陶酔する現象が人間の間で一般化し、それは世界が今まで一度も見たことがない程の恐るべき現象となろう。

愛する者同志の間に憎悪が生じ、お互いに相手を殺すだろう。

憎悪と血への陶酔が跳梁し、突然悪が世界を支配するだろう。

人間同志の大量殺戮という残虐非道の出来事の真っ只中にも、知識、真理、愛、論理を拒み続けている人々に対して一筋の光明が現われるだろう。

この希望の光、霊の教え、真理、愛、英知の教えに努力している者達が発する光である。

何故なら、彼らは予言者の声に耳を傾け、彼の言葉に従って生き、行動し、考える。

そして彼らは、彼の助言に従って防御建物を造り、彼が指定した安全な場所へ非難するので、生き残るだろう。

この大殺戮が終息した後、彼らは全世界にすべての国民の証として、真理、愛、霊、英知、論理、知識を伝え広めるだろう。

これがが完了して初めて、本当の戦慄すべき最後が来るだろう。

エルサレムに滞在している者がエルサレムの残虐な破壊を目撃する時、決定的で、強力で、血に満ちた、無情な最後が訪れるだろう。

これはすでに昔の予言者によって予言された出来事である。

この時、ユダヤの国やその周辺に近在している者は山や深い洞窟に逃げるべきだ。

しかし、そこでも身の安全は十分ではない。

死を逃れることは困難であろう。

死が迫って来た時、屋根の上にいる者は、もし、生き延びたければ、上着を取りに尾根から下りてはならない。

本当に自分の生命を救いたい者はすべてのものを放置して、非常に敏速に行動しなくてはならない。

妊娠している母親や授乳している者は最悪の災難にあうだろう。

そのような不幸な人々が数多く出るだろう。

ソドムとゴモラの時のように、人々は法則を破り、誰も道徳を省みなくなり、性的乱行に耽けり、自由は堕落し(その結果、数百年前から人口過剰な状態が生まれた)礼儀作法は守られなくなり、法則と掟、法典は遵守されず、その認識もなくなるだろう。

そして懐妊している者、授乳している者はその時最悪の危難にあうだろう。

何故なら、食料と飲料が欠乏している為に、赤子は飢え苦しみ、母親は衰弱し、母子とも死ぬであろう。

懐妊している女達は極度の苦痛を味わい、自分の胎児を呪うだろう。

彼女らは産婦人科病院を見つけることは出来ないし、又その他のいかなる援助も受けられないだろう。

その結果、彼女らは喜びになるはずだった出産が苦痛に変わり、自力で分娩しなければならない。

その苦痛は大変なものであり、その為に彼女らは急死したり悶死したりするであろう。

懐妊している女や授乳している女は前代未聞の試煉と苦悩を受けるだろう。

地球はその発生以来、この様なことは決して経験しないだろうし、又、この大惨事の後も、決してこれを経験することはないだろう。

号泣と歯ぎしりの声が起こるだろう。

その罪は地球人自ら負うのである。彼一人で背負うのである。

何故なら、彼はすべての罪を自ら造り出したのであり、予言者が現れて、彼の犯した罪と妄想を明らかにし、真理を教えた時、彼は予言者を呪い、殺害したからだ。

まことに地球人よ、予言者は祖国から追放されたのだ。

その為に地球人は、最も残酷で恐るべき罪の償いをしなければならないだろう。

もし、これらの惨事の期間が短縮されなければ、一人の人間も生き残ることは出来ないだろう。

しかし、この短縮の目的は真の英知、愛、畏敬、知識、真理、誠実を育む人を救済する為である。

それにも拘らず、人間の不条理と、権力欲と、貪欲の為に殺戮が起こる結果、号泣と歯ぎしりの声は避けられないだろう。

人間はこの頃、金属性の機械を製作するだろう。

それは陸海空で破壊活動を行うだろう。

それは飛行機、ミサイル、軍艦、戦車、大砲である。

飛行機は核弾頭を装備した大量の爆弾を投下し、世界を破壊するだろう。

同じくミサイルも核兵器を積んで数百万の人間を殺すだろう。

この核弾頭は冷たい力から出来ている。
   
つまり、その原子の放射線の大部分は防止され、その破壊の威力は大幅に限定されるのは確実だが、それでも爆弾やミサイルに設置された生命の基石(原子)は世界中を焼き払う力を持っている。

そこで「世界は火の光で消滅するだろう」という予言が成就する。
   
ヨーロッパ北部だけでも百個の「火の太陽」の弾幕の攻撃に晒されるだろう。
   
百個の原子爆弾と核ミサイルが投下され、広大な面積が「原子の火」と「原子の太陽」で白熱化し、その地表面は一変し、泡を立てながら煮えたぎり、しばらくすると、ガラス状の物質に凝固する。

この物質はその後何十万年もの間この惑星地球で起こった狂気の大戦争の証拠となろう。

地球上に猛威をふるう「原子の火の嵐」はかなりの期間青い空を消滅させ、その代りにバラ色のような死の赤い空が広がるであろう。

これは人間の妄想と、その開放された力を証明するものであり。

彼はその効果の範囲(妄想や狂気の威力)がどの程度かについても、自ら理解出来ないし、それを制御する能力も持たない。

もしこの時、天の息子たち(宇宙人)がやってきて、発狂した地球人のすべての乱心した行為を止めなければ(「これらの日々が短縮されなければ」と予言の言葉は言う)実際一人の地球人も生き残らないだろう。

(天の息子-- 宇宙人が公的にしろ、どのような方法で干渉してくるかについては、残念だが、わかっていない)

この出来事が起こるのは、地球の人口が50億に達した時である。

1978年現在の人口は4 1億である。

「法則がそのように要求している。何故なら人間は法則に違反したからである。」

そのように生命の法則は命ずる。

その理由はこうだ。
   
地球人はこの千年間に多くの生まれ変わり(再生)を経て、自分の運命をこのように作り上げてきたのだ。

彼は自分の人生を物質主義、貪欲、権力欲、支配欲の上に作り上げてきた。
   
彼はそれらの欲望を育む一方、創造の法則と掟に背いた。

その結果、彼は誤った目的や希望を採用し、身につけ、誤った生き方間違った方法で生きてきた。

その時(それ以前の時も)多くの新しい儀式宗教や宗派が、キノコのように生まれ、その教祖の多くは、自分がイマヌエルだと詐称したりイマヌエルがここに、又はあそこに誕生するだろうと偽るだろう。

しかし、地球人よ、貴方はこうした言葉に耳を傾けてはならない。

何故なら、彼らの教えは真理と一致しないからだ。

このような嘘が貴方に語られたならば、そこへ行って調べない方がよい。

というのは、この時(それより前に)イマヌエルは絶対値実に再生する。

そして、彼は自分がイマヌエルである事を他人に確認させるだろう。

「電光のように一瞬光って消えるように、私の出現も天の息子の大群を従えて瞬時に起こります、その時私は再生します。」

その予言は更に続けて次のように説明している。

すなわち、イマヌエルは再び生きて活動する(つまり、彼は改めて霊と真理の教えを地球人に教え広める)。

この布教活動は約二千年前と同じ方法を取り、天の息子達(宇宙人達)との協力の下に行われるだろう。

彼は自己を二つの方法で明確に証明するだろう。

一つは自分の教えと霊力によって、他は自分の容貌によって自己を証明する。

彼の人相は、約二千年前、彼がパレスチナで使命に従事していた当時とほとんど同一であるからだ。

しかし、彼は最初から自分の正体を明かしたり、自分の秘密を公表したりすることはない。

又彼は自分から名乗ることはしない。

彼が自分自身を証明するのは自分の教えと自分の霊力の実践のみを通して行うのである。

彼の活動は小さなグループだけで行われる。

その会員達は、自らの認識力によって彼の再生と彼の新しい存在を発見するだろう。
 
こうして彼は自己を証明する。

このことは昔からそう予言されている。

従って地球人よ、もし、人が貴方に「御覧なさい。これがイマヌエルです。」という時、そこへ近寄らないように用心し給え。

もし、貴方がその時本当にイマヌエルを発見したいならば、よく研究し、賢明であれ。

そして、すべての事柄を詳細に吟味すれば、目指す人物の、新たな存在を自ら確認出来るのである。

しかし次の言葉に注意せよ。

「死肉のあるところに、ハゲタカが集まる。」

そこで、貴方は注意深くあれ。

そして「ハゲタカ」に近ずかないようにせよ。

というのは、多くの人がイマヌエルの回りに集まってくるだろう。
 
彼らは利己主義と物質主義にとらわれ、架空の事柄をでっちあげ、際限なく嘘をつき、俗悪なことを行い、イマヌエルの教えに背くのである。

こうした人々がイマヌエルに接近する目的は、二千年前と同じように、彼の建設的な活動を再度破壊することにある。

それには裏切り行為が利用されるだろう。 

それはかつてないほど悪質で邪悪なものになるだろう。

こうした背教者達は邪悪な物質主義に取りつかれて、自分達のことしか考えないのだ。

彼らは屡々ペテン師や誤った考えを持つ友人にだまされる。

さて、大惨事が過ぎ去ってまもなくすると、太陽と月は光を失い、星は天から落ち、天の力は動揺するだろう。

そこで太陽と月は「火」と煙とガスの雲の為に暗くなる。

光がこの厚い雲を貫通出来ないからだ。

黒い雲が消え去る前に、三日間暗黒が支配するだろう。

この時、流星(いん石)が大量に落下するだろう。

何故なら核爆発によって、地球の公転軌道がわずかにずれて(反発効果)、地球は流星群の軌道に触れるからだ。

こうして天体の構造は地球人の不条理な力(暴力)の開放によって秩序を失って混乱し、月を巻き添えにする。

その月の不安定な運動によって大きな危険が生じるだろう。

この時、天に一つの前兆が現われるだろう(あるいはすでに、前述の出来事の前に現われるかもしれない)。

地球人は最初この前兆を理解出来ず、又、それを真実とも思わないだろう。

天の息子達が地球の大気中に出現するだろう。

彼らは公式に地球人の前に姿を現わし、天体の構造を混乱させ、地上では血まみれた大惨事を起こした地球人の責任を、天の指導者(天の息子達の神=英知の王)の名の下に糾明するだろう。

その時、地球人類は恐怖のあまり突然絶叫するだろう。
 
英知の王は、この大惨事の責任者と殺戮を犯した者を糾問するだろう。

(この糾問がどんな方法で行われるのか、直接的又は間接的なものか、詳しい説明がない)守護天使は朗々とトランペットを吹き鳴らし、神(英知の王)に忠実な者を四方から集めるであろう。

この予言の意味はこうである。

ヒューヒーと音を出しながら飛行する、天の息子(宇宙人)達の操縦する宇宙船(トランペットといわれている)が自分達(宇宙人)の存在を知っているすべての人間に、自分達の出現を知らせ、彼らを大いに援助し、死から救うだろう。

(この救出方法が直接的か、間接的なものか、説明なし)

そしてこれらすべてのことが起こるまでは、地球の人類は消滅しないだろう。

何故なら、地球人がこの運命を自らの手で作ったのであり、そしてその運命は必ず実現する。

この運命に対する最高の裁判官は、神とその代表者達である。
 
というのは、地球人類は広大な宇宙の統治者である神の命令によって作られたからだ。

従って、神はいわば自分の臣下である地球人が起こした、これらすべての出来事に自らもその責任の一端はあると感じているからである。

(この神は琴座のベガ星からの難民であるが、その神が、予言された通りに、地球人の大惨事を糾明する為に実際に地球にやってくるかどうかについてはこの予言だけからははっきりわからない。

しかし、次のことは言えるだろう。

すなわち、神は地球に将来起こる出来事を考察した結果、地球人に関心を失い、地球人を運命のなすがままに任せてしまうかもしれない。

その理由としては、地球人は野蛮で残虐で血に飢えた生き方を続けている為に、部外者からの援助や、誠実な糾明を受け入れないだろう。

それどころか、地球人は誤った生き方の中から新しい陰謀をたきつけ、それを外宇宙にまで持ち出し、いつの日か他の星の住人に計り知れない悲惨と危難をもたらすだろう。

神はこう考えているからだ。) 

別の危険が未来に起こる可能性がある。

広い宇宙から権力に飢えた、命令がましい太古の神々や支配者が地球にやってくるだろう。

彼らは地球上で大戦争や革命が起こる時を選んでやってくるだろう。

それは地球をなんとしても支配したい為である。

その時、この様な神や支配者はあらゆる陰謀と虚偽を利用し、地球とその人類を殺餓するであろう。(彼らのやり方は、地球人の起こした殺戮よりも更に残酷なものとなろう。)

この予言は高い確率に基づいてなされたものである。

もし、このことが実際に起こるならば、それは新たな、残酷な戦争が起こることを意味し、地球人は奴隷にされるだろう。

地球人はこの奴隷状熊から、自己を開放する力はないだろう。

地球人は自己の妄想の為に全人類の3分の2を失うだろう。

そして地球人は戦意を失うほど全身が衰弱し、野蛮で権力欲に取りつかれた宇宙人の攻撃に、抵抗する力も失われるだろう。

又、この様な悪意の宇宙人によって、大部分の地球人が他の星に追放され、そこから逃亡することは不可能になるだろう。

地上に歴史始まって以来の大破壊戦争が起こる時ほど、

広大な宇宙から、地球を攻撃する絶好の機会はないだろう。

地球人よ、このことを常に熟慮していただきたい。

(地上における神の支配、神の息子逮を従えて宇宙から太古に到来したこと、神の息子逮はすでに地球で作られた人類と結婚したことなどの出来事に関して、更に詳しく知りたい方は「セムヤーゼ会見報告」を読まれたし)

地球人よ、貴方は来たるべき時代(貴方はこの時代を水瓶座の時代として1844年からすでに生き始めている)を最後の時代と呼ぶ。

まことに、それは終わりの時代である。

しかし、この水瓶座の時代は、今まで貴方が虚偽の儀式(祭、崇拝)によって妄想に陥っていたように、狂気の儀式宗教の枠内で進行するのではない。

この終わりの時代はその本質において儀式宗教と何の共通点ももたず、正に魚座(魚座の時代の特徴は狂信的儀式宗教の妄想にある)の時代の終わりを告げ、水瓶座の時代の始まりを意味するのである。

地球は人間の無責任な搾取(開発)や、核爆弾とその他の爆弾の爆発の為に、人間に意義を申し立てている。

同時に地球は独自の進化の段階に来ている。

終わりの時代は巨大で異常な天災とも関連している。

洪水、火山噴火、高潮、地震などは主に地球の周期の変更によって起こる。

この自然の天変地異は次第に悪化しているが、その悪化は人間にも大きな責任がある。

空中と地下の核実験、石油、天然ガス、鉱石、鉱物などの乱掘の為に地球はその内部から動揺し、地球自体の生命の原動力が奪われた。

その結果、地球の周期は根本的に変更せざるをえなくなる。

こうして地球は必ず割れる。

つまり、地球の内部に巨大な亀裂が生じ、世界全体の地質学的構造が一変する。

こうして新世界が誕生する。

激流が押しよせてくる。

世界は分裂する--ということは、津波が発生し、地球は裂ける。

これは地球が二つに割れるという意味ではなく、地殻に変動が起こり、巨大な亀裂(裂け目)が形成されることを指し、この亀裂が破壊的な効果を及ぼすのだ。

この亀裂によって国が沈み、大海では高潮が発生し、巨大な津波となって大海を突進し、大陸を襲い、甚大な被害をもたらす。

ここで予言が実現する。

「太陽と月(この二つの天体は三日間光を失うだろう)と星(核爆発と巨大火山の噴火によって反発効果が生じ、地球はその軌道から投げ出され、黄道帯に転位が起こる)にしるしが現われるでしょう。

人々は海と大波の轟音に怯え、その無力感から戦慄を覚えるでしよう。海震、地震、亀裂から生じる津波)その時人々は、やがて襲ってくる大惨事のことを考えて恐怖のあまり昏倒するでしょう。

というのは天の力が動きはじめるからです。

天と地は消滅するでしょう。

しかし。私の言葉は消滅しません・・・」

地球人よ、貴方がたの賢しら人達が予想した、来たるべき出来事に関する予言の解釈は、ひどく間違っていることが証明されるだろう。

何故なら、未来の出来事は彼らが想像するよりもはるかに悲惨で悪質なものになるからだ。

又地殻の亀裂も一つではなく、三つ形成されるだろう。

更に四つの小さな亀裂も生じるが、それらは地球の構造の変化にきわめて重要な働きをするだろう。

そう遠くない未来に、カリフォルニアのサンアンドリュー断層に一つの巨大な亀裂が発生する。

その亀裂は遠く南へ拡大していき、又、北はアラスカまで達する。

この亀裂は、地球が苦しむ苦痛の中で最も危険で最大のものである。

第二の亀裂は日本、中国、インド、ペルシア、イタリアにそって形成される。

三番目の亀裂は地中海からアラビア湾にかけて発生する。

小さい亀裂はドイツに起こり、バーゼルとシュトゥットガルト間を走る。

二番目の小さい亀裂はライン川の2分の3を占め、ボーデン湖まで延びる。

三番目はスイスに発生する。

四番目は大洋の申に発生し、ハワイ諸島の一部が沈没するだろう。

これがイマヌエルの予言の全般的な説明である。

この予言は絶対確実に実現するだろう。

何故なら、地球人よ、貴方は自己改善に少しも努力しないからだ。

もし、そうすれば、最悪の事態だけは避けられるのだが。

ところが、貴方は全くその気がないのだ。

そうなる理由の一つは、貴方があまりにも儀式宗教に熱中している為に、実在もしない神に自分の全責任を委ね、自分は何もしないで、ただ待つだけだからだ。

第二の理由は、貴方はあまりに物質主義にとらわれており、そこから自分を解放する力をもたない。

つまり、貴方はぜいたくな生活を失いたくないからである。

しかし、根本原因は、貴方は為すべき事を怠り、ただ話しているに過ぎないという点にある。

もし、この予言が実際に起これば、貴方はかなり前にすでに死んでいるだろう。

これは確かに真実なのである。

貴方は何故そんなことがありうるのか、それはおかしいではないかと思うにちがいない。

しかし、それは貴方の方がひどい見当違いをしているのだ。

つまり、貴方は無知や自己制御の欠如の為に次のことを完令に忘れているからだ。
 
すなわち、貴方は新しく再生するのだ。

それは何時かどいえば、正に予盾された困難な時代に生まれて生活を始めるのである。

そして大惨事が起こると、貴方は塗炭の苦しみを味わい、非業の死を遂げるのである。

地球人よ、イマヌエルの予言はこう書かれている。

すべての悲惨な出来事が起こる前に、彼の、霊、真理、英知、愛、知識の教えは、改めて全世界に説教されるだろう。

そこで地球人は、彼が実際にどういう心の持主であるか認識するだろう。

そして地球人よ、今こそその時だ。

今こそこの教えを改めて明らかにし、徐々にしかも確実に全世界に伝える時だ。

すでに多くの国で、この教えが正しい形で小さなグループでひそかに教えられている。

地球人よ、これは、貴方にとってイマヌエルの予言がこの現在、実現しつつあるしるしである。

次のことを再度よく考えていただきたい。

1976年に宇宙人が出現した事実は、稲妻のようにわずか二か月で世界中に伝えられた。その時私は公式に世間に登場し、天の息子達の出現と、改めて啓示された霊の教えについて報告した。

地球人よ、もう一度この問題について熟考していただきたい。

そうすれば、彼らの出現と退去の理由がわかるだろう。

イマヌエルが語った二千年が過ぎた。

地球人よ、今こそ彼の教えが改めて教えられるべきだ。

この期間が過ぎたので、予言に従って彼の教えは明らかにされるのである。

このことをよく考えるべきだ。

何故なら、予言の実現する時は、その中に隠されているからだ。

地球人よ、このことをよく考えてみよ。

そうすれば真理を認識するであろう。

地球人よ、もし、貴方が最悪の事熊を回避したければ、貴方のすべきことはまだ沢山ある。

率直にいうけれども。この助言はこれが最後である。

もし、貴方が私の助言に従い、正しく思考し行動するならば、貴方は未来の出来事に影響を与えることが出来、かなり良い方向に変えることが可能である。

何故なら、どの予言も、そのまま起こってはならないからだ。

予言が起こる条件はただ一つ、貴方がいつも従来の考え方で行動し、優れた良い目的に向かって努力しないことである。

従って、貴方には最悪の事態を避ける時間がまだ残っている。

その最悪の事態とは地球上で今まで絶対に経験したことのない、又、これからも決して経験することのない最も悲惨な戦争のことである。
 
しかし、これは貴方次第である。貴方だけが食い止められるからだ。

しかし、この大規模な人間破壊を防止するには、貴方にあまり時間が残されていないということを銘記せよ。

というのはすでに現在1978年になった。

貴方が防止策の第一歩を成し遂げるには、僅かに2年余りしか残されていないのである。

何故なら、1980年の初頭以後に、その第一歩の仕事を始めるのはとても困難になる。

つまり、その年以後貴方が最悪の事態を改善するのは不可能に近い。

もし、貴方が1983年以後に何等かの改善策に着手しなければ、完全に手遅れになる。

1987年から88年にかけて、貴方の愚昧さと誇大妄想の最初の効果が感じ取れるだろう。その頃になると、貴方がどんな事態収拾策や改善策を講じても無駄である。

まことに、まことに、地球人よ、私は貴方に告げる。

80年代の始めに、イスラエルは何等かの形でバチカンと同盟しようとするが、貴方はこれを阻止せよ。

もし、貴方がこれを阻止出来ず、又、イスラエルが更に誤った人道主義とヒューマニズムの為に独断的活動に猛進し、自分達(イスラエル民族)が他の民族より優れているのだと盲信することを貴方がたが許すならば、貴方はイスラエル=バチカン同盟による大規模戦争勃発の種を間違いなく蒔くことになり、貴方はそれを防止することは出来なくなる。

又、他の困難な事態を阻止しなくてはならない。

つまり、人類の破滅を防ぐ為に行動を起こさなくてはならない。

しかし、私はそれについて触れることが出来ない。

何故なら、もし、私かその問題について語れば、それが重大な事態を招き、政治的な混乱を引き起こすだろう。

私が公に出来ることはただ次のことだけである。

すなわち、もし、多くの政府が私の助言を完全に遵守し、私の提言をただちに実行に移すことに同意するならば、大戦争は回避出来るだろう。

しかしながら、天変地異だけは世界を襲うだろう。

しかし、地球人よ、権力者達は私の言葉を聞いて侮られたと感じ、私の助言を採用しなくなり、実行に移すのを拒否するだろう。

その結果、予言の実現は避けられなくなるだろう。

ただ、特殊な事情によって、予言の実現の時期や基本的な事態が多少変化するかもしれない。

つまり、事態は一層悪化するかもしれない。

大きな希望は持てないだろう。

というのは、世界中のお偉方は、自分達は非常に偉いのだと思い込み、私よりも教養があり賢いと考えたいからだ。

しかし、やがて起こる恐るべき大惨事の大部分を防止する為に何をなすべきかを真に知っているのは私なのだ。

まことに、まことに、地球人よ、私は非常によく知っている。

貴方がたの大半が、私の言葉の為に私を呪い、罵り、私を誇大妄想狂だと非難するだろう。又、私が自分のことを神だと信じていると言って私を中傷するだろう。

地球人よ、この様な非難や中傷に対して、私は別に少しも驚かないということを知っていてもらいたい。

何故なら、私は真にその真相を知っており、このようなことが将来起こることを承知しているからだ。

私は多くの惨事を防止する方法を、真の意味で知っている。

だからといって、私は自分を重要人物だと思ったり、貴方より偉いと考えることはない。私は誇大妄想狂ではない。

私は貴方がどんな理由で私を非難、中傷するのかをよく知っている。

貴方は、私が新時代の真の予言者であることを理解出来ないし、又、理解しようともしない。

それだから、私は貴方にこうして多言を労せざるをえないのである。

地球人よ、私は貴方のように行動したり、考えたり、感じたりしない。

私がこれらの言葉を貴方に語るのは、利益や物質主義の追求の為ではない。

ただ、ただ、私は貴方に率直かつ誠実かつ包括的愛を感じているからである。

その為にこそ私は貴方の役に立ちたい。

それで私は私の使命を遂行する用意が常にあると宣言したのだ。

最も、貴方は昔からずっと私を罵り、非難し、迫害し、殺害した。

地球人よ、私は私の率直な気持を、貴方にあえて語り打ち明けているのだ。

私がその為に、貴方の忘恩を再度買い、貴方に誤解され、迫害されたとしてもである。

又、貴方が私と真理を殺そうと悪意を抱いていることを私はよく知っている。

それでも私は、あえて私の胸中をまったく正直に語ったのである。

まことに私の悲しみは筆舌に尽くしがたい。

そこで地球人よ私は貴方に理解出来るように、貴方の人生と未来にとって重要な事を助言することは出来る。

しかし、地球人の貴方を変えたり、私の真理の言葉を、貴方の内部に浸透させ、受け入れさせ、守らせる為に貴方に強制したり、真理と愛と畏敬の念を持って貴方の人生を改造する様に貴方に強制したりすることは私には出来ない。

貴方の内部におけるすべての変化、貴方の努力精進は、貴方自身の力で苦労して行うべきことである。

これだけは記憶していただきたい。

大部分の予言は予定した通りに、順序よく理路整然と起こるものではないということである。

その理由としては、予言はそれを受け取った日から記録する日までの間に、しばしば長い時聞か経過する為である。

イマヌエルの予言で特に重要なものは、宇宙からの戦争の脅威である。

これについては今まで私は説明しなかったが、今その埋め合わせをしよう。

この予言は二つの要素から成る、

その第一は、地球人自らそう遠くない未来に戦争技術を非常に高度化させ、自分の惑星全体を破滅させる可能性を持つだろう。

更に地球人は、権力欲の為にこの可能性を利用するだろう。

そう遠くない日にこの危険が迫るだろう。

この妄想の結果の第一歩が、すでに10年前、すなわち、60年代に現われたのである。

地球人自身による宇宙戦争が、第一の要素だとすれば、第二の要素は、外字宙からの好戦的な人類がかなり以前からゾル太陽系(我々の太陽系)と、青い惑星地球に注目してきだことにある。

そして彼らは、我々の太陽系を征服しょうと企んでいる。

従ってこの宇宙種族は、地球と地球人に危険をもたらす。

しかし、彼らの侵入がいつ起こるのか、予言には詳しい説明はない。

多分その方がよいかもしれない。

その為に、地球人はこの問題を慎重に検討し、万一宇宙からの攻撃が発生した際には、進んで全地球的規模の同盟が結ばれ、一つの力となって外敵に立ち向かうだろう。

しかし そんなに事がうまく題ぶかどうか、誰にもわからない

地球人よ、この点に関して、あるいは未来の出来事にまだ多くのことを語りたいのだが、しかし、これ以上の何を語っても全く無益だと思う。

貴方はもっと知る権利を持っていると思うのか。

地球人よ、貴方に本当にそんな権利があるのだろうか。

仮に、貴方が私にそう尋ねるのであれば、私は「否」と、答えざるをえない。

何故なら、これ以上の知識は、貴方の理解を越えているからである

このことについては本書ですでに貴方に了解してもらったのではないだろうか。
 
貴方は不当な要求をしているのではないか。

これを消化し、同化し、自己処理出来るようになるまでには非常に長い時間がかかるだろう。
   
私はそうなると、はっきり知っている。
   
たとえ、貴方が絶対そうではないと思ってもである。

何故なら、貴方は一般に本当の貴方自身よりもずっと大きく自分を評価するものだ。
   
しかし、正直であれ。

そしてありのままの自分を認めよ。

さて、地球人よ、私が貴方に今まで分析してきたすべての予言は神の罰とは一切関係がない(貴方は儀式宗教の教えに従って創造者のせいだと想像する)又、終わりの時代も神とまったく無関係だ。

これらのすべては、架空の創造者--神による罰とは、まったく関係がなく、終わりの時代によるものである。

各時代は2155年の周期をもち、その周期が終わると、あらゆる変化が起こり、新しい周期が始まる。

1844年に魚座の時代が終わり、水瓶座の時代が始まった。

ところが、西暦2029年までは、まだ過渡期の時代が続く。

従って、1844年から2029年までの期間は、正に新しい時代へ向かう為の最も重要な変化が起こるのである。

過渡期に発生する全ての出来事は、自然の進化と時代によるものと、人為的な原因によるものとかあるが、すべての出来事の主要かつ直接的要因は人為的なものである。

人間だけが極度に堕落してきたのであり、その堕落は儀式宗教の誤った教義によって引き起こされたのであり、この傾向は一層増大し、この惑星に悪影響を及ぼし、惑星自体を変化させるだろう。

しかし、これは神による罰(天罰)とはまったく関係はない。


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アラハト・アデルサタはこの点について次のように述べている(「アラハト・アテルサタ」を参照せよ。)

「これはかなり前から秘密ではありません。

現在、解体と変化の時に、多くの人間は、今まで考えられなかったで、宗教的幻想に熱中し、それを更に拡大させています。

彼らはこの目的の為には手段を選ばず、たとえ無実な血が流されても怯みません。

彼らは他の地球人を脅迫して、誤謬宗教や宗派に入信させ、霊的自由を奪います。

狂信家たちは、世界の終末や神の審判という誤った思想を口から出任せにしやべりまくり、地球人を新たな形式の奴隷化、死、破滅へ導くのです。

これは時代の印です。

といいますのは、一つの宇宙時代から他の宇宙時代への転換期(過渡期)には、人間は間違った思考にとらわれ、愚行に陥るのです。

地球人は危険な宗教的迷妄に陥ってしまいました。

彼の妄想的観念と愚劣さが自らを最低の宗教的迷妄へ堕落させていったのです。

進歩と時間に縛られた忙しい現代に、最初の真理の教師が現われます。

彼らの数は5本の指の半分ほどですから、非常に少ないのです。

新時代は彼らの存在を必要としており、彼らは真の霊的知識と英知を正しく教え、創造の法則と指令された事実を忠実に布教します。

彼らは自らの義務感から、自分達が理解した、真理と英知を伝えるのです。

彼らは丁度、大地に種を蒔く人のように、人類に真理を蒔くのです。

この種を蒔く人の寓話から疑問が起こります。

どういう原動力、どういう力が真理の教師と予言者の中に確立されているのでしょうか。

どういう力が彼らを通して人類を実践的にかつ霊的に強化するのでしょうか。

その力は彼らが深い人生観に達したことによって得られたのです。

彼らは、霊は物質的身体よりもはるかに高い存在だと達観しました。

その認識によりますと、物質的身体は地上における霊の活動と居住の為の道具と住家です。

この認識に達した人間は、霊的存在として時空(時間と空間)に条件づけられた地上の存在物の中をかっ歩し、永遠なる存在として生活するのです。

もし、人間がこのことを知的な面から徹底的に考察してみれば、現在の人類の人生観がこれとまったく正反対であることがわかるはずです。

人間は自分の作った規則と、世俗的な秩序の下に生活しています。

彼の最大の幸福は、自己の肉体の寿命を出来るだけ延長させること、肉体が奇形化するまで暴飲暴食して肥満化すること、考えられる限りのあらゆる欲望を満足させる為に、肉体を自由奔放にさせることです。

彼は物質的財産を手に入れる為にのみ働きます。

それは長く維持出来るものではなく、早晩虫や腐食によって食い潰されます。

人類の生活の実態は、あらゆる欲望、感情、思考に自由に身を任せ、存分に満足していることです。

もし、人類がこのまま進みますと、創造の真理を嘲弄することになりますが、それだけに終わらず、更に、・・・ああ、正に悲しむべき事態になります。

将来、新時代の新しい概念の戦いが全人類に広がるでしょう。

宇宙的変化と水瓶座時代の指導的原理は、創造の永続と、自己完成の為に地球人が宇宙の法則を尊敬し厳守することです。

これは地球人にとって至上命令です。

この原理は彼に生か死の選択を迫るでしょう。

もし、地球人類が新時代の変革に抵抗するならば、人類の空しい抵抗の声は広大無辺の大宇宙の中に消え去ってしまうでしょう。

これはまだ理解されていませんが、人間にとって価値ある新時代の新しい生き方の為の戦いが、すでに始まっています。

知識、真理、英知、愛を完成させた二人の人間が反霊性に対して戦いを開始し、最初の致命的矢を放ちました。

二人は過去の真理の教師と同じように人類に向かって厳しく苛烈な言葉で霊の教えを教えます。

二人の教師は小さな無名のグループで自然の法則に基づいた英知を教えます。

二人の布教は最初小さな影響力しか及ぼしませんが、やがて大きくなり、ついにとうとうと流れる巨大な波のごとく、眼の前にあるすべてのものを破壊して前進し、何十世紀にもわたって存続するでしょう。

二人の真理の教師は、すでに何億人もの人類に対して戦いを開始したのです。

後者は呪われた大道を歩き、宗教と物質主義の怪物の手に落ちたのです。

それでもなお新時代の真理の教師はたったの二人です。

そして地球人は二人を嘲笑し、同情を示します。

しかし、やがて新時代の二人の変革者の真理は ついに勝利を収めるでしょう。

何故なら彼らの回りには真剣な支持者が集まり、霊的真理を求める数は次第に大きくなり、ついに無数となるでしょう。

彼らは巨大な波をつくり、すべての海岸を通過して、真理、知識、英知、愛の創造的力の大海へ吸収されるでしょう。

無知な者、哀れな者として真理の教師を嘲笑し、愚かな世界改良家として侮辱した人々は、やがて新時代の改革家の援助を真先に大声で求める者と成りその罪の許しを乞うでしょう。

人々は厳しい訓戒を受けて、すべてを吸収する真理の大海の中で、真実の生き方を見つける為に、長い苦しい戦いを強いられるでしょう。真理を悪用し、汚した報いは厳しく、その罪の償いは困難を窮めます。

各人は真理を実践する能力に応じて、創造の為に働くのです。

こうして地球人は、真理の教師を愚か者、無知な者、哀れな者としてあざ笑い、世界改良家といって罵り続けます。

しかし、やがて、嘲笑していた人間が、真理の教師を決して笑うべきではなかった。むしろ自己の暗愚、無知、哀れさを笑うべきだった、と心からいたく後悔する時がくるでしょう。

これが正義の法則です。

各人の顔にはっきりと、その人間の人生の全歴史が書かれている

彼のすべての欲望、憎悪、喜び、断食と大食、彼の愛、彼の最も内なる存在

慧眼の者はそれらすべてを読み取ることが出来る

何故なら、ある者は彼の顔にそれらすべてが反映されているのを認めるが、他の者は認めない

貴方が人生において賢明になりたいならば次のことを守らねばならぬ

常に人と平和に生きよ、さすれば良い人生が生まれる

人と共に生きる基準は、彼らを自分自身の創造物のように遇すること

法則に従い、創造と共に生きよ

決して創造の法則に違反するな

そうすれば、貴方の人生はただ喜びそのものとなり、困難、損害、苦痛は貴方から消える

富は財産や金にあるのではなく、知識と勇気にある

富は勇気と強さにある--知識ある者はそう理解する

才能と勤勉は人間に大きな富をもたらす

ただし、彼が金と財産を貪欲に求めることなくその才能と勤勉を知識の獲得に活用すれば

貴方の関係のない事柄から遠ざかれ、又それについて判断もするな

そうすれば、貴方は永久に平和でいられる

貴方が一秒それを無視すれば、永久にそれは戻ってこない

だから絶えず、いつも、あえてそれを為せ

そうすれば、貴方は幸福になれる、もはや悲しむことはない

常に貴方の時間を良く正しく使え

その時間は、貴方にたった一度しかやってこないゆえ

過去を貴方の教訓とせよ

学んだものを現在に取り入れよ

学んだものを未来のつぼみとせよ

それを愛と知識の為に活用せよ

創造を常に貴方の問題の助言者とせよ

何故なら、その法則と掟はすべての中で一番良いものだ

地球人よ、次のことをよく考えてみよ

貴方が法則に着手した仕事の中で悪い結果に終わったものは一つもなかったことを

だから創造の法則と掟の下で生きよ

そうすることによって、貴方は真の生き方の指針を受ける

それでこそ、貴方の人生の初めと中間と終わりが本当に初めと中間と終わりとなる

貴方の仕事を繁栄させたいと願うなら創造の中でそれを始めよ

正しいことを何かつくりたいなら知識を集めよ、

つまり、創造のすべての良い目的を含んだ知識を集めよ

何故なら創造のみが万物の中で完全なのだから

人類よ、貴方は鍛冶屋のように自分の人生を自ら鍛えている

貴方はその為に全力を尽くそうと決心する

貴方は自分の運命、愛、好運、そして平和を鍛えつつある

貴方は、何はともあれ、自分の人生の主人だ

貴方は自分の人生を苦悩、又は至福の人生につくる

それは貴方の運命のつくり方

貴方が悪を考えるか、平和を考えるか、それ次第

人がわなに落ちると、それはひどく苦い味がする

彼は懸命に脱出しようとする

そして成功した時、喜びに包まれる

ところが彼は、自分の行為がどんなものであったか反省しない

すなわち、今までの彼は常に思慮深くなく、わなに落ちたのは、自分の非論理と不合理が原因であり、そのわなは良き思慮と勇気と知識があれば避けられたものを

この声に従え、声はいう。「常に努力奮闘せよ」
この声に従え、貴方を高める声に
この声に従え、知識に基づきつつ愛に輝く声に
この声に従え、貴方に人生の道を示す声に
この声に従え、貴方を不滅の存在にさせる声に
この声に従え、声はいう。「貴方の霊を確実に形成せよ」

人間よ、貴方は人生の嵐の中で.耐えて生き抜いている貴方は嵐の中で決して破滅しない恒星のようだ  

貴方は愛、真理、知識の中にしっかりと立っているので貴方は一生涯真実の人生を歩くだろう

不正な人間達が何千人という人を殺す彼らは真理の為に戦わないから

不正な者は、死に際に極度に苦悩する

何故なら、彼は真理に向かう努力を一度もしなかったから

地上で愛を実行した者だけが心安らかに死ぬ

自分の人生を不誠実に生き、あらゆる悪に自分の人生を売った者を猛り狂った死が、必ずつかまえる

憎悪と虚偽の中で生きた人生は臨終の時決して尊敬されることなく消えてゆく

小難を逃れて大難に陥るのは無分別な経験である

貴方が苦境、悲しみ、病気に陥っている時まず真の愛と友情を見分けよ

幸福な時に良き友を持てても

不幸な時に良き友を持てるとは限らない

常に熟考せよ、どんな友情を選ぶべきかを

さもなければ、貴方は最後に困惑する

確かめて、後に信じよ
さもなくば悪が栄える

苦境と悲しみにある貴方に
援助を申し出るほどの

友情と愛があるかどうかを、じっくり見つめよ

冷笑家のいるところに滞まるな

そこは暗愚と悪徳の住家である

愛はすべての生命の本質である

愛は又、知識とあらゆる努力の本質である

人間はよく天国と地獄のことを考える

しかし、自分の強力な良心のことはめったに考えない

たとえ、人間が貧しかろうと、豊かであろうと

彼の意志こそが天国である

しばしば人生は過酷で困難である

死はすべての人間を墓場へ連れてゆく

死は富者も貧者も関係なく、すべての人を捕え、死体にする

死は長い地上生活からの解放である

だから死に尊敬と賞賛を示せ

貴方の唇と舌をしっかり守れ

早く口から出る言葉は空虚で悪質である

貴方が二つの事柄からどちらが真実かを知りたいと願うなら

その中にある英知を見逃してはならない

貴方は良いことを見つけるには、楽しては出来ない

勇気をもって、苦労して、それを手に入れなくてはならない

悪徳を忘れることが出来ず、
それを心の中で育む者は
いくじなしであり、
生きる価値がない

そういう人間は暗愚でもある

何故なら、彼は、自分に悪いことをした他の人間よりも

自分がずっと良い人間と妄想するからだ

貴方の人生に邪悪な暗い影が差し込むとき

貴方に愛が与えられる

その愛ですべての悪を破壊する為

人間は無知であり、

しかも他人に復讐する性格しかもっていない

それが何であれ、貴方がある人間に尽くしてあげたことは 

それを決して思いださないようにせよ

というのは、貴方が自由意志で行ったことは公平で正しい行為であったからだ

そこで、貴方が尽くした人を、決して非難してはならない

というのは、その人が約束を破ったとか、嘘つきだとか言って

逆に貴方を非難するからだ

貴方がいったん贈り物をすればその贈り物は相手の生命の一部となる

送り手の意図がかなえられないからといって

相手を非難したり、何かを企んだり、

ましてや陰で悪口を言ってならない

人間よ、貴方が知っていることをすべて語り尽くすな 

自分が言っていることが、真実であるかどうかを確かめよ

人間の内にある憎悪が、邪恋な暴力とごう慢な身振りで

激しい勢いで世界中に苦難と死をまき散らす時

人間の内にいつか、愛が必ず現われなければならぬ

時は休みなく過ぎ去り

遠い遠い未来へ消えてゆく

現在は急いで進みつつ
人生の一瞬をつくる
すると、たちまち過去となり
早く過ぎ去って死ぬ

人よ、考察せよ、時がいかにして逃げるかを

時は決して現在に静止しない

時は来るごとく去る

去ってゆく--永遠へ向かって

時を上手に使え--それが与えられる通りに

それは貴方の地上生活にとってあまりに短いゆえに

自分の将来のみを考える

多くの人間がそうしている

しかし決して貴方は一生涯そうしてはならない

生命(人生)は次第に暗くなる

だが恩寵は常に変わらない

貴方の生命は、いつかは消え去る

そして悲しみを通して貴方は忍耐を学ぶ

世界で最も偉大な出来事は静かな行為によってなされける

人生はそれによって明るくなる

この賢明な言葉を銘記せよ

貴方が悲哀、苦境、苦痛から脱却したいならば、真理を認識、読み取らなくてはならない
   
真理に照らして一語一読吟味せよ
   
そうすれば、貴方は常に清澄になる  

決定する前に必ず熟考せよ

そうすれば、その決定は、貴方の得になる

もしへ貴方が約束をしたら、真実にしかも常にそれに固守せよ

貴方が楽しい時もつらい時も約東を果たすならば見方はいつもその為に尊敬され、賞揚される

貴方がいったん約束したことを実行しない時は、貴方の信用はすべて崩れてしよう

決して川の流れに従って下流へ泳いでゆくな

向こうには急流があり、苦痛がある

絶えず流れに逆らって泳げ

楽しい時もつらい時もたえず戦え

流れに逆らって源流へのぼれ

そうすれば、貴方の全人生を照らす光を獲得する

何故なら、そこには無限の愛の中で、知識、英知、歓喜、休息、平安が貴方を待っている

決して流れに従って泳ぐな

それは愚者のすることである

愚者は迷い、ただ自分の好運を待つのみであり激流に身を任せ、愚かな希望を抱く、

また愚者は意志力もなく、激流に乗って下り、ついに洪水にのまれる

その結果、すべての良きものが彼から離れてゆく

人間よ、決して流れに従って泳ぐな

それは、大衆がしていることであり、彼らは墓へ向かって泳いでいるのだ

常に激流に逆らって泳げ

そうすれば、貴方は人生の究極の目標に達し、真に生きる

もし、貴方が長い人生を流れに逆らって泳ぐなら、貴方の人生航路の終わりに、立派な報酬を受け取る
  
貴方が偉大なものに達したいなら、全てのためらいを捨てよ

自分自身と和解して、落胆を克服しなくてはならぬ

もし、貴方が知識を修め、時問を支配すれば、貴方は時間を操作し、すべての時間を支配できる

良い性質がなければ、いかなるものも重要ではない

永続しなければ、いかなるものも真実ではない、真理は必ず明るみに出る。嘘は決して永続しないから

貴方の長い人生航路の良き伴侶には、次のような人物だけを選べ

貴方の愛と霊を拡大してくれて、共に創造へ向かう人

四つのものが人生の苦境を克服する、知識と英知、愛と真理である

貴方がそれらと共に生きるなら、人生は無駄にならず

改めて満足感に浸りながら永遠へ歩いていく

真理のために戦う者のみ人生に勝つ

貴方が生涯学習を続けるならば、その努力のおかげで、貴方は永遠を得る

貴方が真相を知らないかぎり、他人の悪口を決して言ってはならない

又もし、他人の真相を完全に知っているならば、その悪行を公表しないはずだ

時間と空間は永遠に存在するのではない
両者は過去になるからだ
両者は急にやってきて
急に未来の中へ去ってゆく



真情

夜、私は野外へ出ると、心地よい涼風が私を撫ぜる

万感胸に迫り、星を見上げる

愛、沈黙、平和の思いで胸が一杯になる

ある願いだけが、大小の想念に形成されていくのに気がつく

私の想念のすべてがその願いに向かって懸命に前進し、生きていることを認識する

私は夢と現実の不一致を感じる

私は夢や願望の誘惑から自分を守ることができない

それらが絶えず私の内部で燃え上がり、大きく膨らむ

私の内部であまりにも多くの願望が芽生える

私はここに平和を見たい--この地球に

全人類が大きな愛で満たされていることを見たい

すべての人間が共に愛に支えられ、共に調和と平和の中で生きてゆくのを見たい

和やかにお互いに助けあい、守りあい、誰も他者を憎むことなく、ただ援助することを見たい

私はすべての戦争が終息し、これ以上破壊が起こらないことを強く希望する

もはや死は人間の終着点ではなく、燦々と輝く日光の下で、友情と生きることが人間の目標である

しかし私は知っている、それらの願望は非常に遠い所にあり、永遠のかなたへ消えてゆくことを

私の願いは聞かれずに死んでゆく--人間の耳に聞かれずに

そして私はバカでマヌケになってしまったと感じる

私は知っている、確かに私の想念は夢にすぎない

それは大海の波の中に消えていく飛沫と同じだ

ああ、私は単なる夢想家にすぎない、目標をもたないバカ者だ

思慮分別もなく、邪悪な遊びに熱中するバカと変らない

何故なら、私は、私の願望が実現不可能であることを知っているからだ

それというのも、地球人は愛と平和に盲目だからである

ああ、愚か者の私は、地獄の炎で焼かれる苦痛を味わう

すべての希望と、私の勇気は崩れる

私の星へのあこがれは、今消える

と言うのは、今不安が私の胸と想念の中を駆け抜けたからだ

安らかで温かい星の光が青白くなる
私の感覚は遠い宇宙の冷気をとらえる
私は身ぶるいする、

そして、いささか恐怖に震え、憂愁の念に浸りながら帰宅する

それでも私の内部で、平和への願いが小さい声でささやいている

愛への願い、そして人間が誠実にこれらのことを理解してくれるだろうか

しかし私は、これらの願望が現実化するのを決して目撃しないだろう


「生と死」完     ( 亀川 正敬 訳)


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