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第1章

 1. 愛、知識、叡智、真実、完ぺきである創造の名において。
 2. 創造に、あらゆる創造物に栄光あれ。
 3. 人間は創造のためだけに生き、我々は常に創造のためだけに生きる。
 4. 我々は、創造の法則と掟にのみ従う。
 5. 創造自体が、その法則と掟によって、進化の目的地まで我々を導いていく。
 6. 創造は、真実と愛の道を行く人々、既に我々より前に真実の道を行き、うまく行かなかったり迷ったりもしなかった人々の道に、我々を導いていく。
 7. 創造の名において、これが我々の意志であり、我々の進化の目的である。

第2章

 1. 創造、愛に満ちた創造、聡明なる創造の名において。
 2. 地球の人類を超越した叡智の王であるヤーウェ及び予言者は言う:
 3. ヤーウェ及び予言者は、創造の法則と掟を啓示する。この創造は、宇宙における唯一の創造である。
 4. 創造に栄光あれ。創造は生命であり、又存在である。
 5.ヤーウェ及び予言者は、創造の7つの法則性を明らかにする。彼等は人間であり、あらゆる真実、あらゆる愛、あらゆる叡智、そして知識や創造の道に精通した啓示者である。
 6. しかし、彼等は創造の代理人ではなく、創造の法則と掟を遵守するための、自由な形で真実や愛を認識、啓示、義務遂行するものである。
 7. そうしてヤーウェ及び予言者は、叡智によって、また自由に義務を遂行しながら、創造の法則と掟の遂行のために語る:
 8. ヤーウェは、畏敬するべきでものでも、崇拝すべきものでもない。何故ならば、それは創造にのみ相応しいものであるからだ。
 9. 予言者もまた、畏敬すべきものでも、崇拝すべきものでもない。何故ならば、それは創造にのみ相応しいものであるからだ。
10. そして予言者の霊的指導者もまた、畏敬すべきものでも、崇拝すべきものでもない。何故ならば、それは創造にのみ相応しいものだからだ。
11. 人間は、ヤーウェ又は予言者、または予言者の霊的指導者に祈りを唱えてはならない。何故ならば、祈りは創造にのみ相応しいものだからである。
12. 人間は、ヤーウェ又は予言者、または予言者の霊的指導者を畏敬してはならない。何故ならば、畏敬は創造にのみ相応しいものである。
13. 畏敬や崇拝は、創造にのみ相応しいものである。創造は、宇宙に於いて最高のものであり、最も完璧な極致である。 
14. 尊重せよ。すべての生命に、地球人類のヤーウェに、予言者や予言者の霊的指導者に対して、敬意と畏敬の念を示し与えよ。
15. 尊重せよ。すべての生命に敬意と畏敬の念を示し与えよ。
16. 尊重せよ。ヤーウェに敬意と畏敬の念を示し与えよ。ヤーウェは、三つの世界の人類の叡智の王である。
17. 尊重せよ。予言者に敬意と畏敬の念を示し与えよ。予言者は、真実、愛、叡智、知識に関する地球の人類のための真実の予言者である。
18. 尊重せよ。予言者に敬意と畏敬の念を示し与えよ。予言者は、教えを受けるべき地球の人類と真実の教えとの間の仲介者であり、告知者であり、知識有る者であり、愛に満ちた者であり、聡明な者である。
19. 尊重せよ。予言者の霊的指導者に敬意と畏敬の念を示し与えよ。霊的指導者は、知識ある者であり、予言者の委託によって無知な地球の人類を教えるものである。
20. 創造の法則と掟の教えに従いなさい。これに従うことによってのみ、真実の生活や存在への進化が可能となる。
21. 創造、愛に満ちた創造、聡明なる創造の名において。

第3章

 1. 創造、知識のある創造、創始する創造の名において。
 2. 地球の人類のヤーウェであるヤーウェは語る。
 3. これは、創造の法則と掟を記した本であり。判りやすい言葉で解説、説明されている。
 4.これは、創造の法則と掟に関する知識を記した本であり、この言葉と意味は 地球の人類のヤーウェと予言者によるものである。  
 5. ヤーウェは創造自体ではなく、人間であり、非階級組織的に地球の人類を超越した叡智の王である。
 6. ヤーウェは地球の人類のため、宇宙の深淵からはるばる旅して来た者のための唯一のヤーウェである。彼らは、ヤーウェの援助者及び監視人である。しかし、ヤーウェの他に人類のために予言者が存在する。予言者はヤーウェに取っていわば協力者である。
 7. 地球の人類のヤーウェと予言者には、地球の人間から敬意や畏敬の念が与えられるべきである。
 8. しかし、創造にはヤーウェ及び予言者及び人間から、栄光や尊敬や畏敬の念が与えられるべきである。
 9. 創造のみが、全創造物、生命、存在の力である。
10.そして創造以外に、畏敬に値するもの、崇拝するに値するものは存在しない。
11. ヤーウェは聡明だが、人間であり、そして知識、愛、真実、能力、叡智の王である。つまり、叡智の王である。
12. ヤーウェの他に、人間と同じ形態を取るものは存在しない。
13. ヤーウェは人間であり、霊的形態となるまで人間であり続ける。
14.ヤーウェは人間であり、そのヤーウェの上に君臨して、測り知れないほど高いところに存在しているのが、全ての創造物を作った全能の創造である。
力、知識、愛、叡智に関して、創造と比較しうるものは宇宙に存在しない。
15. 創造は創造であり、宇宙に存在するあらゆる創造物を創造した。
16. 創造は創造であり、あらゆる創造物を創造した。生命、存在、天と地、星雲と天空、つまり、全ての被造物及び全ての生命体を創造した。
17. 創造は創造であり、創造以外には宇宙に創造は存在しない。
18. そして創造はOM (オーム)である。
19. ヤーウェと予言者は人間であり、創造の法則と掟を心得ており、教えを受けるべき人類に創造の法則と掟の本をもたらす。何故ならば。彼等は人間であり、ヤーウェであり、予言者であり、ヤーウェ及び予言者としてそうする義務があるからである。
20. しかし、ヤーウェや予言者の上に君臨し、測り知れない高みに存在しているのは、無限で全大時的な力として真実の存在としての創造である。
21. 創造は創造であり、創造以外には宇宙に創造は存在しない。

第4章

 1. 創造、慈悲深き創造、万物を愛する創造、正しき創造、聡明なる創造、知識ある創造、万物に対して哀れみ深い創造の名において。
 2. 創造に栄光あれ。創造は真の創造であり、宇宙における唯一の創造である。
 3. 創造に栄光あれ。創造は、あらゆる被造物を造った創造であり、宇宙、星雲、天体、地、天、光と闇、時間と空間、あらゆる生命体、あらゆる種類のものを造った創造である。
 4. 創造に栄光あれ。創造は、宇宙における唯一の創造であり、時間及び空間における、あらゆる被造物を造った創造である。
 5. 創造に栄光あれ。創造は正義である。
 6. 創造に栄光あれ。創造は愛である。
 7. 創造に栄光あれ。創造は力である。
 8. 創造に栄光あれ。創造は叡智である。
 9. 創造に栄光あれ。創造は知識である。
10. 創造に栄光あれ。創造は慈悲である。
11. 創造に栄光あれ。創造は自由である。
12. 創造に栄光あれ。創造は恵みである。
13. 創造に栄光あれ。創造は法則である。
14. 創造に栄光あれ。創造は掟である。
15. 創造に栄光あれ。創造は縁(えにし)である。
16. 創造に栄光あれ。創造は遂行である。
17. 創造に栄光あれ。創造は進化である。
18. 創造に栄光あれ。創造は生命である。
19. 創造に栄光あれ。創造は助力である。
20. 創造に栄光あれ。創造は喜びである。
21. 創造に栄光あれ。創造は美である。
22. 創造に栄光あれ。創造は平和である。
23. 創造に栄光あれ。創造は過ちを犯すことのないものである。
24. 創造に栄光あれ。創造は調和である。
25. 創造に栄光あれ。創造は霊である。
26. 創造に栄光あれ。創造は恒常のものである。
27. 創造に栄光あれ。創造は矛盾の無いものである。
28. 創造に栄光あれ。創造は発生である。
29. 創造に栄光あれ。創造は完ぺきなものである。
30. 創造に栄光あれ。創造は満足である。
31. 創造に栄光あれ。創造は無限である。
32. 創造に栄光あれ。創造は全能である。
33. 創造に栄光あれ。創造は快いものである。
34. 創造に栄光あれ。創造は永遠である。
35. 創造に栄光あれ。創造は結束である。
36. 創造に栄光あれ。創造は感情である。
37. 創造に栄光あれ。創造は願いを聞き届けてくれるものである。
38. 創造に栄光あれ。創造は高めてくれるものである。
39. 創造に栄光あれ。創造はゾーハールである。
40. 創造に栄光あれ。創造は優しさである。
41. 創造に栄光あれ。創造は明瞭なものである。
42. 創造に栄光あれ。創造は純粋なものである。
43. 創造に栄光あれ。創造は変遷である。
44. 創造に栄光あれ。創造は成立である。
45. 創造に栄光あれ。創造は未来である。
46. 創造に栄光あれ。創造は威力である。
47. 創造に栄光あれ。創造は畏敬である。
48. 創造に栄光あれ。創造は全体である。
49. 創造に栄光あれ。創造は存在である。


第5章

1. 創造の名において。創造は創造であり、真に唯一のものである。
2. ヤーウェは、真の叡智の王として地球人類を監視し、このヤーウェの上に君臨して存在しているのは創造であり、ヤーウェは、極めて厳しい義務として創造の法則と掟に従う。
3. ヤーウェは、人類を強化しながら監視を行うが、決して支配者としてではない。ヤーウェは創造と同じように行動する。
4. ヤーウェは叡智の王であり、叡智の王として監視を行うが、支配者として抑圧的に行うのではない。
5. 創造は創造であり、創造の他に宇宙に創造は存在しない。何故ならば、創造のみが測りしれない神秘であるからだ。
6. ヤーウェは人間であり、ヤーウェは人間として、3つの大地の人類に対して責任を負っており、ヤーウェは叡智の王としてその人類に献身する。
7. 創造は測り知れない偉大さを持って地球のヤーウェの上に存在し、その地球のヤーウェ以外に人間は別のヤーウェ又は偶像や神々を持つべきではない。
8. 見よ、地球の人類を叡智の王が監視し、 予言者が人類を強化しながら監視している。
9. 人間である叡智の王と予言者の上に存在しているのは、測り知れない高みにいる創造で、創造は、創造する最高の力としての存在である。
10. ヤーウェと予言者は、人類のために法則と掟をもたらすものであり、彼等の願いと助言は、男及び女によって遵守されるべきである。何故ならば、それらは常に従わなければならない創造の法則と掟に由来するものであるからだ。
11. ヤーウェと予言者は、彼らの愛、彼らの全行動、彼らの忍耐に関して寛容ある。
12. 人間はヤーウェや予言者の教えを誤解してはならない。何故ならば。その教えは創造の法則と掟に由来する7つの秩序による真の知識、解説、助言であるからだ。
13. ヤーウェや予言者は、自らの義務によって、創造の法則と掟をすべて把握、認識している。彼等は、創造の法則と掟を解明的又は助言的に解説する。何故ならば、彼等はあらゆる事物に関して叡智の王であり、知識があり、又聡明であるからだ。
14. しかし、創造は、人間であるヤーウェや予言者より、遥かにずっと高尚である。何故ならば、創造のみが測り知れない神秘であるからだ。
15. ヤーウェや予言者は人間であり、彼等は、自らの義務を認識及び遂行しながら、創造の法則と掟を教示する。
16. ヤーウェや予言者は、創造の代理人となることは無く。叡智と愛と真実と知識をもって創造の法則と掟を教示する。
17. 創造は無限の力であり、測り知れない偉大さであり、測り知れない神秘である。人間の力が創造に近づくことは出来ない。
18. 人間の霊は創造と意志伝達することが出来る。何故ならば、霊だけが、エネルギーと等しい創造自体の一部であるからだ。
19. 創造のみが崇められ崇拝されるべきであり、創造のみに栄光と感謝あれ。
20. ヤーウェや予言者は、敬われ、うやうやしく尊重されるべきであるが、しかし、崇められたり、崇拝されるべきではない。
21. 畏敬と崇拝は創造のみに相応しいものである。感謝を込めて、創造を賛美せよ。

第6章

1. 創造の名において。創造は宇宙における唯一の創造であり、又生命及び「存在」である。
2. 地球の人類の叡智の王は、真の予言者に向かって語る。その予言者は真の予言者であり、又仲介者及び告知者として、真の言葉や教えの書としての真実の書を授かり、それを地球の人類にもたらす。その書は、地球の人類に取って、助言と忠告、守るべき基準となる:
3. 創造の法則及び、如何なる群れも一頭の先導獣を必要としている。
4. 又、如何なる軍隊も一人の指導者を必要とする。
5. そして又、如何なる民衆も賢明な指揮者を必要とする。
6. そして、如何なる人類も賢明な王を必要とする。
7. 如何なる人類も、賢明な、知識を持った、愛、義務。能力、知識、忠告に関して優れた王、つまり叡智の王を必要とする。
8. 叡智の王と呼ばれているのはヤーウェや予言者であり、万物の創造のみが測り知れない神秘として、ヤーウェや予言者を支配する。
9. 見よ、ヤーウェや予言者は人類を監視している。告知者及び指導者として希望、言葉、創造の法則及び掟の書を地球の人間にもたらし、地球の人間を教導していく者によって、人類を指導、先導していく。
10. 真実及び創造の法則や掟の仲介者、告知者、指導者とは、ヤーウェ、予言者、予言者の霊的指導者であり、彼等は、無知な人間を教導していくことを義務として実行していき、最高の叡智の力、真実の力、知識の力、愛の力を自ら持っている。
11. ヤーウェは創造の代理人ではなく、又予言者もヤーウェの代理人ではない。 
12. 予言者は、地球の人類のために、自らの教えやヤーウェの教えを適切な時期に告知し、言うならば、その時期に別の予言者や別のヤーウェが同時に存在することは無い。
13. ヤーウェ及び予言者は、霊の教えを告知する。その教えは、創造の法則及び掟による教えであり、自己の義務履行を認識することによって、ヤーウェや予言者に課せられたものである。
14. 予言者は霊的指導者に配属されており、霊的指導者は予言者のもとで教えを受けそしてそれから人間の間で教えしていき、知識を持った、義務を履行する霊的指導者として多くの人類に教訓を与え教授し、導いていく。


第 7 章


1. 創造の名において、創造は正しく、又寛大である。
2. 創造のみに賞讃と畏敬と崇拝あれ。
3. 創造は、目に見えないものであり、掴めないものであり、知覚出来ないものである。
4. しかし、創造は感じられるものである。
5. 真の知識、真の叡智、真の真実、真の愛だけが、創造の存在を示しながら、人間に理解、把握、認識させる。
6. 真の真実、真の愛、真の叡智、真の知識の中に、証明力を見出せない人間にとって、創造の存在は証明不可能なままである。
7. ヤーウェは目に見えるものであり、又掴めるものである。何故ならば、ヤーウェは人間であるからだ。しかしヤーウェは、目に見えて掴める自らの存在を守っており、創造の法則及び掟の教えを必要とする人間が、見たり掴んだりするのを制御している。
8. つまりヤーウェは、教えを受けるべき者に取っては目に見えないもの、又掴めないものであり、予言者だけがヤーウェの顔を見ることが出来る。
9. 無知で教えを受けるべき人間は、間違った追い求め方をしていく中で、彼等を超越し、より物事に通じていて、より能力のある高尚なるものを尊敬する。つまり、無知なる者は、より知識を持っていて、真に賢明なる人間をも尊敬するのである。
10. ヤーウェは人間であり、賢明で、又知識を持っている,ヤーウェは崇められてはならず、畏敬、崇拝されないためにも、教えを受けるべき人間に対して、ヤーウェは目に見えない、掴めない存在のままでいる。
11. まことに、畏敬や崇拝は創造のみに相応しい。
12. ヤーウェは人間であり、人間として畏敬や崇拝を期待することも、又許容することも無い。予言者も又そうであるが、ヤーウェとは違って、予言者は身を守らなければならず、じかに民衆の間で行動することはない。何故ならば、人間は聞違った求め方をしていく中で、畏敬と崇拝を求めており、予言者はその人類のもとで活動していくからである。
13. 予言者は畏敬や崇拝から身を守らなければならない。何故ならば、創造が測り知れない神秘として彼らの上に存在しており、畏敬と崇拝は創造のみに相応しいからである。
14. ヤーウェは、教えを受けるべき人間にとって、目に見えない、掴めない存在であり、ヤーウェに配属された者すべて、例えば援助者や監視者も又そうである。教えを受けるべき者は畏敬や崇拝に傾くことなく、又人間は理解力や分別によって、及び知識、真実、愛、叡智によってのみ、自らの存在を知るようになり、又同様に創造の存在について知った上で行動しなければならない。



第8 章

1. 創造の名において。創造は全ての生命を造りだした。
2. 創造に栄光あれ。創造は創始(創造)である。
3. 起源に関する、又、法則や掟に関する知識を受け持ったヤーウェや予言者は語る:
4. 「初めに、創造の渦巻きの卵形が、原初創造の理念によって生み出された。
5. 創造の渦巻きは、霊的原形であり、ごく小さくて、ノミ程の大きさしか無かった。
6. しかし、渦巻きの中では、出来上がりつつある創造の霊的エネルギーが、激しく又拡張的に回転、鼓動していた。  
7. そのエネルギーは成長していって、集中した力となり、破裂して非常に鋭い閃光となった。
8. 絶対的空間の無数の宇宙の間には、ゾーハールがあった。
9. 創造の渦巻きは、強い拡張力によって相互に引き離れていき、光の数倍の速度で広がっていき、絶えず成長を続け、創造及び字宙の空間を造り出していった。
10. 創造は生まれた。原初創造の理念によって案出され、独自の力によって造り出された。
11. 原細胞の中の無限の持続性から開放され、原細胞の中で束縛が解けて、創造は意識的に思考することを始めた。
12. 分別と理性が、感情と情緒が発達していった。
13. 思考は理念を生み出した。理念は、悠久なるものによって、万物の起源である絶対的絶対性によって示されるものである。
14. 原初--それ自体は、無限の持続性の絶対的無から生まれた。無限の持続性は時間超越と呼ばれている。
15.しかしながら、悠久の理念は、存在の進化的意義の中に、絶対的絶対性における全大時的、及び時間超越的な存在の、最終的生にまで至る発生と消滅の中に示されている。
16. 創造は生き、思考し、感情、情緒、理性、分別、そして生の理念を持っている。
17. 又創造は、自らを拡張し拡大していくために、真の愛に関して力強く、又威力的であった。
18. 創造は、自らの力に依って、自らの思考や理念を発生させていき、そこから空間と時間を造り出した。
19. 創造は宇宙を生み出した。宇宙は果てしなく空虚であり、自ら広がっていく創造の霊的エネルギーに満たされているだけであった。
20. つまり創造は、初めに宇宙の空虚な広がりを造り出したのであり、その宇宙では、無限の持続性が支配していて、まだ空間は無かった。
21.しかし、発生の理念が造り出され、無限の持続性は時間となり、空虚な広がりは空間となった。
22. だが、空間は空虚で、時間は止まったままであった。
23. 理念は動きを引き起こした。
24. 持続性(長い時)はごく小さなインパルス単位に分裂し、その各インパルス単位は、空間の波動の中を素早く通り過ぎていた。
25. 自ら動く時間が生まれ、時間は息づいた状態で過去と未来を造り出した。  
26. 進みゆく時間は、空間の中で浮遊する(右存する)霊的な創造エネルギーを動かし、そして回転が起こった。
27. 霊的エネルギーは、移動及び回転しながら鼓動し、そこからふわふわした物質を造り出した。
28. つまり、物質形成の第一段階が行われたのである。
29. 創造の理念は更に発展していった。創造の理念は、原初創造によって永久的に創造に与えられたものであり、又その理念は、もともと原初創造に対して、絶対的絶対性によって与えられたものである。
30. 宇宙はまだ、進みゆく時間、動き、回転、鼓動、ふわふわした物質しか無かった。
31. 空間は混乱荒廃していて、暗黒の中で漂っていた。天空は存在しなかった。
32. 創造の理念は更に広がっていき、創造は、濃密化していくために回転を引き起こした。
33. ふわふわした物質は回転及び鼓動して、創造の渦巻きの卵形と同じように渦巻きと成り、濃縮していき、それによって、空間の冷たさとは異なった温かさが発生した。
34. 濃密化した霊的エネルギーの綿状物質は星曇と成った。星雲が誕生して、灼熱し、光を放って明るく、こうして空間の暗黒が壊れていった。
35. つまり、原初星雲が誕生したのである。
36. この原初星雲から新しい発生が起った。つまり動きを持った新しい濃密な物質が回転、鼓動した。
37. 粗い物質が、新しい種類の星雲として発生し、それが、広い空間を多様に又無数に活気づけていった。
38. しかしこれによって、創造の理念が完了したのではなかった。何故ならば、まだ進化していく生命が造り出されていなかったからだ。地を這い、空を飛ぶ動物がまだ何も存在していなかったのである。
39. 又、万物の生命や存在が組み入れられるべき法則性及び規則性が、まだ存在していなかった。これは存在及び進化の為のものではなかった。
40. 創造は思考し、全てを包括する法則及び掟を造り出した。その法則及び掟に全ての生命、全ての進化.発生と消滅、「存在」が組み入れられることとなる。
41. こうして、創造の法則及び規則性の七元性が造り出された。
42. つまりこうして、あらゆる生命及びあらゆる進化の基準が与えられたのであり、存続するもの、発生するもの、消滅するもの全てに対する、又「存在」に対する法則と掟が与えられたのである。
43. そして、創造はその法則性及び規則性を、創造が造り出したもの全てに、又創造によって更に造り出されるであろうもの全てに組み入れていった。
44. あらゆる生命及び存在が、全大時的にこの秩序に組み込まれるように、創造は、存続するもの及び発生するもの全てに、その法則と掟を定着させていった。
45. すべてを包括する七元的秩序の法則性と規則性は、そのまま浸透していき、あらためてそこから別の種類の生命が生れた。
46. 七元的秩序が誕生したが、これは、全ての生命、全ての存続するもの、全ての発生及び、消滅、全ての進化、全ての「存在」が、七つの連続する各段階に、及び各水準において完全なものとなることを意味している。
47. つまり、創造の法則と掟の七元的秩序とは初めから目的に至るまでに七つの段階又は七つの水準からなる推移および進展に、全てのものが組み込まれていることを意味している。
48. しかしながら、この七元的秩序もまた十分ではない。何故ならば、すべての水準が更に又七つ水準に区分されており、そして又その七つの水準が更に七つの下位的な水準に区分されていて、そして又これが七回続くといった具合になっているからである。
49. 七元的秩序には7x7倍発展段階があり、すべての生命には直接的に創造に関係する七つの発展水準が与えられているのである。
50. 創造に関係する各発展段階は、七つの下位的発展段階に区分されている。 
51. その各下位的発展段階は、更に七つの下位的発展段階に区分されている。
52. その各下位的展段階は、更に細かな七つの発展段階に区分されていて、それが7回まで続くのである。
53. つまり、全てのもの及び全て存続するものに、それぞれの種類に応じて与えられた全水準の数は、7×7×7×7×7×7×7となっているのである。
54. そして七元的秩序から、新しい別の種類の生命が発生した。その生命は、より濃縮した、粗成分から成る物質であった。
55. 多様な新しい星雲が灼熱、回転、鼓動する渦巻きの突起部は、濃しながら大きな自転する球を造り出した。その球は、大きな形成物にまで濃縮していき、星雲の中心から離れていった。
56. 回転、鼓動、灼熱する大きな形成物からは、太陽や惑星となる濃縮物が直ぐに発生し、空間の果てまで飛ばされていった。
57. 太陽や惑星は空間中でばらばらにされ、そして又一体化して、群や系をなしながら相互に周りあうようになった。
58. つまり太陽や惑星は、様々な規模で、又多様な形及び種類で、又いろいろな色で宇宙空間を活気付けたのであり、宇宙空間は多様となった。
59. 太陽は独自の炎で輝き出し、太陽の周りを回っている惑星に光や熱を与えた。惑星自体は、部分的にはまだ表面的に冷えており、創造の七元的秩序が定めたように、自らの生命を発展させる能力を個々にもっていた。
60. つまり、創造の法則や掟によって、惑星がそれぞれの種順に応じて自らの生命を発展させ、自らの生を担ううべきであるとされた。
61. こうして様々な形と種類の生命が、個々の世界において造られていった。その世界は地球と呼ばれているものである。
62. 第1の生命は植物として生じ、その植物が地球の大地を覆っていった。
63. そして直ぐに動物も生まれた。植物界を成す植物が繁茂した後に、動物が動物界を成す様になった。
64. つまり、創造の七元的秩序に従って、まず初めに植物が創り出されて、それから動物が生まれたのである。
65. 最後の生命体として人間が生まれたが、それは植物や動物が既に存在していた時であったので、それによって人間が生きていく可能性が既に与えられていた。人間は最高に発達した、独立した思考する生命体であり、これは創造の理念によって、あらかじめ考慮されていた事であった。
66. 初めに創造があり、創造が宇宙、空間、時間を造り出し、その中に大地を造った。
67. しかし、大地の上には、いろいろな生命が造り出され、絶対的絶対性の「存在」に変わっていくという理念が満たされたのであり、それから進化の道が開かれることとなるのである。
68. あらゆる生命が、創造によって与えられた法則や掟に従った場合、全てのものが進展していくのである。
69. 法則及び掟は、太古に与えられたものであり、又真の愛に関して知識のある賢者にとって、如何なる場所でも全時代を通じて一定していて、普遍で持続するものとして認識出来る。
70. つまり地球も、創造の法則及び掟によって創り出されたものであり、又、太陽や他の惑星もそうして造り出されたのである。
71. 初めに新しい系の太陽が存在し、太陽が熱と光を与えた。
72. 太陽の遥か外側では、形成物が濃縮し、それが惑星を生み出した。
73. 太陽の光は、暗黒と回転する惑星を照らした。光はそれらの上にあり、暗黒は太陽に背を向けた側にあった。
74. 惑星上には昼と夜があった。つまり、地球上には昼と夜が有ったのである。
75. 創造の七元的法則及び掟に従って、地球上にはいろいろな生命が造り出された。
76. 植物と動物が、それぞれの種類に応じて生まれた。
77. そして地球上に生命がもたらされた。世界は、一部は大地から、又一部は水から成っており、全ての生命は初めから終わりまで、これから造り出された。
78. 生命は人間にまで造り上げられた。人間は発達しており、独立した、自己の方針に忠実な高度に発達した、創造による生命体として地球の原初物質と地球の物質的生命体から造り出された。
79. 人間生命は、地球上の物質及び存続する植物や動物と言った生命物質によって造り出されたのであるが、種族に関して植物的生命形態、又は、動物的生命形態と直接的な結び付きは無い。
80. つまり独自の特殊な種類として、人間という種族が生まれたのであり、植物的生命又は動物的生命とは全く直接的な結び付きは無い。
81. 又地球上の人間という生命形態は、分別と理性を発達させ、感情や思考、及び言語をも発達させた。
82. 人間は言葉を作り、その言葉を特定の概念的一貫性によって並べた。そこから、連続する言葉による意味や、言葉の結合による意味が発生した。
83. 言語が価値有るものとされ、人間は言葉によって相互に理解し合うことが出来た。
84. つまり、言語が作り出されたのである。
85. そして人間は言語を自由に操り、世界の上の空間を空と呼び、乾いた大地を地球と呼び、湿ったものを水と呼んだ。
86. 独自の天体にはいろいろな種順、種族の生命が生まれ、創造の法則及び掟によって、惑星はそれぞれの種類に応じて生命を担える能力が有るものとして定められた。
87. そして、地球もそういった惑星の一つであった。
88. 創造の法則や掟は、地球上にもいろいろな生命が、その種類に応じて生まれるとした。
89. 又創造の法則や掟は、地球上にも草や様々の薬草が、その種類に応じて生える、とした。
90. そして又、多種多様な樹木、花、植物、潅木が、その種類に応じて生え、種子を付け、又多量に果実を付け、香りを放ち、美味しくある、とした。
91. 創造の理念によって予定され、考え出されたように、全てのものは水と土から発育していった。
92. 地球は、草、様々な薬草、花、植物、濯木、全ての小動物を発生させた。
93.発生した全ての生命は、特有の種子を付け、それぞれの種類に応じて、更にその後も種子によって結実し、又繁殖していった。
94. 地球の大地の上、空の下には、呼吸空間が在った。総ての生命はそれぞれの種類に応じて呼吸することが出来た。
95. 地球上の空の暗闇には光が灯された。日中は太陽が光と熱を出し、夜は遥か遠くの天体が微かな光を放った。
96. こうして昼と夜が存在するようになり、昼と夜は光と闇という表現によって起った。
97. 地球の大地全体が、太陽の周りを回転しており、又自転もしているため、昼と夜に変化することになった。
98. 一日一日と言う期間、時間、一年一年という期間が回転によって生じ、そして又あらゆる生命が発生及び消滅するようになった。
99. それによって、春、夏、秋、冬も生じた。これらの四季は変遷しながら、幕開け、活動期間、瞑想的な晩年、そして死を迎えるが、死は熟睡のように新たな再生へと至るのである。
100. つまり、創造の七元的法則及び掟によって、地球上には発生と消滅が支配していた。
101. 発生と消滅、そして又、常に新しい発生と消滅が生じた。
102. 水と大地、大地と空、昼と夜、一年一年が生じ、四季の変化が生じ、様々な生命はそれぞれの種類に応じて、受精や誕生、消滅や再生を永遠に繰り返していった。
103. つまり、地球、水、空、天体、全ての生命は、それぞれの種類に応じて存在及び存続するようになった。
104. 全ての生命は、創造の力及び創造の霊的生命のごく一部によって満たされ、又活気付けられた。全ての生命は、完全なものに至るまで発展していくべきであり、それによって、創造の法則や掟が全大時に及んで履行されることとなる。       
105. つまり、地球、天体、全ての生命は完成され、存続及び進化に身を委ねた。そうしていくうちに、宇宙は更に拡大していき、時期が来てやっと拡大を止めるであろう。
106. つまり、宇宙、空、天体、全ての生命、光と闇、冷たさと温かさ、水、存在する全てのものが完成された。
107. つまり、創造が独自に創造を行っていく為の、原初創造の理念に従って、初めに全てが生じ、造り出され、生まれ、創造されたのである。
108. あらゆる時代に永久的に有効である創造の法則や掟を実現しながら。宇宙、星雲、天体、地を這い、空を飛ぶあらゆる生命は、創造から発生し、誕生したのである。
109. つまり、原初創造の理念によって、創造自体が誕生したのである。
110. 創造の理念によって、宇宙が誕生したのである。
111. 創造の理念によって、七元性の法則性及び規則性が誕生したのである。
112. 創造の理念によって、宇宙空間に大地、星雲、天体が生じたのであり、又空間と時間、光と闇が誕生したのである。
113. そしてついに、多種多様な生命が誕生していったのであり、これらの生命は、進化しながら「存在」という目的を追及していく。
114. 絶対的絶対性の意志及び理念によって、こういったことが起ったのである。
115. 原初創造の意志と理念によって。こういったことが起ったのである。
116. 創造の意志と理念によって、こういったことが起ったのである。
117. こうして生命体は、目的を追及しながら進化して繁栄していく。
118. 又、こうして生命体は、進化によって「存在」における完ぺき性を見出していく。
119. 真実であり、叡智であり、真の愛である創造の名において。これはそもそもの初めの真実である。」

第 9 章

1. 創造、賢明なる創造、正しき創造の名において。
 2. 創造に栄光あれ。創造は天と地を造り出し、暗闇と光を生み出した。
 3. 創造に栄光あれ。創造は、人間というものを考え出し、造りあげ、人間に進化の為の目的を設定した。
 4. 創造は、あらゆるものの中に、天空の中に、星雲の中に、大地の中に、そして又それぞれの種類に応じて生じた、あらゆる生命の中に存在している創造である。
 5. 創造は、全てのものの中に認識出来、内側かをも外側からも認識可能である。
 6. 創造は、地を這い空を飛ぶ全ての動物に対して、生存及び存在する全てのものに対して、 「存在」の存続目的及び最終目的を定めた。
 7. しかし、地球人はそのことを疑っている。無知で独断的で愚かな人々は、創造を無視する。
 8. 彼等は、畏敬や尊敬の念を知らない、真実を知らない、愛を知らない、知識や叡智を知らない。
 9. 彼等は、自らの有り余るほどの不正、不機嫌さ、利己心、自己憐間の虜になっている。
10. そして又彼等は、自らの利己主義、自らの間違った偽りの思考に囚われている。
11. 彼等は、死んだ、又は生きている偶像や神々を用いて、全く違うものを創造と同等に扱い、それによって畏敬や崇拝を駆り立てる。
12. 彼等は、偶像や神々に創造の力を装わせ、それらを畏れ敬う。
13. そして彼等は、自分達が独裁者として尊敬及び崇拝している人間を、創造の上位に据える。その人間は、地球の間では神と呼ばれている。
14. そして又彼等は、誤って彼等の神々や偶像に権力を認める。それらを創造と同等に扱う。
15. しかし、創造は創造であり。創造のみが真の力、愛、知識、叡智、全能である。
16. 創造以外に、創造の宇宙に別の創造は存在しないし、又偶像も神々も存在しないのである。
17. 創造を否定する者達、及び創造以外の別の諸力、神々、偶像を据える者達には、創造からの象徴は届かない。
18. 創造に背くもの、あき盲(めくら)は、自らの存在を示す象徴を、如何なるところにも見出すことは無く、生存する如何なる群れの中においても、その内部にも、又外部にも、見出すことは無い。
19. 又彼等には、真実の象徴である合図も届くことは無い。
20. 彼等は、無知なるものとして人生をさ迷い、真実からは遠く、愚かで、盲目的である。
21. 彼等は、故意に真実から身を背けている。何故ならば、悪徳、渇望、欲望に満ちた人生、見掛けだけの容易さ、快楽、利己主義、利己心、権力欲に満ちた人生の方が、真実の人生や「存在」への進化よりも、彼等に近いものであるからである。
22. 彼等は、唯一「存在」へ通じている真の人生から、自分達が身を背けていることを知ろうとはしない。
23. 彼等は、彼等の前に生きていた人類と同じように、真実が彼等にもたらされた時に、その真実を否定する。
24. 彼等の前に生きていた全ての人類のように、彼等にも真実についての告知がなされている。
25. そして彼等は、又もや真実を拒否、否定する。彼等が寛容になったり、理解を示したりすることは無いであろう。
26. 更に彼等は、偽りの神々や偶像に祈りを捧げ、そして又、彼等はそれに対して崇拝の念を示す。
27. その上又彼等は、創造を拒否、否定し、それによって、真実、愛、知識や叡智をも拒否、否定する。
28. しかしながら、彼等には真実についての告知がなされているが、それを彼等は嘲笑しながら馬鹿にする。
29. だが、彼等の恥ずべき行いは、罰を受けずにはおかない。
30. 何故ならば、彼等は自らに罰を課し、彼等の前に生きた人類がそうしたように。破滅していくからである。
31. 彼等は、自分達が創造や真実や愛を嘲笑し拒否したことに対する自分たちの悪事に対する、罰を自分で決める。  
32. 彼らの罰は、早期的死や不安、病気や戦争、不和や噌しみ、不気嫌や失敗、苦痛、破壊、破滅と言ったものである。
33. そして彼等は、目分自身の中や、自分自身の周りに、いろいろな悪を引き起こす。
34. 何故ならば、彼等が創造を拒否するからである。
35. 何故ならば、彼等が真実を拒否するからである。
36. 何故ならば、彼等が愛を拒否するからである。
37. 何故ならば、彼等が叡智を拒否するからである。
38. 何故ならば、彼等が知識を拒否するからである。
39. 何故ならば、彼等が生命を拒否するからである。
40. 何故ならば、彼等が「存在」を拒否するからである。
41. 彼等は過ちを犯しているが、彼等は、地球上に居住地と、生存のための可能性と、「存在」への進化のための可能性が全て与えられた人間である。
42. しかし、ヤーウェや予言者によって、彼等に真実が与えられたにも拘らず、彼等は昔から創造の法則と掟に従おうとしなかった。
43. 彼等は、創造、創造の法則や掟、愛を嘲笑ってきた。
44. 彼等は、自分達がそうしてきたことによって、自らの非難すべき行いの費任を担わなければならない。
45. 彼等は、自らを破壊し、人類を破滅させている。
46. 彼等は、数々の驚きや恐怖の中で、何千もの痛ましい最後を遂げていった。
47. そして又新しい人類が誕生したが、彼等もその前に生きた人類と同じような事を行い、自らを破滅させていった。
48. 彼等は、自分達が行っている間違った生き方によって、自己破滅していった、
49. そして彼等は、創造や創造の法則及び掟を拒否することによって、自己破滅していった。
50. そして再び同じことが起り、今日に至るまで、同じことが果てしなく繰り返されていった。
51. しかし、地球の人類のヤーウェは、昔から彼等に対して真実の書や言葉を送っていた。例えば、石に彫ったり、動物の皮や羊皮紙に書いたりして送ったのである。そして又予言者も、それと同じ内容の事を地球の人類に示していた。
52. 真実の書や言葉は、予言者によって書き留められた。地球の人間が知識を得る為に、予言者はそれを地球の人間に教えていった。
53. 地球の人間は、創造や創造の法則及び掟に関する真実の言葉が記された書を、自らの手で触れることが出来た。
54. 彼等は、その書を自らの目で読むことが出来た。
55. 彼等は、その書の中で語られている言葉を、自らの耳で聞くことが出来た。
56. しかし、彼等はその書に触れることもせず、その書を見ることもせず、その書を聞くこともしなかった。
57. 何故ならば、彼等は真実に対する自らの感覚を閉ざしてしまったからであり、自らの知覚を全て閉鎖してしまったからである。つまり、目や耳を閉じてしまったのである。
58. 彼等は、創造及び創造の法則や掟を拒否し、ヤーウェや予言者をも拒否した。
59. 彼等は、真実を知らない者、真実を拒否した者のままでいた。
60. そして彼等は、嘘つき魔術を使う者として、ヤーウェを罵り、予言者に対しても又同じことをし、予言者の命を狙った。
61. そして又、予言者を全て捕えるために、又予言者が苦悩に満ちた最期を遂げるように、彼等は予言者全員を罵倒し、迫害した。
62. 冒涜的な生き方は、「存在」への真の生き方よりも、彼等に取って親しいものであり。又実現可能なものであった。
63. 彼等は今日に至るまで、冒涜的な生き方を果てしなく続けていった。
64. であるからヤーウェは、新しい時代に、予言者によって改めて真実の言葉を記した書を送らなければならない。
65. 新時代の予言者が書き留めて、地球の人類を教えするためである。
66. それによって、地球の人間が真実に満ちた存在と成り、真実に対して従順となるためである。
67. そして又、予言者を認識し、霊の教えを遵守するようになるためである。
68. こうして、事態は決定的、変更のきかない最終的なものとして決定され、最終的な結果として教えされる。何故ならば、地球の人間にはもはや一刻の猶予も無いからである。
69. 創造の名において、これは真実であり、嘘偽りの無いものであり、最も貴重なことである。
70. 真実の言葉を記した真実を讃えよ。


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002


第10章


 1. 創造、賢明なる創造。正しき創造の名において。
 2. 創造に栄光あれ。創造は、あらゆるものに対して慈悲深い。
 3. ヤーウェは教えの書をもたらすために、地球人の間で監視人又は天使と呼ばれる自分の援助者達を一人で決めることは無かった。
 4. これは、援助者達に取って人生における危険であっただろう。何故ならば、援助者達の感情は別ものであり、地球の人間の無知による波動が、彼等達を殺してしまうからだ。
 5. 何故ならば、援助者達もヤーウェと同じように敏感であり、地球の人間に特有の悪や否定的なものによる波動に対して、対抗力が無かったからである。
 6. そして、彼等が唯一崇拝や畏敬に相応しい創造でないにも拘らず、地球の人間は、彼等をも崇拝したり、畏敬したりするであろう。
 7. つまり、自己の義務を実現するために、自分に割り当てられた人類全てと、真実との間の仲介者、告知者であるヤーウェ及び予言者は、選択された者である。
 8. 予言者は地球の人間であり、その敏感さは不安定とも言える。予言者は、地球の人間の持つ周波数範囲の中で生きることが出来、ヤーウェの顔を見ることもできる。
 9. 予言者は、真実と人類の間の仲介者、告知者であり、真実の言葉を記した書をもたらすことが出来、教える事も出来る。
10. そして又予言者は、ヤーウェの水準に近く、人類のもとにいてヤーウェと同じ使命を持つ。
11. しかしながら、予言者は人間であり。そしてヤーウェも又そうである。
12. ヤーウェ及び予言者の上に存在、生存しているのが、測り知れない神秘としての創造である。
13. 創造、賢明なる創造、正しき創造の名において。
14. 創造に栄光あれ。創造は言葉の真実を証明する。

第11章
 
 1. 創造、賢明なる創造、正しき創造の名において。
 2. 創造に栄光あれ。創造は真の愛である。
 3. まことに、予言者は真実の使徒である。
 4. ヤーウェ及び予言者の上に存在しているのは、測り知れない神秘としての創造の力である。
 5. まことに創造及び創造の法則と掟は、無知なる者によって嘲笑されている。
 6. まことにヤーウェは、無知なる者によって嘲笑されている。
 7. まことに予言者は無知なる者によって嘲笑されている。
 8. まことに無知なる者によって嘲笑されているものは、嘲笑する者の周りに、常に存在しているものである。
 9. しかし、嘲笑する者は当然の罰を受けるであろう。その罰は、嘲笑する者が自らに課し、発効させていく。
10. 地球の人間は自分達の世界をさ迷い、真実を嘲笑する者の最期が如何なるものであるかを見るであろう。
11. 人間は自分達の世界をさ迷い、創造や創造の法則及び掟を拒否する者の最期が、如何なるものであるかを見ることになるであろう。
12. そして又人間は、自分達の地球をさ迷い、ヤーウェや予言者を拒否する者、及びヤーウェや予言者を嘘付きと見なす者の最期が、如何なるものであるかを見るであろう。
13. まことに、人間は自分達の地球をさ迷い、ヤーウェや予言者を拒否し続ける者、彼等を嘲笑し、彼等を嘘付きだと罵倒し、不実と無知に依って生命や創造や創造の法則及び掟を嘲笑する者の最期が、どのように果てしなく繰り返されているかを見て、知るであろう。
14. 嘲笑する者、拒否する者全てに災いなるかな。苦痛や不安に満ちた死や苦痛や、不安に満ちた再生が彼等を待ちわびている。
15. これは疑いの無いことである。何故ならば、創造が自らを嘲笑させることは無いからである。
16. 創造の法則及び掟は、嘲笑する者、拒否する者、無知なる者自身が、過酷な罰に身を置くことによって遂行されているのであり、彼等には不安、苦痛、驚き、恐怖が自ずと生ずる。
17. 創造は、その神聖なるあらゆる創造物の中に宿り、存在する全てのもの中に、昼も夜も存在しており、又創造は、法則と掟によって全てのものを造り出した全能であり、地を這い、空を飛ぶ全ての動物の中に存在している。
18. まことに、人間は決して創造以外の保護力を、創造と同列においてはならない。創造は、天と地を生み出し、地を這い、空を飛ぶ全ての動物に栄養を提供するが、自らは同様の栄養を必要としない。
19. 人間や全ての生命体は、創造の法則及び掟に従うことが必要であり、そうすることで、全ての生命体が創造に適合した存在の仕方をするようになる。
20. 神々や偶像又は別の競争相手を、創造と同列に扱うような人間又は別の生命体であってはならない。
21. これが守られなかった場合、過ちを犯した者は、自発的に生じた、又その者自身の生き方が原因で生じた、酷い罰のその規模とその凄さを恐れることと成る。
22. しかし、罰から身を守り、創造の法則及び掟に忠実に生きる者には、至福がもたらされる。
23. だが、嘲笑と拒否と無知によって罰を自ら課す者は不幸に陥り、その者の周りには、その者から不幸を除去できる人間が全く存在しないであろう。
24. 真実に従うことによってのみ、罰や不幸を緩和し除去することが出来る。
25. 救いの道は、創造の法則及び掟を遵守する事によってのみ、通じることが出来る。
26. 人間が幸福又は不幸である複合、それは、その人間が創造の法則及び掟に従っているかいないかと言った、その人自身の行いによるものである。
27. 人間は、良いことでも悪いことでも、やりたいことを全て行える力を持っており、その人間の行いに応じて、幸福にも不幸にも成る。
28. 人間自身が自らを支配する力である。
29. 人間がその力を悪に利用した場合、その人間は愚か者になる。
30. 人間がその力を善に利用した場合、その人間は賢明に成れる。
31. 人間か創造の法則及び掟を遵守した場合、その人間は、熟知した、能力在る者である。
32. これは、自らの真実を証明している真の真実である。
33. まことに、証(あかし)として最も重要なものは何であるか?
34. まことに、真実のみが真実の真の証(あかし)である。
35. これ全てが真実の証であり、つまり真実の言葉を記した書であり、たとえ、いつ、どこで、この書が真実の証になるにしても、全ての人類に、この証によって教え、警告するためのものである。

第12章

 1. 創造、賢明なる創造、正しき創造の名において。
 2. 創造に、真実なる創造に栄光あれ。
 3. まことに、創造以外の別の諸力、神々、偶像が存在すると、人間が証明、証言しようとすることは、人間の間違った教え、利己心、権力欲によるものである。
 4. しかし、実際はそうではなく、如何なる証明も間違っており、偽りで、立証不可能である。
 5. 証明されるべきことは、創造が宇宙における唯一の創造であり、恒久及び不滅であることである。
 6. まことに創造に関して、人間が作り上げたことや、味方したこと全てが、創造とは無縁で、創造に相応しくなく、否定すべきことである.
 7. しかし、ヤーウェは、真実に関して知識を知っており、又同様に予言者も真実に関して知識を持っている.
 8. 真実の言葉を記した書によって、又予言者に教えられた者全て、真実を知るようになるであろうし、そう言った人々から、人類を教える霊的指導者が生れるのである。  
 9. しかし、真実の生き方を破壊する人々-無知なる者、疑い深い者、嘲笑する者、拒否する者、不機嫌な者、不平を抱く者、不正な者-は真の敗者であり、こう言った人々は、真実に関して教えを受け、教化されるべきである。
10. 彼等は、知識を持った人になる為に、又真実を敬い認識した上で、創造を尊敬するようになる為に、教えを受け教化されるべきである。
11. 彼等は、破壊の道から離れるために、創造の法則及び掟を実現するために教えられるべきであり、そうすることによって、彼等は創造に適合した生き方をするようになり、彼等の子孫も又そうするようになる。
12. 無知なる者、過ちを犯した者、あざける者、破壊する者、拒否する者よりももっと真実を必要とする人とは、真の絶対的敗者である!
13. こういった者達より不正な者は、創造に反し、創造の法則及び掟に反し、ヤーウェに反し、予言者に反し、人生に反し、「存在」に反して彼等を嘘付きだとでっちあげる。
14. しかし、このような不正な者及び嘘付きの叡智、愛、真実、知識は、どこに存在するのであろうか。又彼等の至福はどこにあるのであろうか。
15. 彼等は、自分で自分を惑わした、惑わされ者であり、破滅の道を離れない時には、いつも真の敗者である。
16. 又、彼等は偽善的に、不誠実に、自己憐爛的に、馬鹿げた言葉を使って釈明を探し、善良なる信仰から神々や偶像を作り上げ、讃え、崇拝したと語り、彼等は自己選択した審判の日に敗者と成る。
17. 彼等は又、自分が教えられたのは嘘とごまかしだけで、真実を教えられたことは無いと釈明を求めながら語るであろうが、彼等の言葉に耳を傾け、彼等の間違った信仰を真実と言う人はいないであろう。
18. と言うのも、彼等が釈明を行い、自分の信仰を真実と同列に扱い、偽りの発言を行う事は決して出来ないからである。彼等や全人類には、既にもう真実が知らされているのだから。
19. 地球上でヤーウェと同じ活動を行うこの時代の予言者によって、真実は新時代にも知らされているのである。そして又この予言者は、又いつか別の時に、真実の言葉を記した書、
20. 真実の言葉を記した書は、又いつか最終的なものとして与えられる。それは、教えが決定的で偽りの無いものとして、来たるべき全大時のためにもたらされるためである。
21. 地球の人間が真実を認識し、それから真実に従うためである。



第13章

 1. 創造、賢明なる創造、正しき創造の名において。
 2. 創造に栄光あれ。創造は正義である。
 3. ヤーウェはこう語る: 「まことに、真実の言葉を記した書を、それと識別する者は、彼らが自分の子供を見分けるように。その書を見分ける。
 4. しかし、言葉の真実を識別出来ない者は、自分の人生を破滅させる。彼等は人生の問題に関して不正で嘘付きである。
 5. 創造に反して、ヤーウェに反して、予・言者に反して嘘をでっちあげ、その教えが、創造やヤーウェや予言者を嘘付きだとするような不正者以上の不正者がいるであろうか。
 6. まことに、こう言った不正な者は、自らを意識しながら盲目的な取り組みをしており、至福に到達出来ず、自分自身を嘘付きとして罰する。
 7. 彼等が死の顔の前に立ち、不安と恐怖に震えている時に彼等が自分で考え出した神々や偶像による救済や、それらの存在が如何なるところにあるのか、と言った質問が、自己決定した審判の日に発せられるであろう。
 8. その時、彼等はやりきれない不安を抱くであろう。
 9. 彼等が弁明しても、自分は神々や偶像の召使ではなかったと言っても、彼等の言うことは聞いて貰えないであろう。
10. 彼等の釈明は嘘でしかないであろうし、又彼等は自分自身に反しても嘘をつくであろうし、又、彼等が神々や偶像に関してでっちあげたもの全てに反して嘘を付くであろう。その神々や偶像は、自己指定した審判の日に、彼等から不安や恐怖を取り除く事は無く、彼等に救いの手を差し伸べることも無い。
11. 自己指定した審判の日及びその時間は、不正な者、嘘付き、あざける者、中傷者に取って恐ろしいものであり、又驚愕であろう。彼等は、何千もの死に対して罪を償い、自らが作り上げた神々や偶像を巡る執ような競い合いに関して、自分を罰するであろう。
12. 罪は不正な者のみにあり、罰及び恐怖は、不正な者のみにある。
13. 多くの者は不正であり、彼等は、真実の言葉や教えに耳を傾けるが、聞いたことを受け入れない為、彼等には理解することが出来ない。何故ならば、彼等は真実を理解しようとしないからである。
14. 多くの者は不正な者であり、彼等は、真実の象徴や、創造及び創造の法則及び掟の象徴には全て目を向けるが、それを理解、認識して受けいれることは無い。何故ならば、彼等は真実を見ようとしないからである。
15. 不正な者は、真実を拒否し、正しい者や知識を持った者と争いを起すために、又、全ては作り話のような陰謀にすぎないと、つまりヤーウェや予言者の魔術や詐欺であると偽る為に、真実に反した嘘をでっちあげる。
16. 又、不正な者及び不誠実な者は、真実の教えから遠ざかっているか、或いは真実の教えを侮辱する為だけに、その教えを習得する。
17. 彼等は、真実をもたらすものに逆らって、つまりヤーウェや予言者に逆らって嘘を作り上げ、霊や真実の教え、又全てを包括する創造の愛や善意に、他の者を寄せ付けないようにする。
18. 彼等は、予言者が嘘、詐欺、ペテン、魔術、魔法を使うと罵倒し、又奇術を使い利潤を追及しているとして罵倒する。
19. 彼等は又、予言者がもたらした霊の教えを「仮装行列」や「変質的幻想」として罵倒し、又、不正な者は、こう言った嘘で得をしようと、又、権力や満足感を得ようと努力する。
20. 彼等は、真実を探し求める者、及び期待する者に対して、真実を見付け出す事や、創造の法則及び掟に従って生きることを禁じ、又彼等は、予言者の真の言葉や真実を傾聴することを禁じる。
21. 又、不正な者自身は、真実から遠ざかっており、予言者や予言者の真の言葉及び予言者の忠告から遠ざかっている。
22. しかしながら、まことに、彼等は自らの行動や思考によって破滅に陥り、人々は彼等の巻き添えにされ、彼等の言いなりに成っている。
23. だが、彼等は皆、理解するつもりが無いために、そのことを理解することは無い。と言うのは、彼等に取って、自分の利益や、苦労の無い冒涜的な人生は、苦労して得られる至福に満ちた人生よりも、身近かなものであるからだ。
24. 彼等は、冒涜的な人生をもたらす広い道に通じる大きな扉を通り抜ける。
25. 彼等は、小さくて狭い戸口を避ける。その戸口には狭くて石だらけの道が続いており、その道を行くには少しばかり苦労しなければならないが、その苦労を彼等は避ける。何故ならば、苦労しても割に合わないと彼等は考えているからだ。
26. しかし、彼等が人生の終わりに来た時、死が訪れた時に、彼等は後悔し、いつか又別の人生を送りたいと願う。
27. そして彼等は、自分が生きていた間ずっと拒否しあざけり、不正として扱ってきた事に関して、突然認識を得たかのような振りをし、今度は正しい方法で、又別の人生を送るために、今まで生きてきた人生に、又戻してもらう事を願う。
28. 彼等の願いは、不安、恐怖、心配、驚愕の中で、聞き届けられずに段々と消えていく。誰も彼等の言う事に耳を資すことは出来ないし、又救いの手も現れない。そうして彼等は不安と驚きの中で、現世からあの世(霊界)へと移動して行き、次の再生のために不安と恐怖に苦しめられる。
29. ああ、彼等が真実の言葉や象徴を嘘として扱わなかったならば、彼等が予言者を迫害しなかったならば、その死は彼等に取って苦しいもので無かっただろうし、その人生も又苦しいものでなかっただろう。
30. 少なくとも死に直面して、不正な者がそれまで意識的に法に反して隠してきた事が。不安と驚きの中で、彼等に明らかになってくる。
31. まことに、彼等が死を避けることが出来、無駄だった彼等の人生を再度改めて送ることが出来るような具合に、創造の法則及び掟が造られていたならば、彼等がしてはならないことを、直ぐさま繰り返すようになることは、全く確実であろう。
32. 彼等は、あざけりと拒否を繰り返しながら、再び冒涜的な人生を送る事になるであろうし、改めて禁断の実を摘んで食べるであろう。
33. つまり、彼等がやりきれない程不安で、誰からも与えられないような慈悲を哀願する時でもなお、彼等は、死の床でも、死に直面しても嘘付きであるのだ。
34. かつて彼等の人生がそうであったように、慈悲を求める彼等の哀願も嘘偽りにすぎない。と言うのも、不安や恐怖による彼等の叫びは、回避出来ない結末に臨んで、最終的には自分の利益を求める為の、見せ掛けだけのごまかしでしかなく、つかの間のものであるからだ。
35. つまり彼等は、人生の最期の時に、創造や真実に対して誠実であったり、畏敬の念を抱くことも無く、自ら利己的に、又利益を当て込んで、自己の得となるように行動しているのである。
36. であるから、慈悲や容赦、猶予、二度目の同じ人生を生きる、新たな機会が生じ得ようもない。
37. まことに、彼等は生涯に渡ってずっと敗者である。彼等は創造や真実を否認、拒否して、処罰から免れなくなるからである。
38. 又彼等はヤーウェや予言者を拒否罵倒して、処罰から免れなくなる。
39. そして又、彼等はヤーウェと予言者との遭遇を拒否して、処罰を免れなくなるのである。
40. と言うのは、彼等が自己決定した審判の時が、予期せずに訪れた時に、彼等は自らの嘘や中傷に対して、自分で自分に罰を科すであろうからである。そうして、彼等はやりきれないほどの不安な状態に陥るであろう。
41. 人生を疎かにする彼等に災いなるかな。彼等は、苦労、苦悩、苦痛に耐えなければならないであろう。そしてその重みを背中にずっしりと担い、押しつぶされんばかりに支えていかなければならないであろう。
42. まことに、これは容易ならぬことであるが、不正な者は、こう言ったものを背負うこととなる。彼等の背負う負担は。彼等が認識しうる以上に、又彼等が支えうる以上に重い。
43. 不正者、嘘付き、中傷者、嘲ける者、疎かにする者に災いなるかな。
44. 自ら作り出した悪、不安、恐怖、心配、驚愕が、彼等を待ちわびている。
45. 自ら作り出した邪悪な審判試彼等を待ちわびている。生きている時にも、又彼らが現世とあの世の間の境界線に足を踏み入れる時にも、そして又彼等が再生した時にもそうである。
46. しかし、真実によって生きてきた正しい者は幸福である。生の至福は彼等のものであり、死に直面する時の、死の喜びも彼等のものである。
47. 彼等には不安や恐怖が無く、又驚き、驚愕、時期の早すぎる最期も無いであろう。と言うのは、正しき者は知識を持っており、又賢明であり、正しき者にとっての最期とは、再生のための始まりである。
48. 正義である創造の名において。これは真の成り行きである。
49. 創造に栄光あれ。創造は、愛、叡智、真実によって、又正義を熟知した上で全てのものを造り出した。」
 


第14章


 1. 創造、賢明なる創造、正しき創造の名において。
 2. 創造に栄光あれ。創造は真実である。
 3. ヤーウェは、地球の人類を教えるために、予言者にこう語る:
 4. 「人生はゲームでもなく、又気晴らしでもない。
   まことに人生は、誠実な者にとって学習及び進化の時間として使われる。
 5. そして誠に、この事は、現世の地球上においても、又地球のあの世(霊界)としての領域においても当てはまることである。
 6. 地球の現世には、粗成分物質による生命と、それと結び付いた学習時間及び進化がある。
 7. その一方、あの世(霊界)の空間には、霊的な生命と、それに結び付いた霊の進化があり、つまり、あの世の空間においては、霊が新しい人間の体を得て再生するまでの準備が行われる。
 8. 現世及びあの世は、いわば同じ空間に存在するが、2つの異なった次元に分かれて存在している。つまり、目に見えて手の届く物質的水準と、目に見えず、手の届かない霊的水準と、に分かれるのである。
 9. つまり、異なった2つの次元が存在し、物質的水準においては物質的生命がその存在を維詩しており、霊的水準においては人間の霊が物質的肉体の死後にあの世で生きるために霊界に侵入してくる。
10. つまり、霊界(あの世)空間とは、人間の霊が入ってくる場所であり、その空間は、人間の物質的肉体を死によって取り去る。
11. 人間の死は熟睡と同じで回復に役立ち、霊のための目に見えない霊界空間において進行していき、その霊によって人間の物質的生命である肉体が蘇生していく。
12. 人間の霊はノミの様にごく小さいので、人間の肉体の中で、愛、知識、叡智、真実によって発展していくが、あの世(霊界)領域において更に進化していく。
13. 霊は、霊界領域において進化及び次の再生の為の準備を行っていき、霊は改めて、物質的な人間の体を得て、苦しみも無く、新しく地球上に再生する。
14. 人間は現世では地球に生き、死んで霊界に行き、とどまること無く再生、進化していく。
15. つまり、人間は生きては死に新しい肉体を得て再生するのであり、この様な発生と消滅は、人間の霊が創造のごく小さい一部と成って、それ以上進化していく為に、人間の物質的肉体をもはや必要としなくなる時が来るまで、ずっと繰り返される。
16. つまり霊は、人間の物質的肉体無しに生きて進化を続けるのである。まことに霊は、純粋霊の形態をとって、微細成分による霊的肉体として、生きて進化するのである。
17. 人間及び人間の霊のこういった発生と消滅は、人間が人として存在し始めるようになった時から、霊がその物質的肉体を持たずに光(純粋霊)になる時まで計算して、約700億年(地球上の年)の歳月がかかる。
18. つまり、発生と消滅、生存、死、再誕生を繰り返しながら、人間の進化が、そして人間の霊の進化が実現することが、創造の法則や掟によって定められている。
19. 人間は何度も繰返し生き、誕生と生存、死と再誕生に組み込まれていて、とどまることのない進化と、「存在」へ至るための目的の実現が行われていくのである。
20. 人間は一度しか生きないのではなく、限り無く続く誕生と、死と、再誕生によって繰返し生きる事が、創造の法則や掟によって定められている。
21. まことに人間は、前世で植えたものの果実をその後の人生で、つまり、来世で収穫するように創造の法則や掟で定められており、であるから人間は、創造に適合した形で、いわば誠実な正しき者として、自分の人生を送ろうとするであろう。」 



第15章


 1. 創造、賢明なる創造、正しき創造の名において。
 2. 創造に、忍耐強い創造に栄光あれ。
 3. 暗然としながら、自分の使命を行使している予言者に向かって、ヤーウェはこう語る:
 4. 「見よ、汝の思考や感情は暗然としている。何故ならば、人間達が汝を、又ヤーウェを嘘付きだとか、ニセモノだとか言うからである。
 5. 人間達は創造を、又創造の法則や掟をニセモノだと言う。
 6. しかし、そう言う者達は、人間の中でも悪しき者、不正な者である。彼等は、ヤーウェと予言者との遭遇を否認するだけでなく、創造の存在をも否認し、又、彼等が神と名付けている独裁者を、創造と同等に扱っている。
 7. 彼等は創造の象徴を否認する。その象徴は日毎夜毎に、生きているもの、存在しているもの全てに、つまり創造が造り出した全ての生命に現れている。
 8. 彼等は、汝を、真実の予言者、真実の使徒を罵倒し、新時代の前から、幾度も繰返し予言者であり続けた汝を、昔からニセモノであったと罵る。
 9. しかし、彼等が汝を予言者として罵倒しても、彼等が汝をニセモノとして拒否しても、汝が悲しむことは無い。悲しみは汝の中で燃焼してしまう。何故ならば、拒否されるのは霊の教えであり、真実の言葉であり、法則と掟を出している創造であるからだ。
10. まことに汝は忍耐強く、大体において忍耐は汝に特有のものである。
11. だが、汝の忍耐が汝の悲しみを晴れやかにすることは無く、又、汝の心の中で、愛によってたぎる聖なる怒りの暗い覆いを晴らす事も無い。
12. 汝は人々によって拒否されている。ずっと昔、前世で、汝が同じ様に真実を伝道していた頃にそうされたのと同じように。その頃、汝は迫害され、さいなまれた事もあり、しばしば不正な者によってそうされた。
13. しかし、地球の人類の場合にはもっと別の予言者が与えられていた。その予言者も又同様に真実の使徒であった。
14. 彼等は悲しい目にあい、非難され、さいなまれ、嘘付きやニセモノとして罵倒された。これまでに汝に起ったように、又再び今も起っているように。
15. 汝にこれまで起り、今も起っており、これからも起ろうとしている様に、別の予言者も又絶え間無く迫害され、苛まれたのであり、愛や真実に対して彼等の受けた報酬は、暗殺者による無残な死で
あった。これは.汝に特有なことであった。
16. しかしながら彼等の中には、予言者の中には、忍耐に関して臆病で、又非力な者や、又偽の予言者もいたし、同じ事が今日に至るまで起っており、人間は偽の予言者を用心する。
17. だが、真の予言者もいたのであり、独自の義務感によって真実のために派遣されたのである。汝と同じように.彼等は忍耐強くあり、まことに、彼等はあらゆる非難、あらゆる迫害に耐えてきた。
18. まことに、汝も又拒否者や追害者や非難者に耐え、嘲ける者や嘘付きに耐えている。汝は以前にもそのようにしていた。
19. そして汝は、不当にも汝にもたらされた酷い仕打ちや凌辱に全て耐え、汝に害を与えるような、又汝の使命を無に帰すような絶対的陰謀にも、又全て耐えている。
20. 見よ、汝は不正な者によるこのような行いを悲しんでいるが、汝の心の中の悲しみが忍耐力を拡張させ、
21. 汝の希望と期待は、真実が勝利を得ること、又地球の人類が創造への真実の道を歩むようになることに向けられている。
22. つまり汝も知っているように、真実の言葉や創造の法則及び掟を変えられる人間は、地球上にも、又、別な場所にも存在しないのである。
23. 汝はこの真実を昔から承知しており、それに従って生き、教えて行く。
24. つまり、真実と叡智は汝に特有なものであり、知識や愛も又、そうである。だから、汝は悲嘆に暮れて頭を垂れてはならない。
25. 汝は新時代の予言者であり、昔からずっとこの使命についており、まことに汝はヤーウェと同じように真実の使徒である。
26. 汝は病に苦しみ、非常に深い悲しみに悩む。汝が義務を果たしたり、努力したりする時間は、しばしば苦悩に満ちたものであり、人間の中にいる人間として孤独である。
27. だが、汝の気持は揺るがない。汝が義務や義務履行に関する約束を破ることは無い。教え、進歩、使命遂行の意志や努力が無くなることは全く無い。
28. つまり、汝の尽力は成果を得るであろう。その成果は、汝が生きている間は、小さいものだが、汝が再び消滅した後は、大きいものとなるであろう。」


第16章


 1. 創造、賢明なる創造、正しき創造の名において。
 2. 創造に栄光あれ。創造は自由である。
 3. 聞け、自由の中で生きている人間だけが、創造の法則及び掟に従って生きるのであり、そういう人間だけが真に生きるのである。 
 4. 真に自由の中で生きている人間、積極的に自由の中で生きようとする人間だけが、真実を受け入れることが出来、真実に対して心を開くことが出来る。
 5. 自由な人間だけが受け入れることが出来、傾聴することが出来る。そういう人間は、そうしようとする意志において自由であるから、真実に対して心を開くことが出来る。
 6. 自由を封じ込めてしまう人は、全て生きながらにして死んでおり、こういった人々は、虚偽と不正に束縛されている。
 7. 彼等は、自らの力と虚偽によって、自分自身の虜(とりこ)となる。
 8. 彼等は目を醒ますことの無い生ける死者であり、彼等自身の心と意志は、目覚めようとする方向に向いていない。
 9. 彼等は、自由の中で成果を上げている人々のことをいぶかしく思い、又無理解でもある。   
10. 自分自身を奴隷化した人々は、別の場所で自由を探すが、自由は人間自体の中に見出されるものである。
11. 人間は内的自由が真の自由であることを知らない。鎖につながれたり、又は牢獄に入れられたままであっても、しかしそれでも自由の中で生きているのである。
12. 人間が真実と共に、創造の法則や掟を履行しながら自由の中で生きている時、その人間の内部には自由が存在する。
13. つまり、人間が内的自由の中で生きている場合、真実、知識、愛、叡智が、その人間に特有のものである場合、それは真の自由であり、その人間は義務に対する真の喜びを感じながら、創造の法則や掟を実現していく。
14. 人間は自分の内部において自由でなければならない。そういった人間だけが、真の自由の中で生きるのである。
15. そうして人間が、自分の内部において自由であるならば、又その人間の外部においても、日常的な生活においても自由が形成される。
16. 人間が正しくあり、自分の内部においても自由であるならば、その人間は、外的に、障害も忌まわしい行為も法則違反も無く生きており、内的にも外的にも正しいものであり、不正な者の一人ではないと言える。
17. 人間が正しい者であるならば、その人間は内的にも外的にも正しい者として、真の自由の中で生きる。
18. 人間が自由の中にいる正しき者であれば、内部又は外部に不満や怒りを引き起こすことは無い。そういった人間は、正しい者だけを不正に敵視し、正しい者に悪意を持つような、誤りを犯す者の一人ではないからだ。
19. 人間は共同社会の中で、自分と同じ人間と共に生きるが、自由な人間は、自由な人々の間でのみ自由に生きることが出来る。何故ならば不正な者は、自由ではなく、自由を敵視するからである。
20. 正しい者は、創造に対して腹立ちや不満を起すことは無い。何故ならば、正しい者は、地球上に生きている動物に匹敵するような不正な者によって、敵視されるだけであるからだ。
21. 動物や2つの翼で飛んでいく鳥で、人間と同じように共同社会に属さないものは地球上に存在しない。
22. 内的に自由でない、不当な生命体である動物は地球上に存在しない。
23. 地球上に存をする全ての動物は、内的に自由に生きており、外的にも又自由であり、創造の法則や掟による秩序に従って生きている。
24. 人間は、下位にいる動物よりもずっと自由ではないのか?
25. 人間の意志は、不正な者として生きるか、或いは正しい者として生きるか。つまり真に自由な人間として生きるかを、自由に決断出来る。
26. まことに、内的に不自由に生きている人間は、苦悩に満ちた人生を続けていくであろうし、又愛や喜びの無いところで思い煩う。
27. 真の愛や喜びは、内的にも外的にも真に自由に生きている正しい者のみ特有のものである。
28. 正義は、自由な者のみに与えられ、真の愛、叡智、知識、真実、平和も又そうである。何故ならば、自由な者は七元的な創造の秩序を履行、遵守しながら生きているからである。


第17章

 1. 創造、賢明なる創造、正しき創造の名において。
 2. 創造に、全てを包括する創造に栄光あれ。
 3.「見よ。」とヤーウェは言う。「人間が、言葉による真実の書について知ろうと積極的に努力するならば、真実を記した毎には抜粋箇所など一つも無く、又人間に隠していることも何も無い。
 4. 真実の言葉や霊の教えは、全てを包括するものであるから、人間はその言葉を把握することが出来、それによって、真の人生を送ることとなる。
 5. 人間には創造によって意志の自由が与えられている。又人間には力や威力が与えられている。であるから人間は、自らの進歩のために、及び進化への目的追及のために、全てを正しく利用していくべきである。
 6. 人間には又、創造による基準、創造の法則や掟が与えられており、人間は生きていくための有用な道標を確実に持つこととなる。
 7. 人間は創造の意志に従って自己管理し、独白の判断によって進歩していくが。このことに関して、法則や掟によって、人間に強制が加えられることは無く、人間は真に自由である。
 8. しかし、人間は基準や法則及び掟に従い、正しく、誠実に生きて進歩していくこととなる。
 9. しかしながら、人間はこのように行動せず、不正な者の歩む道を辿っていくが、人間は、自分の間違った行動に対して、直ぐ様自分で罰を加える。
10. 人間は、自らの意志、力、威力、そして思考と行動を自由に操って決断及び活用していくと言われているが、そうしているかどうかは、創造の七元的秩序にきちんと従うかどうかを、どのように自由に選択するかに現れている。
11. 教えが意味するところでは、創造の七元的法則及び基準が与えられていて、人間及び生命がこれを遵守するべきであるということである。
12. しかし、創造の基準や法則及び掟を遵守する道は、人間の自由に委ねられている。遵守の道は無数に在り、人々が宇宙に存在しているのと同じように多くさんある。
13. つまり、基準や法則及び掟を遵守、履行していくために、どの道を行くべきであるかと言った規定は無く、法則及び掟を履行するために通じている法則に適合した真実の道を行くだけである。
14. 七元的な創造の秩序を実現しながら、ひたすら進歩し、生きていくならば、自分の道、自分の考え、自分の行動を選択する事に関して、人間は自由であり、強制も圧力も無い。
15. 創造によって、又創造の法則及び掟によって、又は、創造の七元的秩序によって、人間に強制や圧力が加えられることは全く無い。
16. そして又、人間が正しく創造の秩序に従って生きるならば、その人間の人生は愛と喜びに満ちたものとなり。又真実、知識、叡智に満ちたものとなる。
17. だが、人間が不正者の道を行き、創造の秩序に反し、利己心、権力欲、利益、利潤追及、及び同様の事を実現しようとするならば、その人間は、自らの力に依って害や罪を生み出し、その害や罪の奴隷と成る。
18. 不正者の行く道は、創造の法則及び掟に反することであり、七元的秩序に反することである。
19. こうして、人間は創造の秩序に反した行動を行い、全てを包括するものに反し、罪や害を生みだしていく。
20. 人間が最高のものに反する場合、その人間は思い上がっており、創造の真実や存在を中傷する。
21.「おごれるもの久しからず」と言われているように、その思い上がりは苦労や罪をもたらし、思い上がりに依る重みが、倒れるまでのしかかってくるのである。」

第18章

1. 創造、賢明なる創造、正しき創造の名において。
 2. 創造に栄光あれ。創造は慰めである。
 3. 人間が慰めを見出すのは。創造の中であり、創造の法則や掟の中であり、又、七元的秩序の中である。
 4. 七元的秩序に従って生きるならば、偉大なるもの全ての中に生きる上での慰めが存在する。
 5. しかし、ヤーウェの言葉は既に人間達に発せられている。その言葉と言うのは、昔から、又新時代でも同じく「真実は創造の中に在る」ことを意味している。
 6. 霊的に豊かな者、真実を認識し、真実に従う者はみんな、この上も無く幸福である。何故ならば、人生は彼等のものだからだ。
 7. 苦悩や正当な苦労に耐える者はみんな、この上も無く幸福である。何故ならば、彼等はそれによって真実を認識し、真実の中に慰めを見出すからである。
 8. 霊的に調和の取れた者はみんな、この上も無く幸福である。何故ならば、彼等は真に知識があり、又畏敬の念を抱きながら生きているからである。
 9. 真実や知識に飢え渇いている者はみんな、この上も無く幸福である。何故ならば、彼等は真実や知識を見出し、それによって満足するであろうから。
10. 自然の法則に対して従順であり、その法則に従って生きている者はみんな、この上も無く幸福である。何故ならば、彼等は真に創造の計画に従って生きているからである。
11. 正しき者、心にやましいことの無い者はみんな、この上も無く幸福である。何故ならば、裁き、不安、恐怖が、彼等を待っていることはないからである。
12. 創造に関して真に知識ある者はみんな、この上も無く幸福である。何故ならば、彼等が間違った教えや神々の虜になる事は無いからだ。
13. 法則に対して正しく忠実である者はみんな、この上も無く幸福である。何故ならば。自然力殲等に順応するからである。
14. 創造に対して正しく忠実である者はみんな、この上も無く幸福である。何故ならば、彼等は、創造の諸力を活用できるからである。
15. 真実の為に中傷や迫害される者はみんな、この上も無く幸福である。何故ならば、彼等は創造の真実の力に拠って持ち堪えるからである。
16. 真実のために苦悩や苦労を背負う者はみんな、この上も無く幸福である。何故ならば、彼等は真実に対して揺るがず、知識を有しており、ひるむことなく、それによって彼等は慰めを得るからである。
17. ヤーウェは創造の法則及び掟を示しながら、人間は真に恭しく創造に関する知識を持ち、愛を伝え、尊敬の念を伝える存在であるべきだと教えする。
18. 人間だけが正義と創造の真実によって生きるのであり、そうしてその人生は、進化によって「存在」へと至るものとなる。
19. 人間は、快活にご端然として創造の七元的秩序を履行するが、これは、生存と再生によって報われるであろう。
20. 以前にも中傷、迫害された様に、予言者が中傷されたり迫害されたりしても、予言者は揺るぎの無い存在であり、真実をもたらす者であり、その予言者の言うことに人間は耳を傾けるべきである。
21. あらゆる事に関して正しくあれ。中傷に耳を傾けるな。予言者や汝等に対する迫害を気にかけるな。中傷や迫害は真実のために行われているのである。
22. 揺るぐな、汝等人間よ、真実は悪の不正と戦わなければならないのであり、その悪とは、創造の真実や存在に対して、人間か抱いている嫌悪、憎しみ反抗である。
23. 人間が食べ物に香辛料で味を付けて美味しくするように、真実な不変の知識には、愛や叡智が添えられている。
24. 愛や叡智の他に、真実や知識と言った香辛料もあり、言うならば人間は地球の香辛料である。
25. つまり、汝等は香辛料であり、地球の塩であるのだ。
26. 汝等人間よ、汝等は、汝等の生き方によって。地球に香辛料で味を付け、塩を加えていく。
27. 汝等は地球の塩であり、適量の塩を地球に加えていって、バランスを生み出した。
28. 又汝等は地球に塩を加えすぎ、地球は渇きひび割れ砕け、干上がる。
29. 汝等は地球の塩であり地球に塩を加えるが、その塩は効き目が無い。効き目の無い塩は何の役にも立たず、こぼされ、踏みにじられる。
30. 汝等は地球の塩である、と汝らの生き方に関してこう言えるのである。と言うのは、汝等が汝等の人生を形成しているように、汝等は地球をも形成しているからである。
31. 汝等が愛と喜びの中で、創造の真実を履行しながら、汝等の人生を形成していく場合、汝等は地球をバランス良く味付けていき、地球は汝等に取って楽園となるであろう。
32. しかし、汝等が汝等の人生を不正によって、愛や喜びも無く、利己心や権力欲によって、利益要求、利潤追求 欲望、悪徳によって形成していくならば、汝等は地球を憎しみ、死、戦争、病気、衰弱、不和、破壊、破滅によって味付けしていく事となる。
33. だが、汝等が正義を実現しながら、創造の法則や掟による真実によって、汝等の人生を形成していくならば、汝等は幸福と成り、汝等は天の栄華が全て地球上に在るかのように感じられ、創造によって得られる汝等の慰めは果てしなく続く。
34. まことに、汝等は地球の塩であるべきで、真の生き方によって地球に塩を加えていくべきである。
35. 汝等が、汝等自身の世界の光であること、汝等がその光を作っているように、その光の輝きが宇宙に広がっていくことを考えよ。
36. 汝等が暗闇を生み出すならば、空間が暗くなる。
37. 汝等が明るい光を生み出せば、その光は暗闇を明るくし、広く空間に光を放つ。それは、真の生き方を行っていくことによるのである。
38. 見よ、地球の人間は、善くも悪くも各自の流儀によってそれぞれの人生を作り出していく。
39. それぞれの人生を作り出していく流儀は秘密にしてはおけない。山の上に在る街を隠して置けないように。
40. 光が燃え上がらずに自分の能力を包み隠している場合、暗い光は空間を暗くする。
41. 一本の燭台に置かれた光が、いつも燃えているならば、光を必要とする者みんなを照らしてくれるだろう。
42. 光は暗いのではなく、光線を放ち、輝き、明るくあるべきである。
43. そうして人間は、誠実で、正しく、創造の法則や掟を履行しながら、これらに従っていくべきであり、真実の光や振動を放射していく。
44. 全ての人間が、真実に関する汝等の活動を認め、真実や汝等の愛や叡智についての知識を認識、理解するために、汝等の光が全ての人間を照らし出し、汝等の振動が、全ての人間にとって、愛や喜びをもたらすものであるべきである。
45. そして汝等は、今後如何なる時代においてもそのように生き、思考し、行動するべきである。現在も、又未来もずっと。
46. 真実の言葉がもたらされ、汝等に再び一人の予言者が現れたと、又、汝等の時代より前に存在していた創造の法則や掟及びヤーウェや予言者の教えが解明されたと、汝等は思い込んではならない。
47. 新しい予言者は、昔からあった教えを解明するために現れたのではなく、知識、真実、愛、叡智を啓示する義務を再び果たすために現れたのである。
48. と言うのは、まことにヤーウェや予言者の義務は、真実を積極的に見出すことを望んでいる全ての者に、慰めを与えることであるからであり、求めている者は、全てそれを見出すであろう。
49. まことに、真実は誠実に探し求め、努力している者全てに取って見い出し得るものである。
50. 真実を真の形で見い出す者は、愛、真実、知識、叡智が、創造の存在によって生じたものであることを認識、理解するようになる。創造は真実に関して、及び創造に特有のその他全ての事に関して、不滅、不変である。
51. 見よ、天と地が消滅するまで、真実や創造の法則及び掟を記した小さい活字でも、点一つでも消える事無く、自然の法則や掟及び七元的秩序の場合も、又、その時期が来るまで消えることが無い。
52. しかし、人間の中には、創造の最小の法則及び掟の一つだけを解明しようと試みる人や、人々に間違った教えをもたらす人がおり、そういった人は弱き者として、自らを裁く様な罪を背負い込むであろう。
53. 又、人間の中には、真実の教え及び創造の法則や掟を真に教えしようとする人も居り、そういった者は偉大なる者と称し、人々や霊の感謝を得るであろう。汝等が不義者よりも善良でなく、不義者よりも知識を持っていないのならば、汝等は人々の感謝を受けないであろうし、又霊の感謝、生命の感謝を受けないであろう。
55. 「汝はしてはならない」と言われていることを汝らは知っている。 殺す者は、自ら招いた罰を受け、自らを裁かなければならない。
56. であるから彼等は、創造の自然の法則に従って正義を行うべきであり、汝等は、復讐、強欲、憎しみから、又価値の無い判断から、又は取るに足らない別の理由から殺してはならない。
57. 自然の法則及び掟を完全に理解せよ。そうすれば、汝等は理論の中に判断を見出し、その論理は汝等にとって慰めや世紀場となる。
58. 殺す者はみんな罪がある。ただし、正当防衛からでない場合である。
59. 人間が考え出した法的判決に従って執行し、結果として、行動し殺す者は、みんな罪がある。
60. 喜びから、又は憎しみから、復讐から、利欲から、興奮から、その他の感情から、殺す者は、みんな罪がある。
61. 如何なる形であろうが、戦争を行う者として殺す者は、皆罪がある。ただし、その者は、攻撃的な勢力である場合とする。
62. 堕落から殺す者は。みんな罪がある。
63. まことに創造の法則及び掟による正義だけが、判断を論理にまで高める。論理は自然の甲に認められている。
64. 汝等は受ける場合でも与える場合でも、常に正しく在るべきである。
65. 汝等が正しければ。敵対者の言いなりに成ってはならない。正しいものは正しいのであるから。
66. 不安、恐怖、卑劣さ、損得が、汝等を正しさから押しとどめることはなく、汝等はいつも正義を求め、正義にだけに権威を持たせるべきである。
67. しかし、裁判官は汝等の問題等の一つに関して裁いてゆき、そして間違った判決に至るが、更に正しい方が勝つまで裁きが続けられる。
68. しかし、真に言われている事であるが、汝等自身が自分自身の中に、正義を見出した時にのみ、汝等は正義を獲得するであろう。汝等は自らの力によって正しくあるのであり、汝等は正義を汝等の隣人に理解させることが出来るであろう。
69. 正しい者が、正義という手段を用いながら正義を巡って戦う場合、その正しい者は、正義を見出す。
70. 正しい者白身が真に正しく在り、つまり正義によって生きている場合、その正しい者は、正義の中に慰めを見出す。


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003


第19章

 1. 創造。賢明なる創造、正しき創造の名において。
 2. 創造に栄光あれ。創造は完全体である。              
 3. 創造は完全体である、とヤーウェは語る。創造の法則や掟及び七元的秩序も又完全体である。
 4. 完全体とは、完ぺきな状態に在り、全てを包括するものと言われているものである。
 5. 完ぺきさにおいて創造は完全体であり、創造の法則や掟及び七元的秩序も又完全体である。
 6. 完全体とは、完ぺきさとして、全てを包括するものとして、統一体として、全体として理解される。又、完全体は、単相、十致、調和、適合でもある。
 7. つまり、創造は完全体であり、創造の法則や掟及び七元的秩序も又完全体であり。人間はこれらに従って生きて行き、人間は完全なる基準の中で、生を実現しながら生きて行く。
 8. 真実の言葉も又、完ぺきさにおいて完全体である。何故ならば、真実の言葉は、創造の法則や掟及び七元的秩序の注釈、解釈、説明を真の形で啓示するからある。
 9. 完全であり、完ぺきであるものは、いつの時代でも不変である。
10. つまり、創造の完全性は不変である。
11. 創造の法則及び掟の完全性は不変である。
12. 創造の七元的秩序の完全性は不変である。
13. 完全なる完全体。真実、愛、知識、叡智は、その真の形において不変である。
14. つまり、真実の言葉は不変であり、その言葉は、昔から同じ意味と価値を持ち続けているということである。
15. 真実の言葉を記した書は、唯一、創造の法則や掟及び七元的秩序に関する真の注釈、認識、説明、解釈に基づいている。
16. そして、認識、注釈、解釈、説明は、創造の法則や掟及び七元的秩序を、最も純粋な形で、又真なる形で、実際的に理解及び遵守することによって生じる。
17. 書の中では、全てが不変であること、真実の完全体も又不変であり、創造、及び創造の法則や掟、及び七元的秩序も又、不変であることが認識及び経験される。
18. 創造や、創造の法則や掟及び七元的秩序の完全体の認識、注釈、解釈は、叡智、知識、愛、真実の中で、人間によって把握されており、又人間のために究明、保持、記録されている。人間は、「存在」へと進化するために、自らの人生の目的を認識及び実行することとなる。
19. そして完全体である知識は、全て完ぺきに保持され、本に書き留められた。その本は、昔から真実の言葉を記した書と呼ばれており、かつて地球の人間に与えられた。
20. つまり、完全体である真実を詳しく書き留めたものが、昔から地球の人間に与えられているのであり、その中では、創造の法則や掟及び七元的秩序が区分けされていて、理解しやすいように個別に説明されている。
21. つまり、創造の法則や掟及び七元的秩序に関する個別の理解しやすい説明、注釈、解釈、識別は、詳細に、又別々になされており、つまり、真実の言葉を記した書から引用されており、霊の教えと呼ばれている書に保持、記録されている。
22. 創造という完全体は完ぺきであり、又創造の法則や掟及び七元的秩序も完ぺきであることは、認め得ることであり、これらは、いかなる時代でも同じであり、不変である。
23. 創造という完全体による真の真実に関して、又創造の法則や掟及び七元的秩序に関して疑う余地は無い。
24. 創造の真実や完全性に関する、又創造の法則や掟及び七元的秩序に関する注釈、説明、解釈のための論拠として、2つの異なった形態及び内容のものを認めることは決してない。
25. 真実に関する2つの異なった解釈、又は真実に関する2つの説明は、決してあり得ない。何故ならば、真実は、真に唯一のものであるからであり、一つの言葉、一つの意味でしか説明出来ない。
26. つまり、全てを包括する完ぺきな創造という完全体、創造の法則や掟及び創造の七元的秩序は、一つの説明、一つの注釈、一つの解釈を示しうるだけである。何故ならば、真実には、疑う余地が無いからであり、一つの可能性のみが唯一のものとして、真に正しいものとして与えられている。
27. 創造が統一体であるように、創造の法則や掟及び創造の七元的秩序も又統一体であり、そして愛、真実、知識、叡智も又首尾一貫したものである。
28. 同じものに関して、2つの異なった見解は決してあり得ず、又真実に関する場合でも、人々の間で、見方が2つの異なったグループに分かれることはあり得ない。
29. 真実は、唯一のもの、真の真実としてしか認識、把握され得ない。つまり、一つの見解として、一つの見方として、一つの意見として、一つの解釈として、一つの志向として、一つの確信として、一つの判断として。一つの観点として、一つの考えとして、一つの見地として、一つの観念として、一つの態度として、一つの考え方として、一つの意向として、一つの立場として、一つの意見として、認識、把握されるのである。
30. 宇宙全体にとって、全世界に存在する全ての生命体に取って、一つの創造しか存在しないのであり、又一つの真実のみが不変のものとして与えられているのであり、創造の法則や掟及び創造の七元的秩序の場合にも、これと同じことが当てはまる。
31. 人間は宗教を作り、神々や偶像を作り上げ、真実から遠い、完全体である真実に反した行動をとり、人間は様々な間違った志向を生み出し、それに溺れる。その志向は、偽りの間違った教えに基づいており、真実から懸け離れたものである。
32. まことに、宇宙には一つの創造のみが、創造の法則や掟及び七元的秩序と共にもたらされているのであり、又唯一つの真実が志向としてもたらされており、その志向は、如何なる時にも、宇宙全体に取って一定で不変である。
33. 創造は創造であり、真実は唯一の真実であり、又同じく唯一つの志向がもたらされているだけであり、複数の志向はあり得ない。
34. 何故ならば、創造は完全体であり、創造の法則や掟及び七元的秩序も完全体であるからである。
35. まことに完全であるものは、如何なる時にもただ一つの真実と、ただ一つの志向を有している。何故ならば、完全である完全体が、真実に関して異なった解釈や異なった立場や見解に分けられたり、区分けされたりすることは無いからである。まことに、真実は唯の真実を含んでいるだけである。



第20章

 1. 創造、賢明なる創造。正しき創造の名において。
 2. 創造に栄光あれ。創造は教えである。    
 3. 「聞け」とヤーウェは予言者に向かって語る、「汝は人間達の間に派遣された者であり、人間達は汝によって創造と言う完全体の真実について教えされる:
 4. 創造はあらゆる生命体の力であり、予言者がそうであるように、ヤーウェも人間として創造のはるか下位にいる。
 5. だが、見よ、人間遠が自分自身に反して嘘を付いている様を。
 6. 見よ、全てのものが創造に反している様を。人間達が信仰、宗教、宗派、偶像、神々に関して、自分達ででっちあげた事を自ら放棄していく様を。これら全て誠に、不正者による人間特有の間違った企みに過ぎない。
 7. 人間の中には、汝の言うことに耳を傾ける者もいるが、しかし彼等の思考には、自分で作り出した無理解と無把握のベールがかけられており、彼等の耳は完全にマヒ状態にあるため、彼等は聞くことも無く、物を見る彼等の目は閉じている為に、彼等は見る事も無いのである。
8. 彼等が真の象徴を見た時さえ、この象徴を否定し、それを理解しない。
9. 不当にも汝と戦うために。彼等は汝のところにやってきて、汝を迫害し、罵紺する。
10. 無知な者、不正な者は、汝の真実の言葉や汝の論証が作り話にすぎず、ムチャクチヤな幻想、ごまかしであると主張する。
11. しかし、いつか彼等が苦悩や苦難への人口に、死への入口に立つ時彼等は元に戻されることを願い、もう真実の象徴や真実の言葉を嘘としてとがめないと約束する。
12. だが、彼等の言うことは嘘偽りでしかない。何故ならば、彼等が直ぐに元の間違った行動や思考、及び自分で作った神々や偶像に戻ることは、確実であろうからである。
13. 彼等は以前と同じように、思考、行動したり、此の世で物質的な人生以外は存在しないと、又自分は新しい人間の肉体を得て。死後に再生するために蘇生することは無いと発言したりするであろう。
14. このような無知なる者に言え。汝等は、創造の存在や真実を、創造の法則や掟を、七元的秩序を否認する、真の敗者であると。
15. 考えよ:汝等に釈明の時が訪れた時、汝等不正者に災いあるかな。汝等は真実を拒否し疎かにしたのである。
16. まことに汝等は、不正な生き方から生じた重荷を背中に背負い込む事を知れ。まことに、汝等が重荷を背負う状況は、ひどいものである。
17. 彼等に言え:汝等は此の世の生活をゲームや気晴らしとしか思っていない。又人生はゲーム遊びだと錯覚している。
18. しかし、そうではないのである。人生は道や目的であり、「存在」への進化及び発生に基づくものである。汝等はそれをどうして分かろうとしないのか?
19. 汝等地球の人間は、耳が聴こえず、口がきけず、真っ暗な闇の中で目が見えない。汝等は真実を聞こうとしない。汝等は真実について語ろうとしない。汝等は真実を見ようとしない。
20. 汝等自身は思い違いをしており、間違った偽の指導者によってだまされている。その指導者は、民衆の権力者であり、宗派や、神々や偶像を持った間違った宗教の聖職者である。
21. 人々を教えるように語れ、とヤーウェは予言者に向かって言う。汝等が自分自身の不正な生き方に対して、自己決定した罰が訪れた時に、汝等は何を考えるか?
22. 最期のときが来たら、汝等は何を考えるか?
23. その時でも尚、汝等は自分達で作り上げた神々や偶像に自ら呼び掛けるであろうか?或いは神々や偶像は、汝等自身によって誤って呼び寄せられるであろうか?
24. 或いは汝等は、真実や創造を呼び寄せるであろうか?真実や創造は、汝等に取って不安や恐怖の時に慰めとなるであろう。
25. まことに、そうなるであろう。何故ならば、汝等は苦悩の時に真実を、正義を、創造を求めるからである。
26. そして又おそらく、汝等が誠実であり、真実を毛嫌いしていたことを後悔するならば、汝等にはまだ、創造や真実の象徴及びヤーウェや予言者の言葉を認識し、正しき者と成る事が出来るであろう。そして汝等はもう不正な者の一人ではなくなる。
27. 真実は耐えることに関して忍耐強く、創造も又忍耐強く、ヤーウェや予言者も忍耐強い。彼等は、限り無い忍耐と愛によって教えて行き、汝等が正しい者の道を見出して、その道を歩いていくことを期待している。
28. 無知なる者及び不正な者、求める者及び望む者を更に教えていけ、とヤーウェは予言者に向かって言う。予言者の真の言葉に耳を傾ける者だけが、及び予言者が示した、創造やヤーウェがもたらした真の象徴を見る者だけが、真実を見出して受け入れることが出来、真実を理解するのである。
29. しかし、真実や真実の象徴を忌み嫌ったり、非難したりする者全ては生きながらにして死んでいる。何故ならば、このような者は、創造からかけ離れて生きており、創造の法則や掟及び七元的秩序を敵視しているからである。
30. そして生きながらにして死んでいる者は、真に与えられたものとは別の真実の象徴や真実の言葉を探し求める。彼等は象徴や真実を、嘘、魔術、ごまかし。魔術的及び神秘的下らないものの中に探し求めている。
31. 象徴や真実を自分の手で触れるならば信じると言ったり、それを要求したりする者は、生きながらにして死んだ人である。
32. しかし彼等は、象徴に触れることや。その近くに寄ることが禁じられている。何故ならば、彼等の考えや望みは破壊や虚偽に従ったものであるからであり、彼等は全ての生命体に危険を撒き散らす。
33. 彼等は象徴に触れることや、その近くに寄ることを禁じられている故に、象徴や真実を非難したり拒否したりする。
34. つまり、象徴に触ったり、その近くに寄ったりすること無く、自分自身の中で自分の力によって学び、認識していかなければならないと言った道しか彼等には与えられないのであり、そうする者のみが、自分の内部に真実を探求することによって知識を得ていくようになるであろう。
35. ヤーウェは象徴を送る力を持っており、ヤーウェの援助者達も又真実の象徴なるものを送る力を持っている。創造も又、日常的に象徴を送り、自らの存在と真実によって象徴を造り出す。
36. 真実の象徴を送ることは、昔から予言者達が行っていたように、今も予言者によって行われている。
37. しかしながら地球の人間は、時が過ぎ去っていく間に変わっていき、見ること、触れること、聞くことによって証拠力を求めるようになってしまった。
38. 何故ならば、真実は独自の力で思考、探求、認識することによって得られるといった努力という心的態度が、人間から消えてしまったからである。
39. つまり、人間形態が間違ったものに変わってしまい、人間は、自分の手で触れられるものだけを、自分の目で見られるものだけを、自分の耳で聞けるものだけを真実として受け入れようとする。
40. しかしこれは間違った道であり、解答や真実に関して、全て独自に感じ、独自に探求し、独自に追及し、独自に認識すると言った努力は、どれも侮蔑し無視すると言うことは、全く物質的な人間の取る道である。
41. つまり、こういったことによっては、真実探求の道や、真実発見の道はあり得ないのである。だからヤーウェや予言者は、真実から作り出された象徴をもたらすべきではないのであり、もたらすにしても非常に控え目にすべきである。
42. もたらされているのは真実の言葉であり、この言葉は、独力で学習する苦労を積極的に耐え、背負おうとする者に対して、真実の教えを啓示するには十分である。
43. 更にヤーウェは予言者に向かって言う。創造の知識、能力、愛、真実、叡智という宝物は、ヤーウェや予言者のところには無いことを人間達に教えよ。創造の宝物や秘密は、測り知れないものであり、人間には決して理解出来ないものである。何故なら、創造が測り知れない神秘であるからである。
44. ヤーウェや予言者は、創造の秘密のついて知らないと言え。創造のみが自らの秘密を知っているのであり、人間は創造によってやっとその秘密を把握、認識することしか出来ない。
45. ヤーウェも予言者も創造に近づけないことを、ヤーウェも予言者も創造の代理人ではないことを人間達に教えよ。
46. ヤーウェや予言者は、叡智、愛、真実を実現している人間であり、能力や知識を持った人間であり、彼等の上に、測り知れない高いところに存在しているのが、測り知れない神秘としての創造である。
47. ヤーウェは叡智によって認識を得た人間であり、予言者も又そうであり、この予言者にはヤーウェから時折教えの言葉と文書が啓示され、予言者はその教えの言葉と文書を、自分が配属されている地球の人類に更に伝えていき、教えていかなければならない。
48. ヤーウェや予言者が相手を非難したり、罰を要求することは無く、又彼等が暴力を振るったり。強制したりすることも無い。又彼等が暴力を振るったり強制したりするべきであると教えること無い。
49.まことにヤーウェは、地球上の全ての人類や民衆に霊的指導者を派遣した。地球上の人類及び民族は、間違った教えによって神々や偶像の虜に成っており、又迷いと、混乱の中に生きていた。新時代の予言者が自ら与えられた義務によって再び再生する前は、彼等は自らの責任から苦悩と困窮に見舞われていた。
50. 予言者が彼等を教え、真実について教授するために、彼等のもとに派遣されてきた。そして彼等は苦悩と困窮から解放されるはずであった。
51. しかし、地球の民族は真実を知ろうと努力しなかったために予言者による真実の教えによって、自らの苦悩や困窮から解放されることは無かった。彼等は予言者を非難し、迫害したのである。
52. 彼等の感覚は硬化していた。現在も又そうである。真実の生き方からかけ離れた、彼等の間違った邪悪な感覚によって、彼等は以前に行った様な、いろいろな間違った行動を引き続き行っていたが、それも間違った教えのために。彼等にとっては善いことをしているとしか思えなかった。
53. 彼等は、ヤーウェや予言者の教えを故意に忘れてしまい、そして又真実の教え、教化、訓練に関して彼等に与えられたもの全てを故意に忘れてしまった。
54. 彼等は、いろいろなものに通じている各門戸を、無理矢理にこじ開けて行き、自分達の良くない生き方の結果から、突然認識を得るようになるまで、それを続けていったが、その間、彼等は不正な生き方の中で、自ら取ってきた高慢な態度全てを楽しんでいた。
55. 彼等は絶望状態に陥り、戦争によって他人や自分をも殺し、又衰微や疫病を引き起こし、破壊的な間違った立法や、新たな間違った教えを造り出した。それらの立法や教えは、独断的に神々や偶像を誉めそやした聖職者や権力欲の有る者、宗教や宗派によってもたらされたものである。
56. その一方、真の予言者は、民衆や不正な者によって迫害、非難され、教えや真実は踏み付けにされた。
57. ところが、ヤーウェによって新しい霊的指導者が派遣された。つまり、自らに与えられた義務によって予言者がやってきたのである。予言者は、常に真実や福音をもたらす者であり、真実や福音の告知者であった。
58. 霊的指導者及び予言者は、将来の差し迫った事件の警告者であり。間違った生き方の警告者であった。
59. 彼等は、積極的な真実を求める者みんなを教え、又、真実を認識して真実に従って生き始めるならば、不安も恐怖も悲しみも抱くことはない、として不正な者をも教えた。
60. しかし彼等によって教えられたことといったら、創造の法則や掟に対して、及び真実に対して、不従順、不正、冒涜的な者は、全て自ら招いた罰を受けることである。
61. ヤーウェは予言者に向かって語る、地球の人間達を教えよと。結局のところ、汝等は熟考したり、真実を把握したりするつもりは無いのか?汝等は結局、真実に屈服するつもりはないのか?
62. 真実から更に離れた方向に、汝等自身を追いやってはならない。汝等は汝等自身の最も深い内部において、真実を探しているのであり、朝から晩まで待ち望んでいる。又汝等は、心の奥底で真実にこっそり呼び掛けており、創造の真の真実をひたすら求めているのである。
63. まことに人間は、潜在的に、又最も内奥の希望として、真実を探し求めているが、しかしながら、人間は不正な者として不正の中で生きている。何故ならば、人間は多くのニセの予言者によって、多種多様な宗派及び宗教の聖職者や狂信者によって、惑わされているからである。聖職者や狂信者は、独裁者やその他の権力欲のある者、利益追及者、神々や偶像、詐欺師によって操られている。
64. まことに、平和や愛が正しき者にあれ。平和や愛が創造の真実を探し求める者にあれ。
65. 知らずに邪悪なこと、又はその他の法則や掟に反した、或いは七元的秩序に反したことを行う者であっても、その後に認識と後悔をして真実の道に進むならば、そういった者全てに平和や愛や慈悲が示される、と創造は定めた。
66. 創造は全てのものを許し、慈悲深い。つまり創造は、罪を犯した者が、創造や真実を認識し、その法則と掟に従って生きるように、自らの存在と愛をはっきりさせる。
67. 創造の愛の象徴は、過ちが除去されて正しい生き方をするようになれば、過ちは全て創造によって許されることを示している。
68. 創造の愛の象徴は、神々やその他の人間や偶像といった創造以外のものが崇拝される場合、全ての行為は間違っており、偽りであることを示している。
69. つまり、人間は邪悪な欲望や間違った教えに従ってはならず、創造以外のものを尊敬したり崇拝したりしてはならない。
70. しかし、人間がこの教えを尊重せず、神々や人間を崇拝したり尊敬したりするならば、その人間は真に間違った道を進むことになり、正しく導かれた者の一人ではなくなる。
71. 正しい者や知識の有る者は、神々や偶像に呼び掛けたり、崇拝したりすることを分別や理性に依って抑制しており、こういった者が、虚偽や間違いへと誘惑する邪悪な欲望に従うことは無いであろう。
72. ヤーウェや予言者は、創造に関する明確な証拠を引合いに出すが、汝等はその証拠を否認する。何故ならば、汝等は自分達の方が創造自体よりも知識が有って賢明であると思い込んでいるからであり、或いは又ヤーウェや予言者や霊的指導者よりも、知識が有って賢明であると思い込んでいるからである。
73. 汝等は証明として、象徴や奇跡を望むが、正に象徴や奇跡といったものは、汝等を寄せ付けず、汝等を避けている。何故ならば、汝等がそれを理解しないであろうからであり、又汝等がそれを無理解と不正によって拒否するであろうから、である。
74. そうして、ヤーウェや予言者による寞実の象徴は、真に正しい者、又は正しくあろうとする者にのみ例外的にもたらされる。
75. まことに、正しい者、及び正しくあろうとする者に対してのみ、真実の象徴は真実であることの立証をするのであり、このような者が、ヤーウェや予言者によって、時々もたらされる立証の象徴を、僅かながら見ることとなる。
76. 隠されたものの鍵は、創造のもとに在り、創造のみが隠されたものを知る。
77. 創造の秘密は、人間には把握、認識出来ないものであり、又ヤーウェや予言者にも出来ない。
78. つまり、ヤーウェや予言者は、人間によって認識、解明出来る事、及びヤーウェや予言者に到達できる霊の範囲からの光の存在によって、彼等に対して明示されること、及びヤーウェや予言者が生きている水準での知識、愛、叡智、真実の中で、生きているのではない人間には到達出来ないことに関して、探求、認識、教えていくことしか出来ない。
79. 創造の秘密は、測り知れない神秘であり、人間がいつか「存在」に至った時に、人間の霊によってやっと認識、把握、理解できるものである。
80. まことに、人間はいつか創造の中に帰っていくのであり、その時期は、その人間の生き方や行いに応じて、早かったり、遅かったりする。
81. 人間は、正しく、創造の法則や掟を賢明に実現しながら生きていくことになっており、正しく生きていく努力を完ぺきなものとしていくために、常に進化しながら生きていき、霊的形態となるまで、そして後には完ぺきなものと成るまで変化していき、それによって最終目的としての創造に帰るのである。
82. まことに、創造は生命であり。あらゆる生命体の上に位置する最高のものである。つまり、創造は生と死を超越しており、あらゆる進化の最終目的、真の「存在」であり、人間は絶え間無く努力しながら、自分を進化させていく事によってその「存在」へと引き寄せられていく。
83. まことに、全ての生命及びあらゆる進化は、創造によってもたらされているのであり、愛、真実、知識、叡智、首尾一貫性、及び実質的生活において、 栄養や環境に必要なもの全ても、又そうである。
84. 人間が、生活及び成長に必要とするものは、全て創造に拠ってもたらされたのであり、人間は、創造や創造の真実から逸脱しており、人間にただ無限の苦悩、不幸、苦難、間違った教えをもたらすだけの神々や偶像を創造として扱っている。
85. 神々や偶像に対する人間の信仰は、民族や人類に酷い悪をもたらす。何故ならば、信仰によって、神々や偶像によって、聖職者、権力欲のある者、支配者、利益追求者によって間違った法則や掟がでっちあげられるからであり、その間違った法則や掟は、創造の法則や掟と矛盾している。
86. 宗派、宗教、権力欲のある者、利益追求者による間違った法則や掟は、民族や人類に無法や強制や奴隷的状態や損害をもたらすだけである。何故ならば、そのような間違った法則や掟は全て、人間を真に導いていくために作り出されたものではなく殆ど根拠が無い。人間を奴隷化していくために又強制的な暴力的処罰のために、でっちあげられたものであるからである。
87. 宗派、宗教、及び暴力行為によって支配する者、権力欲のある者、利益を追求する者による間違った法則や掟は、正義や誠実さや自由をもたらすのではなく、ただ裁き、暴力行為、戦争、衰微、死、様々な悪をもたらすだけであり、それによって個々の人間も影響を受けることとなる。
88. 権力欲のある者、利益追求者、支配する者。宗派、宗教、及びそれに携わる聖職者は、あらゆる事物において人々の統一感覚を不和なものに変えてしまい、人々は混乱と敵意を引き起こし、一方の者が、他の者の敵と成り、隣人同士暴力を振るい、息子が父親に対して、又娘が母親に対して敵意を抱くようになる。
89. そして不正な者、権力欲のある者、利益を追求する者、支配する者、統治する者、聖職者や宗派及び宗教は、暴力と力と間違った法則や掟の力によって人々を追い立てて、戦争用軍隊に纏め、兄弟や姉妹を敵として、又隣の民族の子供達を敵として、権力欲と憎しみの中で、激しい戦いや戦争を行なわせる。
90. しかし人間はこの真実を尊重しようとしない。そして真実を更に拒否し続ける。人間が真実の象徴を見たり、真実の言葉を聞いたりしても、その真実に対して、ただ愚かしい、中傷するようなことを言うだけである。
91. しかし、真実を拒否することによって、地球の人類や民族に、悪や苦悩や悲しみがもたらされるであろうこと、そして又、人間が苦悩や苦難や不幸に陥るであろうことは、昔から予言されていることであるが、予言されたように過去に本当にそういった状態が続いていった。
92. 如何なる予言者にも、或る特定な時間が設定されており、予言はその時期に実現するであろう。このことは、新時代の予言に対しても言えることであり、新時代の予言は昔から書き留められてきたものであるが、新時代の予言者によって改めて示されているものであり、もう直ぐにそれを経験し、恐ろしい事物や死に耐えなければならなくなるであろう、と言うことは、予言実現の最終時期を告知する時期の前兆が出されており、それが実現されるからである。
93. しかし地球の人間は、引き続き間違った信仰や考えや望みや行動の中で生きており、全ては宗派や宗教、及び支配欲の強い者やニセの統治者による間違った法則や掟によって、誤ってもたらされたものであり、地球の人間は、昔と同じように、一切の知識及び真実から離反している。
94. だが、真理の知識に拠る真実は、昔から地球の人間に教えられてきたのであり、アダムに示された。
95. 昔から、地球の人類や民族には予言者が与えられてきた。そうしてヘノホ(H e n o c h)、エリヤ、イザヤ、エレミヤ、イマヌエル、モハメッドが次々に絶えず再生を繰返して派遣され、そして又ヨハネス、エルヤス、ホヨプ、それ以外の誠実なる者及び正しき者もすべて派遣されたのであり、ブッダやゾロアスターやババチイ等も又そうであった。
96. 予言者達全て、一部はヤーウェによって、又一部は自らによって、選出、指導、派遣された者達であり、地球の人類や民族に対する予言者としての、又は霊的指導者としての知識と能力を持っていたが、予言者達はみんな中傷、迫害され、彼等の教えや真実の言葉は、無理解と憎しみによって変造され、それによって人を惑わすような偽の宗教や宗派が生まれた。
97. いつか別の時には、自分の義務を実現するために、一人の予言者が地球に派遣されたり、又別の時には、真実の言葉を記した書がもたらされたりしており、その書は、判りやすい形態で啓示されていて、祝福の言葉や真の基準で溢れており、その目的は、かつての真の生き方を実現すること、地球の人類や民族を教えること、過ちを犯す者や、不正な者に、最終的に警告を与えることである。
98. この様な偉大な予言者が送られ、その予言者が法則をもたらすこと、真実の言葉を記した書と霊の教えが地球の人類にもたらされる事は、これが最後であり、又永久的なことであろう。同じことが未来において繰り返される事は、決してないであろう。
99. 真実と予言者は既にもたらされているのであり、このことは来たるべき時代にもずっと言えることであろう。何故ならば、すべての規定が。地球の人間によって破壊されてしまったからである。この規定は、破壊されなければ、別のことを可能にしたであろうし、又未来において予言者の別の活動を可能にしたであろうが。
100. つまり、今ではもう、永久的に重要な最後の予言者が存在しているのであり、又真実の言葉を記した書はこれが最後であり、これらと同じように重要な別の書物や予言者が、いつか又別の時に現れることは無いであろうし、そして又改革者現れることも無いであろう。何故ならば、全ては真実の言葉を記した書の中に、又予言者や、余すところの無い詳細な霊に関する予言者の教えによって示されているからである。新時代の予言者の後に改革者や新しい教えや予言者が存在することも決してないであろうし、又誰かしら現れて、使徒又は改革者と自称しても、そう言った者は全くニセモノ、全くの錯覚であり、嘘偽りである。
101. つまり、又いつか別の時に、新時代の予言者の後任となる予言者が現れることは無いのであり、別の種類の改革者や使徒が現れることも無いのである。何故ならば、真の真理としての真実が新時代の予言者によって与えられているからであり、あらゆる真理に関してもたらされた真実は、全てを包括する真実で、一点一画すらも改正されることは出来ない。
102. まことにそれは、ヤーウェや予言者によって啓示された、如何なる時代にも不変で改正の必要の無い、真実の言葉を記した書である。
103. それは祝福の言葉で溢れた、真実の言葉を記した書であり、その目的は、かつての真の生き方を実現するためであり、又地球上の全ての人間に警告を与え、教えるためである。
104. この真実の言葉を記した書は、全ての者のために、つまり正しい者と不正な者の為にある。これは一点一画すらも、変更、改正することは出来ず、権力欲のある者や、支配する者によっても又宗派や宗教の聖職者によっても、利益追求者や疑い深い者によっても不可能であり、又ニセの使徒、ニセの予言者によっても不可能である。
105. 真実の言葉を記した書は、不正な者を教えするためにもたらされたのであり、又、真実に関する全てを、或いは一部を既に心得ていて、創造の法則や掟を厳密に守っている者を指導する為にもたらされたのである。
106. 実際には何も啓示されていないのに自分達にはあれやこれや啓示されたと嘘を言う宗派や宗教の聖職者、ニセの改革者、ニセの使徒ニセの予言者、権力欲のある者、利益追求者と言った者のように、創造に反して嘘をでっちあげる者以上の不正な者は存在しない。
107. 実際には何も啓示されていないのに、自分達には死の領域の死者から、又は比較的高い又は低い水準にいる霊や悪霊から、あれやこれや啓示されたと嘘を言う宗派や宗教の聖職者、詐欺師、堕落者、利益追求者、権力欲を持つ者のように真実に反して、創造の法則や掟及び七元的秩序に反して嘘をでっちあげる者以上の、不正な者は存在しない。彼等が啓示を受けるのは不可能であるが、そう偽っているのである。
108. しかし彼等は、同胞や彼等の間違った教えを信じる者に対して、自らを立派に見せるために嘘をつき偽る。そして又、威信を保とうとして我欲や自己誇張と言った要求を満足させるために偽るのである。彼等は本当に不正な者であり、正しい生き方をする能力が無いが、嘘や偽りに拠ってそれを隠そうとするのである。
109. 彼等はみんな創造の法則や掟が、そういったことを許すはずも無く、又阻止することもないと言った真実を知らずに偽り、又ヤーウェや予言者に無ければならないような宇宙的知識や宇宙的叡智を獲得したり、又、人間が宇宙的愛や宇宙的真実の状態に到達していない場合にその人間は死者又は比較的高い、或いは低い水準にある雲や悪霊と関係を持つことが出来ると言った真実を知らずに偽る。
110. しかし人間がこのような能力を獲得及び実現した場合、その人間は、死者の方が生きている者よりも知識があるとは言えない事を、よく知るようになる。死者は生きている者に対して、助言や知識に基づく教えや、知らないことについての教えを教えることは出来ない。真に能力のある者はこの事を知っており、そう言った者は、死者との関係や意志疎通を全て止め、自らの能力に関する秘密を人間達に明らかにすることも無い。
111. 人間がこのような能力を獲得した場合、霊的形態及び霊的生活の引き続く七つの高い水準がその人間に開かれる。この高い水準は、物質的生活以外でのその人間を教えるものである。しかしながら人間は、高い水準の一つに自分で呼びかけをすることに激しく抗議する。何故ならば、意志疎通は、教えるような稀な形態で高い水準から低い方の水準に対して行われるだけであり。又高い水準によってもたらされ、決定されるだけだからである。
112. この能力を持った人間で、その様に出来る人間は、民族の間には決して存在せず、又そう言った能力のある者は、人類の中には少数しかおらず、そういう者は沈黙と孤独の中で生きている。だから彼等は無知な者や嘘付きやペテン師に攻めたてられたり、尋問されたり、中傷、迫害されたりすることは無い。
113. 即ち真実は次のようであり、それらの人は嘘付き、ペテン師である。彼らは祈祷師としてり、又死者や霊や悪魔の横領者として姿を表わしている。彼らは皆礼拝によって、又はガラクタや補助用具を用いて魔術的神秘的なことを行い、魔法使い、霊媒、占い師、救済者と称して、嘘付きやペテン師と同じように振る舞っている。
114. しかし、各民族の人間の中には、寝ている時も、目醒めている時も、真の幻影を見る者が居り、又予見者や透視能力のある者と呼ばれている者がおり、透視によって過去や未来の出来事を本当に見る事の出来る者がいる。
115. 幻影を見る者は、信仰や宗派及び宗教に囚われず、又創造の真実、及び創造の法則や掟及び創造の七元的秩序に真に通じていると言った、本当に真実の形態を取った者としては、各民族にごく僅かしか存在しない。
116. しかし彼等がこのような真実の形態をとる者でない場合、幻影の意味に自ら考え出した無価値なものを付け加え、それによって真実を裏切る者と成り、実際には啓示されていない幻影を、啓示を受けたとしてでっちあげる嘘付きやペテン師のように、真実を裏切る者と成る。こう言ったことは、嘘付きやペテン師の我欲、利益追求、威信追求によって何度も行われてきた。
117. 間違った生き方をし、嘘をつき、人をだます者は多くさん居り、又創造やヤーウェや予言者と同じように、象徴を示すことが出来ると語る者が多くさんいる。
118. しかし彼等には象徴を示すことなどは決して出来ず、出来たとしても嘘や偽りによってであり、魔法や幻覚と呼ばれている奇術に拠って、又は何等かの詐欺行為に拠って、又現実のものでも存在するものでも無いような、あれやこれやを、巧みに信じさせる暗示的力によって行うのである。
119. つまり彼等は真実を冒涜するのであり、人生における如何なる時にも、瀕死の時、死の時、再生の時でも、やりきれないほどの不安を抱えた敗者、破滅者である。死は彼等に恐怖と驚愕をもたらし、彼等独自の裁きは、彼等に取ってぞっとするような恐怖の深淵となる。
120. 彼等は自分達自身の名を汚すが、不名誉と恐昨は彼等の為した行為の報いである。真実や創造に反して、間違った事を行ったり言ったりしてきた彼等は、真の真実及び創造の法則や掟を無視して背いてきたのである。
121. 不正な者、冒涜者、嘘付き、ペテン師、こう言った者達は、自らの裁きを受けなければならない。生まれた時のように。何回一つ持たずに身一つで、創造が彼等にもたらしたもの全てを捨てて、彼等が不正、不実、冒涜、嘘、偽りによって蓄こんだ全てを捨てて。
122. 彼等は恐怖の時にも一人でいるであろうし、自らの恐怖による、轟く激しい深淵に沈んでいくであろう。彼等は自ら造り出した神々や偶像が代弁者に成ってくれると思い込んでいたが、彼等を代弁するものはいないであろう。嘘、偽り、間違った教義、不正が、苦悩や苦境にいる彼等のために執り成してくれることは決して無かった。
123. まことに、創造の法則と掟及び七元的秩序のみが、ごく小さな植物の穀物や種を発芽させる。
124. 創造の法則と掟及び七元的秩序のみが、無知な人間に取って死んでいると思えるような静止した物から、生きた物を生み出す。しかしながら、その静止した物は、再生へ至る過度状態、変遷状態にあるのである。
125. そして又、創造の法則と掟及び七元的秩序のみが、生きている物を静止状態にすることが出来るのである。静止状態にある物は、無知な人間に取っては死んでいると思えるがしかしそれは、再生へ至る過度状態、変遷状態にあるのである。
126. それは水であるかも知れないし、風や雪であるかも知れない。又、雨、あられ、嵐、四季であるかも知れないし、太陽光線、光、暗闇、温かさ、冷たさであるかも知れない。しかし、それが創造の法則や掟及び七元的秩序によってもたらされ定められたものでないならば、発生、生存、消滅しないであろうし、誕生、死、発芽、繁栄、開花も無いであろうし、果実や収穫も無いであろう。創造の法則や掟及び創造の七元的秩序によって、創造が造り出した全ての存在する生命体が、発生、生存、消滅していくのである。
127. 創造は法則と掟によって、一日を始め、夜をもたらし、温かさと光と冷たさ及び運動の為に太陽と天体をもたらし、発生と生存と消滅及び進化の為に時間をもたらし、あらゆる生命体が存在するために空間と大地と水と空気をもたらした。
128. これは法則と掟及び七元性による創造の秩序である。創造に栄光あれ。創造は真の愛、真の叡智であり、又創造は、無限の忍耐と寛容さと無限の力をもった真の知識、真の真実である。
129. 創造の象徴は、その最後の細目に及ぶまで、全ての生命体及び人間のために明示されており、その目的は、その象徴が認識され、遵守され、正しく生きるための助けとして受け入れられる事にある。それは人間が、大地の暗闇の中でも、海のうねる水の上でも、地球上の風の中でも、宇宙の無風空間でも、正しい方向を守るために空の星々を助けとして受け入れているのと同じである。
130. 創造の象徴は。その細部に至るまで、全ての生命体及び人間のために明示され、与えられており、その目的は、人間が真実を認識し、真実に従い、創造の法則や掟に対して従順となり、知識を持ち、賢明で、注意深く、敬意を抱くようになることである。
131. 創造は、その法則と掟及び七元的秩序によって、土からのごく小さな成分、及び変化していった動物や植物のごく小さな結合物から汝等を造りだした。
132. 創造の法則や掟及び創造の七元的秩序に従って存続、進化していく為に汝等が創造していく場所が汝等に与えられておる。つまり汝等の地球が、汝等の世界であり、汝等が創造していく場所が汝等に与えられている。つまり汝等の地球が汝等の世界であり、汝等はその地球上において、首尾一貫して正しい者の基準を全て履行していくべきである。
133. つまり創造の全ての象徴は、その細部に至るまで、全ての人間の為に明示されており、又全てのものの中に、全ての生命体の為に与えられており、その目的は全ての生命体及び人間が、その象徴を認識、理解、遵守していく事にあり、汝等もその象徴を最終的に認識、理解、遵守していくべきである。
134. 創造の法則と掟及び創造の七元的秩序は、雲からの水として雨を降らせるが、それによって成長がもたせされ、繁栄が訪れるのである。そうして穀種が発芽し、いろいろの種類の草木及びあらゆる種類の濯木や樹木も発芽していく。そして又それらの木々には、心地良い香りを漂わせる花が咲き、その花からいろいろな形をした果実が無数に出来、種類の似たものや全く違った種類のものが出来る。
135. 誠に汝等が自分達の花や果実を作る場合には、汝等はその草木や潅木や樹木の花や果実を観察する。その花や果実が熟して新しい種をもたらす時、そこに実際に創造の無限の愛の象徴を認識する。又、知識、真実、叡智、忍耐は、すべて創造の法則や掟及び七元的秩序の中に認められ、それらの中に根づいている。
136. しかし創造の象徴のすべてが見え、認識できる者は、真に知識をもった者、正しい者、或いは知識や正義や真実への道を誠実に歩んでいる者だけであり、又全ての信仰と無関係にある者だけである。信仰は無知なる承諾にすぎない。知識に基づいた真実だけが、真の真実及び真の知識を秘めている。
137. しかしながら、知識を持った者はごく少なく、又正しい者はごく少ない一方で、無知な者や不正な者の数は遥かに多い。創造が宇宙における全ての生命及び全ての存在を造り出した唯一のものであるにも拘らず、無知な者や不正な者は、自分自身又は競争相手を、神々や偶像を創造の代わりに置く。
138. そして又、不正な者、及び無知な者は、創造に対して競争相手をでっち上げる。その競争相手とは、神々、偶像、及び同様のものであり、又唯一の神や唯一の偶像でもある。
139. 不正な者、及び無知な者は、創造に対して偽って息子や娘、天使や聖人をでっちあげ、又彼等は、自分達が造り上げた神或いは偶像、又は自分達が造りあげたいろいろな神々、或いは偶像等の場合にも同じことをする。
140. しかし創造は神聖なるもので、如何なる嘘やでっちあげも超越している。創造の法則や掟及び創造の七元的秩序も、又全て神聖なるもので、超越している。
141. つまり、創造とは、創造及び最高の力であり、測り知れない偉大さと完全性によって自ら造りだした全ての物の上に位置している。自ら造り出した全ての物とは、創造による創造物のことで、それはあらゆる種類の人間、動物、植物であり、又世界、太陽、天体、空間、時間、光、暗闇、そして又あらゆる種類の生命体である。
142. 創造には性別が無く、創造は男性でも女性でもなく、純潔でも淫らでもなく、時間的でも非時間的でもなく、空間的でも非空間的でもない。創造はまことに、霊であり、霊的力であり、光であり、意識的形態を取った本当に純粋な霊的エネルギーである。
143. 創造には男性の伴侶も女性の伴侶もいない。何故ならば、創造はまことに中性であり、無性であるからだ。創造はあらゆる点において、全ての生命体と異なっている。
144. 創造には性別も無く、男性及び女性の伴侶もいない。創造は最も純粋な形態をとった霊的エネルギーであり、息子や娘を持つとか、そう言った者を何等かの形で召し抱えると言ったような、又、粗物質による生命体である人間や独裁者に過ぎない神であると言ったような、従属的結び付きを持たない。
145. 創造は万物の創造であり、宇宙には創造以外に創造は存在しない。創造のみが畏敬され、崇拝されるべきであり。まことに創造のみが創造なのであり、あらゆる生命及びあらゆる存在の保護者である。そして又この生命及び存在もすべて、まことに創造によって創り出されたものである。
146. まことに創造は創造であり、汝等の創造であり。汝等は人間として創造の視線や「存在」に到達したり、それを見たり、把握したりすることは決して出来ないが、しかし創造は、汝等の視線や汝等の生活に到達したり、汝等がどこに視線を向けていようが、又汝等がどんな生活を送っていようが、それを見たり、把握したりすることは出来る。
147. 創造には全てのことが可能である。創造は測り知れない神秘であり、又創造は把握出来ないもの、普遍的なもの、全てを熟知したものである。又創造は、人間に取って特異な存在として、あらゆる秘密の中でも最も奥深く隠されたもの、つまり測り知れない神秘である。
148. まことにそれが創造であり、創造は汝等の創造で、いろいろな形態を取った創造による象徴によって、あらゆる生命体や存続や進化や存在に関する七元的秩序及び法則や掟が啓示されている。
149. ヤーウェや予言者が汝等に啓示することに従え。そうすれば汝等は創造の真の法則や掟及び七元的秩序に従う事になる。
150. 汝等が造り出した神々や偶像から離れろ。汝等が神として、創造の息子や娘として尊敬する人間から離れろ。汝等が創造の競争相手として創造の代わりに置く人間から離れろ。と言うのは、宇宙には創造以外に創造なる者は存在しないからであり、創造は唯一のもので、汝等の創造である。
151. 汝等を惑わし、自ら名乗ったり又は汝等が選出した神々や偶像について、汝等に間違いや嘘偽りを説く様な、偶像のしもべから離れよ。
152. まことに、創造が真の自由でないならば、又創造に拠る創造物が発展過程を自由意志で決められるのでないならば、創造は自ら故意に、創造以外に競争組手を、又その競争相手が必要とする間違った教えや尊敬、崇拝を存在させる事を定めたであろう。
153. しかしながら実際はそうではなく、発展過程を決めるのは人間の自由であり、人間は自由で、自分自身を決定し、制御していくのであり、自らが自分自身の主人、支配者である。
154. 人間には、正しいもの又は不正なものに反して、自己の権利を主張したり、正しい道が不正な道かを決定したりする事が出来る。
155.人間は自らの決定を自由に行える中で生きているが、最も抵抗の少ない利点だけを求めており、その利点は、変質的な容易さの中に在り、抵抗無く流れ出ていく為に、穴を求める堰き止められた池の水のようで、その水は集中した力と成って全てを破壊しながら奪い去り、破滅させる。
156. ヤーウェは予言者に向かってこう語る:汝は人間の保護者であるのでも、人間の監視人であるのでもない。ヤーウェも又そうである。
157. だが汝は、自ら人間の間で真実を教えする予言者と成ったのであり、ヤーウェも又、予言者及び人類を教える者である。
158. 人間達にこう教えよ。汝等の味方を罵るな。汝らの敵を罵るな。正しい者も不正な者も罵るな。それら全てが創造による創造物なのであると。
159. 敵に愛を示せ、味方に示す様に。不正な者に愛を示せ、正しい者に示す様に、だが注意深くあれ。敵や不正な者の間違いや嘘偽りから、汝等自身を守れ。そうすれば汝等は、彼等から損害を被ることは無い。
160. 敵又は不正な者であっても、彼等も汝等と同じ人間である。汝等は人間として、愛をもって彼等のことを、彼等と共に、彼等の為に考え、行動するべきである。たとえ彼等がこっそり損害や間違いや嘘偽りを汝等にもたらそうと考えている為に、汝等が損害を被らないような注意深さが必要であるとしても。
161. 敵や不正な者に対して親切で愛情深く、寛大であれ。彼等に宿泊所、食事、飲物、その他必要なもの全てを与えよ。彼等に然るべき栄誉と尊敬を伝えよ。何故ならば、彼等も人間であり、又汝等も又人間であるからであり、汝等全て同じ創造に拠る創造物なのである、正しい者も不正な者も。
162. 捕らわれ者を罵るな。汝等が敵に襲われて、自らの身を守らなければならない場合に汝等も又捕らわれ者となる。
163. 捕らわれた者を敬え。彼等に親切心、同情心、愛、尊敬をもたらせ。彼等に栄養、飲物、彼等が必要とするもの全てを与えよ。
164. 老いた者、幼い者、身体障害者を罵るな。異なった言語を話したり、異なった膚の色をした隣人を罵るな。如何なる気質及び種族であっても、老いていても幼くても、色が黄色くても黒くても茶色でも白でも赤でも青でも、又子供であろうが女であろうが男であろうが、敵であろうが味方であろうが、正しい者でも不正な者でも、知識を持った者でも無知な者でも、人間は全て等しいのである。
165. 人間は他者に諦属する者ではない。世襲隷民、奴隷、一軍隊の闘士として統率者に隷属するのではなく、支配機関及び支配者に隷属する民衆でもない。
166. 女性は男性に隷属する者ではなく、子供は両親に隷属する者でもない。男性も又女性に隷属する者ではなく、目雇い労務者や労働者も又主人に隷属する者でない。又、両親は子供に隷属する者でもなく、人間は神々や偶像に隷属する者でも、誘惑者や、聖職者やその宗教及び宗派に隷属する者でもない。
167. 人間は全て等しく、全て同じ権利を持ち、貧しい者も富める者と同じ権利を持っているのであり、又その反対の場合もそうである。つまり何であれ誰であれ、どの様であれ人間は全て等しいのである。人間や人間の生活様式と言った全てについて正しいか、或いは正しくないかを、何等かの形を取って2つの尺度で測ることは決してないのである。
168. まことに財産の有る者(有産階級)は、白分のパンを白由意志によって財産の無い者(無産階級)と分かちあうべきである。財産の無い者も財産の有る者も、隣人に強いるのではなく、常に正しくあって、隣人が助けを必要とするか、或る物質を必要とするか、問いかけの出来る体勢でいるべきである。
169. しかし誰もが、創造の法則や掟及び七元的秩序を実現しながら自分の義務を果たしていくべきである。つまり、誰もが自分に与えられた仕事を遂行して行き、誰もが教えを受け、進化し、創造の秩序を守っていくべきである。救いを期持し、救いを要求する居候や寄生動物であってはならない。居候や寄生動物に救いを受ける値打ちは無く、救いの手が差し他べられることは無い。
170. 人間達に教えを与えよ、とヤーウェは言う。地球上にいる創造の法則や掟に従わない者によって惑わされてはならない。何故ならば、こう言う者は故意に容易で不正な道を歩んでいるからであり、又間違った欲望、間違った喜び、間違った教え、渇望、不和、不快、復讐、悪、及び死を含めて、地球上に存在するあらゆる不正を常にもたらすだけだからである。
171. 彼等は創造の道からはずれた敗者であり、錯覚にのみ従い、ただ嘘を付き、偽るだけである。
172. まことに、多くの者は、邪悪な聞違い、嘘、欲望によって他者を惑わす。彼等は知識が欠乏している為に、又は本当は間違っていると判っていながら他者を惑わすが、他者は彼等の言いなりに成り、間違った道を歩んで行き、誘惑者の共犯となっていく。
173. 内密の不正と同じように、公然の不正も避けよ。それが内密であろうが公然であろうが、両方共間違いであり、どういった形であれ不正を行う者は、正義に反するのであり、それ相応に報いを受けることとなる。
174. そして又、創造の他に神々や偶像又は唯一の神を置く信仰という誘惑者によって惑わされてはならない。だが、汝等はこのような誘惑者の言いなりと成って、誘惑者の造り出した神々や偶像又は唯一の神の虜となり、汝等が創政及び創造の真実に至る道を見出す事は困難になるか、或いは全く出来なくなる。
175. 神や偶像は、自分達に対する隷属とへりくだりを要求し、暴力と強制を引き起こし、又不安と恐怖によって、堕落と奴隷化をも引き起こし、それは更に、自立した自主決定する思考と行動に、不自由と意志破壊をもたらす。
176. 汝等が誘惑者に従うならば、汝等は創造の他に神々や偶像を置くことになり、汝ら自身は不自由であり、不安と恐怖に満たされた状態となり、又誘惑者及びその神々や偶像に対して従順となるのである。体罰を加えられた犬が主人に対してこびへつらって従順である様に。
177. 何故なら不義者の道は、世のあらゆる害悪が敷き詰められているからだ。そこでは神々や偶像が誘惑者であり、そこには誘惑者や神々、偶像が刑罰を施行しないように戯れているが、それに対する不安、恐れ、驚愕が支配している。
178. 誘惑者、不正な者、神々や偶像は、彼等が作り出した偽りや、彼等の間違った法則や掟に反した考え方や行動に対して、残酷な罰を要求する。それによって信者お隷属者は不安や恐怖や驚きに陥れられ、罰と罰しか要求しないような様々な偽りや間違った諸力に反抗する勇気も無い。
179. 信者や隷属者に取って、知識や真実への道は彼等自身の考えによって妨げられている。これは彼等を束縛し不自由にしている不安や恐怖によるものであり、又誘惑者及び神々や偶像によるものであり、誘惑者及び神々や偶像は、自分達の間違った要求や権力欲が実現しない時には、苦悩に満ちた致命的裁きや、地獄のような劫罰によって威嚇する。
180.誘惑者及び神々や偶像を信じる者には、彼等自身の不安や恐怖が意識的に潜在していて、地獄のような裁きや苦悩を与えるぞと言って威嚇されており、それによって信者は自由になれないのである。
181.威嚇しているのは、誘惑者、その神々や偶像、宗派や宗教、その間違った法則や掟であり、信者の聖職者である。権力欲の有る者、利益追求者、軍隊の指揮者も又威嚇しており、人間による法則と掟に従って不実に支配、誘惑、圧迫、殺害し、霊や真の自由にのっとって民衆を支配、指導していない。又創造の法則や掟に従っていない民衆の支配機関も又そうである。
182. まことに死者は、真実に従って生きている者達の間で生きる事は出来ない。不正な者は正しい者となるまで、正義に到達することは出来ない。死者は、生きている者達の間で生きることが出来る為には、まず再生していかなければならない。
183. 人間は、生命や真実が放射する光の中で生きている場合のみ自由でありうる。真っ暗な闇のような牢獄の中で、つまずいて転ぶような人のみが不自由で、虜と成るのである。
184. 真っ暗な闇の中で、つまづいて転ぶ人達は、正しい者や創造に反して陰謀を企もうと考えているが、しかし彼等は自分自身に反して陰謀を企んでいるに過ぎないのである。しかし彼等はそれに気が付かない。何故ならば、彼等は愚かで盲目的で、臆病で、自分自身に対して意志薄弱だからである。
185. 誠に彼等は敗者であり、自力で自分自身に辱めや罰を与えている。
186. 彼等は、それ自体は罰を要求したり、罰を与えたりすることのない。創造の真実に従って生きようとはしない。人間は不正な行為や行動に対して、絶えず自分自身で罰している。それはウサギが落下してくるワシの威嚇的な影を無視して、身を隠す事の出来る洞穴に逃げずに、そのワシに襲われて殺されるのと同じである。
187. ワシは軽率なウサギを襲って殺すが、人間は自分の軽率さや間違った考え及び行動に対する制御が、彼の中で重荷と成る場合、自ら自分自身に裁きや罰を与える。
188. であるから正しい方向に進み、創造に適合した生活を送っている者には、心、喜び、愛、知識、叡智が広がっていき、そういった者が敵に襲われる事は無い。何故ならば用心深く、慎重であるからだ。
189. しかし、不正な方向に進み、創造に反して生活を送っている者は、その心は狭まり、喜びは小さくなり、愛や叡智や知識や真実も又小さくなっていく。
190. 真実の道、創造の道は、真実に従った道、正しい道であり、そういった道を歩む者は、創造の法則や掟に従っている。
191. まことに、人間にはみんな、その行いに従って様々な段階がある。しかし、全ては創造の法則や掟及び創造の七元的秩序によって規制されており、誰もが自分の段階及び自分の行いに応じて報いを受けるのである。
192. 誰もが、如何なる時にも、自分の段階や自分の行いに応じて、正しく、公平に報いを受けるのであり、誰もが、まことに如何なる時にも自分に相応しい分だけ、又自分の生き方や自分の行い、自分の考えや行動に応じて割り当てられた分だけ報いを受けることになっている。
193. そして誰も、自分の段階に応じて与えられる報いを、無に帰せしめることも、はねつけることも出来ない。何故ならば、創造の正義には矛盾は無く、優遇や冷遇も無いからである。
194. だから、人間は常に全力を尽くして行動し、全力を尽くして創造の法則や掟及び創造の七元的秩序を実現しながら行動していくべきなのである。つまり、人間は正しく行動し、自らの理性と能力によって常に最善を尽くすのであり、人間は真実に従って行動し生きるのであって、不正な存在ではないのである。
195. 多くの惑わされた者、無知な者、不正な者は、自分達が誘惑者及び神々や偶像に犠牲と祈りを捧げることが出来ると、又それによって偶像礼拝の罪から逃れられると信じている。
196. しかしまことに、彼等の犠牲も祈りも神々や偶像に向けられており、創造に対してではない。
197. 無知によって神々や偶像に犠牲と祈りを捧げる者は、自分がそれによって創造に達すると信じており、そういう者は、正に不正な者の一人なのである。何故ならば、その者は、神や偶像の虜となり、真実や創造を中傷するからである。
198. そうして不正な者は自分自身で審判し、自分自身で裁きを決め、自分自身で罰を定めるようになるのである。
199. 彼等の裁き、彼等の審判、彼等の罰は、創造や創造の法則及び掟に拠るものではなく、自らの采配によって、及び人間の権力自体によって選定されるのであろうし、違反行為や罪の重さによって判断される。
200.人間は自分自身の支配者であり、人間は自分の人生を決め、独自の采配と責任で自分の人生を裁いていき、自分で自分に罰と裁きを科していくか、又は自分自身を見放す。」
201. 更にヤーウェは語る:「人類よ、自分の能力に従って、自分の理性に従って、自分の分別に従って行動せよ。汝等が行う生き方に対して、どんな最終的報いが有るかを知れ。
202. だが見よ、正しい者には良い報いがあり、不正な者は不幸となる。
203. 汝等は、果実や農作物や動物を、汝等の神々や偶像に犠牲として捧げる。汝等は、パンや人間や、汝等の財産を捧げる。汝等は早口な祈りと共に奉納を行い、それによって汝等の神々や偶像に救いと慈悲と恵みを期待する。
204. しかし神がいつか汝等の言うことに耳を傾けたり、汝等に救いや慈悲や恵みを与えたりすることは無いであろうし、偶像又はそれ以外のものが同じ事を、又は似たような事をする事は無いであろう。何故ならば、神々は、利益と権力のみを追求する独裁者であるからであり、偶像は、如何なる力も権力も持たない死んだ礼讃用悪霊で、聖職者等によって利己的及び科益追求的な目的のために利用されているからである。
205. つまり汝等は、自分達の栄養や自分達の動物や自分達の財産を、意味も無く、期待を裏付ける可能小生も無いままに捧げているのであり、それと共にただ迷信的な礼讃を行っているが、彼等は殺害を行っているのであり、人間の生命やその他の生命を破壊しているのである。
206. 見よ、地球の人間よ、汝等が正義と真実によって生きるならば、汝等は創造のみを尊敬し、創造のみに祈りを捧げる。創造は霊であり、汝等自らの中に在るごく小さな一部でもあり、汝等は汝等の中の創造の霊の一部に、及び汝等自身に祈りを捧げることが出来る。
207. 創造が、何等かの点で神々や偶像と類似していることは決してなく、又創造は自分自身に対する礼讃的行為に対する法則や掟を出したことは無い。そして又、創造は何等かの形で創造に犠牲を捧げるための法則や掟を作ったことも無かった。
208. 創造は、何物にも左右されず、公平で、偏見を持つことも無く、自らの創造物に対する要求も持たず、創造のみが創造者であり、生命及び法則や掟及び七元的秩序を実現するものである。
209. つまり、創造は何等かの形を要求することも無く、自らの創造物に、自分に対する施し物や犠牲を求める事も無いのである。
210.創造は犠牲を必要としない。犠牲を捧げるということは、創造の秩序に一致しておらず、無意味に生命や栄養や財産を破壊したり、人間の礼讃が悪化することによってそれらを浪費したりするにすぎないのであり、そして又、不安と恐怖から恭しく服従することを目的とした、人間による間違った証明及び間違った誠実さとして効果を発揮するに過ぎない。つまり、如何なる形でも犠牲を捧げるべきではないのである。
211. 犠牲を捧げるということは、創造の法則や掟及び創造の七元的秩序に対する違反であり、創造は、生命や財産や栄養を何等かの形で破壊、殺害、浪費することも許可していない。
212. 創造は、調和及び愛に関して中立的である。創造は何物にも左右されず、偏見を持た、あらゆる生命及び自らの創造物に対して何の要求も持っていない。創造によって示されているのは、教示、法則と掟、及び七元的秩序であり、それらは、全ての生命体が正しい生き方をしていくための基準と道標を全て含んでいる。全ての生命体は、独自の自由な意志によって、自分の生きていく道を決定していく。
213. たとえ創造の法則と掟に関して、生命体に何等かの要求をするような事が示されていないとしても、現実はそうなのである。「汝等は、尊敬、崇拝、施し物、犠牲を何等かの形で示すべきだ」とは、人間に要求していない。何故ならば、創造が何等かのことを要求することは無いからである。良いことであっても、悪いことであっても。
214. しかし、人間が創造に畏敬の念や尊敬や敬意を与えるのは、人間の自由であり、人間に、及びその他の全ての生命体に帰せられることである。
215. 創造への呼び掛けや祈りや尊敬を行うのは、人間の自由意思によるものである。人間は、意芯疎通を図りながら真の生命の持つ力に、つまり、自分自身の中の創造の霊の一部に直面していき、創造の霊の一部は、この様な祈りに拠って呼び掛けられ、話しかけられながら、真の知識や愛、叡智、真実によって、形作られていく。
216. 即ち、その様な祈りに拠り、人間の内面の中に、更に優れた感情と確信が生じる。そうして彼は、希望を抱き進化するのである。祈りに拠って話しかけられた人間の中に在る霊の一部分の力は、自分自身には無意識の内に、自己の力(能力)を展開させ。進化の力とインパルスを与えるのである。それによって人間の願望や希望は成就されるのである。
217. 即ち、創造の力、人間の中に在る創造霊の一部、物質意識、物質的無意識そのもののいずれかに祈りがなされるなら、人間の中で有効な力が自ずと活発になり、作用がもたらされるのである。
218. 祈りが創造に対して向けられようと、物質意識体そのものに向けられようと、それによって人間の中に在る創造の一部が、間接的に話しかけられ、活発にされる。創造霊の一部は、人間の良い希望や知識によって活発となり、霊はその力によって真の援助を人間に与える。
219. 即ち祈りは、直接霊に向かって為されようと、物質意識体に向けられようと、人間の中に在る霊の一部に向かって為されようと、同じ価値を持つのである。人間の霊は、創造その物のほんの微細なるものであるから、人は創造による霊的エネルギーの力を自由に処理するのである。その力は、万象において中立であり、均衡が取れて、決して別の形に変形することではなく、創造そのものである霊的エネルギーも人間の中に在る創造霊の一部も又そうである。
220. だから創造は、創造に向かって祈らねばならないことを、決して強要したり命令したりはしないといっている。何故なら、一般に創造霊に対する崇拝、又は全創造の一部である人間の中に在る部分霊は、唯人間の意志と裁量、そして理解と悟性の中に置かれているからだ。だからそれら (人間の意志ご裁量、理解、悟性) が、祈りは人間とその進化に取って優れた効果的な援助手段であり、希望でもあり、願望の満たしであり、確実さであり、安全性であることを知っているべきなのである。
221. まことに祈りは人間に知識と真理の確実さを与える。そして彼は、真の真理の中を歩き、真実の形で祈りを捧げるのである。
222. 創造、物質意識体、又は、人間の中に在る霊を崇拝する祈りを、謙虚、臆病、不安、恐れの形で捧げることは出来ないし、又その様には決して出来ないのである。何故なら、そのように誤った形で祈りが為されると、人間の道徳が衰えるからである。つまり、霊的エネルギーの力に対する確信と信頼が衰弱するのである。
223. 創造と人間の中に在る霊の一部分も、謙虚、卑屈、不安、恐れを要求していない。何故なら、人間はどんな形においても、自由であるべきだ。だから人は、臆病になる必要も恐れる必要も無いのである。
224. 創造、物質意識、又は人間の中に在る霊に対して礼拝が為される時、その礼拝は忠誠の誓い、懇願して得ること、称陽であっては成らず、真の形の畏敬、尊敬、敬虔、請願による賞讃のみであるべきです。
225. 貴方がたが祈りを捧げる時には、宗派や宗教信者、異教徒やその他の神の従者や偶像礼拝者のするように、機械的に祈祷の文句を唱えてはいけない。彼等は卑下した礼拝を捧げ、その祈りは際限の無い同じことの繰返しであり、神々や偶像の名を呼び、理性的でなく、首尾一貫していない。
226. 義人、知識人として貴方がたが祈りを捧げる時には、その言葉と真理において明確であり、意義深く、首尾一貫したものであるべきである。
227. そうして貴方がたは祈り、自由意志と自由感覚により祈りを捧げ、自ら理性的なことを語り、論理的な祈りを形成するのである。又、貴方がたは一般的な目的を定め、進化と公正な生活のために定められた祈りを用い唱えるのである。
228. 貴方がたは、祈る時には敬虔な祈りを捧げ、知識と愛において公正で真実な祈祷であるように注意しなければならない。だから正しい言葉と正しい形、祈祷奉呈を選択するべきである。
229. 貴方がたは祈る時に、誠実に祈り、偽善者のようにならないように注意すべきである。彼等は不義者であり、家々の片隅や通りや路地に好んで立ち、祈る。彼等は、隣人の前で利己心と人望がある様にひけらかしたいのである。そして彼等は、新しい信奉者を獲得し、利益を得るのである。
230. まことに、貴方がたは祈る時、創造の全能に呼び掛けるべきである。それは創造霊の全能であり、霊と人間に在る物質意識体の全能である。
231. 貴方がたは、祈りにおいて我欲があってはならず。無知な者のように悟性もなく、恭順であってはならない。彼等は偽善者であり、不義者であり、多くの言葉を無意味に語り、謙虚に又は命令して懇願すれば、彼等の祈りが偽りの神々や偶像に聞き入れられると思い込んでいる。
232. まことに創造の霊は多くの言葉を必要としない。又霊も、人間の中に在る物質意識体も、そうである。だが霊は威力に溢れ、偉大で、その能力は無限であることを知る必要はある。その力により人間は真に山をも、或る場所から或る場所へと動かすことが出来るのである。
233. 直接霊の全能に祈ることが理解出来なければ、貴方がたが準備し集中出来るような或るもので間に合せなさい。そうすれば貴方がたは思考のための道、霊の全能に至る道を見出す。
234. しかし援助手段としてあるものを正しく理解せよ。何故なら、まことにそれは単なる集中の為の援助器具であるにすぎないからだ。それはそれ自体に何の力も所有せず、貴方がたと霊の全能の間には、仲介者も誰もいない。何故なら、援助器具は常に援助器具にすぎないからだ。
235. 決して礼拝、宗派、宗教、聖職者のようであってはいけない。又不義者、偽善者、無理解者、無知なる者、我欲を持つ者と等しき者であってはいけない。彼等は援助手段を礼拝の対象や聖遺物に高めたり、礼拝援助手段の中に、霊の全能が住んでいるという誤った信仰を持って、それらを崇拝している。
236. 援助手段や聖所を使用しても、霊の全能は耐えず潰方がた自身の内に住んでいることを知るが良い。それは創造自体の中にも与えられている。創造は霊自体であり、霊は創造によって造られた全ての生存するものの中に存在している。
237. だから貴方がたは、知識人であり、義人として祈りを捧げるのだが。自分の祈り、又は一般的な価値を持つ祈りは、一貫した祈りであるべきである。即ち、
238. 我が霊よ、汝は全能であり給う。
239. 汝の御名が崇められ
240. 汝の御国が我に啓示され、
241. 汝の力が我が内で発展し、地上においても霊領域にあっても均衡の取れた進化をし、働かんことを。
242. 我が地上において、又霊的にも必要とする日々の糧を、今日も我に与え給え。
243. 我が過ちを我に認識させ。それを取り除き給え。そして真理、愛、知恵、知識を我に認識させ、学習させ給え。
244. 我を誘惑と混乱に対抗する力で満たし給え。即ち、誤謬から救われる力を我に与え給え。
245. 我は汝の法則と掟によりて生きる。何故なら、霊と生命と御国は汝に在りて、力、知識、真理、知恵、愛は、永遠に汝のものなればなり、そうであり給え(アーメン)
246. 貴方がたが、創造の霊又は創造霊の一部分、又は貴方がた自身の内に在る物質意識体に向けて祈りを捧げれば、貴方がたはただ一つの力に向けて祈るのである。何故なら、創造の霊は、創造自体により、創造のあらゆる被造物の中にあり、即ち、人間の中に在るからである。
247. 貴方がたの祈りが、創造の霊そのもの、又は貴方がたの内に在る霊、又は貴方がたの内に在る物質意識体に捧げられるなら、貴方がたは必要なものや祈って求める物を与えられるであろう。そのように、貴方がたがその為に真に祈り、真の知識を持っているならば、貴方がたは受け取るようになっているのである。
248. 貴方がたが、もし知識人でなく、力や霊は貴方がた自身の内に住むのではないとか、創造は真実ではなく、全ての生物の中に住まず、人間自身の内に住む創造霊の一部分とは性質を異にしていると言った、誤った教えを信じる者であるなら、貴方がたは無知で誤った神々や偶像、又は、他の形をしたその他の創造に反する信仰のしもべ達の奴隷と成るのである。そうして貴方は、霊を無効にした欠乏と知識の無い無知の中に生きるのである。
249. 誤った信仰を持って処置をしたり、生活している人々もいる。彼等は目的に背いた援助手段、聖遺物、聖所そして神々や偶像を、倒錯して信じる事によって乞い求め、懇求するものを彼方此方で受け取っている。しかし彼等は、その時、頑強で倒錯した信仰からのみそれを受け取るのであり、即ち、それは霊に反する強制暗示に拠るのであり、彼等には実際の真理に関する知識は無い。
250. まことに、真の真理と真の知識に生命を招集する者だけに幸いあれ。何故なら、彼等のみが誠実に創造の法則と掟を成就させ、真実の愛と真理をもって受け取るからである。
251. 創造は誠実であり、成就である。全ての生命は創造に従って性質が与えられている。だから人間も、独自の自由と誠実さを持ち、彼の内にまどろむ素質のみを達成させなければならない。素質は、創造の法則と掟によって与えられているものである。
252. 即ち人間は、その最内奥において創造に等しく、いわば霊に等しくすべきである。だから人は、外面的にも自己を霊に等しくし、外見においても創造の法則と掟を成就出来なければならないのである。」


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004


第21章

 1. 賢者、義人である創造の名において。
 2. 創造に讃えあれ。創造は平等である。
 3.ヤーウェは予言者に向かって語る:「人間に創造の報酬が平等であることを教えよ。」
 4. 決して創造を2つの秤で計ってはいけない。又、万物に対する報酬の評価をしてはならない。
 5. 従って人は、どんな万物であろうと、その報酬によって決して2種類の秤を用いては成らないのである。
 6. 人間に対する創造の報酬は平等である。であるから人間は、創造の法則と掟に、如何なる正義を尽くしても従うべきである。そこに公正さと、真面目に人間の能力と力の最善が見られるなら、その多少に拘らず創造の報酬は等しい。
 7. 或る者は隣人より進化し、能力、力量、知識においてもより優れ、創造の法則と掟に従っている。一方、他の者はそれ程進化しておらず、その能力、力量、知識においても乏しい。
 8. しかし知識、能力、力量において優れている者も、劣っている者も、真面目に、真実に、法則に忠実に公正に努力していれば、両者はそれぞれ知識、能力、力量に応じて最善を尽くしているのである。
 9. そうして最善が尽くされ、平等の努力がなされる。従って、創造からも平等の報酬が与えられるのである。たとえ業績に多少の相違があるとしても、平等の努力に対しては一方が優れ、他方が劣った報酬を得るということは無い。
10. このように、創造は公正に、等しい努力に対して平等の報酬を与えるのであるから、人間も同様に処置すべきである。
11. すなわち創造は、業績に対して報酬の区別をするのではなく、ただ努力の相違を見るのである。従って、人間も同じ様に処置すべきである。
12. 又、人々の中には、他人に雇われている人もいれば、一人のために、又は多くの人のために、又全ての人のために働いている人もあり、逆に全ての人、又は多くの人が、一人の為に働いている場合もある。
13. 人はその進化、肉体、感情、学習、思考、処置において相違があるように、たとえ最善の努力をしたとしても、仕事を遂行する際、その業績にも相違がある。
14. しかし最善の努力に対しては、公平で平等な報酬が与えられるべきであると、創造の法則と掟は語っている。従って、最善の努力に対して、一方が他方より多い報酬が支払われてはならない。
15. 仕事に対する専門知識を持たぬ日雇い労務者も、王や皇帝と同じ報酬を得るべきだとはっきり語られている。両者は仕事を遂行するため、最善の努力をしているのだから。
16. 故に人の報酬は、働きや仕事の内容によって異なってはならない。まことに、どんな仕事も、その報酬を受けるに相応しいので、報酬は努力に従って計られ、業績に従ってはならない。
17. 従って、荷物運び人も山羊飼いより多くの報酬を得るべきではないし、皇帝も日雇い労務者より多くの報酬を得てはならない。又人民指導者も、農夫や客寄せをする者より多く得てはならない。
18. 従って、山羊飼いが最善の努力によって、10時間の労働力の報酬として1ロート(15g)の銀が支払われるなら、皇帝や日雇い労務者、人民の指導者、靴屋、又最善の努力を払い、10時間の仕事又は働きをした者は誰でもその仕事に払った最善の努力に対して、それと等しい報酬を受け取るに相応しい。
19. 同様にこの規則は、物質的に富んでいる者に対しても有効である。彼等の報酬も、物質的に乏しい者や、資産家に雇われている者より、多いものであってはいけない。
20. この規則は、全ての人に平等に当てはまる。真理を教示する者、予言者、霊的指導者、人民の指導者、芸術に励む人、又仕事を遂行し最善の努力を払う全ての者にも。
21. 創造は公正で平等である。故に人間もそうであるべきである。日雇い労務者や山羊飼い又は靴屋も、人望と誉れ、尊敬、あらゆる権利と義務において、又全ての仕事に対する報酬においても、王や皇帝と同じであるべきである。たとえ肌の色が褐色であろうと、白色、赤色、黄色、黒色、青色であろうと、又良い教育を受けていようと、悪い教育を受けていようと、たとえどんな教育を受けていても、全ての人に相違なくそれは平等であるべきである。」



第22章

 1. 創造、賢者、義人の名において。
 2. 創造に讃えあれ。創造は正しさである。
 3. 「人間を教え。諭しなさい。そして彼等に公正な評価の仕方を教えなさい。」とヤーウェは予言者に向かって言う。そこで予言者は語る。
 4. 「創造は或る事柄において、その被造物に対して強制も脅迫もしない。従って被造物は、独自な自由裁量をし、全ての点で自由に処理をしている。
 5. 従って人間も、或る問題において、創造による強制も脅迫も受けず自由であり、その思考、処置等全ての点において、責任は自分自身にあるのである。
 6. 創造は、誰の思考、処置であろうと、人間に判決を下さないと言えるのである。
 7. 創造はたとえ何が襲いかかっても判決を下さず、刑罰を求めず、ただ物事を評価するだけである。
 8. 故に判決は、暴力と強制に拠り生まれるもので、それは刑罰と結び付いている。
 9. 評価は物事の正しさのみを生み出し、それに応じて基準が生まれる。それは結果として生じた欠損と、犯された過ちを取り除く事になる。
10. 従って基準は、創造の法則と掟に従って計られ。決してその基準に拠って何かの生命体が傷つけられたり、その肉体と思考と霊の自由が、一部又は全く失われるようであってはならない。
11. 従ってどんな人間でも、他のどんな生命体も、判決による不利を与えたり、刑罰を加えてはならない。これらは一部又は全面的に、肉体と思考と霊の自由に影響を与えるものである。
12. 判決は、暴力と強制に拠る見解を意味する。それは全体的に創造の知るところでは無い。従って評価のみが正しいのである。それは物事の正しさを明確にするものである。
13. 人間に評価による処置が施されねばならない時、それは創造に適ったものであるべきである。即ち、人間は決して肉体、思考、霊、又はどこかに障害を被ってはならない。
14. 所与の秩序に逆らい、法則や掟に反して生きる人間によって、過ち、罪、損害すら生じた場合、彼らが悪行に対して自己を評価に順じさせるなら、評価によって義を正しく行使することが出来る。
15. 正義ある評価を下す時、同じく正義ある処置が取られねばならない。
16. 人間は、評価の処置によって、その肉体自体と思考と霊の自由が損なわれてはならない。殺人、専制的権力行使、暴力行為等の罪を犯した場合には、唯一の処置が取られる。それら全ての行いは無価値なものであり、過ちを犯した者は、一生涯人間社会から分離される。
17. そのような処置を遂行する履行地が作られるべきで、そこは人間の住居地帯から遠く離れた所であるべきである。そこには、監視人や警備員や、執行者による牢獄も苦難も暴力も強要も無い。
18. 処置を履行するために、島や惑星のように最も遠く離れた場所があるとよい。そこからは犯罪者は一人も脱出出来ない。しかし彼等には、学習と肉体的、霊的、思考の自由が得られる、あらゆる可能性が与えられている。
19. 又犯罪者はその処置の履行地において、あらゆる学習と公平な生き方において進化活動が出来る為に必要な手段が、全て与えられるべきである。又彼等は、その措置、履行地にあって、食物の栽培と育成、宿、薬、その他の必要な一切のための労働に加担させられる。
20. 又そのような処置履行において、次の点に注意しなければならない。即ち男性と女性は分離され、女性には女性の履行地が、男性には男性の履行地が与えられなければならない。
21. こうして女達は、人里離れた措置履行地で過ごさなければならず、まず彼女等は、新しい肉体生命(受胎)を問われるのである。いずれにせよ処置が施されてから、履行地でまず9か月過ごさねばならない。それは措置履行地で子孫が生まれないためである。
22. 犯罪者の子孫が罪の無い人間社会の中に生まれてしまったら、子供達はその社会の教育と生活に順じる。子供は犯罪者の家族内、又は適当と思われる領域で、国民の保護を受けたり、里親又は代わりと成る両親に育てられるべきである。
23. 犯罪には成らず、僅かに財産を使い込んでしまうような軽い違反で、銀70ロート分の価値を越えない場合、肉体と生命に害が及ばず、損害の価値が銀70ロート分を越えない違反の場合、処置が施されるが、それは評価の処置によるべきである。従って第一の場合には訓戒が為され、第二の場合と同様又は他の違反が繰り返された場合、人間社会から分離される処置が取られ、措置履行地に7年間留まらねばならない。犯罪者と同じ形であるが、履行地は特別な場所であって、犯罪者の場所と同じ場所ではない。人間社会への復帰は、7年後に可能となる。復帰者が所与の秩序に順応するしないにかかわらない。3回目の違反は犯罪者とみなされ、その者は、犯罪者のいる措置履行地で一生涯過ごさねばならない。
24. 評価は不義をもってしてはならず、判決であってもならない。又評価は、判決を下す哉判官によって為されてもなら無い。それは創造の法則と掟に反するものである。
25. 評価を下す者は、創造の法則と掟を公平に果たしている国民の一人によりなされ、彼等は、評価毎にくじ引きに拠って選ばれ、その時々に新たに選ばれるべきである。
26. 故に選ばれる者は、公正で偏見を持たず、評価される者と関係があってはならない。又彼等は法則と掟に従って評価されるが、裁きや判決は受けておらず無党派であるべきである。
27. 従って貴方がたは、如何なる場合においても、公平な正しさを持ってただ評価をするのみであって、決して裁いたり、判決を下してはならない。
28. 即ち貴方がたは、いつか裁かれぬために、又罪を負わないために裁いてはならないのである。
29. しかし貴方がたが創造の法則と掟に背き、裁くなら、たとえどんな公判で裁いたとしても貴方がたはいつか自らの持つ独自の力によって裁かれるのである。
30. 従って次のことを考慮せよ。どんな秤で計られようとも、自らによって、又創造の原則により、又隣人により、再び計り返されるのである。
31. 万物、万事を、自然の法則の持つ論理に従って評価せよ。それは創造の所産である。又それのみ創造の真理と有効性を所有しているのである。
31. 故に、他人の目の中のチリを見てはならないのである。それによって、貴方は自分の眼の中のチリには気付かないのである。
33. 従って、他人の目の中のチリを引き抜く努力はするべきではないのである。一方、貴方の目の中のチリが貴方の目先を効かなくするなら、貴方は隣人のチリを掴むのではなく、彼の目をえぐり出すのである。
34. 貴方が隣人の目の中のゴミを見、自分の中のチリに気付かないならば、貴方はただの偽善者なのである。だからまず第一に自分の目の中のチリを取り除き、痛みを治してから、初めて貴方は隣人の目の中のゴミを、彼に痛みを与えず取り除けるのである事を知るが良い。
35. 即ちこれは、貴方が何か或るものに対する評価をする前に、裁ばかず、判決を下さず、隣人の欠点を見る前に真理の認識によって、まず創造の法則と掟に注意することを学び、即ち、自然の法則と、その論理を学ぶべきであるという事を言っているのである。
36. まず自然と創造の法則と掟の中で、貴方自身の欠点を認識し、取り除くことを学びなさい。そして初めて、真に貴方は隣人の欠点を知り、彼にどうして自分の欠点を自ら取り除かねばならないかを教える事が出来るのである。
37. 従って貴方がたは、誠実さと公正さにおいて目覚め、自分自身と隣人のために、自由と知識、又愛と知恵を守りなさい。聖なるものを犬に与えないように。犬は口にあったものなら分け隔て無く貪欲に食べ尽くすからである。
38. 真理、愛、論理、自由、知識、知恵、又正義と創造の法則と掟に従うことは、広大無辺な最善の宝である。それは真珠と同じ価値を持っている。豚に真珠を投げてはならない。豚の足でそれが踏みにじられ、豚が貴方がたに刃向かい、貴方がたが引き裂かれないためである。
39. 即ちこれは、貴方がたの霊的な財産と意識の宝を不潔な所に投げ、それに値しない者に浪費してはならないということである。何故なら、彼等は貴方がたに感謝せず、貴方がたを引き裂いてしまうからである。彼等の悟性は小さく、意志の力も弱いからである。
40. であるから貴方がたは、或るものを評価し、真理を見るのであるが、その時、誤った希望や感精を抱いてはならず、正しい義を持って評価し、正しい処置基準を持って評価すべきである。誤った評価と処置を求め、不正なる負債者や他の不義なる者によって踏みにじられ、引き裂かれない為である。
41. 裁かれぬ為に、裁いてはならぬ。そうではなく、正義を持って評価せよ。そうして貴方がたは義なる者と成り、貴方がたに繁栄があるように。
42. 自然の法則と掟の正しさに注意せよ。それは創造の法則と掟である。こうして貴方がたは、法則と掟に順じて生き、公正に正しく生きるのである。
43. 負債者や過失者には、或る事実があり、彼等は次のことを証明しているのである。即ち、法則と掟や所与の秩序に対する違反行為や処置は、病的な形で霊的混乱を伴って行われているのである。だから過失者や負債者は、病気が治るまで療養所で過ごさなければならない。それから彼等は人間社会に復帰するが、保護のもとに生活を送るのである。
44. 負債者や過失者による行為が、麻薬や麻酔剤と成るあらゆる種類の果物、穀物、植物、発酵、煎じ出し、絞りだし、掻き落し、精製により生産された手段に拠る、霊的影響を受けたものであるなら、彼等に耐する寛容の余地は無い。何故なら負債者や過失者は、麻薬や麻薬剤を享受することによって、既にそれだけで負債を負っているからである。それらの薬剤は、意識と霊的進化を妨げるのである。従ってその事でも創造の法則と掟に反し、肉体と生命に逆らう破壊である。
45. 即ち、創造の法則と掟によって与えられていることであるが、最も重い責任と処置が行われるのは、肉体と生命又は全財産に対して、大いなる違反行為処置が取られた場合である。それは自分自身に対しても、隣人の行為に対しても同様である。
46. 従って、麻薬や麻酔剤の享受に対しても、それが健康維持や回復、又はその他の治療過程の手段として用いられないで、隣人に与えられたり、人に使用されるなら同様なことが言える。
47. 不注意に罪のある行為処置が取られた場合、その処置は7年間の措置履行地滞在となる。
48. 堕落した感情的動機により、罪有る行為処置が為された場合、その処置は一生涯の措置履行地滞在となる。
49. 過失、悪ふざけ、冗談により罪有る行為処置が取られた場合、その処置は一生涯の措置履行地滞在となる。
50. 隣人の自由な生活方式や進化を妨げる行為処置は、いずれも罪となる。従って処置は一-生涯措置履行地に留まることとされる。
51. 21日以上経った未誕生の生命を殺害し、殺すことは罪である。その処置は一生涯措置履行地に留まることとされる。
52. 又あらゆる生命と肉体、人間、あらゆる種類の生物、そして自然に対する悪事は、いずれも罪となる。その処置は一生涯履行地に留まることである。
53. どんな種であろうと、肉体と生命、空気、河川、天、地、何かの生物、人間、植物、樹木、惑星、感精、思考、存在する全てのものに対して、汚染と破壊を引き起こす者は、やはり一生涯措置履行地で生活する処置が取られる。
54. 罪人と過失者、その援助者、又その援助者に対する処置も、平等で相違が無い。何故なら、違反の行為処置が直接的にしろ間接的にしろ、一人の人間に拠ろうと、多くの人間によるものであろうと、罪又は過失の基準は同じだからである。
55. 又貴方がたは、問題の評価に従って処置を決定すべきである。しかし、公平に決定が為され、それは正義と相対的なものであってはならない。
56. 正義ある評価は、あらゆる査定の全体基準 あり、それのみが正しい。従って決して判決を下してはならない。それはただ暴力と強制を具現しているだけである。それは昔復讐を実行するために、人間によって発案されたものである。
57. 即ち判決は、事実、復讐を要求し、復讐を行使することである。それは調和の統一を分かつものである。従って人間に判決が下される事、それは復讐である。それは創造の法則と掟の持つ権利の一部を取ることになる。
58. ある事物が、評価により真の価値が発見される時、それは唯一の正しき義である。そうして同じ処置が区別無く万事に、その価値に組み込まれるのである。
59. そして正しい義の評価は、同様で相違が無いとされる。即ち、万人にそして全ての生命に有効である。
60. 一人の人間に、或る問題の評価が為され、それから処置が取られ、それが必須の処置である場合、それは万人に取っても決定的で相違無く一様である。
61. 評価により取られる処置は同じ基準であり、区別が無く、万人に有効である。即ち、無資産の者にも有産階級の者にも、山羊飼いや王、水運びや教える者にも有効である。又あらゆる膚の色をした、あらゆる仕事を持っている万人にも、老いも若きにも、全ての階級にも有効である。
62. 偏見、党派性、所有欲、強制、暴力等により、誤った評価をした場合、その者は罪を負い、一生涯処置が履行される地で過ごさなければならない。
63. 誤った証言をし、そこから誤った評価が生じたり。又財産や自然、又は肉体や生命に損傷が生じた場合、その者も一生措置履行地で過ごす処置に組される。
64. 契約違反はいずれの場合も罪となる。即ち、国民間の同盟違反、又夫婦間における契約違反や、2つの、又はそれ以上の党派間の契約違反は、それらがどんな種類のものであろうと、それに対する処置は一生涯措置履行地に留まる処置が取られる。
65. 契約違反が罪であるように、背任や約束違反の罪となる。従ってその処置は、措置履行地で一生涯過こすことである。
66. 寄食主義、寄生主義、強盗、恐喝、又同種の無価値に対しても、一生涯措置履行地で過ごす処置が取られる。
67. 偽り、貪欲、嫉み、悪徳、憎悪、嫉妬、又はその他の感情的な無価値、隣人に対する偽りの言葉、隣人に邪悪ないやがらせをすること、自己防衛的刑罰の執行、私的制裁、又は同様な事柄、それらは過失事項とされ、その為に定められた3通りの処置によって手段が取られる。肉体や生命又財産に損傷が生じた場合には、一生涯措置履行地で過ごすという処置が取られる。
68. 評価によって立証された自己防衛は、いずれの場合も処置執行を免れる。何故なら、その場合は、自分や隣人の生命、自分や隣人の肉体、自分や隣人の財産を守るために正当防衛処置を取り、攻撃や強奪していく人間の肉体又は生命を殺傷するのであって、その者は、真実の正当防衛が成り立つ場合、罪から免れる。
69. いずれにせよ、隣人の肉体や生命そして財産が、攻撃者の攻撃暴力により肉体と生命が脅かされた場合、防衛のために暴力を行使して生命が守られる場合のみ、正当防衛が成立する。
70. 直接生命又は肉体の危険に襲われること無しに、正当防衛は決して成立しない。従ってその時は、自分又は隣人の肉体や生命が危険に曝されるであろう。




第23章

 1. 創造、賢者、義人の名において。
 2. 創造に讃えあれ。創造は認識である。
 3. 「人々に教え諭しなさい。」ヤーウェは予言者に語る。「全ては人間の生活態度によって、形造られる事柄にのっとって、目安とされる。」
 4. 貴方がたはいつも欲すること、又はして貰いたいことを与え、してあげるようにと教えられている。何故なら、それが原因と結果の法則であり、それが予言者の言葉であり、ヤーウェの言葉であるからである。
 5. だから貴方がたが善を欲し、愛されたいのであれば、善を施し、愛を与えるが良い。だが、その為に貴方がたは、狭き善の門より入り行かねばならない。
 6. 狭き門より入れ。何故なら、門は広くても道は狭く、その道は堕落と破壊の道に至るからである。そして多くの者が、その破滅の道を歩いているのである。
 7. 生命と知識、真理と知恵と愛に至る道は狭く、その門も狭められている。そしてその道を探す者も僅かである。
 8. 又貴方がたの間には、偽の教師がいる。そのような人々に警戒しなければならない。彼等は偽予言者、聖書識者、宗派の大家、宗教代理人である。又その他あらゆる種類の悪漢がいる。彼等は羊の衣を着て貴方がたの所にやって来るが、心の中は荒々しい狼のように、いつも貴方がたを引き裂く用意が出来ている。貴方がたに神殿、神々、偶像、神像、誤った教えの前にへり下るように説くためである。
 9. 詐欺師や誘惑者による偽りの邪教は、いかがわしく淫らである。即ち、そこには甘いそそのかしと誘惑があり、喜び、幸福、栄光、平和、富、永遠の生命を約束する。
10. そのように話し勧誘する偽予言者、詐欺師、嘘付きは、ただ口先だけである。彼等はへつらいの言葉と約束をもって、貴方がたにお世辞を言っているのである。
11. まことに、真の真理は別である。又まことに真の予言者も別である。又真の霊的指導者、慈善家、義人も同様である。
12. 真理の言葉は厳しく不義者に的中する。真の予言者は昔からそうである。順番から言っても、最後には今日における予言者もそうである。
13. 従って真理の言葉はきついと言われる。それは厳しい表現と言葉で予言者によって伝えられる。従って真理の言葉は甘く誘惑的な勧誘も無く、いかがわしくはない。啓蒙的で的中し、全てを赤裸々に曝しものにする。それは真の真理に相応しい。
14. だから、偽予言者や宗派指導者やそれに類する者のところに貴方がたの幸せを求めてはならない。彼等は貴方がたにお世辞を言うだけである。そうではなく、真の予言者、真の指導者に幸せを求めなさい。貴方がたに創造の法則と掟に厳しく遵守するよう努力を要求する。
15. 羊の衣を着た荒々しい狼に警戒しなさい。何故なら、貴方がたを引き裂こうと狙つているからである。だから貴方がたは、彼等の差し出す実で彼等を見分けなさい。即ち、その実が甘くて誘惑的であるか、又は厳しく啓蒙的で的を得、栄養を含んでいるかで、見分けるのです。
16. 貴方がたは、その実で彼等を見分けるがよい。貴方がたは、いばらから葡萄は摘めないこと、又アザミからイチヂクは収穫出来ないことを知るであろう。
17. 従って貴方がたは良い木を植え、良い実を収穫したかつたら、それが健やかに成長した時に、初めて収穫が得られる事を知るが良い。
18. 木を植えたら、それが健やかに育つように労りなさい。何故なら、良い木は悪い実を結ぶことは出来ないし、腐った木は良い実を結ぶことが出来ないからである。
19. 従って貴方がたは、目を醒まし、木をその実で見分けなさい。何故なら、良い木は悪い実を結ぷことは出来ないし、腐つた木は良い実を結ぶことは出来ないからである。
20. 用心して木を見分けなさい。木は愛に満ちた労りと苦労によつてのみ良い実を結ぶのであり、愛を込めた養育をせず、苦労を惜しむなら、その木は病んだ実を結ぶのである。
21. それ故貴方がたは、木をその実で見分けなさい。即ち、真実の教え又は誤つた教えをもたらす者、又は偽の予言者や義人も同様にしなさい。
22. 貴方方の中で、そのようにする者は、その家を岩の上に建てる者と同じように賢い者である。集中豪雨が降り、水が出、風が吹き、頑丈な家に突き当たっても、それは倒れず、風にも水にも災害にも耐える。何故ならその家は岩の上に建てられ、しっかりとそこに固定されているからである。
23. しかし、そうしない者は、その家を砂の上に建てる愚かな者に等しいのである。集中豪雨が降り、水が出、風がその家に突き当たると、その家は崩れ倒壊し、押し流されてしまう。何故ならその家は、砂の上の緩い地盤の上に建てられているからである。
24. だから、賢者のように行いなさい。彼は、聞き、傾聴し、思考し、感じ、全てのことを自分自身で良く熟考し、探求せずにそれについて語ったり、自分のものにしない。そして彼は、論理的になり、真理を見つけ出す。それから彼はその真理を、求める者に忠告として提示するのである。
25. 木は年月を経て、花を咲かせ、その花から実が結ばれるまでに長い間、嵐、雨、雪、日照り、風に耐え。成長の苦労を味わう。
26. このことから、人間も狭き門より生命に至る細道を探したら、その道は長く、苦労して真理を学習し、成長し、偽りと敵視に対する戦いを克服しなければならないことが言えるのである。
27. 生命に至る門と道が見つかっても、人生の目的は数時間や数日、又は数週間や数か月で達せられるものではない。何故なら、真理の認識と最初の成果が成るまでには、長い時間が掛かり、何年もかかるものであるからである。
28. 故に、まず第一に、生命と真の真理に至る門と道が探し出されねばならない。それから初めて、最初の成果と寞の認識への成長が始まり、真実の人生を享受する時が訪れるのである。それはあたかも木が成長し熟した時に良い実を結ぶかの様である」


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第24章

 1. 創造、賢者、義人の名において、  
 2. 創造に讃えあれ。創造は導きである。
 3. そこでヤーウェは予言者に語る:「創造は導きであるという真理を人々に教えよ。」そこで予言者は教え、語る:
 4. 「創造は万物にあらゆる導きの道を与えている。それは霊的物質的進化に必要な全てを含めて、調和に準じた生命の実存的存在を導き、創造の法則と掟に従った真の生命へと導く。    
 5. であるから、創造は賢い導きであり、生命現象を現した万物に指導要項を与えているのである。
 6. 人間は、創造の導きにのみ従わなければならない、そうして人間は、調和して自己の幸せのために成長し、進化し、生きるのである。
 7. 創造のみが天と地を造ったのである。その証拠は、存在する全てに与えられている。だからたとえ人間が一粒の穀種を発芽させようと試みても、まことに創造の導き無しには、それは成功しないのである。
 8. 創造は万物を公平に、愛と知恵、知識と真理と調和をもって導く。従ってどんな被造物も、創造そのものやその法則と掟、及び七元的秩序によって何等かの害を被ることはない。
 9. 従って創造はその導きによって、不義なる者、その他創造を否定する者、神々に仕える者、偶像のしもべを中傷する事も無い。そうではなく、創造は彼等を自由な決定意志に任せているのである。だから彼等は、いつでも罪を受けずに、調和の道に、そして創造の法則と掟を真に満たすために、戻ってくることが出来るのである。
10. 人間も、不義なる者、その他創造を否定する者を中傷するのではなく、彼等に愛と知識、真理と知恵を持って教え導かねばならない。そうすれば過ちを犯した者は、生命の義と創造に至る道を見出すのである。
11. 又その導きは、暴力と強制に拠ってはならない。又判決を下したり、判決行使による導きであってもいけない。又判決によって刑罰が加えられ、刑が執行されてはいけない。それによって判決執行人も判決作成者も同様に罪を負うことになるからである。
12. 判決により被造物が鎖でつながれ、身体に害を受け、又は生命が奪われた場合、それによって執行人は、判決作成者、判決代理人、判決推薦人と同じく罪を負うことになる。
13. 創造は、どんな生命体にも、判決により刑罰を加え判決を施行することはない。従って人間も創造と同じようにするべきである。
14. 創造の導きは、義と愛である。人間も同じようであらねばならない。従って復讐やそれに類する事をせず、導き、公平であるべきである。復讐とそれに類するものは、創造と比較して退廃したものである。
15. まことに、創造の導きは、万物において完全である。ヤーウェと予言者によって、真理と愛と義を持って与えられている真理も完全で不変である。それは決して嘘やまやかしや偽りに拠って変化しない。何故なら、創造の導きがこれを許さないからであり、その導きは賢者であり、義人であり、全知であるからである。
16. 人間に取って、食用として繁殖している全てのものは、人間の役に立つようにという事も創造の導きの中に定められている。即ち、植物、果物、空と水と地に住む小動物の全てがそうである。
17. 自然によって、人間に食用可能なものが与えられている時、それを食べてはいけない理由がどこにあろうか。何故なら、人間は植物界や全ての小動物とは異なって創造されているからである。即ち人間は、植物、果物、小動物として成育した全ての食者なのである。
18. 従って人間は万能食者で、僅かの例外はあるが、あらゆる植物又は小動物とは異なる。
19. 小動物の中には例外が有り、従って万能食者にも例外がある。屠殺された肉がもはや新鮮でなかったり、乾燥されていない場合、その肉は危険であるという意味で、この小動物は人間の食物として不純とされる。何故ならその肉は、直ぐに病気や伝染病、病原体に襲われるからである。
20. 従って人間は、主に豚と言われる小動物の肉は不純であるので、注意して食べなければならない。
21. 豚の肉は、食物として人間に禁じられていない。しかしそれは人間に取って不純である。病原体のことを考えよ。そしてよくよく考慮し用心せよ。何故なら、他の小動物を肉として食する万能食者は、病原体の発生において様々であるからである。しかしながら、他の全ての食物と同じくそれがもはや新鮮でなく、萎び腐っている場合には、注意と慎重が必要とされる。
22. 即ち創造の導きに拠り、人間は万能食者であるとされているが、注意、慎重も必要とされている。従って人間は、病原体が発生していず、自らの手で細かく料理された食物のみを食するべきである。
23. このことは人間が、創造の導きに拠り、植物や小動物の生活様式より優れていることを述べているのである。人間は道徳的で、繊細で、礼儀正しい。それによって人間は、小動物や植物とは異なるのである。
24. まことに人間には、植物、果物、小動物における食用可能な全てが、食物として与えられているのである。しかし人間は、慎重、注意、礼節を守らなければならない。何故なら、無害なものと一緒に繁殖している有毒物や腐敗物の中には、生命の危険が潜んでいるからである。
25. もし貴方がたが、権力者や誘惑者や宗派の大家により、食べられるもの皆禁じられたなら、それは不義であり、冒涜行為である。何故なら、創造の導きは食べられるもので、食料として役立つ全ての食物を繁殖させているからである。
26. 人間に取って有毒であり、食せられない全てのものは、抹消され、除外されるようにとされている。そうして人間と生命の危険が脅かされないためである。あらゆる毒物と病気を撲滅し、取り除く植物、小動物、又そうした性質を持つものがある。又全ての生命を襲う腐肉や分解を撲滅し、遠ざけるものもある。
27. 生命体はいずれも、その種に応じて分離されるべきであると、創造の導きは教えている。又生命体は、それぞれ種に応じて生きるように、そしてそれぞれ生命体は、他の生命体により生きるようにとされている。即ち植物は、微生物の養分と水に拠り、小動物は下植物、果物、微生物、そしてあらゆる種類の小動物により生きるようにとされている。
28. 人間は全ての上手な番人であり、受益者であり、彼より下等な生物全てによって養われるようにとされている。即ち、あらゆる植物、果物、微生物、小動物は、無害であり、腐敗していなければ、賢い導きの中で、全て人間に与えられているのである。
29. 即ち人間は、あらゆる形態を取っている全ての番人であり、受益者である。故に人間は、全てを支配し、あらゆる小動物、植物界、果物界、全ての生物を支配する。
30. 即ち、そこから人間は、創造の賢い導きに拠り、義と理性と悟性をもって品性を得、思考し、全ての長に立ち、そして自分と小動物の相違も認識するように創られていることが判るのである。
31. 又創造の導きに拠り、人間はその品性において清潔であり、何かの小動物や害虫を身に付けるべきではないことが認識される。何故なら、それは健康の保証に影響を与えるからである。
32. 従って人は、小動物や害虫と一緒に住んではならない。従って彼が眠り食住する場所にそれを住まわせてはならない。それは彼が寿命によるその時が来ないうちに、小動物や害虫により病気になったり、死んだりしないようにするためである。
33. 全ての生命の導き手は創造である。被造物の寿命は、いずれも創造によって定められている。
34. そのことから、被造物は誰ひとり、自分自身と隣人に対して、その寿命を定める権利を持つ事は許されていないのである。
35. 被造物が自ら、自己の生命又は隣人の生命を終わらせてよいとは、創造の導きは言っていない。又自分の意志、又は隣人の願望により、生命を終わらせる為の援助が与えられる事も許されていない。
36. 他方、導きの法則は、寿命が尽き、死への移り変りの時 、自分又は隣人の生命を、暴力又は人工的に維持する権利を、被造物には与えていないと言っている、
37. であるから、死を決定する権利は、どんな被造物にも無い。被造物の生と死を何等かの形で決断し指定する権利も存立しない。
38. どんな生命も、進化と完成のために存在しているので、決して何等かの形で殺されたり、感化されてはいけない。何故なら、植物、果物、小動物の生命が、それぞれの種に応じて生き、その生命が食物として存在していない場合、その生命はいずれも自然の死が訪れるまで、存続しなければならないからである。
39. 即ち導きの法則は、様々な種を持つ植物、果物、小動物が、日常の普通の消費に必要とされる需要品として、食物、衣料としてのみに役立つべきであると言っているのである。
40. その時、悪事や略奪、損壊、利欲、その他の堕落が行われてはならない。
41. 導きの法則に違反する者は、皆不実であり、不義であり、罪を負う。
42. 従って創造の法則によって、人間は最高の生命体であり、その進化した生命体の間に、人肉嗜食(カニバリズム)があってはいけないというのが定められているのである。
43. 食人嗜食によって霊と意識の進化が妨げられてはいけない。極限的窮地で無い時、又生命そのものが病死を遂げていない時以外は、進化する霊と進化する意識を持った被造物の生命は、食物として役立ってはいけないと定められている。
44. まことに公表できることで、人肉、死産によるもの、死んだもの、腐敗したもの、有毒物、発病しているもの、感染しているものを除いて、人間に食べることが禁じられているものは何も無い。
45. この導きを軽視する者に禍あれ。何故ならその者達は病気、疫病、死に見舞われ、彼等は排斥されるであろうからだ。
46. まことに地球は、既に何度も何度も、創造の導きに違反してきた。そして貴方がたの先祖は、創造と創造の導きを、神々や偶像と同列視してきた。又貴方がたより先に居た者達は、創造の導きを訴え、予言者を訴える過ちを犯した。
47. 貴方がたは、古代に及ぶ貴方がたの祖先であった先人よりも、もっと多くの知識を持っているだろうか。
48. まことに貴方がたは、自分達と隣人により多くの知識があり、理解があると嘘を言っているが、もはや祖先ほどの知識も所有していないのである。
49. 貴方がたの知識と理解を見せよ。しかし貴方がたにはそれが出来ない。貴方がたは唯妄想のみを追い、嘘ばかり付いている。
50. 創造とその導きが、貴方がたの妄想と嘘の確かな証拠である。もし創造に、貴方がたの意志を義のために強要する意志が有ったら、そうしたであろう。しかし創造は強制するのではなく、義を持って導くのである。
51. まことに創造が強要するのであれば、創造は貴方がた全てを強制的に導くことが出来、自由底部こおける創造の公平な導きを、軽視できるであろう。しかし創造はそのようにはしない。創造は、義を垂れる(表わす)のである。
52. だから貴方がたの知識と理解を証明せよ。そして貴方がたの知識と理解を、証言する証人を引き連れよ。しかし貴方がたには、いずれの方法によってもそれが出来ない。
53. 故に予言者の言葉に耳を傾けよ。予言者はその口を通じて、ヤーウェと、彼以前の昔の予言者の書物を通じて、貴方がたに真理を語る。
54. 予言者は貴方がたに教授する。貴方がたはたとえ悪が表に出ていようと隠されていようと、それに近づいてはならない。又創造が不可侵に創られた生命を殺してはならない。自己防衛又は食物のためにそう成った場合は、その法に照らし合せるが良い。
55. 人間はどんな点でも、正当に升目に一杯の量を与えるべきである。何故なら、創造がその導きに拠りそうしているからである。従って創造は、被造物に他より多く課すことをせず、負える以上の重荷を課さない。
56. 或る生命、即ち或る人間が、負える以上の重荷を負わなければならないのは、生命そのものの行いと思考に拠る。従って何を負い、又何を負うことが出来、出来ないか、人間は全て自分で決定し、背負うのである。
57. 人間の思考や感情が、導きに反する形で伝えられると、肯定と否定の間に分裂と不和が生じる。こうして調和が病み、抑圧される。
58. 人間の思考や感精の調和が抑圧され病む所はプシケである。するとあちこちに堕落が生じ、肯定又は否定が優勢と成る。即ち人間の考えに拠れば、善又は悪に分かれるのである。
59. まことに、その都度否定的な堕落が生じるのは、誤った思考と感情によってそうなるのである。何故なら、人は真理が不明瞭であるため、自らの内に自己憐闇と自己悲哀を生み出しているからである。
60. 即ち人間は、もはや背負い切れぬ重荷を自ら背負っているのである。彼は思考、感情において創造の導きを避け、独自の導きに従っているからである。しかしそれは矛盾しており、内なる所も外なる所をも破壊する。
61. そのような誤った行いの根拠は、人々の私欲にある。又他のあらゆる激情と自分自身に対する意志薄弱、自己憐爛、弱さと言う軟弱さにもある。それはすべて、万物の誤った観察と、否定的な全てを、誤って自分に引き付けることと関連している。
62. 見よ、地球の人々よ。貴方がたが創造に背き、創造の導きに反して生きれば、そうしたことは貴方がたの生活の中に侵入してくる。正しい生き方の道は、創造によって貴方がたに示されている。
63. 従って創造の導きに違反する者は、独自の導きに従って生きているのであり、それはどんな形であれ、いつも誤りである。そうして人は、背負い切れぬ多くの重荷を背負い、堕落した形で自ら刑罰を生み出しているのである。それは独自の力による復讐であり、復讐の履行である。
64. 創造の導きは、万物に、全ての生命に与えられている。又それは、法則と掟及び七元的秩序の中にも与えられている。
65. 即ち貴方がたには、次の創造の導きが与えられている。あらゆる生命の子孫は、保護を受け、生活に必要な全てを学習するまで、彼等は両親又は代理と成る者の、養育と保護の下に置かれる。従って、彼等は生活の糧とそれに関する住居の点で、公正に即ち総合的な生活管理指導において、独立することが出来るように学習するのである。
66. 従って子孫は、全て必要な事柄を学び終えるまで、独立して自分の人生を歩むことが出来るまで、両親又は代理の者の養育、養護を受け、学習し、保護下に置かれることが規則付けられている。
67. 自己の義務を果たす生活態度の確立は、人間の場合成年(自立)と呼ばれる。成年になると、この時期の子孫達は、自ら自分自身の生活を独自の責任、独自の配慮、庇護、義務を持って導き始めることが許される。
68. そして子孫が、こうした時期や年齢に達したら、彼は両親や代理の者、又は叔父や両親を、万事における最初の助言者として、彼等に尊敬と畏敬の念を保つべきである。  又必要と有れば、万事に対して、彼等を喜んで助けてあげるべきである。これは必須のことである。
69. 子孫の成年は、ある一定の年齢によって決められるのではなく、成年は、生活に必要な全ての学習が終了した時に従って決定されるべきである。即ち、子供達が正しい生活を送る能力があるという証拠がもたらされた時である。その証拠は、子供達が3年間外国で独自の義務を持って生活し、国民に監督される事によって、もたらされる証拠であるべきである。
70. 何かの方法で、成人になる前に子孫に資産金が与えられた場合、この財産は、子孫が成年に達するまで責任者や養育者によって管理され、その後彼等に帰属する財産は、彼等に渡されるのが良い。
71. 子孫は学習の時期に、自らの労働と自らの力により、自分の生活を築く義務が有る事を知り、知っていなければならない。又成年に達した時、引き渡すことの許される資産額は、彼等が財産を所有していようといなかろうと、同量の、最高700ロートの銀までであり、公正な生活に影響を与えるような、多額の資産であってはならない。
72. 従って未成年に遺産が与えられる場合にも同様の事が言えるのであり、その遺産の額が700ロートの銀の価値を越えてはいけない。
73. 子孫に財産や資産が残されない場合、国家社会が成年に達した時期に700ロートの銀の価値を渡すことが公平とされる。従って子孫はいずれも、生れ付き有産者であろうと、無産者であろうと。他者と平等の価値が置かれるべきである。
74. 遺産の多少により、700ロートの銀の一部のみしか与えられない場合、700ロートの銀の価値に達しない残りは、国民がその成年者に与えなければならない。
75. 遺産即ち相続財産が、遺族又は親類の者又は他の者に与えられる場合、成年を過ぎてから1400ロートの銀の量が与えられ、それ以上であってはならない。
76. 遺産額が個々の相続者に対して1400ロートの銀の量を越した場合、その超過資産は国民社会に譲られ、国民の決定した成立秩序に従い、国民の福祉のために補給されるべきである。
77. 子孫又は有産者が、商売又は何等かの独自の仕事により、その富を増し、その富みが70000ロートの銀の価値に達した時、それを上回るいずれのロートの銀も国民団体に譲られ、それは国民の成立秩序に従って、福祉の為に使用されるべきである。
78. 銀の富と所有財産の富とは分離され、そこにも創造の導きに従った公正さが無ければならない。
79. 人間が得られる最高の銀の価値は70000ロートであり、森林や畑、河川の財産は140000ロートの銀の価値以上であってはならない。即ち人間の所有価値は、140000ロート以上の銀であってはならない。
80. 義が第一とされ、公平な価値以上に与えられた様々な形の財産を隠す者がいない様に国民に通知する事が出来る。
80. 貴方がたは、創造の導きが万物に根を下ろし、又義の会話の中にもそれが有るように勧告されているべきである。
82. 隣人の問題についても決定する事が出来る。即ちそれは創造の導きに従って定められるべきであり、友達も知人も家族も親類も持たぬ隣人のために又兄弟、姉妹、叔父、従兄弟(女)、母、父、自分の子供、夫、親類、男友達、女友達、男の知人、女の知人等の隣人のためにも、全ての問題は義を持って確定され、決定されるべきであると言っている。
83. 従って貴方がたは、いずれかの問題について金言をもって助言し、義を行い、義の会話をしなさい。そして創造の導きに従うのである。ただそれのみが義に導くのである。
84. そこでヤーウェは語る: 「再び古い予言者の述べたことを成就するために、真理の言葉の書が与えられるべきである。彼等はモハメッド、イマヌエル、仏陀以前の予言者であった。彼等は書物に応じて行動した。善を行うために、万象を明らかにするために、地球人に創造の導きに拠る指導が与えられている。
85. 再び送られる書は祝福に満ちている。大部分は昔の予言者達に与えられたものである。地球人は導きを得、義を見出すために、それに従うが良い。
86. 真理の言葉の書ど予言者は、2つの国民に送られただけであると言ってはいけない。何故ならそれは嘘であり、偽造であるからである。ヤーウェの予言者は、地球のあらゆる人種に、又全ての国民に分け隔て無く送られたのであり、独自の義務を果たすために送られたのである。
87. 故に貴方がたは、貴方がたも貴方がたの祖先も、真理とその解釈の通告を受けなかったと言うことは出来ない。
88. まことに貴方がたと貴方がたの祖先は、今日に至るまで、真理の言葉の書を拒否し続けてきた。何故なら貴方がたも、真理の言葉と予言者の告知に迫られたからである。だから貴方がたは、創造を冒涜する誤った行いに対する謝罪の言葉を持たない。
89. しかしながら、いつか創造の知恵ある導きの証が、貴方がたの所にやってくる。創造により真理の言葉の書が、地球人類であるヤーウェにより予言者により、再び与えられている。彼は貴方がたの中に居り、貴方がたに真理を告知する。
90. 従って、貴方がたの内のすべてより、創造の印と、創造そのものまでを否定する貴方がたより、そしてヤーウェを否定し、真理の言葉の書を迫害する貴方がたより、即ち外国と自国で予言者を否定し迫害する貴方がたより以上の、不義なる者があるであろうか。
91. まことに貴方がたの内の多くの者と、貴方がたの祖先は、予言者の教えを受け入れたが、その教えは偽造されてしまい、ほんの一部のみが、僅かに真理を含んでいただけである。そうして貴方がたは自ら、生命と知識の小船を、倒錯と混乱、誤謬と腐敗の海の中で、舵取っているのである。
92. 貴方がたは真理を知らなかったと言ってばならない。何故なら、真理は導きに拠り貴方がたに新たに、又最後にもたらされたからである。それ故ヤーウェと予言者は、真理の教えと書を貴方がたに公開している。
93. 貴方がたは予言者を否定し、彼を迫害している。彼の周りに集り、遠い地より耳を貸す者はほんの僅かの義人である。彼等は知識と真理において彼を信頼している。
94. しかし無知であり、不義である貴方がたは、予言者、教え、ヤーウェ、創造に逆らい、即ち、万物を規則付けている創造の導きに逆らい、嘘をついている。
95. 従って貴方がたは、真理の言葉の書が、新時代の今日、再び地球人類に送られたことを偽り、論争している。まことに貴方がたは、宗教と呼ぶ邪教に捕らわれているが故に、そうしているのである。
96. 貴方がたは、より知識があり、理性を持っていると信じているが故に、真理に逆らい、偽っているのだろうか。しかし決してそうではない。貴方がたは決して、その証拠を提出することは出来ない。何故なら、貴方がたの話す事全ては、ただ信仰と非論理に基づくものだからだ。
97. 誠に貴方がたは、貴方がた自身の内で、又信仰の中で亀裂している。即ち貴方がたの心は、その信仰の中で相克し、不安と不確信と無気力に落ちているのである。そして貴方がたは、自己の信仰における独自の分裂により、非良心的な狂信者や分派論者と成っている。そのような貴方がたは、真理と何の関わりも無い。
98. 貴方がたは、分派論者であり、狂信者であり、卑劣なものである。そして貴方がたは、一つの善又は悪行を行えば、十倍の報いがあると誤って教えている。しかしこれは、まことに人間の方法である。何故なら、どうして報いがただ一つの善行に対して、その十倍であり得ようか!
99. そして善であれ悪であれ、どんな行いに対しても、それぞれの結果が、創造の導きに拠って定められているのに、つまりどんな原因にも、論理的な結果をもたらすと言うのにどうして一つの善又は悪行に対して、十倍という、その様な報いがあると言えようか。
100. 過ちが犯され、それが再び取り除かれ、認識され、即ち発展と進歩がもたらされることによってのみ、全ての進歩、即ち全ての発展が成されていくことが、創造の導きに拠り定められているのに、過ちが公平で必須な発展の度合いの中で成される時にそして意識的な違反と意識的な嘘、意識的な防衛と真理の殺害でない時に、どうして一つの善又は悪行に対して、その様な報いがあると言えようか。
101. まことに誰も、自分以外の重荷を負うものは無い。誰も他人の重荷は負わない。誠に誰のプシケも、他人のプシケの重荷は負わない。その度、重荷を負う人間の、思考と感情のみの中から生まれる彼独自のプシケの重荷を負うのである。
102. 従って人間は、自分自身の試験者であるべきである。そして創造の導きに従って生き、重荷を生み出して、それをただ一人で背負うはめになら無いようにするべきである。
103. 従って創造の導きに拠り、同じ種族である全ての生命は、互いに上下に等しく、全ての権利において相違が無いとされている。
104. 従って人間の間に、又人種や国民と人類の間に相違が有ってばならない。又老いと若きの間に、男と女の間に、両親と子供の間に、義人と不義な者の間に、上役と下位の者の間に、有産者と無産者の間に相違が有ってはならない。彼等は互いに又は一人で、又は一緒に生きているのである。
105. 独自の公正な生活における義務の達成と、成年の時期にのみ相違があって良いのである。又は罪や違反に拠り措置の履行がなされる時、あるいは義務を成就することが許されず、認可されない病的な障害がある時である。
106. 女は男に従臣してはならない。又男も女に従臣してはならない。何故なら創造の導きは、自由で相違のない、平等の権利を定めているからである。
107. 即ち、女と男には同じ権利がある。あらゆる種類の仕事においても、子供の教育においても、万事の決定と処置においても、又商売の指導においても、教えにおいても、人民の指導においても同様である。
108. 万物には統一が有るべきである。自分の家の中に社会の中に人民の指導の中に、商売の中に、又何であろうと、何か或るものの中に分裂と破壊である分派の力が無ければ、どんな領域にも真理のみが主唱されるべきである。
109. 人民の指導の中に分派性が有るなら、人民は誤導と乱脈、損害と戦争と破壊の中に導かれるのである。それは他の全ての事柄においてもそうである。
110. 従ってどんな重要事にも、党派性が支配してはならない。一つの問題に味方する党派、そしてそれに反対する他の党派が有ってはならないのである。
111. 正しき者のあらゆる処置と話が、創造の導きに拠り、創造の法則と掟の七元的秩序に従っていれば、どんな処置も話も、即ち万事における思考は、いずれも真理のみに従っているのである。従ってそこには、全ての党派性を凌駕する統一と一体があるのである。
112. 人間の誤った導きと生活の中に何かの事柄に人間による党派性が有る場合、過失が生じる。その違反は、義なる公正を持って評価されるべきである。そして措置履行地で7年の滞在、又は再度繰り返した場合には一生涯、そして初めての過失の場合には、警告が為されるといった処置が決められる。
113. 戒めのために党派性、即ち徒党や党派的関心の強制をしないと言う事項が規制されているなら、人には皆、どんな問題に対しても自分の力で、党派の意見に関係無く判断し、決定しなければならない立場が与えられている。
114. そして決定するために、人間には問題の公正な評価が与えられるべきであって、その為に宣伝や他の干渉が為されてはならない。即ち判断や決定がなされなければならない時は、その都度、評価や決定のために、人々に問題が報告されるのである。
115. これはどんな場合でもそうあるべきである。家族の生活にも、国民の指導にも、人の問題を評価する時にも、即ち、評価し、決定できる全てにおいて、そうすべきである。
116. 問題を評価したり、決定、指示する場合、その事の運営は、まず問題の提出者が評価、指示、決定のために問題を持出し、義務を行使するために、評価する者、決定者、指示者が一つの場所に集められるようにする。
117. 義務を行使する者は、その評価、指示、決定において、真に公正であり、義を持って真に思考し、熟考し、問題の賛否を良く考慮し、そこから評価、指示、決定が生じるようにする。
118. 即ち、そうすることによってのみ、評価、決定、指示のための公正が与えられている。それは創造の導きに拠って定められていることである。従って人は、ただそのことを思考し、処置して生きるべきである。
119. 又、創造の導きに拠って、あらゆる種類の不和や違反や悪が無ければ、評価や決定や指示は、ただ均一的な形でのみ、達成されるとされている。
120. 即ち、評価、決定、指示の採決は、その都度問題に吋する総合的団結と一致が無ければならない。つまり、義務を行使する全ての者が、問題の採決にあたり、一致団結していなければならない。
121. このことから、問題の決議をする時には、全てが一致団結していなければならない事が説かれている。だから採決が有効な力と結果を求めている時は、一万人の義務行使者であれ、70人の義務行使者であれ、1、2人の義務行使者であれ、全員が一致し、協調した決議を取っていなければならない。
122. 義務施行者の中に、ただ一人でも様々な理由から意見を異にする者が居る時、一致団結した採決は得られない。従ってこの問題は、別な時に、もう一度決議が為されなければならない。
123. 従って個々の意見、理解、意志について、多数決の決定が為されてはいけない。個々の人にも、尊敬と畏敬と義が払われなければならない。これは創造の導きに拠って定められていることである。
124. 更に創造の導きに拠り、同じ種属である異性同士、即ち男と女、又は女と女による結合の契約が成立していない時は、いずれの生命体も、生殖的性交の形で触れ合ってはならない。
125. そしていずれの生命体も、2人のパートナーの間に性的な成熟、即ち契約が達成するまで、生殖的性交の接触をする意味での触れ合いが有ってはならない。
126. 従って創造の導きは、まず性的な成熟と契約が成り、或いは夫婦である時に初めて、人間に交接の接触を与えているのである。
127. 一方、人間が性的に成熟していず、また他方、夫婦の契約又は進化の愛が存在していない時は、どんな形であれ、交接の接触が有ってはならない。
128. この導きに違反する者は、過失として評価されるべきである。従って警告が為され、その行為が繰り返された場合は、措置履行地で7年、又は一生涯過ごさなければならない。
129. 故に、自分の感覚や決断や評価を論理的に支配出来ない者、つまり依存者や、他の意味で関連性を持っている者、又は感染病にかかっていたり、無気力であったり、売春や強姦や強制をし、暴力に満ち、物乞いをしたり、不正で、創造の導きに反する生命体は、いずれも交接形態における接触が許されない。
130. 男性は成人の時期に達し、契約又は女性と夫婦関係に達するまでは、交接により女性に触れてはならない。
131. 故に男は、夫婦の契約が有り、又は進化による愛の状熊が有る時にのみ、共に寝、交接が許される。
132. 人の男は、一人の女又は二人、又は三人乃至四人、或いはぞれ以上を所有するであろうが、それは彼の進化の価値によって定められている。
133.しかし男は、一人の女と三人以上の子供を造ってばならない。それによって惑星に住む人口許容数が超過しない為である。地球の様な惑星と、そこに耐える人口は、1000人の529000倍である。
134. 子孫の数は、必要に応じて人間に規制されるべきである。そうして人口の数も一様に維持される。
135. 女には一人の男が与えられるべきで、それ以上であってはならない。何故なら女性は子孫のために性交し、受胎し、産む者であるからである。即ち女の身体に子孫が宿される時、身体の状態からいって、ただ一人の男によってのみ受胎が可能であるからである。
136. 男は、多数の女を持つことが出来る。何故なら、彼は受精させる者であり、生殖させる者であり、彼は多数の女性と性交し、受胎させることが出来るからである。
137. こうして男は、女と性交し、受胎全体の一部と成る。彼自らは産むことは出来ない。性交のパートナーとして、彼には女性が唯一の生命体としで与えられるべきである。
138. 従って男は、産むことは出来ないのであるから、男から男へと、又は男同士の性交による接触が有ってはならない。それは創造の導きに反する違反であり、その法則と掟、そして七元的秩序にも反する事である。
139. この点で、男同志が性関係の接触を冒涜的に行えば、彼は創造の法則に違反しているのである。従って彼は、措置履行地で、一生涯罪を負わねばならない。又男あるいは女が、小動物と呼ばれる種属を異にする生命体と性交をする場合にも、同様の処置が取られるべきである。
140. そして男が不足する窮状期においては、女も産む者、即ち受精無しに受胎者と成る事が、創造の導きに拠って定められている。従って女は、自分の身体に受精し、受胎することが出来、受精と受胎が困難な時には、女同士が交わることによって、他の女の胎を開くことが出来るのである。
141. こうして創造の導きが与えられ、男と女は調和が保てるようになっているのである。男が複数の女を持つことが出来るように女にも他の女達が与えられているのである。女の愛が、女と、即ち男の二性間に共存する場合に、女は彼女等と共に性交をするのである。
142. 女同士の関係と接触は、性的に成熟したら成年以前にもあり得る。又男性の所有する女、又夫婦関係を持たない女とのそれも可能であろ。
143. 女は、両性に対する性愛を持つべきであると導きは言っている。即ちその努力と関係を女のみに限り、その時、自然のパートナーとしての男性を、ないがしろにする女であってはいけないのである。それでも尚そうするなら、一生涯措置履行地で過ごす処置が取られるべきである。
144. 故に創造の導きは、どんな生命体もその性本能と性交本能を抑圧し、破壊してはいけない事を定めている。又人が成年に達しておらず、又夫婦の契りを結んでおらず、自分の性に自己満足を必要とする時、自分の性欲を自ら満足させ、自己の性に独自の行為により、性的な満足を与える人間に対しても同様である。これはそのような行為を必要として良いことが彼に与えられているのである。
145. 従って人間の性的欲望が、自分1人で満たされても、それは何ら恥ずべきことではない。従って彼は、自分の生殖器を、自分の手で触り、満足させるのである。
146. すべてはこのように、導きに拠り規則付けられている、女も男と同等の価値を持ち、自然な形で法則と掟が与えられている。
147. 従って創造の導きは、万物に公平であり、すべての権利において、たとえ平等の種類は異なろうとも、男と女は、その内容において異なっているが、同じであるようにと、女にも男と同じ平等が与えられている。
148. 導きに拠って、女と男の間に同じ権利を持つ義があるように、男も女も、性交の努力において同じ価値を持つように。創造の導きが与えられている。
149. これは性交の努力が、両部分に有るべきであるということである。従って、男も女も完全な域に達し満足するべきで、プシケの進歩と調和の発展が有るべきである。そうしてすべての生活様式は公平に展開するのである。
150. 従って女又は男は、性交で不満を持ち、パートナーを満たさずにいてはいけないのであって、あらゆる形で満足し、満たさねばならない。そうして法則と掟は最大限に満たされるのである。
151. そして性交は、夫婦の契約を成立させる義務であることが、創造の導きに拠り定められている。この形の愛を必要とするパートナーの必要性に応じて、それは求められ、性愛は夫婦の存続維持と発展のために必須である。
152. 夫婦の契約において、病気や疲労、老人又は老齢による負担以外の、無価値な理由から性交の義務を怠り、それに逆らう者は、過失を犯しているのである。そしてその人間は、過失の評価処置に順ぜられるべきである。
153. 夫婦の契約において性交の義務を怠り、それに逆らう者、又夫婦の契約において他の義務に違反したり、パートナーの権利を侵害する者は、過失を犯しているのであり、契約を破る者である。それは姦通罪と呼ばれている。
154. 姦通罪は過失であり、それは評価され、処置施行がなされるべきである。最初は警告が為され、二度目は措置履行地で7年、そして3度繰り返された場合は、一生涯措置覆行地で過ごさなければならない。
155. パートナーの軽視、肉体やプシケのせっかん、暴力的性交、自由略奪、運動制限、食物の撤回、衣類の撤回、子供の教育侵害、契約でないパートナーとの許されない性交、又は非進化的愛の形、あらゆる形の抑圧、活動制限、発達制限、創造の法則と掟、即ちその導きに反する不正義全て、契約違反や不貞を犯すことは過失と成る。
156. 伝染性の病気がある時性交を求めることは、創造の導きに違反し、過失と成る。女に月のものがきて不浄である時、性交を求めることも過失である。
157. 女の意志又は男の意志に反して、子孫の胎児が女の体内に宿ることは罪である。又は女の体や生命に取って危険である場合、伝染性の病気又は遺伝性の病気を持っている場合、男又は女の感覚が、病気、無理解、麻酔剤によって損なわれている時、大多数の民族にとって危険である時、即ちどんな形であれ男又は女に罪が認められる時、それは罪と成る。
158.女が自分独白の受胎力に拠るか、又は、女と女との間における性交受精による子孫の受胎を除いて、女が成年に達しない時に女の体に子孫が宿されることは罪である。
159. 性交が求められ、許されない方法で子供が産まれる時、いつでも両者が、即ち男も女も罪を負う。感覚の理解と理性が有る場合には、両者が責任の罪を負うのである。従って処置は、措置履行地で一生涯過ごすことになる。
160. 母と息子、父と娘、兄弟と姉妹の間に性交が求められることにより、血が凌辱されることは罪である。即ち直接の親類の結合が、その七親等内である時、男と女の聞に性交が求められることは罪と成る。
161. 母と息子、父と娘、兄弟姉妹、七親等内における親類同士で性交が求められ、子孫が造られても罪となら無い場合がある。それは新民族が創られねばならない時、又は一つの惑星における正しい人口が何かの形で滅びる危険が迫っている時のように緊急な事態が発生している時である。
162. 一つの惑星又は民族の総合人口における3分の1から4分の1の人口が与えられるまで、無実の権利が認められる。
163. 創造の導きは、民族の指導者、人類の指導者とされ、その指導者は、創造の導きとその法則と掟、そして七元的秩序に従う霊的指導者であり、義人であるべきである。
164. 人民の指導者や人類の指導者は、任命される前に、又公示期間、宣伝もされずに、人民によって任命されるべきである。
165. その任命は次のように国民が或る一つの場所に、或る一定の期間に召喚されるようにしてなされるべきである。そして公示期間中に、人民が決定しなければならない事や、任命される者の人格(知識や行い)について、そうした関心ごとが人々に報告されるのである。
166. 従って指導者となり、代表し、人民のための公職を履行すべき者は人民に紹介される。即ち男も女も同じ方法で均等に紹介される。即ちまず第一に、人民が召集される場所で、評価と任命の時に。
167. どんな任命も、公正にあらゆる真理と必要性を考慮して評価されるべきである。即ち賛否が問われ、任命される者の知恵と知識と能力について、彼の話が為されなければならない。従って資格者の誰であれ、どんな職業であれ、それは男にも女にも該当することが、明白であるべきである。
168. 人民の間にはただ一人の資格者が居るべきである。彼は誠実に抗議と配慮、その他の賛否をする。それから彼は男として又は女として声を高くする。しかしその演説は、公平であり、誠実であるべきである。彼の言葉は、畏敬と尊敬を持って選ばれ、話されるべきで、従って侮辱するものではなく、傷つけるものでなく、12年以上すぎた、過去の問題に触れてはならないものである。
169. こうしていろいろな内容を持つ話がなされる。即ち或る問題の評価であれ、他の事であれ、必要とされる話が彼にある間は、理性的な解説をする為の機会が与えられるべきである。
170. 演説者が男であろうと女であろうと、或る問題を述べる時、演説の中の過失がある時、即ち使命を受けた指導者が弁明を必要とする時以外は、他者は演説者の話を妨げ、阻止してはならない。
171. 自分の言葉を答弁として申し立てる者は、男であろうと女であろうと国民の一人である。だから彼は所与の形で要請し、それから彼に機会が与えられるのである。
172. 従ってやじる者、扇動者であってはならない。彼等は過失者とされ、処置のために評価される。
173. 誰にも、理性的な遂行時間における意見と演説の白由が与えられなければならない。その為に畏敬と尊敬の念を払わぬ者は、過失を犯す者である。
174. 創造の導きに拠って、生命体の間に平和があり、一つの生命体は他の生命体に逆らわず、いわば愛と進歩である様に命であり、破壊ではないと定められ、実行されねばならない。
175. 即ち貴方がた人間にとって、創造の導きは次のようである。互いに平和を維持し、他のあらゆる生命体に対しても、平和維持をすることである。それらはあらゆる種類の動植物であり、空気、水、地でもある。
176. 人間は隣人に対して非平和であってはならない。又人間以外の、他の生命に対しても非平和であっては成らない。だから次のように言われる。人間は全ての生命に対して平和を維持し、どんな生命に対しても非平和であってはならない。
177. そのことは包括的に有効である。即ち、特に人間は、自分と回様の人間の間で、平和を維持するべきであると言う点において。
178. 人は、隣人に対して、非平和的であっではならない。故にその肉体も生命も、財産も傷けてはならず、話や処置も異なった方法をとり、不和な性質のものであってはならない。
179. 人は隣人と他の種類の生命総てと、平和に過ごさなければならない。即ち非平和的な言葉、暴力、武器が、隣人又は他の種類の生命に対してとられてはならない。
180. 従って人間の間に、又家族の中や親類の中にも、いさかいがあってはならない。又、友達や知人の間にそして労働者と経営者の間に、指導者の間に又彼の職が何であれどうであろうと、その他の人々の間に争いがあってはならない。
181. 創造の導きは、生命間に争いが有るようにとは定めていない。即ち人間には、生命間に又彼と同じ人の間に争いを起す権利が与えられてはいない。従って彼には、様々な形で隣人を脅かす資格は無いのである。
182. 故に創造の導きに拠り人間には争いは与えられていない。隣人に刻する邪悪な言葉も、隣人に対して暴力も、武器も、即ち隣人に対する強制も与えられていない。子供達の間にも、大人たちの間にも、二人又は三人の間にも、多数の間又は国民の間にも、即ち人間の間に、とりわけ生命間に戦争が有ってはならない。
183. 全ての生命体に平和が有るようにと言う導きの法則に、僅かにでも違反する者が一人でもいれば、その者は過失を犯すのであり。男であろうと女であろうと区別なく評価されねばならない。
184. 導きの法則に反し、全ての生命に取って平和でなく、そこから運動やテロや革命や戦争を引き起こすような、大きな違反をする者は、罪を犯す者であり、男女の区別無く、措置履行地で一生涯すごさねばならない。
185. 即ちその数において、二人以内の人間集団の平和を破壊し、危険に陥れる者は、皆過失を犯すのであり、二人以上の人間集団、家族、種族、又は人類の平和を破壊し、危険に陥れる者は、皆罪人である。
186. 従って男であろうと女であろうと、どんな方法でも種族や国民そして人類を脅かす者は、皆罪人である。その脅かしが、平和や自由又はその他の安全に反する時は、それが言えるのである。
187. 従って男であろうと女であろうと、一人又は大小の軍隊であろうと、人間集団、種族、国民、人類を攻撃する者は皆罪人である。それは、奇襲、暴動、テロ、権力、革命、戦争又は単なる不安であり、恐れである。
188. 即ち罪人はいずれも真に罪があるとみなされた場合、それは男にも女にも共に認められる。
189. 創造の法則により、全ての生命に、又全ての生命の間に平和と愛が護られ、与えられている。生命体は、法則と掟に、どんな形でも違反する権利を持っていない。

第25章

 1. 創造、賢者、義人の名において。
 2. 創造に讃えあれ。創造は経験である。
 3. ヤーウェは人類に説く。予言者はヤーウェに等しく、予言者は人即ち、ヤーウェである。
 4. 予言者にはヤーウェと同じ知識、知恵、能力が有る。しかしながら、予言者とヤーウェが、異なる人類の最高の霊的指導者である点には相違が有る。
 5. ヤーウェは、異なる世界に住む、異なる人種の最高なる霊的指導者であり、予言者は、一つの世界の人類の最高の霊的指導者である。
 6. 創造により、人間には高齢により、又多数の活動により、大きな知恵と経験が与えられるという、認識の可能性が与えられている。
 7. 故にヤーウェは、異なる世界の人類の最高の霊的指導者であり、予言者は、ただ一つの世界の人類の最高の霊的指導者である。
 8. 即ちヤーウェは、予言者より大きな経験を集めることが出来るとされている。従ってヤーウェは、父のような友として予言者と等しい。予言者は、そのより大きな知恵と経験に準じている。
 9. こうして予言者は、ヤーウェが、より多くの経験価値を持っているという真理を知らされる。そして彼はこのことを恭しく尊び、ヤーウェを彼の教師、又より高い霊的指導者とみなす。
10. こうして予言者は、ヤーウェによって話しかけられる。ヤーウェは教授の力において予言者に勝る。そして予言者は、ヤーウェの言葉を尊敬と畏敬を持って引用する。
11. 予言者は、ヤーウェの中に、彼の教師と父のような友を認める。そして同義の畏敬とあらゆる尊敬をヤーウェに提示する。そこから結果として、予言者に認識又は教授がヤーウェより与えられる時、ヤーウェの名を謙虚に呼ぶのである。
12. 従って創造により、認識と教授か与えられる時、予言者とヤーウェは処置を取る。そして創造は、恭しく敬意を込めて教える力と呼ばれる。
13. 即ち認識と教授は、いずれも階級的な要因が有るというのではなく、その由来において呼ばれるのである。
14. 即ち創造の霊に拠れば、生命体の間に階級は成立しない。
15. 創造は、どんな生命体も、他と同じであるという認識を与えている。ただ進化の状態に相違が有るだけである。即ち知識、能力、知恵、自己進化をするその他の形において相違が有るのである。
16. 創造の認識により、どの生命体も、自ら、又自らの内部で、認識を産み出すことが出来るという均一の認識が全ての生命体に有る。
17. 従って創造の認識は、どんな人間も、真理を求め、それに従う努力をする時、進化し、万象の認識を得る責任を自ら持っていると教えている。
18. 全ては、至る所で、人間に認識できるようになっているので、彼は認識するために、ただ見、聞きさえすれば良いのである。すべての認識に、他の全ての人間と同じく区別無く達しているヤーウェや予言者によって、それがなされるのである。
19. 即ちそれにより、ヤーウェが創造の法則と掟に従うことによって、自らの中に、独自の力に拠って求め発見した教えを、人類に教えていることも言われているのである。
20. 従ってヤーウェは、独自の認識の、独自の力に拠り、知識を得、能力を得、知恵を得、愛に満ちているのである。予言者もそうである。知識、知恵、能力、愛において、彼に送られたものは何も無く、彼もヤーウェや他の生命体と同じく、自分自身の力で、自らの内に認識を芽生えさせ、成長させねばならなかったのである。
21. まことに法則と掟の中から、創造によって創られないもの、人間独自の力と思考を用い、認識に達せられない知識、知恵、愛、能力、その他は、まず宇宙に一つも無い。
22. 即ち予言者は、独自の認識により、真理を自らの内に見つけねばならない。その後で、彼はこれを人々に教えることが出来るのである。従ってヤーウェと予言者とは等しく相違が無い。
23. まことに予言者は、その父のような友ヤーウェがいなくても職務を遂行出来るだろう。何故なら、真理に関する知識がヤーウェの中に支配しており、又あらゆる創造の真理を、独自の認識として獲得し、学習した予言者の中にも知識が支配している。従って彼は可能な道標の外には、外部から何も獲得しなかった。
24. しかし予言者によって捧げられた全ての知識は、創造の真実性を持っており、予言者の独自の認識と力により学習されたものである。従って彼は、畏敬と尊敬ある父のような友ヤーウェに、拠り所を求める必要は無い。
25. 真理は昔から永久に不変であり同じである。従って真理が送られ、人間によって記録されている。彼は真理の言葉によって、それを教えられるのである。真理は昔から知識の認識により与えられている。
26. 故にヤーウェは予言者に取って父のような友であり、予言者も国民に取ってそうである。予言者はその解説において、ヤーウェに基づくが、これはヤーウェのより高い経験の為にただ畏敬と尊敬の念を持ってそうするのである。
27. ヤーウェは予言者にとって、いわば古い友達である。又父と息子、両親と子供の間柄でもある。予言者と国民の間柄もそうである。
28. 従って予言者は. 自分の認識した真理、即ちヤーウェの認識とその他全て生活を告知する。だから予言者は、母であり、子供であり、ヤーウェ、成就する者、研究する者、認識者に等しい。
29. 創造の認識により、全ての生命は認識の中に生き、認識を学習しない者が一人でもいない様に、とされている。
30. 予言者、ヤーウェ、霊的指導者、告知する者は、自らの絶えざる進化の結果の中から、到達し獲得した認識をもたらす。こうして彼等はまだ知らぬ者や、不義なる者を喜んで助け、教える。そうして彼等が、創造の生命に至る道を見出すようにと。
31. 即ち認識の教えは、永遠に変わらぬ有効性を持った道標の教えである。従って人間はそこから豊かに学び、自ら真理と認識に逮するが良い。又同様にヤーウェ、その予言者、霊的指導者、知識人の所に達するが良い。
32. 従って人間は、認識の中に生き、自ら刑罰を引き起こしたり、刑を科してはならず、自ら独自の力に拠り、知識人となり、隣人を教えよ。
33. 人間は認識により、教授し、法律を与え、創造と力を等しくする神々や偶像又は同類のものは無いという認識に達するが良い。
34. 人間は、一人で自制しているのである。いわば創造の他に彼を支配するものは何も無い。創造は支配者ではなく、支配するものでもない。創造は強制や強要をせずに、認識による仲介を得させ、道を示し、方向を与える。
35. 認識は創造であり、創造が認識を与える。認識は人間に与えられているから、彼はその認識を自分のものとし、真理を認識し、それに従う時に自らが支配者であるという洞察の認識に応じるべきである。
36. 人間自身の力の他に、知識や生の導き、進化や全ての認識を決定する他の力は無い。だからこうした事柄を決定している神々や偶像や他の力は無いのである。即ち彼等は、良い出来事、悪い出来事を告知する。それらの出来事は、その都度の原因により生じるものである。
37. 即ち進化のために。又創造の法則と進化に従うために、指導要項を造り与える権利のある、司祭や、上層部、又はその他の人間はいない。指導要項は創造の法則により与えられるものである。従って人間によるものは、包括的な認識においては、創造の法則とは認識されない。
38. 全ての法則と掟そして全ての秩序は、創造のみに拠って与えられる。即ち全ての生命に、創造により同じように認識が与えられている。真の形で与えられる。
39. こうして人間は、全てに対して認識をしなければならない分別を与えられている。即ち、全てどんな事に対しても。人間の認識が為されねばならない。こうして彼は知識人となり、賢くなり、進化を果たし、万事に能力が持てるようになる。その後彼は、知識人又能力者として独自の力と責任を持って人に教えられるようになり、隣人を啓発するようにして教え、進化を助ける者と成る。こうして彼には、独自の認識を持つ知識と知恵が必要なだけ与えられる。即ち彼は、いろいろな形で霊的教師と成るのである。
40. 即ち人間は、あらゆる認識の問題において、自分自身が支配者と成り、認識の利用においても、自分自身が支配者と成るのである。
41. 故に、人間は自ら独自の力を持ち、どんな認識にも達しなければならず、彼は隣人をその認識によって教え、成就のためのあらゆる発達において、隣人を喜んで援助をするという義務を、隣人に対して負っているのである。
42. 従って人間は、人間に対する教師として、創造の任命を受けているのではなく、認識において十分に成長し、かなりの知識と能力を得、霊的指導者と成り、自らの内に、公的指導者として使命を受ける時、人間は自らを、同胞に対する教師として送り出すのである。だから彼は、より高い立場からの招命や任命を必要としない。何故なら、こうした立場は、決して存在しないからである。
43. であるから、ヤーウェと予言者は、異なった価値を持つ立場の人ではない。又一人の使者は、階級的な意味に於ける他の使者ではない。一人の使者は、他の使者であり、共同の自由意志を持ち、同じ問題を共同して収り扱っている。従って一方が他方に従属しているのではなく、いずれもが同じ義務行使をし、同じ価値を持っているのである。
44. 従って一方は他方の使者であり、ヤーウェは予言者の使者である。また、予言者はヤーウェの使者である。まことに彼等は、互いにその新しい経験の絶えざる交換において、単なる大使と言える。
45. 従ってヤーウェは、予言者を任命せず、予言者はヤーウェを任命しない。何故なら彼等の知識は、独自の認識から生じたもので、それによって彼等は、その時代の最高の霊的指導者として存在し、共に義務を施行するからである。
46. ヤーウェは使者であり、告知者であり、大使であり、予言者の義務を果たす者である。又予言者も、使者であり、告知片であり、大使であり、ヤーウェの義務を果たす者である。
47. しかしヤーウェと予言者は、その使者として、公平で真に知識の有る人間を選ぶ、彼等は真の大使であり、告知者である。そしてより大きな知識を自分自身のものとして、人々の間に教えるのである。即ち、彼等は、良い出来事、悪い出来事を告知する。それらの出来事は、その都度の原因により生じるものである。
48. 使者は、ヤーウェ又は予言者の大使であり告知者である。彼等は教え、警告し、告知し、便りを伝え、人類の民の間で働く。彼等は見張り人、告知者、監督者、又は仲介者と呼ばれる。
49. 即ち使者は、ヤーウェ又は予言者の任命を受けている。そしてヤーウェや予言者の指示を得、霊的指導者として、人民の間で義務を果たし教授する。何故なら彼等は使者として、もっと全ての認識に対し、学びと導きを必要としているからである。
50. 認識は大きく無尽蔵で進歩する。即ち人間はその認識において進歩し、その点で隣人と異なる。故に一方は他方より多く知る者と成る。
51. 即ち人間は、認識と知識と能力において他者とは異なる。従って一方はその点で他方と異なるのである。
52. 知識と人間の能力の認識においては相違が有る。だから一人の人間は、他の人間より多く知り能力を持つ。であるから、余り知らない者は、より多く知る者から学ぶのである。学ぶ可能性を余り持たぬ者は、学ぶ可能性を多く持つ者から学ぶのと同じである。それはヤーウェと予言者の間もそうである。
53. 異なる認識の段階にあって、誰もが、或る問題について教え、講演することが出来る。彼はその問題においてより多く知り、賢い。即ち彼はより大きな経験を語り、教えるのである。
54. より大きな経験を話したり、教えたりすることは、ヤーウェと予言者の間にあるように、より大きな認識の中から生まれる。だから真理の言葉は、ヤーウェによって公言されるが、それはその度に予言者によってのみ仲介され、告知されるのである。
55. そうして予言者は、ヤーウェの言葉を仲介し、告知する。又彼は自分自身の知識と認識も仲介し、告知する。しかしそれはヤーウェの言葉をもって、それを遂行する形で与えられる。
56. 即ち予言者は、ヤーウェの言葉と認識を告知し仲介する。ヤーウェも同様である。ヤーウェは、予言者によって、又自分自身で探求され、認識された、より高い認織と教えを仲介し、告知するのである。
57. そして予言者とヤーウェは、認識が誰によっても訓練され、実行されるように教えている。即ち老いも若きも、貧しきも豊かな者も、靴職人も水運び人も、上層部の人も王も皇帝も、誰の区別も無く。
58. こうして認識が人間の中に存在するように、彼は子雅のようであらねばならない。子供は全てを容易に学ぶ。何故なら、彼等は偏見の負担を持たず、自由に学ぶからである。即ち彼等は、調和と客観的な観察の中から理解するのである。
59. 従って、誰が霊的に一番大きな者であるという質問に対する答えは、次のようになろう。子供のように学び、偏見の重荷を負わず、客観的観察と評価の中に知識と真理と知恵を見出し、調和の中に生きる者、創造の法則と掟、そしてその七元的秩序に従う者は、霊的に最も偉大な者である。
60. まことに次のように言われる。昔から誤った道を歩み、そこから戻らず、子供のようにも成らぬ時、貴方がたは皆不義なる者であり、真理を否定する者である。そうするならば、貴方がたは霊的に大きくなれない。何故なら貴方がたは、真理を認識させ、義と認識の生活に貴方がたを導いてくれる認識に達しないからである。
61. 従って求め探求し、認識を積み、知識に渇え、これを見付け、子供のように認識する者のみが、霊的に大きくなるのであることを知るがよい。
62. 従って探求し、求め、見出し、子供のよあに認識する者だけが真の真理を見出し、それに従って生きるのである。そうして彼は、ますます最も偉大な者と成っていくのである。
63. この真理に注意せず、誤った教えの奴隷と成り、求めず、探求せず、見出さない者は、首に引き臼をつるさげられて最も深い海の底に溺れ死ぬ方がよい。冒涜的な者は、その全ての重荷を背負い、冒涜の分だけ衰退し、そこで惨めな邪悪な生活を最後まで送るより、その方がましであるからだ。そうすれば彼は、真に求める者や、真の義人を害すること無く、危険に陥れることもない。
64. 何故ならまことに、真理と人生の目的が探求され、求められ、見出されない時、生活に何の意味ももたらさず、何の意味も果たさないからである。人生は、創造の計画による認識と成就の中に与えられているのである。
65. 冒涜的な無理解者や不義者は、自ずと進化と公正な生活から除外される方がよいのである。そうすれば彼等は、従順な者や真理を求める者や義人を傷つけず、妨げ、危険に曝さないであろう。
66. いつか冒涜的な者があの世に召される時、彼等は何の義も追求しなかったのであるから、再び生まれ変わった時には、きっと理性的と成り、より良い意志を持ち、創造の法則に注意を払うであろう。
67. しかし不法な者のために世に禍あれ。何故なら不義なる者、不法者、無知なる者は、創造の法則と掟に逆らって生き、真理に至るあらゆる認織を軽視しているからである。そして彼等は誤った生き方をし、そのために害悪を作り出しているのである。
68. なるほど害悪は不法者によってもたらされる。だが彼等に禍あれ。何故なら彼等によって引き起こされた害悪が彼等に向けられる時、彼等は自分の生み出した害悪に脅かされ、苦しむからである。その害悪とは、憎しみ、死、病気。悪徳、戦争、破壊、そして全ての悪である。
69. 従って子供のようであり、偏見の重荷を持ってはいけない。そして義と調和と客観的な観察の中から学び、判断せよ。そして貴方がたは、真の認識の中で、真の真理を認識するのである。
70. そうであるから貴方がたは、子供のようであれ。そうして貴方がたは、生命と天国の真理。知識、知恵、愛の、あらゆる富を得るのである。それら全ては、包括する栄華と調和と愛そのものの充足の中に与えられている。



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第26章

 1. 創造、賢者、義人の名において。
 2. 創造に讃えあれ。創造は戒めである。
 3. 予言者は、彼の言葉をもって学ぼうとする地球人類に、その知識を告げる。彼は、人種、言語、民族の肌の色に区別無しに彼等に取って最高の霊的指導者である。
 4. 故に予言者は、地球人が法則と掟、創造の七元的秩序に適うようにと彼等に語る。
 5. 故に人間は、創造を学び、注意し、その指導要領に従うべきである。それは生命の存在へと導く。
 6. そしてまことに私は貴方がた地球人に言う。貴方がたの内に、貴方がたに貴方がたの隣人に。そしてあらゆる領域にいる貴方がたを取り囲む全ての生命に公平であれ。こうして創造の法則と掟による真理に従うなら、貴方がたは自ら義を受け取るのである。 
 7. 生命の霊を讃えよ。愛の創造を讃えよ。生命の力を讃えよ。それは現存する霊と力である。
 8. 高き所にいる創造を讃えよ。それは最高の力として、生命そのものとして、あらゆる存在において高められた。
 9. 創造と霊と力を讃えよ。生命の全ての軍勢を讃えよ。それは創造により創られた。
10. 地瓦水上、水中にいるもの、大地の上、大地の中、空中にいるもの、全ての生命と生存するもの全てに注意し、尊重し、敬え。又万物宇宙、太陽、月、惑星に存在する全てと、全ての生命に注意し、尊重し、敬え。
11. 創造を讃えよ。創造はその理念により、輝く星と天を至る所に創り給われた。
12. 人間は、畏敬と尊敬の念を持って創造を讃えるべきである。何故なら創造がその理念によって命じ、それによってすべては創られたからである。 
13. 創造は絶えず永遠に存続する。創造は全てを初めから秩序づけたので、全てはその秩序をもつ。創造によって創られ、生かされた以外のものは存在していないし、その存在も許されない。
14. 創造は讃えられるべきである。宇宙、全ての惑星、地球上の全ての生命によって、全ての生命と全ての人々によって、鯨によって、海水と地の一切の深みによって、火、あられ、雪、水蒸気によって、暴風によって、山と丘によって、実を結ぶ木立、灌木、植物によって、動物とあらゆる家畜によって、虫や鳥達によって、労働者と上層部の人と王と皇帝、侯爵と裁判官と地の民によって、又青年や乙女によって、そして老いと若きによって讃えられるべきである。
15. 創造の御名と、その全存在における創造が讃えられるべきである。何故なら創造の御名のみが、高く偉大であるからである。創造の御名と存在と讃えのみが、天と地を超え、測り知れぬ宇宙の遠方に届くからである。
16. 即ち予言者は、親切な知恵の呼び声に従って告知する。誘惑と、あらゆる不従順と、人間独自の力で作り生み出す全ての刑罰に警戒するようにと。それはあたかもカモシカの呼び声のようである。カモシカは危険を無視して猛獣に捕らわれていく。
17. 平和を維持するために、知恵の呼び声が与えられている。即ち親切な呼び声は、ソロモンの言葉と呼ばれる。それは、知恵は平和を維持するという意味である。
18. 従って人間は、知恵、知識、理性、真理、紀律、理解、即ち賢さと義、そして権利と邪悪を学習しなければならない。そうして無理解者は、賢くて、分別を持つようになり、青年や乙女は、理性的で注意深くなるためである。
19. 多くの知恵を持つ者、又は僅かな知恵を持つ者は、親切なソロモンの言葉の呼び声を聞け。聞く者は学び、自己改善する。だから聞く者は分別があるのである。こうして彼は、知恵の言葉の解釈や親切なソロモンの訓戒の呼び声の解釈について、もっと理解を深めるために、良い忠告に従うのである。
20. 聞く者は、正しく理解し、親切な知恵の呼び声の意味を把握せよ。そして知恵の教えとしてその寓意を正しく理解せよ。寓意とは例えのことである。
21. 誤った行いと思考に対する人間の恐れは、認識の始まりである。無法な者や不義者は、認識を自分のものにしていない。何故なら彼等は、知恵と紀律を軽視しているからである。
22. 子供よ、貴方の父親の紀律に従え。そして母の掟を決して捨ててはいけない。
23. 父は子に、しつけ、仕事、義務、責任と法則と手仕事、生命、植物、動物、どんな形であれ存在をもたらす全てについて教えよ。
24. 母も父と同じように子供に教えよ。しかしその教えの形は、自由と掟と家事のそれであれ、又礼儀作法と感情思考に応ずる全てのもの、霊的教育的、掟を遵守する全ての教えであれ。
25. 子供は両親に学び、そこから頭に最も美しい宝石をつけるのである。何故なら公平な両親に従うなら、不義者の邪悪な誘惑に乗らないからである。彼の人生は、慎ましく、畏敬と尊敬あるものとなる。それに対して、子供自身は、父と母としても責任を持つのである。
26. 自分の力で足を止めよ。そして不義者の道を歩んではいけない。又公平な両親も、子供禍と悪の道に入らないように、賢く教えるようでなければならない。
27. 禍と悪の道は不義者によって踏まれ歩かれる。彼らは無法者であり、義人を誘惑しようとし、互いに語るのである。成り行きに任せ、血と富を待ち伏せ、義人も無実な者も、区別無く罠にかけようと。
28. それが無法者である。彼らは義人も全て義を望む者も、地獄のように飲み込む。彼らは善と義を欲する全ての者を、腐敗と邪悪とあらゆる病的欲望と、悪徳と死の落とし穴に進ませる。
29. 無法者は、ただ大きな財と富を見付けようとし、その盗賊の巣を、働きも努力もせず、不正に獲得した盗んだ財全てで埋め尽くぞうとしている。
30. 子よ、彼ら無法者や不義者と共に道を歩んではいけない。だから彼らの道の前で足を止めよ。何故なら彼らの足は悪に走り、盗みを働き、略奪したものを隠し込み、血を流すために急ぐからである。
31. 子供も大人も、不義者に警戒しながら、彼らと共に歩むことの無いように身を護れ。何故ならそのような行いは、無意味であり、無駄であり、鳥を捕まえる為に鳥の目の前で網を広げる様なものであるからだ。
32. 無法者は富と義人の血を狙っている。又彼らに等しき者の富と血をも区別無く狙う。即ち彼らは、生命に逆らうのである。
33. であるから、富と利益に欲深い者は、皆その欲と悪徳で自らの生命を奪うことになる。
34. 真理と愛と知識と知恵は、彼らにタブーとされ、知恵と愛と知識と真理は、無法者に聞かれずに、背後で彼らのために嘆く。
35. しかし不義者も無法者も、真理の教えとソロモンの言葉である親切な予言者の知恵の言葉を聞くが良い。そうして真理が地の果てに、全ての地区と野に山や森や河川に、湖や海や通りの逆に全ての路地と門と入口を通り、全ての小屋と家々にそして人の耳と感覚に叫ばれよ。
36. 予言者は、地上の全ての人間に呼び掛ける。そして全での門の入口で知恵を叫び、国民大衆に知恵と真理を叫ぶ。彼はあらゆる地で彼の言葉を語る。即ち口と書を用いて。
37. あとどの位、貴方がた地球人は、義に反し、生命に反し、創造の法則と掟に逆らい、創造による七元的秩序に逆らうのであろうか。
38. あとどの位、貴方がた無理解者は、まだ判らず屋でい続けるのだろうか。貴方がた冷笑家は、あとどの位、冷笑し続けるのであろうか。貴方がた無法者はあとどの位、まだ生命に逆らい、財と隣人の血を渇望し続けるのであろうか。又貴方がた不義者は、あとどのくらいまだ真理の教えを憎み続けるのであろうか。
39. まことに貴方がたは、周囲の至る所で生命に危険をもたらし、貴方がたと等しき者、自然、空、水、地上の世界、又植物や動物の世界のそれを破壊した。
40. 不実で、不義で、無道者で、無法な者である全ての地球人よ、貴方がたも貴方がたの祖先も、昔からその様な者として生きてきた。長い時間空間を越えて、今日に至るまで。その間、貴方がたは自らと全ての生命と世界を、恐怖の予言を成就するように駆り立てた、その予言は以前、古きそして最古の時代に、昔の予言者に与えられたものである。
41. 貴方がたは、万事における無紀律により、貴方がたと全ての生命と惑星を、致命的な奈落の淵に、又破壊の淵に連れだした。権力と富と自己中心性をもとめる貴方がたの誤った病的な熱望により、ただ貴方がたに破滅のみが待ち構えている。
42. 世界大戦、無限の悲惨が貴方がたを脅かし、残酷な苦しみが驚愕の中で、恐ろしい死が貴方がたの道連れと成る。何故なら貴方がたは、権力と富、楽な生活を激しく欲望し、真理、知恵、愛、そして知識の教えを憎んできたからである。だから苦痛と死が貴方がたの身に降り掛かってきた時、貴方がたはそれを背負い、それに耐えねばならない。貴方がたはそれから逃れることは出来ない。何故なら貴方がたはそれを自ら引き起こし、呼び求めたからである。
43. 貴方がたは、自らによって予定した事柄の進行を、もはや止めることは出来ない。何故なら貴方がたはずっと先に進んでしまい、貴方の間にも、貴方がたの周りの自然、空、水、地、動物、植物、濯木、木々の中にも、それがどこにあろうと、そこには既に大きな死があるからである。
44. そして貴方がたは、全ての生命を完全に破壊する途上にあり、その目標地点は真近に迫っている。貴方がたが世界大戦により恐ろしい死を広めた時は、ただ怪物のみが生き、致命的な難病のみが世を支配するであろう。
45. こうした行いから立ち返れ。さもないと原子の赤い熱の炎が空から落ち、かつてのソドムとゴモラや近世における広島や長崎のように、すべてはそれと同じ地獄の轟の中に消え去るであろう。
46. 真理、愛、知親知恵に立ち返り、真理の教えに反する憎しみをすべて追放せよ。そして不義、無法、悪事、不実を貴方がたから追放せよ。何故ならば、そうすることによってのみ、貴方がたは自らの生み出した刑罰を緩和させたり、はねつけることが出来るからだ。
47. 後悔、改心、義への変換の為にもはや長い時間をかけてはいけない。何故なら、地球人の自己刑罰の実は成長し熟しているからだ。既に最初の死の胞子が、成然しきった実から落ちている。そして死の種が増大し、すべての地球生命のもとに落ち、至る所に恐ろしき死の悪をもたらしている。
48. しかし地球人よ、見よ、私は貴方に私の霊教えを率直に述べ、真理の教えである私の言葉を知らせよう。その教えは、真理、愛、知識、知恵であり、法則と掟及び七元的秩序から、人間の感覚により認識され、作成される。
49. だから地球人よ、私が呼ぶときには聞け。私の言葉を、耳を澄まして間くがよい。そして私か差し出す援助の手を、掴むのを拒んではいけない。しかしまことに貴方がたの多くが、それを軽視する。
50. まことに私は、貴方がたの予言者である。しかし貴方がたは私の全ての忠告を逃してしまう。何故なら貴方がたは、私が教えたように自分で生み出した刑罰を甘んじて受けようとしないからだ。
51. 私の内に貴方がたのための悲しみと苦悩が有ることを知れ。だから私か貴方がたに啓示し、それについて、貴方がたも秘そやかに考え恐れている邪悪な不幸が、貴方がたを襲う時、私は貴方がたを笑い、なぶりものにすることは出来ない。
52. だから貴方がたが秘そやかに恐れているようにそれが嵐のように貴方がたを襲う時に、貴方がたは私の言葉を配慮するであろう。
53. 不安、苦しみ、悲惨、驚き、驚愕が、貴方がたを襲う時、貴方がたの不幸は、終わりの無い荒天のようになろう。
54. その時貴方がたは私を呼び求めるだろう。しかし私は答えない。貴方がたは私を探し求めるが、貴方がたは私を見出さない。私は貴方がたを助けることは出来ないだろう。だから貴方がたは、自分で義の道を見付けなければならない。そしてまだ、貴方がたは成功することが出来る。
55. どんな時にも貴方がたにとって苦しみと悲惨は大きくなるであろう。何故なら貴方がたは教えを憎み、生命と創造の掟と法則を満たすことに、敬意と畏怖の念を抱いていないからだ。
56. 私は貴方がたの苦しみの時に貴方がたを助けることは出来ない。何故なら貴方がたは私の忠告を欲しないし、私を汚し、迫害し、認めようとしなかったからだ。私は又貴方がたの間にいたのだ。そして貴方がたに道を示した。そして貴方がたを助けることも出来たであろうに。
57. だから貴方がたは、苦き邪悪な本質である独自の実を食べるべきであり、食べなければならない。そして自ら呪いの忠告と、自分で生み出した独自の刑罰の実で、腹を膨らませるがよい。
58. 貴方がたが自らを呪い、無理解者、無法者、冒涜者、不実な者を殺す時がやってくるだろう。しかしそうだからといって、良方がたは自らの刑罰から逃れ去ることは出来ない。かえってその刑罰を地獄の苦痛に至るまで強化するのである。だから貴方がたは無法者の死の方がまだ幸福であるように思われるのである。
59. しかしまことに私の言葉に従い、真理の為に努力して生きる者は、不幸、苦しみ、驚き、驚愕を恐れる必要はないのである。
60. いと高き所におられる創造に誉れあれ。地上に平和あれ。そして人間に満悦あれ。人間はその時、創造の法則と掟、そして七元的秩序と調和して生きるのである。
61. 人間は自らそのような者として証(あかし)するが良い。何故なら人間には、生命の初原より、そのようにすることが定められているからだ。
62. そして人間は、愛、真理、知識、知恵を生涯の間行うことが出来るように。そうすれば、彼は自ずと人となり、隣人に人と成る手助けをするであろう。
63. 従って人間は、知識を得、賢く、愛に満ち、真実であるべきである。そして自らと隣人の生活を助けよ。そして平和とあらゆる被造物との調和一致があるように。


第27章

 1. 創造、賢者、義人の名において。
 2. 創造に讃えあれ。創造は生命の道である。
 3. 即ち予言者は語る。創造によって与えられた生命の道を啓示する。
 4. 「地球人よ、真理の話を受け入れ、生命と創造の法則を覚えて従おうとするなら、注意深く耳を傾け、認識するがよい。
 5. 貴方の耳と感覚が知恵に注意し、熱心に貴方の悟性がそれに傾くように思慮深くあれ。
 6. その中にあって、銀や金又は貴重な宝石類を探し、埋もれ又は沈んだ宝を探し出す時のように熱心であれ。
 7. このように熱心であるなら、貴方は創造の法則と掟、即ち七元的秩序を理解するであろう。又貴方は、悟性を得、大きな認識を獲得するであろう。
 8. 創造が貴方に法則と掟を与える。貴方がその道で探し求める時、掟と法則から生じる認識と悟性が、貴方のところにやってくる。すると貴方の中に感謝しながら知恵が増大する。
 9. 知恵は生命の道のかなりを占める。そして知恵は、誠実な者に真の生命と進化を達成させる。即ち、彼はそれによって保護と愛と知識と真理を獲得する。
10. 人が絶えず公正を行い、真理の道と目的に至る道を守る義人の一人であるなら、その誠実な人は護られ、真理によって生命の道に導かれる。
11. こうして人が生命の道の守護者となるなら、彼は直ぐに義と権利を理解するであろう。又真の愛と敬虔と、すべての良き道をも理解する。
12. 貴方が生命の道の守護者であるなら、貴方が好んで又喜んで更に学び、生命の目的の意味を理解する様に、知恵が貴方の思考と感覚の中に入り来るであろう。
13. そして貴方は予言者の良き忠告を理解し、それに従うであろう。良き忠告は貴方を過ちと堕落から護り、又貴方の悟性も護られ、拡大するであろう。
14. 独自の認識により、貴方に知恵が与えられるであろう。貴方が悪者の道にも、不義者や無法者、そして冒涜者の間にも、即ち無知なる者や学び損ねた御喋りの中に陥らないようにと、彼らは皆正しい道の歩みから離れ、暗闇を歩んでいるのである。
15. 暗闇を歩み、喜んで悪を行う者は敗者である。彼らはその邪悪で本末転倒した行いを、上辺だけで喜んでいるのである。
16. 敗者は、自らその道を往来し、創造の法則と掟そして七元的秩序からずっとはずれた邪道を遍歴しているのである。そこで彼らは、倒錯と暗闇へと導かれているのである。
17. 人間は調子の良い言葉をしゃべる見知らないもう一人の女に出くわさないように、知恵が必要である。又女は、調子の良い言葉を語る見知らぬもう一人の男に出くわさないように知恵が必要である。こうして夫婦の契約は破られない。
18. 夫婦の契りを結んだ一方が去り、離婚するか。姦淫による契約違反が生じるなら、彼らの家は死に近づくのであり、彼の歩みは破滅に近づく。
19. 即ち、法則と掟に逆らい、創造の七元的秩序に逆らい、違反が犯されるなら、他の全てにおいてもそれと同じ事が生じる。何故なら違反する事により生命の道に反する過失が生じる事になるからである。
20. 即ち人間は良き道を歩み、義の道に留まるようにと善の道のために知恵が与えられている。何故なら義人のみがいつか国に住み、そこに留まるであろうから。
21. 創造を冷笑し、生命の道即ちその法則と掟、そして七元的秩序を冷笑する者は,自らの刑罰により、又彼らと同類の者によって,自ずと撲滅していくだろう。そうして創造と生命の道の軽蔑者として,自分自身の軽蔑者と成るのである。」

第28章
 1. 創造,賢者,義人の名において。
 2. 創造に讃えあれ。創造は紀律である。
 3. 知恵について予言者は地球人に語る。そうして予言者は、自分の知識とヤーウェの知識を告知する。
 4.「地球人よ,決して創造の法則と掟を忘れてはならない。即ち貴方の心の中に,そして感覚の中に掟を保持せよ。
 5. まことに創造の法則と掟は,貴方に平和と愛、喜びの良き年をもたらすであろう。だから貴方は、それらの法則に相応しくなり、それらに従う。
 6. 愛と喜びは貴方に連れ添い、決して貴方から離れない。それを輝かせ、光らせ、貴方の最も美しい宝石として身に付けよ。そして貴方の心にそれが永遠に掲示されるようにせよ。
 7. 誠に貴方は、貴方の気に入る人々と好意と賢さを見出すであろう。
 8. 喜び、創造への愛と知恵を信頼せよ。貴方の悟性以上にそれを信用するがよい。悟性は偽りに騙されるので、絶えず学んでいなければならない。
9. 全ての道で創造を覚えよ。何故なら創造は法則(pl)と掟により、貴方を永遠に、真実に、公正に導いてくれるからである。
10. 知識が有り、賢いと自惚れてはいけない。それより創造の無限の知恵を考慮し、悪から離れよ。
11. それは貴方の身体を健康にさせ、貴方の生命と感覚を爽快にさせる。
12. 創造と、貴方自身が、知識と知恵と真理において獲得したすべてと、貴方の悟性と愛の財産を備えている生命を尊び讃えよ。
13. 貴方に欠けるものは何も無いであろう。全ての必要に備えられるであろう。満ち満ちた穀物蔵にある蓄えや、一杯になった絞り機に有るワインや飲料のように。
14. 地球人よ、聞け。義の紀律を斥けては成らない。紀律を実行するのに性急であってはならない。何故なら不義者、無法者、冒涜者は紀律を持たずに生きているからだ。そして自ら選んだ刑罰が彼らのものとなる。
15. 真理を愛し、真理に応ずる者は、紀律を実行し、自らの刑罰によって罰せられな。何故なら彼らは紀律の中に、父が子に見出すような満悦を見出すからである。
16. 法則と掟、そして七元的秩序に従って、紀律をもって生きる時、知恵を見出し、悟性を得る者に幸あれ。
17. あらゆる価値を持つ人間にとっても、紀律の中に生きることは、すべての富を穫得することより優れている。何故なら、彼らの収入は銀や金又は貴重な宝石類以上であるからである。それは不義者が山と積んでいるものである。彼等は、それ故、生きた死入である
18. 紀律と知恵は真珠よりも尊い。人間が欲しいと願う全てのものは、紀律と知恵に比較できない。
19. 長寿は、右手にある紀律と知恵であり、左手には、功労のある誠実な富と真実の誉れがある。何故なら紀律は、義についての知識、即ち、真理と知恵と愛によって与えられるからである。
21. 紀律は、それを遵守し実行する全てに取って生命の木である。それを自らの内に生み、維持する者は、皆賢く公正である。
22. 何故ならまことに創造は、宇宙、天、太陽、地、全ての生命を知恵により創り、全ての独自の紀律の忠告により、基礎付け、整えたからである。
23. 創造の知恵の紀律に拠り、宇宙の深淵は分割された。そして銀河や様々な惑星が有り、地上と至る所に生命がある。だから地上では、雲が霧のように湿気を供給し、それは露として滴り落されるのである。
24. 地球人よ、紀律を貴方の感覚から見捨ててはいけない。そうすれば貴方はその成果を見ることが出来るし、又貴方は至福で賢くなる。
25. 紀律を実行せよ、そうすれば貴方は貴方の道を幸福に歩み、貴方の足はつまづかない。そして貴方が疲れて休む時、貴方は恐れず、元気を回復する為に甘い眠りにおちる。
26. 紀律を実行せよ。突然の驚愕の恐れは、貴方にとって未知のものとなる。苦悩、戦争、憎しみ、迫害が迫り来ても貴方は創造否定者やその他の不義者の嵐を不安がらない。何故なら貴方の足が護られ、捕らわれないよう、貴方が公正に推測しながら処置するなら、紀律は貴方の抵抗(防衛)となり、理性と成るからである。
27. 紀律の中に納め、不十分な者に善を施すことを拒んではいけない。
 貴方はそうすることの出来る立場にいる。
28. だから万事に紀律を行使せよ。そして忠告であろうと行いであろうと、その他必要な物であろうと、食べ物のように隣人がそれを必要とし、貴方に丁寧にそれを要請している時、貴方はそれを彼に与えることが出来るのに、彼に死んで、他の時に再びやってくるべきだと言ってはならない。
29. 貴方の所に信頼して住んでいる隣人であろうと、同じ屋根の下にい
る他人であろうと、彼に対して悪を求めてはいけない。何故なら貴方は紀律の中に生活しているから、隣人を配慮し、彼を傷つけないのである。
30. 貴方はむ知恵の紀律をもって生きているから、あなたは隣人と争わない。彼が貴方に原因を作ったとしても、貴方に危害を加えなかったとしても同じである。
31. 知恵の紀律が、貴方の中に生きているから、貴方は冒涜者を反面教師にして、努力せずして教えられ、決して彼の道は選ばない。
32. 紀律の無い者は不実な人である。そして彼は、あらゆる種類の嫌悪を作り出すのである。
33. 紀律の無い家の中には、独自の力による嫌悪と呪いが支配している。しかし紀律の有る家は祝福されている。
34. 紀律の無い者は、紀律の有る者を冷笑する。しかし紀律の無い者はそれによって自らを不幸にし、恩恵を授かることはない。
35. 紀律を持つ者は賢く、栄誉を確保する。しかし彼らは紀律を持たぬ者に嘲笑される。そして愚者が近づくと彼らは掻き乱される。しかし紀律に満ちた者は、いずれにせよ遅かれ早かれ報酬の獲得を得るのである。
36. 聞くが良い。地球人よ、学び賢くなるように気を付けよ。貴方がたの紀律に注意せよ。紀律を持ち、知恵と義の中に、愛と平和の中に、知識と真理の中に生きよ。
37. 誠に貴方がたが創造の法則と掟に従い、即ち生命の法則を捨てない様に、貴方がたに教示する時、私は貴方がたに良い教えを与える。
38. そして私は貴方がたに言う。私は人の子であり、予言者である。そして私は独自の力とヤーウェである父の様な友の力に拠り創造の真理を教え、告知する。
39. 私が創造に私の意識を開き、創造の真理の教えを理解し従うように、創造がその法則と掟に従って私に教えてくれた。そして私は愛の声を聞いた。その呼び声は私に法則と掟を維持し、それによって私が生きるように、と告げた。
40. 即ち聞くがよい、地球人よ。絶えず貴方のものと成る知恵と理解をもとに、全てを学べ。しかし決して真理の話と創造の法則と掟を忘れず、それから離れてはいけない。
41. 創造の道を離れ、そこから去ってはいけない。その為に創造が貴方を守るであろう。創造を畏敬と尊敬を持って愛せ。そうすれば創造が貴方を護ってくれるだろう。
42. まことに貴方が好んで知恵を聞き、真の知識により、賢さの方が貴方にとって全ての財と富より一層好ましい時、その時が知恵の始まりである。
43. 知恵と紀律に留意せよ。そうすれば貴方の願いは聞かれ、貴方は自ずと尊敬されるようになるであろう。貴方が真に紀律を守り、誠実に知恵を維持するならば。
44. 紀律と知恵は貴方の頭を美しく飾るであろう。それは華やかな誉れの冠と成って貴方の誇りと成ろう。
45. だから地球人よ、聴くが良い。そして私の真理と知恵の言葉を学べ。そうすれば貴方の生命は増し、貴方は平和に満ち、隣人にも平和を与えるであろう。
46. まことに私は貴方の予言者である。私は貴方を真理と知恵の道に連れて行こう。そして貴方を正しい道に導こう。
47. 地球人よ、貴方が歩む時、貴方の足取りが乱れないように、貴方が走る時つまづかないように、私は貴方を導こう。
48. 知恵の紀律を掴め、そしてそれを決して離すな。生命有る全てのものの中にそれをとどめておけ。何故ならまことに紀律は、貴方の生命であるからだ。
49. 冷笑家、無知な者、創造を否定するものの道に至ってはならない。即ち悪人の道を歩んではならない。
50. 創造に反する者を逃してやれ。そして同じことをするために彼と歩んではいけない。彼から離れ、彼の所を通り過ぎよ。彼は真理を聞こうとしない。
51. 悪者は紀律の中を歩んでいないことを知れ。彼らは悪いことをした後でないと眠らない。又危害を加えた後でないと休まない。
52. 紀律の無い者は、悪人、不義者、冒涜者、無法者、冷笑家、創造を持たぬ者である。そして彼らは、創造に拠らぬ糧で自らを養い、冒涜のワインを飲む。
53. 創造を持たない無法者の道は、暗く、闇のようだ。彼らはどこに落ちるか知らないし、判らない。
54. 紀律に満ちた者や義人の道は光のように輝いている。それはすべてを成就させる完全な日まで、益々明るく輝く。
55. 私の隣人である地球人よ、私の言葉に注意し、貴方の耳を私の真理と知恵と愛の話に、そして知識に傾け。
56. 貴方の目と視線を真理から逃してはいけない。即ち紀律から逃してはいけない。そしてそれをしっかりと貴方の意識の中に守れ。
57. 聞くが良い。紀律と知恵と愛を。創造の法則と掟による知識と真理は、それを見付ける者にとって生命である。それは彼らの全生涯を健康にする。
58. 創造による紀律、知恵、知識、真理を、貴方の意識の中に熱心に護れ。何故ならそこから生命が咲き、生きるからである。
59. だから間違った口をつぐみ、毒舌家を貴方から遠ざけよ。目の前のものを真っ直に見、まぶたをしっかり開けよ。そうすれば貴方は正しく前方を見詰め、真理を知り認識する。
60. 貴方の進む道を見詰め、同じく貴方の足元も見詰めよ。そうすれば貴方はつまずかずに、安全に確実に歩む。
61. 右や左へと揺れ動いてはいけない。即ち義の道を歩み、悪の道を避けよ。
62. 紀律、知恵、即ち愛、知識、真理に注意せよ。何故ならば生命はその中に基づいているからだ。
63. 紀律と真理の中で賢くあれ。そして過ぎ去ったことを喜べ。何故ならまことに、賢者は過去から学び、愚者だけが過ぎ去ったことを泣くからだ。
64. 紀律はあらゆる生命の生存に浸透している。即ち子孫の教育にも。
65. 両親にも子供にも紀律が有る。だから両親は子孫に対し紀律を治め、子供達も両親に対して紀律を治めるのである。
66. そうして人々は、紀律の中で人生を意のままに処理する。彼らが成年に達し、夫婦の契約を結ぶ資格が出来た時、彼らは初めて夫婦になる義務を負うのである。
67. 夫婦は大きな義務が有り使命が有る。即ちそれは生活の全ての義務を含んでいる。又子孫の教育の義務も含んでいる。
68. 子孫の教育は両親の最も厳しい紀律に基づく。両親は、義、愛、知恵、知識に於いて教育されていなければならない。
69. 子孫の教育において、両親は紀律が与えられていなければならず、子供達に公平な処置が与えられ、殴ったり、罰棒を加えてはならず、精神的悩み、不安、恐れ等も与えてはいけない。
70. まず人は、自分自身の中で、それから外に向かって成長し、紀律を身に付けよ。人は子供を育てる前に、理解と忍耐を身につけるべきである。そうして子供を義にあって、賢い紀律の中で取り扱うようにせよ。
71. 生活の全ての事項に、紀律が人間によって学習されなければならない。寿命(年) が短ければ、短い程彼の紀律は僅かである。  
72. 人間の紀律がまだ僅かで、生活に必要な基準に達していなければ、彼はまだ成年ではなく、自分の生活を独自の力で責任を持って導く能力が無い。従って彼は夫婦の契りを結ぶことも出来ない。
73. 即ち紀律の乏しい者は、子供達を害し、彼らを駄目にしてしまう。そして慈愛も理性も理解も無く、子供達の上に座すのである。
74. 生活年数と共に、人間の理性と悟性、即ち紀律は成長する。その為に努力をすれば、即ち子供の教育もそれに応じて処理される。
75. より紀律に満ち、より賢い高齢の両親より、生活年数の少ない若い両親は、年を取ってから彼らに対処するより、誤った処置をとりやすく、紀律に乏しいことは確かである。
76. 年齢が増すにつれて、人間の中には理性、悟性、紀律、知恵、愛、真理が増大する。その為に努力すれば、子供に対する理解も増大する。だから若輩の時には、血を分けた子供でなかろうと、自分の子であろうと、誤った紀律に乏しい処置を取ると言われる。
77. 同様のことが互いに夫婦の契りを結ぶパ-トナーに対しても言える。又兄弟姉妹、友人、知人においても同様であり、人間対人間、隣人対隣人に対しても同じである。親類の絆があろうと、他人対他人のように精神的な結合の絆がなかろうと、同様である。

第29章

 1. 創造、賢者。義人の名において。
 2. 創造に讃えあれ。創造は警告である。
 3. 近代の予言者は地球人である。私の語る知恵の言葉に注意し、貴方の耳を私の真理の教えに傾けるようにと貴方に語る。その教えは、創造の法則と掟を語る真の教えである。
 4. だから良い忠告を聞き、守り、 貴方の口、思考、処置に相違があることが判るように賢くあれ。
 5. 何故なら、まことに相違は沢山有る。それは人間においても善と悪、良と不良、道徳と不道徳、栄誉に満ちた者と不真面目な者との相違である。
 6. 性的不道徳は不真面目な者に属する。それは不道徳であり売春行為である。又悪徳であり、世のあらゆる禍である。それは、人間の思考処置の誤りに拠ってなされたものである。
 7. 娼婦や男娼は、報酬を得、又は報酬無しに性的不道徳を犯す。娼婦は、一人以上の男と性交をするために、身を捧げる女である。男娼とは売春婦と性交をしたり、法律上の妻でもなく、進化に適った愛に相応しくない別の女と交わる男のことである。
 8. 娼婦や男娼の唇は蜂蜜のように甘い。彼らの咽喉は油のように滑らかで、彼らの身体はビロードのように柔らかい。
 9. まことに蜂蜜は、その後ではニガヨモギのように苦く、油は両刃の刃のように鋭く。柔らかいビロードは吐気に満ちた臭い粘液と成る。
10. 娼婦や男娼の足は死へと走り、その歩みは墓場に通じる。何故ならば彼らは争い、不和、口論、衝突を作り出し、病気、禍、疫病、長煩いを生み出し、それを民の間に持ち込み移す。
11. 男や女の売春行為は生命の道を真っ直に歩まない。彼らの歩調と足取りは定まらず、彼らはどこに行くのか、決して知らない。だから彼らは何かの問題において、予測することも出来ない。
12. だから地球人よ。私の言葉に従い、真理にならって生き、私の教えの話から離れてはいけない。
13. 貴方の道を売春行為から遠ざけよ。節操を知らぬ者と成らぬよう、貴方の生活基準を無慈悲な者に捧げてしまわない様に、売春館の門に近づいてはいけない。その館は貴方の思考、感情、肉体に苦悩をもたらす。何故なら何よりも病気と長煩いが、貴方を襲うからである。
14. 貴方が売春を行うなら、貴方はあらゆる災いに撃たれる。自ら生み出した罰として、見知らぬ者が、貴方の財と富に満足するだろう。貴方の行いは見知らぬ屋根の下に、見知らぬ場所に、見知らぬ家の中に有るのだから。
15. 貴方が売春行為をすれば、貴方の肉体は長煩いと病気に襲われ、後で貴方は嘆息をあげねばならないだろう。貴方の財産、資産が消費され、見知らぬ者がそれに満足し、楽しむ時に、貴方は嘆息を上げねばならないだろう。
16. 貴方が売春行為をすれば、貴方は紀律、知恵、愛、真理、知識を憎むようになるだろう。そして貴方は、あらゆる義と生命を中傷するだろう。
17. そして貴方の話は、以前不真面目な者によって話された様になろう。彼らはこう語った。
18. 確かに私は、全ての人々と全ての国民の前で一切の不幸に陥った。私は、真理即ち予言者の声に従わなかったからだ。彼は私に教示しようとしたが、私の耳は傾かなかった、と。
19. 地球人よ、だから予言者は貴方に語る:自分自身の穴から水を飲め。そして自分の井戸から水を汲め。そして貴方の川に水を流せ。
20. 貴方の井戸と溜池の水を貴方の畑の水路に流せ。他人の堀に水が達し、どっと流れ出し、路地や地下室に氾濫しないようにせよ。
21. 真理と愛の清さのために配慮せよ。又知識と知恵のためにも!そして見知らぬ者が、その清さを破壊し、貴方を不道徳な売春行為へと導かないように。それは嫌悪と悪徳である。
22. 貴方の井戸が祝福されるように、貴方の家を喜べ。男は紀律に適った妻を喜べ。又女も紀律に適った夫を喜べ。そして彼らは青春を守る。
23. 地球人よ、何故貴方は売春行為をして見知らぬ者を楽しみ、貴方に誠の愛と正当性が与えられるものとして、他人を胸に抱き締めるのか。
24. まことに人間は、自ら自分の生命と生き方の全ての問題について決定を下す。何故なら誰の道も、創造の法則と掟によって開かれているからだ。即ち、自分の全ての歩みも自ら計る。
25. 創造を否定する者の悪行は、彼自身を捕えるであろう。そして彼は自ら刑罰を生み出し、独自の破廉恥行為の綱で身を縛り、それにつながれて首を絞めるのである。
26. だから悪人は独自の罰で死ぬだろう。彼は道徳と警告を無視し、警告と知恵に手を引かれようとしないからである。彼の大いなる愚行のために、彼に災いが訪れる。
27. まことに誰もが、男も女も子供も、警告を受けるべきである。警告に従うことによってのみ、生命が与えられるのであり、警告を軽視すれば生命は萎え、死ぬ。
28. 全ての事柄のために、警告が人間に与えられている。地球人よ、そして義務と責任も与えられている。貴方は隣人の保証人である。だから貴方も隣人が正しい道を歩むように、援助と教示の手を差し出さねばならない。
29. 即ち貴方は義務を行い、責任を持つよう警告される。貴方は不真面目な者達と行動を共にしないこと、彼らと売春行為や悪を行わない事を、彼らに真理を持って教えよ。
30. そうすることによって貴方は、貴方の口から語る話によって隣人と結ばれる。即ち貴方は、たとえどの様に何を語ろうと、自分の口が語る話に縛られるのである。
31. 即ち貴方の口から語る言葉を、栄誉を持って更に教示しながら導く事は、貴方にとって正しかったのである。何故なら貴方の口から誤った話が語られれば、貴方は損害を被るからである。
32. だから正義を行え、地球人よ。そうすれば貴方は公正であり、悪人や不真面目な者、あらゆる災いから貴方を救うことになる。
33. 隣人の手に落ちてはいけない。そうして彼が邪悪な時、彼の精神に従って、彼が貴方を教育することの無いように。そうではなく、急ぎ隣人を教えるのである。そうすれば彼も知識を得、公正になる。しかし隣人が真理と教えを熱望している時のみ、そうせよ。
34. 隣人が教訓を熱心に求めている時、貴方の教訓は、急ぎ、駆り立てるものであってはならず、注意を促し、情報を与えるだけのものであるべきである。
35. 見よ、地球人よ。まぶたを閉ざしてはいけない。目を開き、意識と感覚を微睡ませてはいけない。貴方と隣人を救え。ノロジカが猛獣の牙から、素早い跳躍により救われるように、又鳥が鳥刺し人の手から、アッと言う間に逃げ去るように。
36. 貴方はアリの様であれ。何にも役に立たない者、のらくら者、ろくでなしの様な怠け者であってはいけない。
37. アリの様に熱心に働く人間であれ。そして生み、進歩する者と成れ。又用意周到であり、それに従って日々のパンを働いて手に入れ調達するようになれ。即ち夏と秋の間に備蓄を備え、冬の間に食物や飲物が有るように。
38. しかし怠け者よ。貴方はどのくらい遊んで暮らし、仕事もせず、収穫ももたらさず、無為に過ごすのか。一体貴方はいつ怠惰な眠りから起き上がるのか。
39. しかしそうしていたいなら、あともう少し眠り、もう少し微睡み、互いに手を包み、眠り、無為に過ごすがよい。しかし貧困が短距離走者の様に、そして欠乏が武装した男のように貴方を慌てさせる時、驚いてはならない。
40. まことに救いようの無い者、不道徳な者は、偽りの口を付けて歩め。彼は誤った眼差しで合図する。そして不作法に足で説明し、指でさす。その間、彼はいつも悪事を求め、悪意と愚行を心に抱き、争いを広める。
41. しかし突然彼に滅亡が襲い、直ぐに落伍してしまっても、誰も彼に助けを差し伸べない時、すべての警告を無視する悪人よ、驚くなかれ。
42. それでも滅亡は突然悪者を襲う。彼らはそれを避ける事が出来ない。彼らは直ぐに破滅してしまうだろう。そして誰も彼らを助けない。
43. 悪者は全ての不道徳を犯す。そして彼らはどんな悪事も区別しない。地球人には多くの悪事が有る。その最も酷いものは77ある。
44. 最も酷い77の不道徳は、悪人や不義者によって為される。それはまことにあらゆる災いの最悪の災いである。
45. 売春行為
46. 高慢
47. 偽り舌
48. 殺人
49. 悪知恵
50. すばしこい足
51. 損害を加える。
52. 喧嘩の種を蒔く人
53. 紀律の無さ
54. 復讐
55. 憎しみ
56. 盗み
57. へつらった話
58. 契約違反
59. 不潔
60. 無秩序
61. 嘘
62. 分派
63. 嫉妬
64. サディズム
65. 放縦
66. 戦争
67. 権力欲
68. 利欲
69. けち
70. 誇大妄想
71. 支配欲
72. エゴイズム
73. 奴隷制度
74. 拷問
75. 裁く
76. 苦しめること
77. 争い
78. 悪い話
79. 依存性
80. ひもの生活
81. 堕胎
82. 遺産横領
83. 相続争い
84. 不作法な言葉
85. 話を遮ること
86. 不真面目を犯す
87. 名誉を傷つける
88. 尊敬を払わない
89. 無礼
90. 信心
91. 偶像礼拝
92. 神礼拝
93. 儀式礼拝
94. 捧げもの
95. 盲従
96. 強欲
97. 悪徳     
98. 病的欲望
99. 中傷
100.自己憐情
101. 同憾
102. 冷淡
103. 悪ふざけ
104. 無頓着
105. 不注意
106.邪悪な熱望
107. 邪悪な処置
108. 不親切
109. 無知
110. 図々しさ
111. 知恵の無いこと
112. 真理の無いこと
113. 身体の切断
114. 衣服を剥ぎ取ること
115. 非行
116. 強奪
117. 誤った教えを広めること
118. 意志薄弱
119. 怠惰
120. 死者の霊を呼び出すこと
121. 不誠実
122. 地球人よ、創造の法則と掟及び七元的秩序を守れ。そして秩序の紀律に従え。それは周囲の秩序を支配する霊的指導者によって、知恵の中から生まれるもので無ければならない。
123. 77の不道徳を概念として、貴方の意識の中に覚え込め。そしてそれが絶えず貴方の記憶に残り警告してくれるようにせよ。貴方が歩む時に、それは貴方を導き守る。貴方が横たわる時、それは貴方を眠りの中で守る。再び目覚めても、絶えずそれが貴方に警告し、そして悪行から貴方が守られるようにせよ。
124. 地球人よ、考えてみよ。掟はいずれも貴方に取って灯火であり、法則はいずれも光である。紀律の行使は貴方に取って生命の道と成る。
125. 貴方が全ての災いから守られる為に、紀律が貴方にとって掟と法則であれ。そして男は邪悪な女や見知らぬ者の滑らかな舌から守られるように。彼女は売春を行うからである。
126. 貴方が全ての悲惨から守られるために、紀律が貴方に取って法則と掟であれ。そして女は、美青年の誘惑的な言葉から守られ、見知らぬ者のいんぎんな舌から守られる様に。彼は男娼である。
127. 男は見知らぬ女の美しさや甘い言葉に誘惑されてはならず、女は見知らぬ男の、男らしさの無い、女性的な美に誘惑され巻き込まれては、ならない。又偽りの言葉や贈り物や追従に対しても同様である。
128. 女も男も、まぶたや体の一部、話、富、又は見知らぬ男や女につられては、ならない。何故なら娼婦や男娼が、正直な者のパンと健康を奪うからである。
129. まことに娼婦や男娼は義人のパンを渇望する。即ち正直者が不注意で彼らにだまされ、娼婦や男娼のお世辞と誘惑に応ずるなら、彼らによって義人の家族は破壊される。
130. まことに衣類を焼かずに誰も胸に火を乗せる事は出来ない。又傷付きやすい者は、足を火傷せずに燃える石炭の赤熱の上を歩くことは出来ない。
131. 即ち隣の女や男、又は娼婦や男娼の所に行く者の足や衣服は燃える。何故なら非合法にそのような者に触れる者は、誰も罰せられずにはいないからである。
132. 盗みや裁き、又盲従、その他上に挙げた77の不道徳の一つの災いを行う者は、愚か者である。彼らは法則と掟と秩序を破ることによって、人生を破滅させる者に等しい。
133. 過失者はいずれにせよ、遅かれ早かれ、災い、不道徳、罰に出くわす。彼らが悪の道から全く退き、徹底的に真理に従って生きないのであれば、それは彼らが自ら科し、生んだものであり、それを償うことは出来ないからである。
134. 見知らぬ女に走る男や、見知らぬ男に走る女は、男娼であり娼婦である。その様に誤ったパートナーと、だまされた夫達が邪悪な怒りで燃え、彼らの側からなす悪意の復讐の為に、寛大な時間は無いことを知れ。何故なら彼らはもっと不義者であるからだ。
135. 知恵の招きと約束について、予言者は更に教える。それは永遠より創造にあり、人間はそれを創造の法則と掟及び七元的秩序の中に認識できる。
136. 聞くが良い、地球人よ。貴方が耳をそば立て、感覚で聞くなら、貴方は知恵の呼び声を聞く。即ち貴方の中に賢さの力が侵入してくる。
137. 知恵と賢さがいつも貴方の記憶の中にあるように。何故ならそれは、貴方がたとえ何処に行こうと、貴方に呼び掛けるからだ。公道や通りで、灯火の門の所で、家のドアで、貴方が住んでいる部屋の中で、また野や田畑や森の中で、又水上と空中で、貴方に呼び掛ける。
138. 即ち知恵と賢さは至る所で貴方がたに呼び掛ける。地球人よ、だから私も貴方がたに叫ぶ。男も女も至る所にいる人々よ、貴方がたが私の真理の言葉を聞くように、貴方がたがついに聞き耳を立て、学び、公正に生き、いつ他の時に、貴方がたが教わらなかったとか、私の声を聞かず、真理の書も受け取らなかったと言わないために。
139. 賢明になり、能く注意せよ。貴方がた愚か者、無理解者よ。私が貴方がたに教えなければならない事を貴方がたの意識の中に迎え入れよ。
140. 聞け、何故なら私は貴方がたに話すからだ。まことにそれは高く、教訓的知恵が有り、適切な言葉である。だからそれを肝に銘ぜよ。
141. 私の口と私の書は真理を語る。何故なら私の唇は偽りをはねつけるからだ。書物を与えた私の手も同様である。
142. 私の口の語る話は全て正しい。何故ならその中には本末転倒も誤りも無いからだ。何故なら真の真理は偽造されず、曲解されないからだ。
143. 私の語る全ての正しい真実の話は、真理を真実に求め、受け入れようとする者に取って、正に彼らの探しているものであり、彼らにとって正しいものである。
144. 地球人よ、知恵の紀律を理解せよ。それが貴方にとって銀や金よりも好ましいものであれ。そして真理の教えを、真珠や最も貴重な鉱物より高く評価せよ。
145. 紀律、真理、知識、愛、即ち真の生命は、銀、金、真珠、最も高い貴石よりも尊い。又人間が望むことの出来る全てのものより、それは何にも例えることが、出来ない。
146. 知恵は自ら叫ぶ。それが人間に聞かれ、理解されるようにと。「私は知恵であり、私の中に賢さが住む。そしてまことに、私はいつも良い忠告を与えることを心得ている。」
147. 予言者は語る:恐れと不安は人間の中に住んでいる。それは無知、不正、困窮、圧制、その他数え切れない害悪によって生み出される。
148. 人は恐れと不安の中で、横柄な目、高慢、あらゆる悪の道、その他権力欲の有る者、人を惑わす者。又77の不道徳な害悪によって与えられる全てを憎む。即ち人は、この真理に対して論争する、倒錯した口の敵である。
149. 知恵の中に、助言、行動、悟性、理性、権力、全てが生きている。賢者は知恵によって統率し、法律を定める。すべては、創造の法則と掟と七元的秩序に与えられているように人は知恵をもって生き、統率し、処理する。そして不安と恐れは彼に負けるが、悪しき者は自ら破綻する。
150. 人間は知恵によって学び、ヤーウェ、予言者、霊的指導者によって導かれる。何故ならこれらの人々は、自分達が求め探した知恵を愛しているからだ。だから地球人も今それを探し求めるべきである。
151.誠に誉れと富は、知恵と紀律の中に有る。又持続する財産と義も。万事において、紀律と知恵が守られるべきであると言う好意的で公正な警告もそうである。
152. 警告の実は、人間に取って最も優れた純金よりも素晴らしい。又警告の実は、人間に取って鉱石よりも優れたものであるべきだ。
153. 警告は正しき道と権利の道を歩む。人間が十分に備えられ、賢明にそれに従い、そこから宝を生み出さんがために。
154. 知恵は創造の中にあった。そして紀律と警告は、その道の初めに創造の中にあった。即ち創造が最初の生命を創り出す前に。全ては創造の中にあった。
155. 愛、知恵、知識、真理。紀律、警告は。全ての始まりから、永遠の永遠に、大いなる時間から時間へと、創造によって投与される。
156. 全ては、広遠な宇宙世界が存在する以前に、泉に水が湧き出す以前に、山が丘や平地の前に高くそびえる以前に、創造の中で創り出された。
157. だから地球人よ、創造の指示に従え。そうして警告を聞き、指示の道を歩むすべての者に祝福があれ、
158. 警告に耳を傾け、紀律を行使し、知恵を学べ。そして貴方がたが悪に背を向け、公正にならんがために。
159. 警告と指示に従う者に幸あれ。彼は目覚め、そのドアを真理の教えのために開け放つ者であれ。
160. 真理を見出す者は生命を見出す。そして人々と、地を這い、空を飛ぶ愛と生命を持つ全てによって、満悦を獲得するだろう。
161. 警告を軽視し真理を逃す者は、生命を冷笑し、自分の内に地獄を作り出す。地獄は人間の中に有る悪の状態であり、場所ではない。



第30章

 1. 創造、賢者、義人の名において。
 2. 創造に讃えあれ。創造は知恵である。
 3. 更に予言者は、ソロモンの価値を持つ、親切な知恵の呼び声を与える。又愚行の誘惑に対する警告と義の祝福、そして不義の呪いに対する警告を与える。
 4. 創造は知恵に基づいて築き、7つの生命の柱を建てた。それらは忠誠、愛、真理、知識、知恵、紀律、義である。人間はそれに従って生き、公正を行うべきである。
 5. 即ち予言者は語る。「私は私の教訓から喜びと真理を送る。世界の高みに至るまで。それらが全ての者に聞き取られんがために。
 6. 判らない者は立上り、私の所に来たれ。そして私の使徒と成れ。彼らは教訓を得、愛に満ちてすべての真理を教えられる。彼らは真理を熱心に聞き、それに従おうとする者である。求める者が、賢者であろうと、愚者であろうと、たわけ者であろうと、不義者であろうと同じである。
 7. 判らない者、真理を求めている者、無理解者や偽りにより骨折り、重荷を持って真理を探している者は、皆来たれ。
 8. 貴方がたは全て立上り、私の真理の言葉に従え。そして私のパンで生き、私が貴方がたに送るワインを飲め。そして貴方がたの無理解の本質を捨てよ。貴方がたが生き、賢さの道を歩まんが為に。
 9. 貴方がたの周りに冷笑家がいることを知るが良い。彼らは貴方がたの公正な道を嘲笑する。貴方がたはその道を歩むべきではない。しかし彼らにかまってはいけない。危害を加えてはいけない。何故なら冷笑家は、自らを嘲笑しているのだから。
10. 冷笑家を懲らしめる者は、冷淡と不道徳を自ら受けることを覚えよ。過失者や罪人又は不義者を裁いたり罰する者は、軽蔑され、呪われ、憎まれる。
11. 冷笑家を罰してはいけない。何故なら彼は貴方を憎むからだ。義を行え。そうすれば知恵が、冷笑家にも不義者にも愛を与えることが判るだろう。
12. 貴方が冷笑家に、愛と親切な言葉を投げ入れれば、貴方が死んだ後で彼は思慮深くなるだろう。賢者があらゆる贈り物を受け、もっと賢くなるように、義人も教訓を得るとその教えの中で大きくなる。
13. 人間における知恵の始まりは。生命の始まりである。賢者や知識人を認識することは、真の悟性である。
14. まことに人間は、その知恵により彼の日々は多くなろう。即ち彼の寿命は増すであろう。
15. 何と貴方が賢いなら、貴方は自分自身に取って賢いのである。しかし貴方が冷笑家なら、貴方はただ貴方自身のみを嘲笑するのである。即ち貴方は重荷を一人で背負うのである。
16. 貴方が愚かで粗野で、御喋りばかりしているなら、貴方は何も知らない。そして貴方は無知であり、不義者の一人と成る。
17. 貴方が無知な者や不義者の一人であるとする。彼らには盗んだ水が甘く、奪ったパンが口にあう。何故なら彼らは水に毒が含まれ。パンに死因が有ることを知らないからだ。彼らは既に死人であり、深い怠惰の落とし穴の客である。
18. 教訓は教える。賢い息子は父に取って喜びであるが、愚かな息子は母に悲痛と死をもたらすと。
19. 即ち不正な財産は助けず与えないが、義と知恵は死から救うという意味である。
20. まことに知恵は義人の心を飢えさせない。それは愚かな者と不義者の欲情を押し退ける。だから彼の精神は、独自の罪による不道徳を被らない。
21. 実に次のことは真理である。好い加減な手は貧しくするが、熱心な手は豊かにする。
22. 賢者は夏とあらゆる収穫時に採集するが、怠け者や愚か者はその時期に寝過ごし、失敗するであろう。
23. 義人の頭は祝福の輝きを放つが、不義者の口はその自らの悪事に襲われる。
24. 義人の祝福は人々の記憶に留まるが、不義者の名前は朽ちる。
25. 感覚、努力、処置において賢い者は、創造の法則と掟及び七元的秩序に従って生きている。愚人の口を持つ者は、その愚行に撃たれる。
26. 潔白に生きる者は、安全で正直に生きる者である。倒錯した生き方をする者は、明らかに晒し者と成る。
27. 目配せをする者は難儀を引き起こす。しかし明白な合図をし、隠し事をしない者は喜びが彼のものとなる。
28. 不義者や御喋り屋の口は、難病で積まれている。しかし義人の口は生命の泉である。
29. 愛は多くの欠点や違反を包む。しかし憎しみは争いを起す。
30. 愚者の背中には無知の印が燃えているが、理解有る者と義人の唇には、知恵と愛がほとばしっている。
31. 愚者は不安と恐れと驚愕の中に生きている。しかし知恵有る者は、真理の教えを知恵の中に守る。
32. 不義者と愚者は自らを貧しくし、彼らの貧困は彼らを低能にする。義人は自らを賢く豊かにし、彼の財産を生命のために使用する。一方愚者と不義者は、その収入を愚鈍の中に浪費している。
33. 紀律を守る者は生命の道を歩む。紀律も無しに生き、訓戒を必要とする者は、誤謬の中に留まる者である。
34. 偽りの口を持つ者は、皆己れの中に憎しみを隠し、自分で自分の生命を毒す。彼は中傷し嘘を付く者と同じ愚者である。
35. 一つの問題について口数の多い者は、内面的にも外面的にも誤っている。何故なら御喋り屋は多くを語るからだ。彼は言葉が偽りであり、誤りであり、嘘であることを知って裏付けをしているからだ。
36. 知恵者は賢く、誤りが無い。だから彼は問題について口数も少ないし、あるいは沈黙する。何故なら彼は、真理が僅かな言葉しか必要としないことを知っているからだ。彼の唇は慎ましく助言する時に口を聞く。
37. 話は手を汚す変色した銀に等しい。沈黙は目を喜ばす磨きのかかった金に等しい。
38. 即ち義人と知恵者は紀律を持ち、適当な言葉を選び、ペラペラとしゃべらない。一方不義者や愚か者は、ペラペラとよくしゃべり、無意味なことに口数が多い。そこから彼が嘘付き者であることが判るのである。
39. 口数が多く、雀の様にペラペラとしゃべる者は、その愚行のゆえに死ぬであろう。義人や知恵者の唇は、多くの人を楽しませ元気付ける。彼らはそうして生き、畏敬をもって目覚める。
40. まことに知恵の祝福は人を苦労しなくても豊かにする。即ち彼が知恵の忠告に従い、それを持って生きるならば。
41. 愚者は悪知恵を働かす。そして独自の冷笑を刈り入れるのである。何故なら愚者として、彼は注意して聞かず、彼には知恵が無いからである。
42. まことに知恵者が尊び、重んじ、畏敬の念を払うものが。彼に報酬をもたらすであろう。そして彼は、彼に与えられる全てのものを、善ゆえに喜んで受け取るだろう。
43. 知恵の無い者や不義者は、尊敬もせず、重んぜず、畏敬の念も払わない。彼は雷や稲光に脅かされる。邪悪な天使が過ぎ去り、災害を後に残していくように、全ては彼に取ってそのようになる。
44. 甘いものが歯を虫食むように、煙が目に染みるように、怠け者、役立たずの者、のらくら者は。彼らに好意を抱いている全ての人々に、害とうずく痛みをもたらすであろう。
45. まことに知恵は、義人に取って生命の日々を増す。しかし知恵の無い者の生命の年は短縮される。
46. 義人と知恵者の人生は、善、知識、愛、真理である。不義者や知恵の無い者の人生は、喜びでなく無知であり、愛も無く、真理も無い。又彼らの全ての希望は、いつも失われている。
47. まことに義人と知恵者の道は、最も優れた要塞の抵抗であるが、愚人や犯罪人や知恵の無い者に取って、その道は骨の折れる馬鹿げた行いである。
48. 義人や知恵者は決して倒れたり突き倒されたりしない。不義者や知恵の無い者は、自らを馬鹿呼ばわりする。そして彼はつまづいて転び、転落し、いつも突き倒されている。そして彼は頭を撃ち、愚鈍は更に彼のものとなる。
49. 即ち義人の口は、知恵、愛、賢さ、真理、知識、又喜び平和、希望、進歩をもたらすが。偽り者、不義者、知恵の無い者、全ての冒涜者、又他の全ての無頼の道は、その舌を噛み、彼らと同類の者によって根絶される。
50. 義人や知恵の有る者の舌は、真理、知恵、知識、愛、喜び、義、平和、法則と掟及び七元的秩序を学び教示する。そうしてそこから生命が、即ち救いをもたらす事物が生じる。
51. 不義者や知恵の無い者の唇は、学びを教えない。彼らは嘘偽りをペラペラしゃべり、憎しみ、復讐、不義、無知、戦争、流血、全ての害悪の種を破壊と破滅に至るまで蒔く。そうして彼らは生命を破壊し、災いと成る事柄を生み出す。
52. まことに誤った道は壊れた秤のようなものだ。それは不和と不義を生み出す。そして欺き、嫌悪を生じさせる。又正しい道は、完全な重さと、誠実さと、良き人生の満悦を与える秤に等しい。
53. 知恵は、畏敬の念を持つ者、賢き者に住み、彼は謹みと控え目を大事にする。しかし高慢を持って自分の存在をどうにか続ける者は、恥辱と不機嫌な眼差しの中で欠乏して苦しむ。
54. 真理を軽蔑する者は取り乱し、彼らの悪意は精神に害を及ぼす。誠実は敬虔であり、義人を導き喜ばせる。
55. まことに義は、多様な害悪を邪な死から救うが、不義者の不当な財産は、彼らの中に怒りと、死の訪れに対する不安を生み出す。
56. 義人と知恵者には敬虐さが与えられている。彼らは法則と掟及び七元的秩序に敬虔である。敬虔とは即ち満たされることである。即ち敬虔とは満たしであり、人間は満たされ、即ち敬虔になる。
57. 敬虔な者は、義において彼の生命の道を平らにする。しかし不遜な者は、その不遜な本質により倒れ転ぶ。
58. 敬虔さを軽蔑する者は、その独自の陰険さに捕らわれ害を被る。敬虔な者はその独自の義に守られ救われる。
59. 不遜な者が死ぬと彼の全ての希望は失われる。又彼の全ての憎しみも、悪意と不義の中で無に帰す。
60. 敬虔な者は、あらゆる苦境から開放されるが、不遜な者は、その代わりに悲惨と呪いを作り出す。
61. 偽善者は卑屈な嘘をやたらとしゃべりまくり、隣人を誘惑し破滅させる。しかし義人や敬虔な者はおべんちゃらを避け、身を清く保つ。
62. 不遜な者は、破壊し、破滅させる。しかし敬虔な者は建て、全てを生かす。
63. 敬虔な者は隣人の生活を助ける。だから彼は祝福される。しかし愚かな者は、不遜である。彼は隣人を恥かしめる。だから邪悪な刑罰が彼を急襲する。
64. 敬虔で知恵有る者は忠実な性向を持っている。彼は内密な事柄に対して沈黙を守る。中傷者はそれについて偽った御喋りをする。そしてコソコソと陰険な中傷をする。
65. 知恵の忠告の無い所には正しい行いも無い。だから知恵者が忠告を与えず、国民や問題がそれに従って導かれないのであれば、その国民は滅亡していく。
66. 国民に、ただ才人の賢い助言者がいるべきである。何故なら、船頭多くして 船山に上る の諺のごとく、あたかも多くの忠告者が助言を無為にしてしまう事に等しい。
67. 人は他人の保証人であってはならず、又そうなることも出来ない。何故なら彼が保証人になるなら、直に損害が彼を襲うからだ。だから誰もが自らの保証人になるべきだ。そして自分の保証人の位に立つ努力をせよ。
68. 隣人のために或る事柄について、保証人とならない者だけが、損害、疑い、良心のかしゃくに対して安全である。何故ならまことに人間はその心情において、心変わりがしやすいからだ。だから知恵者の立場、謹み、愛。義が達成されていなければ、分裂、悪意、その他の害悪が生じる。
69. まことに優雅な女性は、尊敬、畏敬に満ちた注意を得るが、保証を得る者は、非合法に自分の手で稼いだものでは無い富を手に入れる。それは暴君のようである。彼はその心情を変え、保証を嘲笑する。
70. 慈悲深い者は、その行いによって隣人に自ら善を施す。しかし無慈悲な者は隣人に対して拳を握る。たとえそうする事によって自分自身の肉体が傷んだとしても。
71. 知恵を持って保証し、約束し、義の種を蒔く者は、確かな財を得る。しかし不義者の仕事はうまくいかない。
72. 義は生命を助成するが。害悪を追いかけることは死を促す。
73. たとえ悪人がその全ての手を尽くしても、彼らに助けは届かない。義人の蒔く種は肥えた土壌に落ち、実を結ぶ。そして刈り取られる。
74. まことに紀律も愛も無い美しい女は、金の首飾りを付け、蹄にビロードの靴を履かせたブタのようだ。又女のような男は、歯の無い、種無しのイノシシのようだ。
75. 義人の望みはいつも幸いに終わるが、不義者の希望は不幸に終わる。
76. まことに義人は与えるが、それでも彼の富は益々増える。しかしけちな者は惜しむが、益々貧しくなる。
77. 豊かに祝福されている人は楽しむ。即ち彼は豊かに(たっぷりと)飲む。
78. 食物を保持(隠匿)する者は人々に呪われるが、それを譲る者は祝福される。
79. まことに善を求める者には善が訪れるが、不幸を手にいれ様と努力する者は、それに遭遇する。
80. 過去の悪のみを見る者には絶えず、新たな日常生活において悪に遭遇する。しかし過去の善を見る者に取って人生は生きる価値が有り、喜びと成る。
81. 何であろうと隣人と約束する者は、彼に呪いと喜びと、高まる悲惨を負わせる。何故なら隣人は約束によって熱心と努力を怠るからだ。そして彼は、自分が最も大切な者であるかのように思い込んでしまうからだ。
82. 自分の富を当てにする者は滅びる。自分の手仕事や、知恵と賢明さを信頼する者は、緑の葉のように青々と繁る。
83. まことに自分の家を暗くする者には、巻き上げ機が遺産となろう。即ち愚人は、不義者と知恵の無い者の奴隷でとおすのである。
84. 義人の実から生命の木が生じる。知恵或る者は愛と栄誉を勝ち取る。そして求める者、望む者は、義人の畏敬と尊敬を勝ち取る。
85. 人生は全ての事柄において公平である。義人はその人生において、多様な悲しみに耐えなければならない。いわんや不義者は、どれ程多く忍耐しなければならないだろうか。
86. 創造の法則と掟は有効である。それは人間によって遵守され、注意されるべきである。
87. 創造の法則と掟は、霊のそれである。即ちそれは、秩序と生命の法則と掟である。
88. 創造はその一切の初まりにおいて、法則と掟を創り出した。権利のための秩序として、即ち人生の基本方針として。
89. 従って法則と掟は、人間が、知恵と賢さの中を歩むべき道として有効である。だから人間は公正であるべきだ。
90. 創造の法則と掟が従われなければならないので、人は何等他の法則を持ち出してはならない。
91. 創造の法則と掟は、真の創造の法則と掟と見なされるべきである。だから遵守されねばならない。何故ならそれのみが永遠に有効であるからだ。
92. この法則と掟に背く者は、人間的な法則と掟を持ち出す。それは倒錯した論理の上に作られ、欠点がある。
93. 人間がその精神において無気力であるなら、彼が自ら持ち出した邪教に等しい全ての法則と掟も小心である。
94. 創造の法則と掟を軽視する為に評価する者は、独自の法則と掟を無理矢理持ち出す者である。それらの法則や掟は欠点に満ち、すべてを誤謬に導くものである。
95. 人間によって作られた法則と掟は、不正、殺人、邪悪を生み出す。即ち害悪が広がり、それはとめど無く増え、人間は害悪に対して、そして全てに対して、もはやコントロールがきかなくなるのである。
96. まことに人間によって生み出された法則と掟は、それが愛、知識、真理、知恵、論理により出したものである時にのみ、価値を持つ。
97. 論理は人間に、知恵、認識、愛、知識、真理を要求する。
98. まことに人間の掟や人間の法則は、それが創造の法則と掟に基づいていない時には、何の力も無い。
99. まことに私は貴方がたに言う:知恵は、創造の法則と掟及び七元的秩序から学習されなければならない。人間はそれら全てを自然の中に認識する。
100. 人間は思考せず、真理を求めないのであれば、知恵も得ることが出来ず、愚者に留まる。
101. 人間は愚者である。彼は決して泣く価値の無いものについて泣くのである。そうして彼は、心配と苦境と悲惨を増長させるのである。
102. 知恵ある者は、失ったものを泣いたり悲しんだりしない。即ちずっと昔に亡くなった人のことや、過去の出来事について悲しんだりはしない。
103. 豊かな知恵を得、創造の法則と掟に従って生きる者は、何かの被造物に、ほんの僅かな悲しみが生じる事にも我慢しない。
104. 愚者や、自分の感情を制御しない者は損害を、利益、利益を損害と見、大きな悲しみを喜びとみなす。
105. そうして人間は、知恵に専念せず、愛、知識、真理を求めない。又創造の法則と掟を認識しない。彼の中には、無理解、あらゆる悪事、災い、冒涜行為、無紀律が生じるのである。
106. 恥ずベき者、売春婦、男娼、売春婦のひも、愚者、低能な者、ブツブツぼやき屋、不義者、冒涜者、その他本末転倒な者全てに、独自の力による損害と刑罰が訪れる。彼は意識的感覚と思考にも乏しい。
107. 人が毎日ほんの少しづつでも、相応しい方法で霊的知恵を迎え入れるなら、彼は半月が満月になるように成長する。
108. まことに知恵は、人間の大いなる財産である。又人間を、真理と知識、幸福と愛の主人や女主人にさせる創られた意志である。まことに全ては、霊の力無しには無意味である。
109. 行動もせずに運命を待ち、休んでいる愚者は、水の中で燃えない鍋のように壊れていく。
110. 乳牛を育てる者はいつも牛乳を得る。そのように知恵を育み、霊の力に拠りそれを使用する者は、豊かな実を収穫する。
111. 人間は創造の法則と掟を認識出来るようになれ。そして一つを認識したら、それを把握し、それに従って生きよ。何故なら創造の法則と掟は、最も偉大な知恵だからである。
112. まことに知恵に等しい眼差しは見つからない。無知に等しき暗闇、霊力に等しい暴力、思考の貧しさに等しい恐怖を持たぬ目は見つからない。
113. まことに私は貴方がたに言う。知恵より至高な幸福は無い。又真理、知識、愛より優れた友は無い。又霊の力以外に救い主はいない。
114. 悟性のある者は私の知恵の言葉を理解できるだろう。彼には知恵が有り、彼は真理と愛を知る者である。
115. まことに喜んで人の言うことを聞く者は賢くなる、しかしそうする事を嫌がる者は、自分を愚者にし、愚者に留まるのである。
116. 敬虔な者は、いつでも愛と知恵、知識と真理により慰めを得る。しかし無法な者は自らを呪う。 
117. 教訓を受け入れない本質は人間を成長させない。しかし義人の根は、力と養分を吸収し、成長し、実を結ぶ。
118. 貞節の妻は夫の冠である。又紀律に満ちた夫は妻の最大の祝福である。貞潔さの無い女は夫の重荷である。それは足に出来た膿んだ出来もののようだ。又紀律の無い夫は妻に取って嫌悪であり、腐敗の沼に等しい。
119. 義人の努力と精神のみが誠実で善である。しかし不義者の思考と行いは、欺きと不道徳と腐敗である。
120. 知恵者や義人のロは、知識、希望、救いをもたらすが、不義者の話は、流血とあらゆる害悪をもたらす。
121. 真理は永遠に変わらず存在し続ける。即ち義人の生命と家は存在し続けるが、不義者は転び、火の中で滅びる。
122. 誠に賢い男や賢い女の助言は、畏敬と尊敬の念を持って讃えられる。知恵の無い者は恥をかく。何故なら彼らは、知恵の助言を与えることが出来ず、悪知恵があるだけだからだ。
123. まことに私は貴方がたに言う。多くの要求をせず、彼に相応するものを忍耐強く待ち、そのために独自の仕事をする者は、自己を過大評価し広範囲な要求をする者より、その暮し向きは良い。何故なら彼にパンが不足することは無いからだ。
124. 義人は、人のそれぞれの状態、又全ての家畜、あらゆる種類の動物や植物を公平に扱う。不義者は無慈悲で誤っている。だから彼は全てを同じように扱う。
125. 重要ではなく不必要な事に夢中になり、仕事をしない者は、怠け者であり。役立たずで、愚か者である。自分の畑を耕す者は。豊かな収穫を得、パンは満ち足りるであろう。
126. 不義者の楽しみ、喜び、感覚、熱望は、損害を加えること。知識も知恵も無く、不親切に生きることである。義人は全てに根と成育と実を生み出す。
127. 不義者や悪人は、自分自身の誤った言葉によって捕えられ、不安と恐れの中に没落し、自分の生命を再び生まれ変わる時まで誤って導く。
128. まことに公正な女と男は、その力と処置により多くの善が訪れる。即ち彼らは同量の報いを得るのである。同様に不義な男や女は悪を持って報われる。
129. まことに誰もが自分の手仕事による実を摘む。即ち自分の口が話す淀葉の実を摘むのである。
130. 愚者は自分のやり方をとてもよく好む。しかし賢者は良い忠告を聞き、法則と掟を成就して幸いに生きる。
131. 正直な者、知恵の或る者は束縛されず、不安も無く、正しい言葉を述べる。彼は宣誓もその他の誓いの言葉も立てない。
132. 愚者は怒りと自制心の無さを示し、その中に自分独自の恥辱があることを認識していない。賢者は悟性を行使し、苦境の中で怒りのみを演じる。そして彼は自らを恥ずかしめず、興奮したりしない。
133. 知恵者の舌は最良のバルサム油(鎮痛用)のように救いをもたらす。知恵の無い者の舌は不注意に口から飛び出す。そしてその舌は毒を持った昆虫に剣のように剌される。
134. 誤った舌は、長い間存続出来ない。しかし正直な口は永遠に語る。
135. 知恵者は平和、愛、知識、真理、知恵を創り出す。しかし悪人や不義者は邪悪な助言を与え、偽りと悲惨とあらゆる害悪を生み出す。
136. 義人は真の苦しみを持たず人生を切り抜ける。何故なら彼らは真理を理解しているからだ。彼らは不義者によって心痛を受けるが、彼らのさまに不幸に陥らない。
137. まことに知恵ある男や知恵ある女は大声を挙げない。又その知恵も見せない。しかし愚者は大声で自分の愚かさを叫ぶ。
138. まことにだらけた怠け者の手は、いつも貢物を払い、十分の一の税を納めなければならない。その手は財産を築かない。勤勉な手は財産を作り、貢物や十分の一の税を受け取る。
139. 知恵ある者は、親切な言葉によって慰めと平和をもたらす。しかし知恵を持たない者は、邪悪で不親切な言葉によって悲しみと不和の種を蒔く。
140. 義人は不義者より優れた生命を持っている。隣人が不義者である時、彼は隣人に対しその誘惑術から身を守る。
141. 勤勉な人は全てにおいて実直な富を築く。だらけた者や怠け者に取ってその処置は成功しない。そして彼は益々貧しくなり一杯の重荷を負う。
142. 義人の道は真の生命である。敷かれた道は何ら克服し難き邪悪な死も隠していない。
143. 孤児は両親から学べない。嘲笑家の子供は両親をあざ笑い滅亡に走る。
144. 人は良い実を、賢い口の語る言葉のように楽しむ。冒涜者は良い実を踏みにじり、賢い言葉を冷笑する。
145. まことに善良で賢い口の語る言葉を享受する者は、生命を守る。しかし知恵ある言葉を呪い、口先だけ達者な者は、驚きと恐怖に出会う。
146. 勤勉な者は働いて財を貯め、それを得る。怠け者はそれに対し盗人になるが。それでも獲得しない。
147. 不義者は嘘をつき、汚し、自らを中傷する。義人は嘘の敵であり、栄誉の中で喜びの人生を送る。
148. 無垢なる者は義に守られる。敵視にも彼は驚かない。しかし不義なる本質は罪人を破滅させる。
149. 義人は貧困の中にあっても富んでいる。しかし不義者は富が有りながら貧しい。
150. なるほど富を持った金持ちは来るが、貧しい義人は叱責を耳にせず、尊敬と誉れの中に生きる。
151. 不義者の灯火は薄明かりと不和を放つ。しかし義人の灯火は遠くまで明るくし、平安と平和をもたらす。
152. 忠告を貰い教訓に従う者は知恵がある。平和は彼のものである。しかし高慢な者は、自らと隣人に対して不和の中に生きる。
153. 人が誠実に握るものは増加し大きくなるが、富がルーズに保たれ浪費されるなら、それは直ぐに少なくなる。
154. 人が心に抱く希望は彼に取って生命の木である。しかし不義者が望む希望は、消え去り、彼は深みに落ちる。
155. 真理の言葉を軽視する者は自ら滅亡する。しかし真理の言葉に注意を払い、それに従う者は、彼が自らそれに報いるように報われる。
156. 真理の教えは知恵者の教えである。まことにそれは命の泉である。それによって悪の連鎖は避けられる。
157. 不義者や軽視者の道は、彼らに苦しみと悲痛をもたらす。しかし義人の鋭敏な賢さは、彼に行為と喜びを創る。
158. 賢者は理性を持って全ての正義を行う。しかし愚者は彼の愚行のみを広げ、それによって義人に利益を作り出す。その間、彼は自ら損害を生み出す。
159. 公正な使いは誠実な知らせをもたらすが、不義な使いは嘘偽りをもたらす。しかし彼は自らその損害を被る。
160. 紀律を軽視したり、それを逃す者は貧困と損害に倒れる。しかし紀律に熱心な者は、富と栄誉に達する。
161. 愚者や無知な者は。学ぶべき欠点を避け、憎み、誤解している。しかし知恵者に取って学ぶべき欠点は嫌悪でなく、認識の喜びである。
162. まことに知恵者と誠実な交際をする者は、自ら賢くなる。しかし愚者の仲間を持つ者は低能さの中に生きる。
163. 義人は自ら苦しみの中に知恵と理解を見出すが、愚者は悲惨と自己憐欄と憎しみを企て、自分の人生を破壊する。
164. 義人は孫の代まで、又遠い将来に至るまで、真実の命を遺産として残すが、不義者の骨は覚えられず色あせる。彼の思い出も小さな炎のように消え、水の泡となる。
165. 理由のあるけん責を中傷する者は、命に値しない。しかし公正な者は自分でけん責し、厳しい紀律を行う。
166. 義人は公正であり、公正に生きる。不義者は不正である。何故なら彼は愚者として低能の中に生き、愚かさの中にあり、真理を認識しないからである。
167. 知恵のある妻により夫は家を建てるが、愚鈍な妻は行いをもってそれを壊す。
168. 夫を尊敬し配慮する妻は正しい道を歩む。夫にもそれが言える。夫を軽蔑する者は、邪道を歩く者である。夫が他人より上位に有りたいと思い、言葉で他人を不正に攻撃したり、不正に異議を唱えたりする時も同じである。
169. 悪妻は愚者のように夫と暴虐な話をする。しかし知恵のある妻はその口を守る。それは夫に取っても同様である。
170. 支配欲に満ちた人間、即ち独善的な者は狂気の中に生きる。彼らは全てを利益のために曲げたり折ったりする。狂気の話は古いスカーフのように透けている。だから彼らは自らを愚者だと罵るのである。
171. 冷笑家は、たとえ知恵を探していようと愚者である。何故なら、彼の求めているものは間違っており、自己欺瞞であるからだ。彼は知恵も真理も見出さない。
172. 愚者は真理を理解しない。彼の思考感情は自分自身に結び付いている。即ち彼は低能と愚鈍の中に生き、苦しみの故に自らに加える悪を、他人にある悪だと思い込んでいる。ただ彼はそれを認識しないだけで、自分自身を破壊するのである。
173. 愚者は自ら自分の精神を破墳する。彼は責任を他人に求め、不道徳と誤った生活の責任を叱責する。しかし彼はそうして自分の損害を深め、救いようの無い誤謬に入っていくのである。
174. 愚者はペラペラとおしゃべりで隣人の悪口を言う。その間に彼は自分自身の生活と家を破壊し、愛と悟性において成長しない。
175. だから愚者は、おしゃべりで隣人の悪口を言い、自分自身の生活を破壊するのである。その間、中傷された者に取って、その中傷的なおしゃべりと罵りから思わぬ利益が生じるのである。何故なら賢者は真理を求め、愚者は道標として愚かさを取るからだ。だから愚者は、中傷された者に真理を見出す事になる。
176. 予言者は地球人に警告する。即ち予言者は、愚者と共に歩むなかれと言う知恵の言葉を呈する。何故なら人は、彼から何も学ぶことは無く、自ら低能と愚鈍に陥るからだ。
177. まことに命の道によく気を付け、愚者の愚かしき欺瞞に陥らず、真に真実の命の道を歩むことだけが賢者の知恵である。
178. 不幸、不安、恐れ、苦境の中に生きることは愚者の悲しみである。しかし賢者は、自ずと悲しみの中にも喜びと知恵を認識している。
179. 義人も苦しむのであるが、彼は愚者のように苦しむことは無い。何故なら彼は金を使い失うが、自分の認識と喜びを積むからである。
180. 愚者の悲しみは悪徳と恥辱と罪、不幸と不安、恐れと苦境と悲惨に満ちている。しかし義人の悲しみは、愚者やその他の不義者の罪による、悲痛と欠乏である。
181. まことに多くの知恵有る所には、多くの悲痛と欠乏が有る。しかし知恵有る者はそこから学び、より知恵を増す。即ち彼はそこからもっと多くの喜び、愛、知識、真理を生み、愚者の低能よりも耐えず高尚に生きる。
182. 低能は不安と恐怖を生みだし、愚者はその中に死ぬ。しかし知恵は認識と愛を生み出し、こうして知恵者は公正な喜びである人生を送る。
183. まことに多くの知恵が花咲く所に、多くの悲痛もある。又多く学ぶ者は、多く悲しまねばならない。しかし悲しみは再び学ぶことである。悲しみは喜び、幸運、公正な人生をもたらす。
184. 愚者は悲しむが学ばないから知恵が付かない。彼は良き日々を持とうとするのだが、それを得ない。何故なら彼の人生は恐ろしいものだからである。
185. 知恵者は自分自身の悲しみと喜びを知っている。他人や愚者はそれに介入出来ない。しかし愚者は自分の悲しみを知らず、喜びに無知である。そして彼と同類の者や見知らぬ人が、日々彼の不満げな態度と誤った行いに介入する。
186. 愚者は喪中に笑う。しかし彼の誤った喜びは、彼に悲しみと苦境をもたらす。
187. 愚者は、隣人の誕生日や新年又は他の時にだけ幸せを祈る。何故なら彼は、そうして足りない脳味噌の中で、悪い記憶を引出し指図し、そうして又虚礼を成就するからだ。
188. 知恵者は一直線にものを語る。しかし愚者はおしゃべりの中で、一つの問題から他の問題へと跳躍する。そして筋道を通すことが出来ない。
189. あたかも愚者に言えることは、知恵者にも言える。何故なら人は話、考え、処置し、感じるように、それは自分に戻ってくるからだ。即ち愚者には、愚行と低能がやって来て、知恵者には知識、愛、真理、知恵、喜びがやって来る。
190. 敬虔な者はその知恵において永遠に、愚者とその低能を凌駕する。あたかも知恵者がその知識において、永遠に王や皇帝を凌駕しているように。
191. 注意深さの中の賢明さは知恵の母である。しかし愚かさと軽卒は、愚行の亡霊である。
192. 知恵者は悪しき者を防止するが、愚者は両手でそれに掴みかかる。
193. 知恵者は慎重に行い、生きる。しかし性急な者は、急ぎ、愚かな者のように損害を身に招く。彼は蜜蜂が巣箱の中にいるのに、素手でその中に手を突っ込む。
194. 慎重は賢者の冠であるが、低能は愚者の目の中で鬼火のように揺れ動く。
195. 愚者は隣人にこっそりと語られ、軽視される。即ち彼は憎まれるが。賢者は尊ばれ、多くの真の友を持つ。
196. 愚者は隣人を軽視する。しかし隣人を愛しむ知恵者は幸いだ。
197. 知恵を持って仕事が為される所には、耐えず進歩と万事に満足が有る。しかし言葉だけで言われる所では、全てに不足がある。
198. 愚かさ、愚行、愚者の低能は、愚かさ、愚行、低能のままであるが、知恵者の富は知恵であり、それは愛、忠実、善、知識、喜び、平安、真理、人生に価値有るすべてに増えていく。
199. 忠実で公正な証人は隣人の生命を救うが、誤った証人は燐人の命を危うくし、自分自身の命も台無しにする。
200. 真理を尊ぶ者は、安全な要塞に住む人である。従順な家族や真の友達も守られる。しかし真理を罵る者の家は、陥没し、彼とその家族そして愚者の仲間を打ち殺す。
201. 賢さと知恵の有る人に取って人生は成就である。しかし愚かな者には馬鹿ばかしい。何故なら彼は意味も無く理解もせず、生活しているからだ。
202. 知恵者の周りに弟子達は集まる。彼は少数の人々に喜ぶ。しかし愚者は多くの愚かな民を持ち、低能の中で萎縮する。
203. 弟子達は知恵者や教師を求め、彼から学ぼうとする。しかし愚者は弟子を探し、弟子達を誤って導き無法者にする。そして彼らは教師自身を殺し、彼を笑い、なぶりものにする。
204. 知恵者は忍耐強く成功を納める。性急な者は不成功と敗北を被る。即ち彼は自分の愚かさを見せるのである。
205. 最も小さなまきものにすら害を加える者は、命を冒涜する者である。最も小さな者に畏敬を払う者は、創造を尊ぶ者である。
206. 義人はその死にあたって慰められる。しかし不義者に取っては災難である。
207. 理解は知恵者に生きている。これは愚者にも明白であるが、彼はそれに対して何も出来ず、腹を立てる。
208. 義は全ての民を高めるが、不義は民を滅亡へと転落させる。
209. 善良な勤勉家は全ての感情を喜ぶが、怠け者は愚者の間で自ら中傷に悩む。
210. 知恵者の賢明な答えは怒りを鎮める。しかし知恵の無い者の不正な答えは、邪悪な憤怒を生む。
211. 知恵有る者は厳しい言葉で話を導き、助言を与えようとするが、それでも知恵が隣人に認識され感謝して従われる。しかし知恵の無い者の軟弱で誤った話は、反発と憎しみにぶつかる。
212. 知恵者の舌は、たとえ厳しい言葉で真理を打ちだしても、どんな教えも好ましいものにする。しかし愚者の口は、たとえ言葉が選ばれたものであっても、自惚れの強い愚行と無理解を吐く。
213. 知恵者の目は至る所を見、知恵者の耳は至る所で耳を澄ます。しかし愚者の目は辺りを見回すが何も見ない。又その耳もすみずみに動くが何も聞かない。
214. 知恵者は辺りに良い忠告を撒き散らすが、知恵の無い者はゴミと厄介事を広げる。
215. 冷笑家は彼自身をあざ笑う者を愛さない。しかし知恵者は教わることを愛する。
216. 善と忠告により悪行は赦される。又不安と恐れは追い払われ、悪も除かれる。
217. 人間の意識は多くの道を考え出すが、真理の道はただ一つである。
218. 予言は知恵者の口にのみ有る。嘘と偽りは、愚者、嘘付き、口寄せする者、分派論者、偶像礼拝者、神を信ずる者、実際より大きく見せたがるが無知な者、それらの全ての口にある。
219. 知恵者は瀕死の者に死と和解させるが、不義者は愚者であり、生存する者を死へと汚す。
220. 破滅する者は愚者である。愚者は不遜、高飛車、である。しかしおごる平家は久しからず、である。
221. 愚者に取ってその道は大変気にいるが、最後にはそれは死をもたらす。
222. 愚者は自らの口と処理(行動)により、大きな災いに出会うが、賢者の口と処置は名誉と富と成る。
223. 悪人や愚者は邪悪で愚かな口に聞き入る。又偽る者も誤った有害な舌に聞き入る。
224. 知恵の最後の鍵は、知恵そのものである。しかし愚者の決断は邪悪な死である。」



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(31章は、23,24,25頁にあります)